解呪Ⅱ
「――私、どうしてこんなところに……?」
その瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。心臓を突かれたような衝撃と、足下が崩れるような錯覚に襲われて、自分がちゃんと立っているかどうかも分からなくなる。
ベッドの上で身を起こした霞は、困惑顔で俺を見つめる。俺に説明を求めていることは明らかだった。だが――。
「それ、は……」
言葉が出てこない。何度も最悪の事態を想定して、こうなったとしても対応できるつもりだった。だが、実際にはこのざまだ。
そんな俺の様子を不審に思ったのか、霞はしばらく何かを考え込んでいるようだった。そして……彼女はへにゃりと笑う。
その表情は、数カ月前まで店に来ていた本物の霞がよく見せる表情だった。
「ひょっとして……私、襲われちゃいました?」
霞はからかうように告げて、わざとらしく毛布を自分の身体に引き寄せた。
「そんなわけあるか」
俺の身体は、かつての彼女への対応を覚えていたらしい。そのおかげで、動揺しつつも彼女との会話を成立させることができた。
「たしかに、服の乱れはないようですけど……私、こんな服持ってましたっけ」
自分の衣服を確認していた霞は、ふと首を傾げる。
「たしかに、私の好みっぽいんですけど……買ったかなー」
「……俺に聞かれても困る」
俺はそう答えるのが精一杯だった。彼女が今着ている服は、霞がホライゾンカフェで稼いだお金で買ったものだからだ。
返せと言うわけにもいかず、俺は複雑な気分で彼女を眺めていた。
「京弥さん、どうしたんですか? 愉快な百面相みたいになってますよ?」
「俺はもともとこんな顔だ」
「えー、ごまかし方が雑すぎません?」
そう不満の声を上げた霞は、少しだけ神妙な顔でこちらを見る。そして、なぜかベッドの上で頭を下げた。
「霞? 突然どうしたんだ?」
訝しんで声をかけると、彼女は困ったように笑った。
「ごめんなさい。実は、ちょっと混乱しているみたいで……どうしてここにいるのか思い出せないんです。ただ、私に何かがあって、京弥さんが介抱してくれたんだろうな、と思って」
「……まあ、そんなところだな。ちなみに、ここは店舗の裏にある俺の家だ」
「やっぱり」
意外なほどあっさりと、彼女は俺の言葉を信じたようだった。そして、次の瞬間には「あ!」と賑やかな声を上げる。
「京弥さん、ついに私のことを名前で呼んでくれる気になったんですね!」
「……え?」
そう聞き返してから気付く。そう言えば、かつての彼女を名前で呼んだ記憶はない。そもそも、名前すら覚えていなかったのだから無理もないが。
「もう一度お願いします! なんなら、かすみんって呼んでくれても構いませんよ! さあさあ!」
「遠慮しておく」
俺は複雑な気分で彼女の言葉を聞く。かつての俺は、この賑やかなテンションに辟易としていた。それが、今では微笑ましく思えてくるのだ。その理由は考えるまでもない。
「あれ? 京弥さん、今って何時ですか?」
と。窓の外に視線をやった霞は、はっとした様子で問いかけてくる。
「もうすぐ六時だ」
部屋の時計を見て答えると、霞はきょとんとした表情を見せた。
「え? もう真っ暗ですよ? 今年の秋は短いですね……」
そう呟くと、彼女はベッドから下りて立ち上がった。そして、きょろきょろと部屋の中を見回す。やがて彼女が見つけたのは、部屋の隅に置かれていたバッグだった。そう言えば、あのバッグは最初から持っていたものだな。
「――それじゃあ、帰ります! せっかくの機会ですし、本当は京弥さんを誘惑したいところですけど……ちょっと混乱しているので、またの機会にします。お邪魔しました!」
そう告げると、彼女はバッグを持って部屋を出て行く。引き留めようととっさに伸ばした手は、ギリギリのところで霞を逃した。
「っ――」
何かを言うべきなのに言葉が出てこない。そんな歯がゆい思いと焦燥感に囚われたまま……俺は呆然と彼女の後ろ姿を見送った。
◆◆◆
「ああ……鍵、閉めなきゃな」
