再会
「やあ、いらっしゃい。君が神山の娘さんだね?」
英国人らしい彫りの深い顔に、柔和な表情が広がる。その顔も、声も、俺の記憶にある師匠とほとんど変わりはない。
だが……その身体は半分ほど欠けていた。
見た目はあまり変わらないが、錬金術師としての目で見れば分かる。両足は精巧な義足だし、腹部や腰部もかなりの部分が人工物に置き換えられている。
その身体には数本の管が接続されていて、今も何かの溶液を点滴のように投与しているようだった。
「は、はい。神山霞と申します」
少し遅れて霞が口を開く。義肢を見抜いたわけではないだろうが、彼女も管だらけの人間を見て驚きを隠せないようだった。
「――ああ、珍しい身体じゃろう? 昔に大怪我をしての。それでこうして命を繋いでいるというわけだ」
霞に向かって、師匠は明るい口調で説明する。その口ぶりは説明に慣れていることを窺わせるものだった。
「そして、君が彼女の相手だ――」
師匠は霞の後ろに控えていた俺に視線を移して……驚きに目を見開いた。
「師匠、お久しぶりです」
「京弥か!?」
師匠はこちらへ駆け寄ろうとしてバランスを崩した。慌てて支えようとしたところで、なんとか転倒せずにバランスを取り戻す。
「……すまんな。咄嗟に動こうとすると、どうにもこいつの操作が甘くなる」
「その義足、錬金術でかなりいじってますね?」
「ほほう。一目で見抜くとは、きちんと修練をしておるようだな。感心感心」
「そんな妙な魔力の回し方をしていたら、誰でも気付きますよ」
「そうじゃろう! この魔力の循環のさせ方には、かなりの試行錯誤を重ねてな! 当初はただ循環を――」
師匠は熱が入った様子で説明を始めようとする。魔術の工夫について語り出すと、一気にギアが上がるのは相変わらずのようだった。
「師匠。とても気になる話ですが、先にいくつか聞かせてください」
言葉を遮って告げる。すると、師匠は我に返った様子でソファーを勧めてくれた。
「てっきり、師匠は賀茂の当主に敗れて亡くなったと思っていました」
「敗れたとは心外じゃな。たしかにワシは瀕死の重傷を負ったが、相手の魔力をほとんど枯らしてやった。ワシはこの施設内であればピンピンしておるし、術の研究には何の支障もない」
だから自分の勝ちだ、と師匠は愉快そうに笑う。
「じゃあ、なぜ連絡をくれなかったんですか」
つい声が硬質的になる。責めるような言い方はするまいと意識したのだが、さすがに制御しきれなかった。
「……すまなかった。こちらの事情にお前を巻き込みたくなかったのだ。ワシが生きていると知れば、お前は探そうとするだろう?」
「当たり前です。それで、こちらの事情とはなんですか?」
遠慮せず問いかけると、師匠は苦い表情を浮かべた。
「ワシがまだ英国にいた頃、どうにも折り合いのつかん男がいてな。腕は立つが、魔物全般に憎悪を抱いていて、ターゲットを仕留めるまで決して諦めん奴じゃった」
「……?」
俺はその話に引っ掛かりを覚えたが、黙って話の続きを聞く。
「ワシは魔物の血を引く人間に対して、錬金術を用いて共存の術を提供するべきだと考えた。そして、実際に英国でその活動を始めたのじゃが……そやつが何かと妨害してきてのぅ。ついには、ワシの工房を頼ってくる人々を襲い始めた」
「それは……胸の悪くなる話ですね」
「英国は魔物粛清派が力を持っていてな。多少のことは揉み消されるし、人数も多い。そこでワシは日本へ活動の場を移すことにした。
日本が魔物の血を引く人間と共存する方針であることは有名だからの。迫害から逃れるために、日本へ移住した者も多い。この国なら活動が継続できるし、奴も国を越えてちょっかいはかけられん。そう思っていたのじゃが……」
「師匠。その男の名前はルーカスですね?」
ついに我慢しきれなくなった俺は、その名前を口に出した。その途端、師匠の目が見開かれて驚きを示す。
「京弥も遭遇したのか!?」
「はい。当初は師匠の戦友だと名乗っていましたが――」
「戦友だと……!? よく言えたものじゃな。厚かましい」
憤る師匠にこれまでの経緯を説明する。すると、彼は苦々しい顔で溜息をついた。
「結局巻き込んでしもうたか……ワシは賀茂の当主と戦った際に、ルーカスが日本へ侵攻しようとしていることを知った。奴が徒党を組めないこの地であれば、撃退も叶うと思ったが……」
そして、師匠は自分の身体に付いている管の一つに触れる。
「こうなってしまっては、戦いのお荷物でしかない。危険を呼び込む上に戦えぬとなれば、おらぬほうがマシというものよ」
