神山Ⅱ
歴史を感じる神山家の屋敷は、見かけほど純和風な造りではないらしい。洋風のリビングに通された俺は、そんな感想を抱きながらソファーに腰かけていた。
「日野君。遠路はるばるよく来てくれた。成明殿もかたじけない」
そう告げたのは、神山家の当主であり、霞の父親でもある神山一斉だ。陰陽四家の当主だけあって、その行動の端々から人の上に立つ威厳のようなものが感じられた。
「こちらこそ、年の瀬に申し訳ありません」
俺は軽く頭を下げる。この場にいるのは四人。俺と賀茂成明、そして神山一斉と霞だ。俺と当主以外は顔見知りであるため、それ以上は自己紹介の必要もなかった。
「さて……まず、日野君には感謝を。娘の記憶を取り戻してくれたことには、いくら感謝してもしたりない」
神山一斉の厳格な面持ちに笑顔が交じる。神山家当主の対応は、俺が想像していたよりも数段柔らかいものだった。
「成明殿から用件は聞いている。霞の記憶の封印を解いた対価の請求。それでよかったかな?」
「はい。相違ありません」
背筋を伸ばして答えると、神山家の当主は鷹揚に頷いた。
「解呪にかかった費用は、もちろんこちらで負担しよう。希少な触媒も使っただろうし、最優の錬金術師ともなれば技術料だけでも安くはあるまい」
彼は自ら対価の値を吊り上げた。その気前のよさはさすが神山家と言うべきか。俺のほうでも、請求する場合に備えて使用した触媒等は記録を取っているし、技術料についてもうちの工房なりの基準はある。金額の算出は難しいことではなかった。だが――。
「金銭は不要です。その代わりに情報を頂きたいと考えています」
俺はきっぱりと言い切る。すると、神山一斉は探るような目を向けてきた。
「情報とは、具体的にどのようなことかな」
「かす――娘さんの記憶が封印された経緯を」
ちらりと霞へ視線を向けると、相変わらず神妙な顔をしている彼女と目が合った。こうして静かにしていると、まるであの霞のように思えてくる。
「……ふむ。金銭よりも価値がある情報だと思うのかな?」
「その通りです」
「つまり、解呪を行った術師として、今回の経験を今後に活かすために因果関係を知りたいと?」
「それも理由の一つですが、あくまでオマケのようなものです」
そう答えると、俺は神山家の当主を真っ向から見据えた。
「この四か月を彼女と共に暮らしていた者として、知りたいのです」
その言葉に霞が目を見開く。その一方で、神山一斉に驚いた様子は見られなかった。動じない性質なのか、それとも神山家として把握していたのか。どちらにしても俺の思いは一つだった。
「霞さんが記憶を失っていた間、私は記憶の封印によって生じた別人格の彼女と暮らしていました。そして、その人格は……解呪とともに消滅しました」
こみ上げてくる苦い感情を飲み込んで、できるだけ淡々と告げる。
「ですが、それでも知りたいのです。彼女はなぜ記憶を失って苦しみ、悩むことになったのか。それを追及することができるのは、もはや私だけでしょうから」
「……なるほど」
俺の答えを聞いた神山一斉は、興味深そうに俺と霞を見比べた。そして、なぜか賀茂成明に話しかける。
「成明殿。すまないが外してもらえるだろうか」
それは予想外の申し出だったのだろう。賀茂は一瞬眉をひそめた後で、冷静に言葉を返す。
「……申し訳ありませんが、今日の私は陰陽寮の職員として同席しています。日野殿とこちらへお伺いすることは、すでに公の記録に残っています」
賀茂の説明は車内で聞いた話と矛盾していた。だが、それは俺の身を案じた末の発言だったのだろう。神山家が俺の口封じをするのではないかと、そう疑ったのだ。
「成明殿の顔を潰すようなことはせぬ。桑名殿からも、くれぐれもよろしくと連絡があったしな」
「……」
賀茂は何も答えない。だが、その真意を見抜こうとするかのように、鋭い眼差しで神山の当主を見つめていた。
「成明殿。これは『執着』絡みの案件だ」
「……そういうことでしたか」
これまでより小さな声で告げられた言葉を受けて、賀茂はなぜか納得した様子だった。そして、スッとソファーから立ち上がる。