霞がこの家から去って、どれほどの時間が経っただろうか。呆然自失の体で立ち尽くしていた俺は、他人事のようにぼそりと呟いた。
のろのろとした動きで一階へ下りると、しん、と静まり返ったリビングが俺を迎えた。そのありふれた光景ですら、彼女が存在しない証左のように思えてくる。
そんなネガティブな思考を引きずったまま、俺は玄関へと向かう。靴の収納スペースを確認すると、彼女が来た時に履いていたパンプスがなくなっていた。
「……この時期は寒いだろうに」
霞が愛用していた冬用のロングブーツを目にして、ぼそりと呟く。買った記憶がないのだから、自分のものだという認識も当然ないだろう。主を失ったブーツにそっと触れてから、俺は扉の鍵に手をかける。
「……」
だが、俺はなかなか手を動かせないでいた。鍵を閉めた時、あの霞が完全にいなくなるような錯覚を覚えたのだ。
「まあ……このタイミングで盗みに入るやつもいないだろう」
自分に言い聞かせるように告げると、俺は鍵をかけずにリビングへ戻る。ふと時計に目をやれば、いつの間にか九時を過ぎていた。
何か食べるべきだ。半ば機械的な思考で、俺は冷蔵庫を押し開く。料理をする気分にはなれないが、そのまま食べられる具材があれば充分だ。
「あ――」
そんな思考で開けた冷蔵庫を見て、俺はつい声を上げる。そこには、霞が仕込んでいたらしい魚の切り身や、千切りにされた野菜がタッパーごと入っていた。
あの霞の性格なら、こうなることを考えて綺麗に片付けていてもおかしくない。それが、こうして作りかけで置いてあるということは……これもまた、彼女の願掛けだったのだろう。俺たちの、あの日常が続くようにと――。
迸りそうになる感情を無理やり飲み下して、彼女が作りかけていた食材を手に取る。別のタッパーの蓋を開けると、そこにはきのこ類がふんだんに詰められていた。
彼女があの霞のまま記憶を取り戻していたなら、サプライズで特別料理を作ってくれるつもりだったのかもしれない。だが……。
「これ……どうすればいいんだよ」
俺は容器を見つめたまま、もう存在しない彼女に問いかけた。
◆◆◆
霞がいなくなった翌日。昼過ぎまでベッドで放心していた俺は、虚脱感とともに身を起こしていた。
「……年末でよかったな」
長い沈黙の後で、溜息とともに呟く。年末年始の例に倣って『トワイライト』も三が日までは閉店している。そのおかげで、この無様な姿を人に晒さずにすむのは不幸中の幸いだった。
そんな情けないことを考えながら、俺はようやくリビングへ下りる。
――京弥さん、おはようございます。今日は遅かったんですね。
そんな声が聞こえた気がして、ソファーや台所へ視線を向ける。もちろんそこに彼女の姿はなく、代わりに洗って乾かしてあるペアグラスが目に入った。
「……っ」
クリスマスの記憶から逃れるように視線を逸らせば、今度はすっかり様変わりした台所が視界に入ってくる。
調味料を小分けにした小瓶の籠や、俺には高さが足りない壁掛けハンガー。明らかに女物のエプロンも、数カ月前には存在しなかったものだ。
「……」
俺は意識を台所から引きはがして、リビングへと戻る。そうして椅子に腰を下ろすと、テーブルに飾られた造花のガラスドームが存在を主張していた。
「そりゃそうだよな……一緒に暮らしてたんだから」
自嘲気味に呟く。リビングや台所はもちろんのこと、玄関には彼女の靴があるし、洗面台には歯ブラシや洗顔料が、浴室には彼女のシャンプーやトリートメントが置かれている。錬金術工房ですら、彼女がくれたマグカップが常駐しているのだ。
もはや、この家そのものが彼女の痕跡だった。
「俺は……間違っていたのか……?」
誰も聞く人のいないリビングで、天井を見上げながら呟く。記憶を取り戻すことはできないと、彼女を欺き続けるべきだったのか。そんな無為な思考が次から次へと湧いて出る。そして――。
「おい京弥。生きてるか?」
「あー、これは死んでるね」
そんな俺の顔を上から覗き込んできた男女がいた。孝祐と美幸だ。その突然の登場に、俺は椅子からひっくり返りそうになる。
