クリスマスⅡ
クリスマスともなれば、日が落ちるのも早い。まだ時刻は六時過ぎのはずだが、辺りはすっかり暗くなっていた。
「やっぱり夜は映えるな」
「はい。見ているだけで楽しいですね」
街路樹や建物を飾っているイルミネーションを目の当たりにして、俺たちは感嘆の声をもらしていた。町全体が美しく光り輝いている様子は、まさに非日常そのものだ。
「うちの店も飾り付けておけばよかったかな」
そう言えば、町内会から協力を呼びかけられていた気がする。これまではピンと来なくて無視していたが、我ながら現金なものだ。
「来年は飾ってみますか? お手伝いしますね」
「俺にこういうセンスはないからな……霞のセンスに頼っていいか?」
「ふふっ、任せてください。楽しそうですね」
そんな会話をしながら町を歩く。この後は町外れにある料理店で夕食を食べる予定だが、まだ少し時間があるため、のんびりと会話を楽しむことができた。
「しかし……さすがに夜は冷えるな。霞は大丈夫か?」
「はい。これでもだいぶ着込んでるんですよ?」
そう言って霞は軽く両腕を広げてみせる。身に着けている暖色のコートやマフラーはたしかに暖かそうだが、普段の霞より少しだけ軽装な気がした。
「……寒いですけど、こういう時くらいはお洒落したいですし」
そう指摘すると、霞は拗ねたように口を開いた。そのいじらしい言葉に、俺は自分の頬が緩むのを抑えられなかった。
「たしかに、今日の霞は一段と綺麗だからな」
「っ――!?」
照れた顔を見られたくないのか、霞はマフラーを口元に引き上げて「ありがとうございます」と小さく呟く。そんな彼女を堪能した後で、俺は鞄からあるものを取り出した。
「霞、これを」
「えっと……ひょっとして錬成薬ですか?」
差し出された錠剤タイプの錬成薬を見て、霞は目を瞬かせた。今日は夜に屋外を歩く予定があったため、彼女用に用意していたものだ。
「少し体温を上げる錬成薬だ。寒さがマシになる」
「ありがとうございます……!」
霞は目を輝かせて錠剤を受け取った。我慢していても、やはり寒いものは寒いのだろう。
「これ、今服用しても大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ただ、屋内では少し暑く感じるかもしれない」
「ふふ、それなら平気です。屋内も大抵寒いですから」
霞は即答すると、その場で錬成薬を口にする。そのためらいのない行動に感心していると、霞は驚いたように声を上げた。
「本当に身体が温かくなりました……! こんな錬成薬もあるんですね」
まるで世紀の大発明だと言わんばかりに、彼女はその錬成薬を褒め称える。どうやらかなりお気に召したらしい。
「京弥さん……これ、お店で売ってたりしますか?」
挙句の果てにはそんなことを言い始めて、俺は思わず吹き出した。
「喜んでくれたのは嬉しいが、日常的に服用していると体温が下がるぞ? 四日以上の連続服用はあまり勧められない」
「そうですか……」
「まあ、どうしても耐えられない時のために、三錠くらいなら渡してもいいが」
肩を落とした霞が気の毒で、早々に譲歩してしまう。極度の寒がりとは言え、彼女は賢明だ。忠告を無視して乱用することはないだろう。
「ありがとうございます……! ちゃんと必要な時にだけ使いますね」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。そして、するりと腕を組んで町歩きを再開する。
「そう言えば、最近『定食憩い家』の女将さんと知り合いました。京弥さん、常連だったんですね」
目の前に外食チェーンの大きな看板があったからだろうか。霞はふと思い出したように口を開く。
「へえ? 何か接点があったのか?」
「いえ、夕食のお買い物をしていたら、突然声を掛けられたんです。その……京弥さんの奥さんだと思われているみたいで」