「賀茂さん……?」
思わぬ反応に声を掛けると、彼は落ち着いた様子で頷いてみせる。
「――案ずる必要はない。神山家が執着絡みと明言するのであれば、貴殿に害はない。真摯に対応してくれるはずだ」
困惑する俺を置いて、賀茂は納得顔でリビングを出て行く。いつの間にか案内人が扉の前に立っており、彼をどこかへ連れて行った。
「え……?」
突然の展開に、俺は戸惑いの声を上げることしかできなかった。
◆◆◆
賀茂成明が立ち去ったリビングで、俺はさらなる混乱に襲われていた。なぜなら、俺は陰陽四家の一角、神山家の当主に頭を下げられていたからだ。
「日野君。我々の事情に巻き込んでしまって、本当に申し訳なかった」
告げられた言葉も演技には思えず、それが混乱に拍車をかけた。ただ、分かったことが一つある。当主が頭を下げる場面など、余人に見せるわけにはいかない。だからこそ、賀茂をこの場から退場させる必要があったのだろう。
「京弥さん、本当にごめんなさい……」
父親とともに頭を下げていた霞が、初めて口を開いた。その声は思いも寄らぬほど張り詰めたもので、俺はつい彼女の顔を凝視する。
「事情と言うのは、霞……さんの記憶の封印のことですか?」
そう問いかければ、二人は同時に頷いた。
「その通りだ。今回の一件は、我々の『執着』に端を発している」
「執着……?」
そう言えば、霞の弟である神山透の調査を依頼した際に、孝祐がそんなことを言っていた気がするが……。
「その筋では有名な話だが、八岐大蛇の末裔である我々の種族特性に『執着』というものがある。その名の通り、特定の人間や動物に強く心を寄せるものだ。生涯で一、二度しか発生しないが、正の側面が強く出れば愛情となり、負の側面が強ければ憎しみとなる」
「はぁ……」
突然の説明に、俺は間の抜けた相槌を打つのが精一杯だった。
「これが厄介な衝動でね。衝動の強さは人によってまちまちだが、正の側面が強烈な場合はストーカーや監禁。負の側面が突出している場合は排斥や殺害といった、社会的に認められない行動へエスカレートすることもある」
彼は淡々と語る。明かされた秘密の重さに、俺は沈黙することしかできなかった。
「妖力が強い者ほど執着も強くなる傾向にあるが、詳しいことはいまだに不明でね。なんにせよ、この衝動が元で居場所を追われた者も少なくない。
神山一族が陰陽四家として権勢を握っているのは、そんな一族を救済し、選択肢を増やすためでもあるのだよ。権力や財力があれば、相手の歓心を買える可能性は上がるし、負の衝動に駆られた場合は、殺す前に相手を遠方へ追放するくらいはできる」
なんだか不穏なことをさらりと言って、神山一斉は隣の霞へ視線を向けた。
「さて。ここからは私が話すべきことではない。……霞」
「はい」
父親の言葉に霞はこくりと頷いた。やがて、彼女は意を決したように口を開く。
「京弥さん、本当にすみませんでした。まさか、私の我儘に巻き込んでしまうなんて――」
今にも泣き出しそうな表情で、それでも彼女は言葉を続ける。やがて語られた内容は、俺を驚かせるに充分なものだった。
「記憶の封印は……私が自分で願ったことだったんです」
「……え?」
彼女の言葉の意味が頭に浸透せず、何度もその言葉を繰り返し呟く。
「どうしてそんなことを……?」
「京弥さんのことを忘れるためです」
言いづらそうに彼女は答える。だが、話がさっぱり見えてこず、俺は首を傾げるしかなかった。
「先ほど父が『執着』の話をしましたよね? それで、その……京弥さんがそうなんです」
彼女は恥ずかしそうに、そして消え入りそうな声で告げた。その言葉の意味が分からず、俺は何度も目を瞬かせる。
「ですから、その……! 私が『執着』しているのは京弥さんなんです!」
ヤケになったかのように、霞は強い語調で言い切る。その顔は真っ赤になっていて、頻繁に照れていたかつての霞を思い出させた。
――正の側面が強く出れば愛情となり、負の側面が強ければ憎しみとなる。
先ほどの当主の言葉を思い出す。ということは、つまり――。
「京弥さんに好かれたくて頑張ったんですけど、さっぱり脈がありませんでしたし……それで、婚約の期限に間に合わなくて」
