ホライゾンカフェⅠ
「本当に、あの時はありがとうございました。ルーカスさんがいなければ、私は死んでいたかもしれません」
「私こそ助かったよ。一人であの怪物に戦いを挑むのは、あまりに無謀だったからね」
そう答えると、英国の魔術師はティーカップに口を付けた。
――ルーカス・ティンバーレイク。イギリスの魔術師で、魔物戦闘の第一人者。数十年前に師匠と同じ組織に所属しており、今もその筋では大きな影響力を持つ人物。それが、孝祐が調べてくれたデータだった。
「まあ、護送されている間の少年は大人しいものだったよ。お酒でも飲ませたのかね」
そう冗談めかして、ルーカスさんは朗らかに笑う。八岐大蛇の少年と戦った際に共闘してから、もう一か月近くが経っていた。
「ルーカスさんは、あれからどうしていたんですか?」
「様々な地域を観察させてもらったよ。日本では、妖怪や魔物が人間社会と共存しているだろう?」
「ええ、そうですね」
「我が国もそうだが、特に日本はその割合が高いからね。どうやって上手く共存しているのか興味があるのだよ」
その話は師匠から聞いたことがあった。様々な文化を受け入れ、融合してきた日本のお国柄なのか、妖怪に限らず、西洋由来の魔物の末裔も多数存在する国。それが日本だ。
「日本へいらしたのは、その調査が目的ですか?」
「ウィリアムに会いに来たのさ。あいつときたら、日本へ渡ってからの数十年というもの、一度も顔を見せなかったからね」
ルーカスさんは冗談めかして告げる。だが、わざわざ海を越えて師匠を尋ねてきたくらいだ。心の底では落胆しているのかもしれない。
「それは……」
だからこそ、俺は言葉に詰まった。師匠は陰陽寮に追われて消息不明だ。わざわざ訪日したルーカスさんにそう伝えるのは忍びないが――。
「京弥君だったね? 気遣う必要はないさ。あいつが行方不明であることは知っているよ」
その情報網に驚く。だが、ルーカスさんはイギリスで結構な影響力を持っているわけで、そっち経由での伝手だってあるのだろう。
「だから、君に会いに来たのだ。ウィリアムの最後の弟子であり、失踪当時の様子を知っている君にね」
「そうでしたか……私でよければなんでも聞いてください」
そして、師匠が失踪した時期を中心に様々な話を披露する。それらの話をルーカスさんは興味深そうに聞いていた。
「ふむ……最後にウィリアムが戦った相手は京弥も知らないか」
「はい。戦いに巻き込まれた人を誘導するよう、厳命を受けて――戻って来たときにはもう、師の姿はありませんでした」
「それは……京弥を逃がしたかったのかもしれないね」
「はい……」
当時のことを思い出して、ついしんみりしてしまう。そんな中で、ルーカスさんは真剣な表情を浮かべた。
「実は、私もウィリアムの足跡を辿っていてね。陰陽寮が彼を監禁しているのではないかと、そう疑っているのだよ」
「陰陽寮が?」
切り出された話に驚く。だが、その話は充分頷けるものだった。
「ですが、なぜ監禁する必要があるのですか?」
「ここからは私の推測だが……陰陽寮は、妖怪に対する統制力を得たいのではないかな」
「統制力?」
思わぬ答えに訊き返すと、ルーカスさんは重々しく頷いた。
「ウィリアムが日本各地に錬金術工房を設けてから数十年。今や、君たちの錬成薬はなくてはならないものになっている」
「つまり……錬成薬を独占的に取り扱うことで、間接的に彼らを支配するつもりだと?」
「理解が早いね。魔術師たるもの、そうでなくては」
俺の予想を聞いて、ルーカスさんは満足そうに紅茶を啜った。そして、もう一度真剣な目で俺を見つめる。
「だが、ウィリアムはそんなことを望んで錬金術を伝えたわけではないはずだ」
「私もそう思います」
俺は即答する。それは考えるまでもないことだった。
「日本人の気質か、この地の妖怪たちは統制組織に従順すぎる。もう少し自覚を持たねば、彼らに支配されてしまうかもしれん」
憂いを帯びた表情で、ルーカスさんはそう告げた。その言葉に引っ掛かりを覚えて、俺は気になったことを尋ねる。
「ルーカスさん。今おっしゃった『彼ら』とは誰のことですか?」
もちろん、普通に考えれば陰陽寮のことだろう。だが、俺には特定の誰かしらを念頭に置いているように思えたのだ。
「ほう? 京弥ならもう気が付いていると思ったがね」
「え?」
予想外の返しに俺は目を瞬かせた。今の言葉からすると、俺が知っている個人、ないし組織なのだろう。しかも、俺が知っていることをルーカスさんが知っている。その条件に当てはまるものは――。