「!? 二人とも、どうやって……」
「どうやっても何も、電話も出なけりゃインターホンの呼び出しにも無反応だったからな」
「それで、ダメ元でドアノブを回したら、鍵がかかってなかったからさ。不法侵入してみた」
「――ああ、そう言えば鍵をかけてなかったな」
そう答えると、二人はコントのように顔を見合わせた。
「ダメだなこりゃ。予想通り重傷だ」
「というか致命傷? 顔にまったく生気がないもん」
彼らは好き勝手な感想を口にする。だが、俺をからかいに来たわけではない。それは二人の沈鬱な表情を見れば分かった。
「二人はどうして――」
「京弥からも、霞ちゃんからも、まったく連絡がないからさ。特に……霞ちゃんは、記憶を取り戻せたらすぐに連絡するって言ってたし」
「んで、俺に連絡して二人で乗り込んだってわけだ。最悪の事態を想定してな」
「そうか……」
それ以上の言葉が出てこなかった。二人が俺を心配してくれていることには感謝しているし、霞のことを悲しんでいるのも分かる。それでも、会話のための一言すら思い浮かばない。
「京弥。これ――」
そんな中で、美幸が俺の顔前に差し出したのは一枚の封筒だった。華やかで品のある封筒には、なんの消印もついていない。
訝しむように美幸を見ると、彼女はそっと目を逸らす。
「さっき、私の家に届いた手紙だよ。この中に入ってた」
そう言って鞄から取り出したのは、一回り大きな封筒だった。その宛名の筆跡は、まるで霞のもので――。
「……っ!」
「一緒にメモが入ってた。封印の解けた自分が、今の人格も記憶も失っているようなら……この手紙を京弥に渡してほしいって」
そんな言葉を聞きながら、俺は慌てて封筒の封を切った。そして、中から出てきた便箋に目を通す。
――京弥さん
この手紙を読んでいるということは、今の私は解呪と共に消えてしまったのですね。
本当に……本当にごめんなさい。
あれだけ京弥さんが努力してくれたのに、その期待に応えられなくて。
京弥さんからたくさんのものを貰っておきながら、ろくに恩返しもできなくて。
そして、今の京弥さんが自分を責めていないか、それが一番心配です。解呪は私がお願いしたことです。過去を取り戻さない限り、前へ進めないと思ったのも私です。
だから、どうか自分を責めないでください。京弥さんは、私の願いを立派に叶えてくれたのですから。
クリスマスのデートや、京弥さんのお誕生日のような特別なものから、普段の何気ない会話まで、すべての思い出が私の宝物です。
……あの日のプロポーズ、ものすごく嬉しかったです。偽物で、消えるだけの私にも意味があったんだって、心からそう思えました。だから……私は幸せです。
京弥さん。今まで、本当にありがとうございました。 ――愛しています。 霞
「……」
俺は無言で、霞の手紙から視線を外す。押し殺そうとした思いがさらに膨れ上がる前に、俺は孝祐たちに背を向けた。
「京弥?」
「……悪い。ちょっと部屋に戻る」
なんとかそれだけを告げて、俺は自分の部屋へ戻った。そうして扉に鍵をかけると、霞の手紙を何度も読み返す。動画ではなく手紙を選んだのは、どこか古風なところのある彼女の好みだったのか、それとも……上手く表情を作れなかったからか。
いったい、彼女はどんな思いでこの手紙を綴っていたのだろう。
「霞……っ」
喉の奥から声がもれる。手紙を見つめる視界は、いつの間にかぼやけていた。
◆◆◆
「京弥、飲みに行くぞ」
何とか心を落ち着けて、リビングに顔を出した俺を待ち受けていたのは、孝祐のそんな提案だった。
「お前はこういう時、吐き出さずに溜め込むからな。酒の力くらい借りとけ」
「今日は孝祐に賛成かな。さ、行くよ?」
すでに二人の間で話がついていたのだろう。彼らは俺の両脇を抱えるようにして、俺を玄関へ連れて行こうとする。だが、ヤケ酒はともかく、外に出る気分にはなれなかった。
「ちょっと待て。わざわざ外に出なくても、酒なら――」