そんな俺の表情に理解の色を見出したのだろう。霞はすっかり上気した顔で説明を続ける。唐突な話でさっぱり全貌が見えないが、聞き流せない単語が含まれていることだけは分かった。
「婚約?」
「はい……。とある名家から、私を妻に迎えたいという打診があったんです。私みたいな妖力の低い人間を迎えてくれる名家は他にないって、みんな喜んでいました」
「……」
俺は思わず渋面になる。そんな資格はないと分かっているのだが、どうにも表情がコントロールできなかった。
「その家は神山家としても無視できない影響力を持っていて、私の立場でそんな良縁を断るなんてあり得ません。
でも、私は京弥さん以外の男性なんて考えられなくて……それで猶予期間をもらったんです。期限内に京弥さんと結ばれることができなければ、諦めてその人と結婚するって」
「……錬金術師を陰陽寮に取り込むためじゃなかったのか」
突然の情報に混乱していた俺は、ようやくその言葉だけを絞り出す。
「表向きの理由はそうですよ? 希少で有能な錬金術師を取り込むことができれば、大きなアドバンテージになるのは事実ですから。妖力のない私は神山家の跡取りとして不適格ですし、そういう意味でも都合がよかったんです」
そんな霞の説明に、ずっと静かだった神山一斉が言葉を付け足した。
「実際のところは、霞が猶予期間を設けるために用意した言い訳にすぎん。その建前と『執着』を理由に挙げれば、神山一族もその家も納得せざるを得ないからな」
「なるほど……?」
「でも、京弥さんとなんの進展もないまま、約束した期限が来てしまいました。だから……術を使って京弥さんの記憶を消してもらうことにしたんです。この気持ちのままじゃ、結婚相手にも失礼だと思って」
「『執着』への対処は、神山家でも長年の課題だったのでな。相手の記憶を失った場合でも『執着』が残るかどうか。そのいい実験になると霞に説得されたのだよ」
「記憶を失うまでにも、色々あったんだな……」
俺は狐につままれたような気分だった。彼女は重大事件の現場を目撃したわけでも、日本転覆の陰謀に関わっていたわけでもない。そういう意味では拍子抜けとさえ言える。
だが、彼女が真剣に悩み、決断したということは伝わってきた。
黙ってそんなことを考えていた俺をどう思ったのか、霞は申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさい。突然こんな話……重いですよね」
「そこまでは思わないが……それより、一つ聞きたいことがある」
俺は抱いた疑念を口に出す。彼女の説明と、俺の下へ現れたかつての霞には明らかな相違があったからだ。
「俺に関する記憶を封印したんだよな? あの時の霞は、自分の素性すら覚えていなかったぞ?」
だからこそ、彼女は色々と思い悩むことになったのだ。霞の言葉通りなら、記憶の封印は結婚準備のようなものだ。自分のことまで忘れてしまっては意味がない。
「――そこからの話は私が引き継ごう。少し事情が入り組んでいてね」
黙って娘の説明を聞いていた神山一斉が、再び口を開く。
「ルーカス・ティンバーレイクという英国の魔術師を知っているね? 妖怪や魔物の末裔をすべて滅するべしという思想の持ち主だ」
その名前に目を見開く。ここにもあの男が絡んでいたのか。
「奴は巧妙に日本国内の協力者を増やしていた。そして、井岡――霞の記憶封印を依頼した術師もその一人だった」
「井岡……」
その名前には聞き覚えがあった。神山透との二度目の戦いで、ルーカスと透の撤退を援護した敵方の陰陽師だ。あの戦いで霞が倒したはずだが……彼が彼女の記憶を封じた術師だったのか。
「陰陽寮でも最高峰の術師だ。まさかルーカスの息がかかっているとは思わなくてな。奴らにしてみれば、霞の記憶封印を依頼されたことは千載一遇のチャンスだったのだろう。その結果……霞は君のことだけでなく、すべての記憶を失った」
「そういうことでしたか……」
それなら彼女の記憶がすべて失われていたことにも、封印の強度が最高クラスであったことにも納得がいく。だが……。