霞は照れながら言葉を付け加える。その様子を嬉しく思う一方で、自分の顔がニヤけすぎないように表情を引き締める。
「同じ家で暮らしていて、よく一緒に出掛けるしな……。でも、そっちの解釈ならよかった」
「そっちの解釈……?」
「孝祐から聞いた話では、霞の存在は近所で結構なニュースになってたらしい」
小首を傾げる霞に答える。なんと言っても、芸能人と見紛うような美人が、ぱっとしない健康食品店の店主と一緒に暮らしはじめたのだ。一部では、俺が彼女の弱みを握って手籠めにしたのでは、と言われていたらしい。
そんな噂話を伝えると、霞は心から憤慨した様子だった。
「ひどい噂ですね……そんなこと、京弥さんがするはずないのに」
「嫉妬もあるんだろう。なんで健康食品店の店主ごときがあんな美人と暮らしているんだ、って」
とは言え、そんな噂は収まりつつあった。孝祐曰く「お前たちのイチャつきを目の当たりにすりゃ、そんな感想は消し飛ぶさ」ということらしいのだが……それはそれで釈然としない。
「俺のことを知ってる女将さんは、そうは思ってなかったってことだろう? ならいいさ」
そんな話をしていると、携帯電話に着信が入った。ちらりとディスプレイを覗くと、そこに表示されていたのは桑名さんの名前だった。
「すまない。桑名さんから電話が入っているから、ちょっと外す」
「分かりました。あの辺りで待ってますね」
俺の言葉を受けて、霞は近くのブティックを指差す。そちらに視線を向けると、彼女が好みそうなテイストの商品がウィンドウに並んでいた。
「ああ。気に入ったなら、後で一緒に見よう」
答えて俺は携帯電話を手に取る。一瞬無視することも考えたが、桑名さんからの電話は緊急かつ重大な用件であることも多い。状況だけは確認しておいたほうがいいだろう。
『俺です。どうかしましたか?』
『京弥、休みの日にすまんな。実は霞さんのことでホライゾンカフェのオーナーから相談があったのだ』
『どんな内容ですか?』
思わず眉を顰める。彼女が何かのトラブルに巻き込まれているのだろうか。
『役所の関係だ。ほれ、従業員へ支払った給与は、税務署や市役所へ報告する必要があるだろう? だが、霞さんは身元不明だから正直な報告はできなくてな』
『そういうことですか。相手が税務署だと面倒ですね』
答えながらも、俺はほっとしていた。緊急案件ではないと分かったからだ。さすがに今日は邪魔をされたくない。
『社会保険なども最近はチェックが細かいしな。儂の権限でごまかす方法もあるが、使わぬに越したことはない。霞さんの記憶が戻りそうなら、正当な手続きで進めてもらうが……』
『期限はいつまでですか?』
『来月の中頃までに方向性を決める必要がある』
『分かりました。それまでには結論を出します』
『そうか。急かしてすまんな』
そんなやり取りを経て通話を終えようとする。すると、桑名さんからからかうような響きの声が聞こえてきた。
『ところで、今日はクリスマスだな。店も休みだし、霞さんと出掛けたりはせぬのか?』
『余計なお世話です』
俺はあっさり答えを返す。まさにその最中ではあるのだが、それを桑名さんに報告するつもりはない。
『ほほう。それにしては、そっちから賑やかな音が聞こえてくるぞ? どこぞの町中で霞さんと――』
『それじゃ、結論が出たら連絡しますね! メリークリスマス!』
無理やりな文言で会話を打ち切って通話を終了する。多少強引だったが、いつものやり取りの範疇だし問題ないだろう。それに、桑名さんにからかわれる時間よりも、霞と一緒に過ごす時間のほうが大切だからな。
そうして通話を終えた俺は、霞が待っているはずのブティックへ向かう。霞は言葉通りに店の前にいて……そして、見知らぬ男を相手に笑みをこぼしていた。
「誰だ……?」
ざわつく胸中を押し込めて、平静を装って彼女の下へ向かう。相手は俺たちと同じくらいの年代であり、モデルでもしていそうな美形の青年だった。