ストックがある、と言いかけて口を閉ざす。それらの酒は、霞と一緒に飲んでいたものばかりだ。今の自分が、その記憶に耐えられるとは思えなかった。
「ここにいたら、色々思い出すだろうからな」
そして、そんな精神状態はお見通しだったらしい。孝祐は俺から手を放すと、自分のダウンジャケットを着込みはじめる。
「……そうだな」
俺は白旗を上げると、コートを取りに自分の部屋へ向かった。
◆◆◆
「――先にドリンクをお持ちしますんで、お料理の注文はその時にお願いします。それでは、ごゆっくりどうぞ!」
空いている居酒屋を見つけたのは、俺たちが外へ出てから一時間後のことだった。卓に通された俺たちは、飲み物の注文を終えてほっと一息つく。
「それにしても、どの店も混んでたな……さすが年末だ」
「予約でいっぱいだって、どこでも断られたもんねー。予約にあらずんば人にあらずって感じ?」
「ははっ、違いない」
二人は賑やかな笑い声を上げる。だが、俺のために明るく振る舞っているのは明らかだった。俺自身は陰鬱な表情を浮かべているのだろうが、それを咎められることはなかった。
「そう言えば、孝祐って年末年始の休みあるの? 自営業でしょ?」
「依頼があれば動いてもいいが、報酬は上積みしてもらわないとな。そう言うお前の会社はどうなんだ?」
「私? 二週間くらい休みだよ」
「そりゃ羨ましいことで」
そんな他愛ない会話を聞いていると、注文していたドリンク類が届いた。あえて乾杯しなかったのも、俺を気遣ってのものだろう。
「――まさか、霞ちゃんが神山家直系のお嬢様だったなんてね」
だが、それは霞の話題を避けるという意味ではなかったらしい。話題を切り出した美幸は、ビールがなみなみと入ったジョッキを傾ける。逆に、彼女に関する思いを吐き出せと言うことなのか。
「でも、納得した。やっぱ私と似てたんだな、って」
美幸がそう言えば、孝祐がからかうような笑みを浮かべる。
「お前、前もそんなことを言ってたな。神山の令嬢と自分を重ねるとは図々しいやつだ」
からかい交じりで孝祐が口を開くと、美幸は曖昧な笑みを浮かべた。
「霞ちゃんって、妖力がほとんどなかったでしょ? あの神山家の直系で妖力がないって、凄くいたたまれなかったと思うんだよね」
「あー……そういうことか」
「私の場合、妖力はむしろ強いけど……それで余計にこじれたワケだし」
美幸はわざとらしく肩をすくめた。彼女の一族は淫魔の末裔であり、その特性から人を操る術に長けている。
そのため、昔から諜報や洗脳といった裏の仕事を請け負っていたのだが……昨今の時勢により、陰陽寮からかなり厳しい監視を受けているという。
「まあ、跡取り候補の筆頭だからな」
「元、ね。あの貞操観念の緩さ、いくらあんたでも引くと思うよ?」
「たしかに、肉体関係だけってのは物足りないな。……だが、それこそが種族特性なんだから、否定するわけにもいかないだろう?」
「分かってる。異端なのは、錬成薬に頼ってまで相手を限定しようとする私のほう。それくらいの自覚はあるよ。ただ、善意で知らない男をベッドに送り込まれるのはゴメンだってこと」
一息にそう告げると、美幸はぐいっとジョッキを傾けた。みるみるうちに中身が減っていき、やがて空になる。
「ええと、なんの話だっけ。……あ、そうそう。アクの強い家に生まれたけど肌に合わなくて、ずっと遠慮して生きてる。霞ちゃんからそんな雰囲気を感じたのよ」
「記憶がなくても、培われた習性は消えないのかもな……とは言え、陰陽四家のご令嬢と似ている、はやっぱり図々しいが」
孝祐がそう茶化したのは、空気が重くなりそうだったからだろうか。
「うるさい。でもまあ、私だって一応は名家のご令嬢だし?」
冗談めかして答える美幸からも、空気を軽くしようとする気遣いが感じられる。そして、二人は同時に俺のほうを見た。
「京弥は? 霞ちゃんが名家の出だって気付いてた?」
その質問は、なんとか俺に口を開かせるためのものだろう。俺自身、このまま口を閉ざして落ち込んでいても仕方ないと、理性ではそう考えていた。