「こう言ってはなんですが、霞さんの記憶にそれほどの意味がありますか? 彼女自身にとっては重大事ですが、ルーカスにとってはどうでもいいことでしょう」
「こちらで把握している理由は二つ。一つ目は、妖怪と社会との関わり方の議論について、霞が大きな影響力を持っていたことだ」
「え――?」
その言葉に驚く。神山一族の直系とはいえ、霞自身はわずかな妖力しか持たない身だ。そんな重要人物になるイメージがない。
「娘は妖力を持たぬが、調整役として人と人を結び付けることに長けていてな。一時は劣勢だった穏健派が盛り返したのは、霞の尽力によるところが大きい」
「つまり、人外の存在を一気に公表することで、再び妖怪の大虐殺を目論むルーカスにとって邪魔だったと?」
「そうだ。霞自身は要人ではないため、手を出しやすいということもあったのだろう。そしてもう一つは――」
一度言葉を切ると、神山一斉は口調をわずかに変えた。
「報告によると、君は透と交戦したことがあるようだね。その節は本当に迷惑をかけた」
「いえ……まさに天災クラスの妖力でした」
神山透。霞の弟であり、規格外の妖力を持った少年だ。霞という切り札がなければ、どう戦っても勝ち目はなかっただろう。だが、なぜ突然その話題を振ってきたのか。そう考えた瞬間にはっと気付く。
「つまり、彼の心を掴むための手段ということですか」
「その通りだ。透は昔から霞に依存していてな。母親が亡くなってからは、特にその傾向が強くなっていた。それが姉への思慕か『執着』なのかは判断しかねていたが」
その言葉を聞いて霞の表情が曇る。それが行方知れずの弟を心配してのものであることは、聞かなくても分かった。
「霞が行方不明になってからというもの、透は非常に不安定になっていた。ルーカスがどこで接触したのか分からないが、そこへつけ込んだのだろう。
その結果、透はルーカスのいいように行動を操られてしまった。日野君の工房を襲撃したのも、ルーカスの差し金だろう」
「ですが、あの時のルーカスはこちらを援護してくれて――」
言いかけて気付く。あの戦いは、俺にルーカスを信用させるためのお膳立てだったのだ。おそらく、今後の計画に俺を利用するつもりでいたのだろう。
「日野君が霞を保護していると知った時は、奴らも慌てたことだろう。もう二度と顔を見ることもないはずが、重要人物である君の下にいたのだからね」
そう言って、当主は苦笑を浮かべる。
「井岡は娘の記憶封印をはじめ、様々な重大事件を起こして行方を眩ませた。四国を潜伏先として選んでいたようだが、その道すがら、霞を適当な公園に放置したらしい」
怒りを堪えた表情で、神山一斉は詳細を教えてくれる。あの井岡という術師が下手人だったのなら、すでに身柄は拘束されているはずだ。尋問済みなのだろう。
「なるほど……。ですが、やり方がまだるっこしい印象を受けますね。こう言ってはなんですが、霞さんの命を奪ったほうが確実だったように思えます」
結果論だが、そうしていれば透の暴走を止めることはできなかったし、ルーカスの思い通りに事が進んでいた可能性は高い。
「当初は霞を殺害する計画もあったようだ。……だが、井岡はもともと霞の知り合いでね」
「え――?」
思わぬ縁に間の抜けた声を上げる。すると、今度は霞が口を開いた。
「私は沙織ちゃん――井岡さんの娘さんと親しくしていました。その関係で、井岡さんともお話しする機会が多かったんです。ただ、彼女は事件に巻き込まれて亡くなってしまって……それからは疎遠になっていました」
言って霞は寂しそうな表情を見せた。亡き友の父親に裏切られたとなれば、その心中は察するに余りある。
「でも、記憶の封印をお願いする関係でまた話すようになったんです。京弥さんの話もよく聞いてくれました」
「でも、記憶をすべて奪ったのもその術師なんだろう?」
「ルーカスの洗脳は、命令を強制できるわけではない。あくまで同志を増やす形だ。そのため、当人の性格や人間性が強く反映される」
霞の代わりに神山一斉が言葉を返してくる。そして、彼は忌々しげに肩をすくめた。