「それで……消息不明だったんですね」
俺は万感の思いで相槌を打つ。師匠もまた、俺のためを思って行動した結果だったのだ。納得しきれない部分もあるが、理解することはできた。
「……でも、あの頃の京弥さんは、本当に――」
と。ぼそりと声を上げたのは、これまで静かに話を聞いていた霞だった。自分が声を出していたことに遅れて気付いたようで、彼女は慌てた様子で謝ってくる。
「すみません。私が口を出すことじゃありませんでした。今の京弥さんが納得しているなら――」
「いや、構わんよ。その口ぶりからすると、ワシが失踪した直後の京弥を知っているのだね? 京弥はどんな感じだった?」
「心ここにあらず、という状態でした。あのお店を京弥さんが承継してからは、目に力が戻ったようですけど……その頃から、錬金術と工房の運営以外にはほとんど興味を失っているように見えました」
霞が語った内容は意外と詳しいものだった。当時の俺は彼女のことを知らなかったのだから、なんだか不思議な感じだな。
「そうか……。京弥、本当にすまなかった。悲しませたな」
そして、師匠は深々と頭を下げる。
「師匠が謝る必要はありません。事情は分かりましたし、恨むとすればルーカスでしょう」
「そうじゃな。本当にあの阿呆は……」
そうしてブツブツ文句を言っていた師匠は、ふと気付いたように顔を上げた。その視線の先にあるのは霞だ。
「ということは、今日の用件はダミーじゃったのか?」
「どういう意味ですか?」
なんのことか分からず訊き返す。霞のほうを見れば、彼女も心当たりがないようだった。
「神山の当主からは、『娘が執着している相手を連れて訪問する。データの収集がてら相談に乗ってやってほしい』と聞いておった」
「え――?」
その言葉を聞いて、俺と霞が同時に声を上げる。
「ストレートに京弥が訪ねてくると言えば、ワシが断る可能性もあったじゃろうからな」
「ああ、それで――」
部屋に入った時の師匠の反応が、なんだか妙だったのはそのせいか。そんなところに納得していると、霞が遠慮がちに口を開く。
「あの……データの収集とおっしゃっていましたけど、それはどういう意味でしょうか?」
「ふむ? 何も聞いておらんのかね?」
「はい」
霞が頷くと、師匠は苦笑を浮かべた。
「一斉め、相変わらず説明が足りぬな。裏で糸を引くのはいいが、もう少し人を信じてもいいじゃろうに――と、すまん。今のは父君には内緒で頼む」
言って、師匠は皺の増えた顔で笑う。それにつられたわけではないだろうが、霞もまた微笑を浮かべた。
「ワシはこの施設を稼働させる一方で、様々な研究を進めておる。その一つに種族特性の研究もあってな。この五年で、何人か八岐大蛇の末裔のデータを取ったことがある」
「そうだったんですね」
霞は納得した様子だった。昨日の話からすると、神山家としても頭を悩ませる問題のようだし、複数の手段で解決の糸口を探っているのだろう。
「じゃから、今回もその類と思っておったが……まさか京弥を連れてくるとはのぅ。そんな方便を使うとは、一斉にしてやられたわ」
師匠はあっけらかんと笑う。だが……俺たちのほうは、一緒に笑える心境ではなかった。正直に言って気まずすぎる。
そして、その空気を師匠も感じ取ったのだろう。しばらく俺たちを見比べてから、もう一度問いかける。
「念のためにもう一度確認するが、今回の案件は霞さんの執着絡みではないのだね?」
「……」
俺も霞も即答できず、お互いにちらりと視線を合わせる。それはそれで間違っているわけではない。そして……その沈黙こそが何よりの回答だった。
「なるほどのぅ。ただの口実でもなかったわけか」
「師匠。顔が笑ってますよ?」
「おお、これはすまんかったな。何も茶化すつもりはないのじゃが……そうか、あの京弥がのぅ。しかも相手が一斉の娘とは」
師匠はしみじみと、だが確実に面白がっている声音で呟く。
「あの、私たちはそうじゃなくて……いえ、その通りでもあるんですけど」
そして、口を開いた霞もしどろもどろだった。助け舟を出したいが、師匠に恋愛絡みの話をするのはさすがに抵抗があったし、何より霞に負担がかかるかもしれない。そんな思いから、俺も口を出せずにいた。
「じゃが……ふむ」
師匠はそれ以上追及する様子もなく、霞を観察しはじめた。師匠の目の周辺に魔力が集まっていることからすると、何かしらの解析をしているのだろう。
「……む?」
「師匠、どうしました?」
問いかけると、師匠は少し言いづらそうに口を開いた。