俺が正解に思い至ったと判断したのだろう。俺の回答を聞くまでもなく、ルーカスさんは自分から口を開いた。
「――ウィリアムを捕えているのは、あの八岐大蛇の一族。神山家と見て間違いないだろう」
◆◆◆
「あの神山家が……なぁ」
閉店した店内で、俺は物思いに耽っていた。考えていたのは、今日の昼間に訪れてきたルーカスさんの言葉だ。
彼の推測通りなら、師匠は神山家に捕えられていることになる。すでに神山の次期当主と一戦やらかしているからか、それもありそうな気がしてくる。
「しかし……目的が錬成薬の独占なら、なぜ俺に接触してこない?」
一人呟くが、誰かが答えを返してくれるわけもない。孝祐あたりに意見を聞いてみようかと、俺は携帯電話を手に取る。
「――と」
その時だった。操作しようとしていた端末が震えて、電話の着信を示す。電話の相手方は霞だった。そう言えば、今日は職場の飲み会だから遅くなると言っていたが……。
「もしもし」
電話に出ると、賑やかな雑踏の音が聞こえてきた。まだ居酒屋かどこかにいるのだろう。だが、端末から聞こえてきた声は霞のものではなかった。
「――日野さんですか? お久しぶりです、水崎唯衣です」
フルネームを名乗ったのは、覚えられていない可能性を考慮したのだろう。だが、霞の話題によく出てくる同僚を忘れるわけがない。
「ああ、久しぶりだな。……ところで、霞は大丈夫か?」
俺は早々に尋ねる。霞の携帯電話を使って、別人が電話を掛けてきているのだ。何かあったことは間違いない。
「それが、ちょっと酔いつぶれてしまって……」
「霞が?」
思わぬ情報に驚く。あまりお酒を飲むイメージがないが……いや、だからこそすぐに酔いが回った可能性もあるか。
「分かった、すぐ迎えに行くよ。どこにいる?」
そうして店の住所を聞き出した俺は、早々に車に乗り込む。俺も知っている店だったため、特に道に迷うことはなかった。
「――あそこか」
店から少し離れた場所で、二十人ほどの男女が集まっている。水崎さんの情報通りなら、あの中に霞がいるはずだ。俺は近くに車を停めると、彼らへ近付いていく。
「日野さん、こっちです」
すると、集団の中から水崎さんの声が聞こえてきた。そして、彼女は小走りでこちらへやってくる。
「勝手に電話してすみませんでした。日野さんと面識があるの、私だけでしたから」
「こちらこそ助かる。水崎さん、ありがとう」
そう答えて周りを見回す。すると、通路の段差に腰かけている霞の姿が見えた。つぶれているというから、てっきり寝ているのかと思ったが、ちゃんと目を開けて同僚たちと会話しているようだし、表情も朗らかだ。
「たしかに顔は赤いが、普通に見えるな」
そのことにほっとして、俺は焦っていた気持ちを落ち着かせる。あの様子なら緊急事態というわけではないだろう。
「でも、かなり飲んでいたんですよ? 霞ちゃんってお酒に強いんですね。ちょっと意外でした」
そんな俺の心境が分かったのか、水崎さんが雑談を振ってくる。
「そうなのか? 霞が酒を飲んでいるところなんて、見たことがないからな」
「あら、そうなんですか?」
彼女は驚いたように目を瞬かせた。たしかに意外な一面だが、いったいどれだけ飲んだのだろうか。そんな想像をしていると、水崎さんは困ったように溜息をついた。
「やっぱりストレスが溜まっているのかしら」
「ストレス?」
聞き流せない言葉に反応する。俺の家に住んでいることや、解呪の実験が霞の負担になっているのだろうか。
「霞ちゃんのファンのお客さんが、最近は特にしつこくて」
「……は?」
そっちだったのか。自分が原因じゃないことにほっとする一方で、もたらされた情報に眉を顰める。
「勤務中はもちろん、帰る時間帯に裏口付近をうろついている人もいるんです。今度執拗に絡んでくるようなら、出入り禁止にするってオーナーが言っていました」
「その言い方だと、そういった手合いが複数いるのか?」
「何人かいますね。一般の人も混ざっていますけど、妖力持ちが多いです」
「なるほどな……」
その情報に納得する。妖怪の末裔は、同じく妖怪の末裔と交際、結婚する傾向にある。通常の人間では話が噛み合わないことも多いし、密接な関係になるほど困難が生じるからだ。
「それじゃ、水崎さんも苦労してるんじゃないのか?」
ふと気付く。霞の話では彼女もかなり人気があるという。そして同じく妖怪の末裔である以上、同じ目に遭っていそうだが……。
「私は、たまに弟をボディーガードにしていますから」
「それでなんとかなるのか?」
彼女の弟と言えば、たしか家の中を吹雪かせた人物だったな。そんな記憶が蘇る。