「亡き娘の友人を殺害する。井岡にもそこまでの覚悟はなかったらしい。そんなことになれば、透は怒り狂って洗脳どころではなくなると、ルーカスを説得したそうだ」
良心の呵責に耐えられないのなら、最初からそんなことをしなければいいものを。神山一斉は憤った様子でそうぼやく。
その様子を見ていた俺は、ふと解決されていない疑問があることに気付いた。
「ん? それなら、うちの工房の住所を書いたメモは誰が……?」
日本は広い。少なくとも、縁もゆかりもない場所にいる人間を探すことは極めて困難だ。あのメモがなければ、霞は俺と会うこともなかったし、神山家に復帰することもなかっただろう。
「それは私です」
そんな疑問に答えたのは霞だった。
「あの施術の日……井岡さんの様子に不気味なものを感じた私は、わざと転んで、持っていたバッグをひっくり返しました」
彼女は思い出すように目を細めて、当時の状況を語る。
「そうして散らばったものの中で、井岡さんに気付かれず、自分が後で助けを求められそうなものを探しました。それが、お守り代わりに持ち歩いていたあの紙片だったんです。あのサイズなら、服の下に忍ばせることができましたから」
「そうだったのか……」
「そういう意味では、井岡の善良さに救われたとも言える。奴が平然と知人を騙すような輩であれば、こうして霞と再会することはできなかっただろう」
暫しの沈黙の後で、神山家の当主は静かに息を吐き出した。行方知れずになっている神山透への対処もあるだろうし、苦労が絶えないのだろう。
「――日野君、お茶のお代わりはいかがかな」
「ありがとうございます。頂きます」
その提案は、重くなっていた空気を替えるためのものだろうか。霞が廊下へ顔を出して何かを呼びかけると、やがて新しいお茶が運ばれてくる。
そうして、わずかながらほっと一息つく。そんな俺を眺めていた神山一斉の表情は、いつしか真剣味を帯びていた。
「――日野君。私からも聞きたいことがあるのだが、よいかな?」
「なんでしょうか?」
俺は少し弛緩させていた警戒心を呼び起こす。それほどに相手の雰囲気は真剣なものだったのだ。
「霊山で起きた、透と君たちの二度目の戦闘についてだ。我々は独自に情報収集や監視を行っていてね。霞が透に匹敵する妖力を操ったとの報告を受けている」
「……」
やはり来たか。それが俺の感想だった。このタイミングまで聞いてこなかったのは、彼なりの誠意なのかもしれない。
「陰陽寮の報告書では、日野君の錬金術・降霊術が霞を依代にして発動させた術式だとなっている。だが、透の妖力をよく知っている部下の話では、透と同質の妖力だったという。……日野君。本当のところを教えてもらえないか」
そう告げて、彼はまっすぐ俺の目を見据えた。どんなごまかしも見逃さない。そんな視線だった。
「あれは、彼女が生まれつき持っている妖力です」
俺はあっさりと真実を明かした。霞の妖力であることを隠していたのは、後ろ盾のない彼女が陰陽寮あたりに拘束されることを懸念していたからだ。だが、神山家の一員だと判明した以上、その心配はもはや不要だろう。
「彼女は特殊な体質のようで、こちらから妖力の核に働きかけることで本来の力を発揮することが可能でした」
「ほう……? 実に興味深い話だ」
「本当に、私にそんな力が……?」
神山一斉は身を乗り出し、霞は自分の胸に手を当てる。そんな父娘の様子を眺めていると、ふと思いがけない提案がなされた。
「日野君。突然の願いですまないが、ここで実演してもらうことは可能かな?」
「ここで、ですか?」
その申し出に戸惑う。可能ではあるが、その際には霞の心臓の近くに手を当てる必要があるからだ。父親の目の前で娘の胸部に触れるなど、気まずいどころではない。
「条件付きとは言え、もし霞が透と同等の妖力を持っているのであれば、神山家としても様々な物事を考え直さねばならぬからな」
となれば、まず自分の目で確認したい。それは当然の考え方ではあった。
「私は構いませんが……そのためには、霞さんの心臓付近に触れる必要があります」
「心臓と言うと――えぇっ!?」