「これまでの被験者を通じて、ワシは神山家の『執着』の特徴をいくつか掴んでおる。相手が近くにいた場合、妖力が独特の強張り方をするし、本人の意思とは関係なく相手に妖力を纏わりつかせてしまう。じゃが……」
「ああ……霞には妖力がほとんどありませんからね」
執着の研究なのだから、これまでの被験者はすべて神山一族のはずだ。おそらく妖力の強い者ばかりだったのだろう。それに比べれば、霞の妖力の詳細を把握するのは困難だ。
「じゃあ――」
また霞の妖力を解放すれば、はっきりと分かるのだろうか。だが、妖力を解放している時は必然的に俺と密着しているわけだしな。纏わりつく以前の問題な気もする。
「あの……ウィリアムさんは、執着を消したり、弱めたりする方法も研究していらっしゃるんですか?」
と、今度は霞が口を開く。口調は控えめだが、その表情は至って真剣なものだ。その理由を察した俺は、なんとも複雑な思いで彼女の横顔を見つめる。
そんな俺の様子に気付いたのだろうか。師匠は霞ではなく俺のほうに視線を向けた。
「京弥、少しよいか? 回答の前に、個別に確認しておきたい事項がある」
「個別に? 分かりました」
答えながら霞と視線を交わす。彼女が黙って頷いたことで、俺は師匠とともに応接室の外へ出た。
「京弥、率直に聞く。お前と霞さんはどういう関係だ? 恋人かと思ったが、その割によそよそしい。かと言って、執着されて困っている風でもないが……」
「それは……」
どう話したものか。そして、どこまで話したものか。師匠の問いかけに、俺は急いで情報を整理して――。
その時だった。つんざくような警報音が施設中に響き渡った。
『――施設内の全職員へ伝達。敷地内へ不審者が侵入。速やかに戦闘態勢に移行せよ』
さらにアナウンスが流れる。その内容から、危険が迫っていることは明らかだった。
「霞! こっちへ!」
俺はとっさに扉を開くと、まだ応接室の中にいた霞を呼び寄せた。彼女が傍へ来たことを確認して、今度は師匠に問いかける。
「師匠。こういう場合はどう動く予定ですか?」
「今のワシは戦闘の役には立たん。施設を操作して防御結界を張る」
言いながら、師匠は施設の奥を指差した。
「じゃあ、俺は――」
「避難しておれ。お前は関係者ではないし、本来、錬金術師は前線に立つようなものではない。それはよく分かっているじゃろう」
「ですが!」
「なに、この施設は陰陽寮でも最高クラスの結界を展開しているし、防衛部隊の質も高い。不安に思うことはない」
「その最高クラスの結界を抜けるような相手だから、こうして警報が鳴っているんですよね?」
「む……」
俺の反論に師匠が黙り込む。そして、さらに事態は悪化した。
「なんじゃ――!?」
「この妖力は……!」
人の身では持ち得ない膨大な妖力に、身の毛がよだつような感覚を覚える。だが、その天災級の妖力には心当たりがあった。
「透――!?」
霞も気付いたのだろう。襲撃者は、八岐大蛇の先祖返りと称される霞の弟。神山透と見て間違いない。
「……師匠。一応聞きますが、このクラスの妖力持ちに対抗できる防衛力はありますか?」
「あるワケがなかろう。この規模の妖力に対抗できる施設など、皇居か英国の王宮くらいじゃ」
師匠はあっさり認めると、小さく俺に耳打ちした。
「霞さんを連れて地下へ行け。数キロ離れた場所へ出る地下通路がある」
「え?」
思わぬ言葉に声を上げる。それは、つまり――。
「この施設のおかげで師匠は命を繋いでいると、そう言っていませんでしたか?」
「お前をここで死なせるワケにはいかん。……前にも言ったじゃろう? お前が生きていれば、この戦いはワシの勝ちじゃと。後進さえ生きていればなんとかなる」
「また……ですか」
脳裏に五年前の記憶が蘇る。あの時はそれで師匠を失ったのだ。後進の重要性は分かっているが、だからと言って先達を失っていい訳ではない。
「……分かりました」
そう答えれば、師匠はほっとしたように頷いた。そして、昔のように俺の頭にポン、と手を置く。
「よく言ってくれた。死んで花実が咲くものか、というやつじゃ」
「そうですね、約束します。……奥の手が通じなければ逃げると」
「何じゃと!?」
師匠は目を白黒させる。だが、それに構わず俺は霞に向き直った。
「霞。君は必ず俺が守る。だから力を貸してくれないか」
そして命を賭けた協力を要請する。他力本願と言いたくば言えばいい。俺にできることはそれだけなのだから。
「もちろん――いえ、私からもお願いします」
緊張した表情のまま頷くと、彼女は無理やり笑顔を作ってみせた。
「透を捕まえて、きちんとお説教しないといけませんから」