そんな青年が、同じく人目を引く美貌を持つ霞と並んで談笑している。その組み合わせはとても様になっていた。
「……」
青年は妖力持ちではないようだが、霞だって普段の妖力はないに等しい。そういう意味ではお似合いだとも言え――。
「あ、京弥さん」
と、会話をしていた霞が俺に気付いて小さく手を振る。それにつられて、彼女と会話していた青年もこちらへ視線を向けてきた。
「霞、待たせて悪かった」
そう謝ると、次いで青年と向かい合う。悪びれた様子もなく、彼は爽やかな笑顔を浮かべていた。
「こんにちは。霞ちゃんの同僚の西上です」
「……え?」
そして、その第一声ですべての毒気を抜かれる。その可能性は考えてしかるべきだったな。ホライゾンカフェの店員は美形揃いで有名だし。我ながら、どうにも頭に血が上っていたらしい。
「たまたま霞ちゃんを見かけて声を掛けたら、彼氏さん待ちだって言うので。それまでガードしておこうと思って」
「そういうことでしたか……ありがとうございます」
その言葉ですべてを察した俺は、素直に頭を下げた。早とちりもいいところだったな。
「え? どういうことですか?」
だが、霞のほうはピンと来ていなかったらしい。不思議そうな様子で俺たちの顔を交互に見比べる。
「だって、霞ちゃんに声を掛けようとしてる奴が何人もいたし。あのまま一人でいたら、色々面倒なことになったと思うよ?」
それで、虫除けを買って出てくれたのだろう。霞は視線を集めることに慣れているせいで、その辺りに鈍感なところがあるからな。
そう納得していると、西上さんは俺をまじまじと見つめる。
「ええと、何か?」
「あ、すみません。この人がよく話題に出てくる京弥さんなんだな、と思って」
「話題に出てくる……?」
その言葉を受けて霞に視線を向けると、彼女はしどろもどろな様子で手をぶんぶんと振り回した。
「そ、そんなに話題に出したりしてません……!」
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
彼はわざとらしく頷くと、再び俺に視線を向けた。
「霞ちゃんを取ろうなんて思ってませんから、安心してください。俺も彼女と待ち合わせなんで」
その言葉に、俺は曖昧な微笑みを浮かべる他なかった。どうやら見抜かれていたらしい。そして、彼は小さく苦笑を浮かべる。
「京弥さんの表情がだいぶ怖かったんで、内心焦りましたけどね」
「それは申し訳ない……」
重ねて謝罪する。勘違いもいいところだったな。
「いえ、気持ちは分かりますし。それより、噂の京弥さんと会えて良かったです」
「西上さん、その話はおしまいです……!」
霞が抗議すると、彼は楽しそうに笑い声を上げた。
「あはは。そろそろ待ち合わせの時間だし、俺は退散するよ。じゃあね」
「西上さん、本当にありがとうございました」
もう一度丁寧に頭を下げて、親切な霞の同僚と別れる。自分の心の狭さを反省していると、霞が俺の顔を下から覗き込んできた。
「京弥さん、それで怖い顔だったんですね」
「そんなに顔に出ていたか?」
「はい。てっきり、電話で悪いお話を聞いたのかと思いました」
霞があっさり肯定したことに苦笑をもらす。今日は自分に素直になろうと努めていたが、これはやりすぎだ。自分が情けなくて落ち込みそうになるな。
「――嬉しかったです」
「え?」
思わぬ言葉に聞き返すと、霞は恥ずかしそうに視線を逸らした。そして、小さな声で言葉を続ける。
「いつも、私ばかり嫉妬してる気がしますから」
彼女はするりと腕を搦めると、歩きにくいほどに身を寄せてくる。その密着具合が、何より霞の言葉を証明していた。
「そんな場面があったか?」
「ありました」
それでもなお疑問を呈せば、霞は拗ねた声で即答する。
「……だから、今日はこのままお店まで歩きます」
そう言葉を続けて、彼女は再び腕に力をこめるのだった。