俺の言葉を受けて、霞が悲鳴のような声を上げた。今の彼女は何も知らないのだから、その反応は当然だった。
だから躊躇ったんですよ、と当主に目で伝える。今の霞が俺に好意を持っていたとしても、それは別の話だ。
「……ならば、私は後ろを向いていよう。後ろを向いていたところで、妖力を感じることに支障はない」
そう告げると、彼は本当に後ろを向いた。それは父親と当主の立場がせめぎ合った末の結論なのだろう。
「ええと……霞。どうする?」
真っ赤な顔で固まっている霞に問いかける。そこに嫌悪の色が混ざっていないことが唯一の救いだろうか。
「わ、分かりました……!」
霞は緊張しきった声で答えて、俺の隣へやってくる。まるでロボットのようなぎこちない足取りは、かつての霞とそっくりだった。
「位置はそのままで、俺と同じ方向を向いてくれ」
「こうですか?」
「ああ。これから霞の妖力が膨れ上がると思うが、焦らず制御するんだ。基本的には霊草を調理するのと同じだからな」
そんな説明を経て、俺は彼女の胸部のすぐ下に手を当てた。膨らみには手を触れていないつもりだが、絶対とは言い切れない。
そんな気恥ずかしい思いを封じ込めて……俺は彼女の妖力を解放した。
「――!」
直後、霞の莫大な妖力が荒れ狂った。突如として発生した天災級の妖力を目の当たりにして、神山一斉は驚愕したように目を見開く。
「京弥さん、この妖力はどうすれば……!?」
「大丈夫だ、何もしなくていい。それが難しいなら、ゆっくり自分の周囲を循環させるんだ」
「はい……!」
焦っていた様子の霞は、俺の言葉を受けて妖力を制御していく。同じ人物に制御方法を教えた経験があるおかげで、今回は簡単に済みそうだった。
「……こんなところです」
もうデモンストレーションはいいだろうと、俺は返事を待たず霞の妖力の制御から手を引いた。
「――当主様! ご無事ですか!?」
と。一拍遅れてリビングの扉がバンと開かれた。霞の妖力を感知して、神山家の護衛が駆けつけたのだろう。現れた男女はどちらも強力な妖気を有していた。
「問題ない」
「ですが、今の妖気はまるで透様の――」
「そのようですね。お客様、大変申し訳ありませんでした」
言い募ろうとした男の腕を掴んだのは、一緒に駆けつけてきた女性の護衛だ。二人が扉を閉めるのを待って、神山一斉が口を開いた。
「部下が騒がせたな」
「いえ、災害クラスの妖力ともなれば無理もありません」
そんな会話を交わしながら、俺たちは再び向かい合ってソファーに腰かける。
「正直に言って驚いたよ。報告書を読んで理解しているつもりだったが……霞には本当に妖力があったのだな」
「私もいまだに信じられません……あれが自分の妖力だなんて」
霞はまだ驚愕から立ち直っていないようで、呆然と自分の両掌を見つめている。その一方で、神山一斉は鋭い眼光を俺に向けていた。
「――日野殿。率直に伺いたい。霞のあの妖力は、君でなくても引き出すことが可能かな?」
それは、神山家の当主として当然の質問だった。その如何によって、霞の扱いはまったく異なってくるからだ。
「私以外には不可能でしょう。解呪のために様々な調整を行った際の副産物ですから、再現しろと言われてもできません」
俺は即答した。実を言えば、可能性はゼロではない。魔力を同調させる錬成薬や緻密な魔力のコントロール、術師との相性など困難な障害は多いが、それだけだ。
それでも否定したのは、彼女の身体を他の人間に扱わせたくないという、俺の図々しい独占欲でしかない。我ながら情けないとは思うが、そこを曲げる気はなかった。
「……そうか。情報提供に感謝する」
俺をじっと見つめていた当主は、やがて静かに頷いた。どこまで見通されたのかと不安になるが、彼はそれ以上言及をしてこなかった。そして――。
「日野殿。四か月にわたって娘を保護してくれたこと。また、封印を解くだけでなく、その潜在能力を見出したその能力と労苦に報いたい」
そう前置いて神山家の当主が提示した報酬は、まったく思いも寄らないものだった。
「……君が師事していた錬金術師。ウィリアム・ホークスに会いたくはないかね」