「……所作が綺麗だとは思ってたさ。服装や小物のセンスにも品があったし」
「あ、それ分かる! 一緒にショッピングに行くと、ちょっと選ぶものが違うんだよね」
「お前、さっき自分のことを名家の令嬢だって言ってなかったか……?」
「それはそれ。こういうのは好みが一番だし」
ツッコミをあっさり弾き返された孝祐は、今度は俺のほうへ顔を向ける。
「けど、そうなるとあれだけ料理が上手いってのも意外だな。神山家ともなれば、使用人くらいいるだろうに」
「そこは財力と言うよりは考え方だろう。もちろん、純粋に趣味だという可能性もあるが」
「もしくは花嫁修業の一環とか? あの霞ちゃんなら、料理ができなくても引く手数多だろうけど」
「しかも陰陽四家の直系だからな。政略結婚の相手としては申し分ない」
美幸の言葉に孝祐が相槌を打つ。その一方で、俺は「政略結婚」という言葉に大きな動揺を覚えていた。もう俺が知る霞はいないのだから、動揺する意味もなければ口出しする資格もないのだが……そう簡単に割り切れるものではなかった。
そんな俺に気付くことなく、二人は会話を続ける。
「でもさ、たしかに霞ちゃんはいい子だけど……妖力的にどうなのかな」
「ああ、その観点があったか……強力な妖怪の家系ほどそこに重きを置くからな。あの規格外の妖力のことも、知っているのは俺たちだけだし」
「でしょ? そうなると、なんだか蔑ろにされそうで心配だね」
「――二人とも、どうしてそんなに政略結婚のことを心配してるんだ」
その話題にどうにも耐えられなくなった俺は口を挟む。その言葉は、自分で思っていたよりも苦情めいた響きを帯びていた。
「だって、あの辺の上流階級は政略結婚が多いって聞くよ? 一族で一番妖力が強いからって、私のとこにも何個か縁談が来てたもん」
「……」
美幸の回答に沈黙する。俺が知っている霞はもういない。それなのに、今の霞の行く末が気になるのはどういう心理なのだろうか。
しばらく悩んでいた俺は、酒の力を借りるべくグイっと日本酒を飲み干した。そして、そんな胸のうちを正直に打ち明ける。
「――当たり前じゃん。別の人格だけど他人じゃないし?」
「まったくだ。物理的には同一人物だからな」
すると、二人はあっさり俺の思いを肯定する。そのことに戸惑っていると、孝祐は「あのな……」と真剣な表情で口を開いた。
「何カ月も悩み続けた弊害だろうが、霞ちゃんがいなくなることを受け入れようとしすぎなんだよ。そんなはずはない、俺は信じないって、みっともなく泣き喚けばいいんだ」
「え――?」
思いがけない言葉に俺は驚きを隠せなかった。すると、美幸も強い語調で同意を示す。
「そうそう! 京弥にはその権利があるって! 安全も、住む場所も、心も……あらゆる面で霞ちゃんを支えて、記憶まで取り戻してあげたんだよ? どうしてこうなるんだって、怒り狂ってもいいと思う!」
「……そうか」
そんな学友たちの言葉に、俺は背中を押された気持ちだった。鬱屈した思いに方向性が示されて、少し呼吸が楽になる。
だから……俺は胸の奥に沈めていた思いを宣言した。
「やっぱり、本人に会って来ようと思う」
それは、俺にとって勇気のいることだった。もう一度彼女に会えば、あの霞はもういないという事実を突きつけられる。それが怖くて、その選択肢に気付かないフリをしていたのだ。
だが……このまま足踏みをしていては、それこそ霞に合わせる顔がない。
「そうか……頑張れ。なんなら今の霞ちゃんを連れ帰ってこいよ。もともと惚れられてたんだし」
孝祐はどこか満足げに微笑むと、俺の肩をドンと叩く。それがなんだか照れくさくて、俺はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「あれは神山家の指示であって、彼女の本心じゃないさ。それに、今の霞をどうこうするつもりはない」
そう告げると、今度は美幸が身を乗り出してきた。
「ふーん? じゃあ、何をしに行くの?」
「……未練を振り切ってくる」
美幸にそう答えて、俺はグラスを傾けた。