「あまり似ていないせいか、彼氏だと勘違いする人もいますし、特に妖力持ちにはプレッシャーなんじゃないかしら。そのおかげで、今は快適ですよ?」
どうやら、かなり強い妖力の持ち主のようだな。制御力が未熟なのではなく、妖力が強すぎて暴走するタイプか。そんなことを考えていると、水崎さんは悪戯っぽい表情を浮かべた。
「……だから、日野さんも迎えに来てあげてくださいね?」
「俺が?」
思わぬ提案にきょとんとする。だが、彼女は笑顔で頷いた。
「日野さんなら妖力……じゃなくて魔力量もかなり多いですし、何より日本に数人しかいない錬金術師でしょう? あの人たちも気圧されて諦めると思いますよ」
「そういうものか……?」
俺は首を傾げる。だが、水崎さんには自信があるようだった。
「なんなら、同じ家に帰るところまで見せつけてやればいいんです」
見た目にそぐわない過激な提案をして、彼女はこちらを見上げるように覗き込んでくる。
「それに、日野さんは素材がいいですから。見た目をちょっと整えたら、一般の人も諦めると思いますよ? 立派なお似合いカップルの誕生です」
「俺に彼らのようなセンスを求めないでほしいな……」
思わず苦笑を浮かべて、霞がいる人の輪を眺める。お洒落なカフェの店員らしい……というと偏見かもしれないが、全員が輝いているように見えた。
「大丈夫です。センスじゃなくて、好みやテイストのお話ですから」
そう言って彼女は微笑む。穏やかな笑顔なのに、圧すら感じるのは気のせいだろうか。そして何よりも――。
「どうして、そこまで積極的に偽装カップルを勧めてくるんだ?」
彼女は最初からこの話をするつもりだったように思える。正直に感じたままを告げると、水崎さんは楽しそうに笑った。
「それはもう、霞ちゃんがかわいいからです。あと、日野さんもいい人だって分かりましたから、ただお二人を見守りたくて」
「いい笑顔で言い切ったな……」
思わずぼやく。彼女の提案自体は、正直に言えば俺にとっても魅力的なものだ。ただ、後戻りしづらくなるのは間違いないし――。
と、そんなことを考えていた時だった。
「あ! やっぱり日野さんでした……ふふ」
その声に視線を向ければ、いつの間にか霞が近くに来ていた。やはり酔っているようで、少し呂律が回っていない。ふらついた足取りが心配で手を差し出せば、彼女は満面の笑みで手を握ってきた。そして……。
「――え?」
それだけでは足りないとでも言うように、霞は俺の腕をしっかり抱え込んだ。自然と俺たちは密着し、誰かがピュゥと口笛を吹く。
「唯衣さん、駄目ですよ?」
そして、霞はふてくされたように唇を尖らせた。普段は滅多に見せない表情だが……そもそも、さっきから霞の表情がころころ変わっている。彼女は酔うと素が出るタイプのようだった。
「あらあら。日野さんを取られると思ったんですか?」
「唯衣さんは綺麗だから心配です」
水崎さんのからかいを受けて、霞はいっそう強い力で俺の腕を抱きしめる。さすがに気恥ずかしいものがあるが、ここで腕を外すわけにもいかない。
「大丈夫ですよ。それどころか、霞ちゃんの帰りに合わせて迎えに来てくださいねって、日野さんにお願いしていたところです」
「え? 私を迎えに……?」
その言葉を受けて、霞がぱぁっと笑顔を浮かべた。その不意打ちに俺は思わず硬直する。
「……なるほど、たしかに酔ってるな」
見惚れてしまった照れ隠しに呟く。普段の彼女なら間違いなく遠慮しているところだ。
「そうでしょう? この素直な霞ちゃんを見てほしくて、日野さんを呼んだんです」
水崎さんは手柄顔で胸を張った。電話では酔いつぶれたから迎えに来てと言っていたが、それが本音だったのか。
「……ともかく、このまま連れて帰っていいか?」
素直な霞も好ましいが、ここは人目につき過ぎる。まして、周りはみんな彼女の同僚なのだ。明日恥ずかしい思いをするのは霞だろう。
「はい。お持ち帰りしちゃってください」
「はいはい」
水崎さんのからかいを受け流すと、今も腕にくっついている霞に目を向ける。よく見ればその瞳はとろんとしていて、今にも眠ってしまいそうだった。
「霞。帰ろう」
そう告げて、霞を支えながら車へ向かう。なんとか彼女を助手席に座らせると、俺は霞の同僚たちのほうを見た。向こうもこちらを見ていたようで、数十人と視線が合う。
「……」
俺は無言でぺこりと頭を下げると、運転席へ乗り込んだ。そして、車を走らせながらふと首を傾げる。
「なんだか生温かい視線だったな……」
別れ際の彼らの表情を思い出して、俺はぼそりと呟いた。




