霊山Ⅰ
八岐大蛇の力を継ぐ少年に襲撃されてから、そろそろ一週間が経つ。あれ以来、事件らしい事件は起きていなかった。
襲撃の二日後に店に顔を出した賀茂成明の話では、もう襲撃されることはないらしい。陰陽寮だけでなく、賀茂家としても正式に神山家へ抗議と監護要請を行ったという。
そんなことを考えながら、俺は店の扉を見つめる。お客が入ってきそうだったからだ。やがて予想通りに扉が開かれて、呼子が澄んだ音を奏でた。
「こんにちは」
じろじろと店内を観察するお客に呼びかける。すると、彼は硬質な眼差しでこちらを見据えた。
「――私は陰陽寮公安管理局の三上だ。錬金術師の日野京弥だな? 話を聞かせてもらいたい」
「はあ。お客さんがいない間なら構いませんが」
気の抜けた返事をしながら相手を観察する。年齢は四十前後だろうか。おそらく術師なのだろうが、あまり強そうには見えない。優秀な陰陽師は退魔局のほうに引っ張られるらしいし、管理局は調整役としての能力が求められる。強さは関係ないのだろう。
「客には聞かれたくないということか?」
すると、相手はいささかピントの外れた言葉を投げつけてきた。こちらに悪感情を持つことは自由だが、それを隠そうともしない態度には辟易するな。
「内容によりますね。それで、本題はなんでしょうか」
こんな手合いはさっさと追い返すに限る。そう考えた俺は、こちらから本題を催促した。
「いいだろう。……最近、この地域で妖怪の暴走が立て続けに起きている」
そう言うと、彼は俺の反応を窺うように言葉を切った。そして、わざとらしく店内を見回す。
「暴走した彼らから事情を聴取したところ、その大半はここの錬成薬を所持していた」
「……は?」
深刻な内容に声が漏れる。錬金術師としては、錬成薬が効かなかった、もしくは暴走を誘発した可能性を考えないわけにはいかない。
「暴走した方々の種族は分かりますか?」
「……輪入道、牛鬼、土蜘蛛、一目蓮。ああ、濡れ女もいたな」
手元の書類を見ながら、三上は立て続けに妖怪の名前を挙げる。その答えを聞いて俺は少し眉根を寄せた。
「錬成薬に共通点はないか……」
それらの種族の錬成薬について、材料ないし製法に共通点があればと思ったのだが、そういうわけではないらしい。
「錬成薬を服用した直後に暴走したのですか?」
「そこまでの供述はない。だが、お前の錬成薬が効かなかった、もしくは悪化させた可能性は高い」
「ですが、この十数年で製法はほとんど変わっていません。ピンと来ない話ですね」
そう首を傾げると、三上はなぜか表情を歪ませた。
「とぼけるな! 錬成薬の組成など、お前の気分次第ではないか。妖怪ばかりを暴走させているのがその証拠だろう!」
「……ほう」
無意識のうちに、目をスッと細める。どうにも一方的な決めつけ方だと思ったが、この男は西洋系の術師や魔物の排斥を望む一派のようだった。
暴走事件が嘘ということはないだろうが、それを短絡的に捉えて、自己の主張に都合よく利用する。無自覚なのかもしれないが、だとすれば余計にたちが悪い。
「それは、陰陽寮公安管理局の公式見解だと捉えていいんですね?」
俺は苛立ちを飲み込んで口を開く。すると、相手は目に見えてトーンダウンした。
「いや、それは……」
「まさか、私的な思い込みだけで、あのように声を荒げたのですか? それでは公権力の濫用でしょう」
「だ、だが! 暴走した者たちの大半がここの錬成薬を持っていたのだ。関係がないはずは――」
「暴走する可能性がある方だからこそ、うちの錬成薬を持っていたのでしょう。順序が逆ですね」
「……」
沈黙する三上は、ハンカチを取り出して汗を拭う。そして――。
「っ!?」
彼は驚きに目を見開いた。三上がこっそり放った式神を、俺が即座に叩き潰したからだ。気付かれないとでも思ったのだろうか。
「どういうつもりですか」
「こ、この工房を監視する必要があると判断したのだ。それを拒否するとは、やはり後ろ暗いことがあるのだろう」
「他者の魔力や式神は錬金術工房に悪影響を与えます。どうしてもと言うなら、ちゃんとした令状を持ってきてください」
「ふ、ふん。陰陽寮にそんなものはない」
「ということは、私的に占有している家屋に式神を忍ばせる権限もありませんね」
あくまで陰陽寮は非公式な存在だからな。その権限が明文化されているわけではない。そのせいで、力技が押し通りやすいのは難点だが。
「――っ!」」
と、三上は顔を強張らせた。懲りずに放たれた二体目の式神が派手に爆散したからだ。警告を兼ねて、少し過剰な威力で滅した甲斐はあったらしい。
「これ以上つきまとうつもりなら……いいでしょう。一緒に公安管理局へ行きましょうか。ぜひとも上司にご挨拶をさせてもらいたい」
「!」
「そうそう。うちも一般のお店に倣って、こっそり防犯カメラを仕掛けているんですよ。先ほどからの一部始終も、ぜひご覧いただきたいところです」
そう告げると、ますます三上の顔色が悪くなる。公安管理局ともなれば、西洋排斥派だけで構成されているはずはない。このように一方的な発言がまかり通るとは思えなかった。
「も、もういい! 失礼する!」
そう告げると、三上は慌てた様子で去っていく。あの様子ではまた来ることはないだろう。
「……底の浅い人間で助かったな」
ぽつりと呟く。他の手段として、桑名さんや賀茂成明の名前を使うことも考えたが、迷惑はかけたくないしな。
「しかし……暴走事案の増加か」
ぼそりと呟く。うちの錬成薬のせいだとは思わないが、立て続けに発生しているということは、なんらかの要因があってもおかしくない。どうにも嫌な予感がして、俺は眉根を寄せた。
◆◆◆
「そんなことがあったんだ。大変だったねー」
「この前、唯衣さんの弟さんの話を聞いたばかりですし、暴走事件は他人事とは思えませんね……」
「ってか、もし京弥が工房を畳むなんてことになったら、関係住民みんなで管理局に殴り込むと思うし」
そんな美幸と霞の感想を聞きながら、海老の天ぷらを頬張る。サクッという心地よい感触に続いて、瑞々しい海老がぷつんと弾ける。ほどよく熱が入った海老と衣、そして自家製の天つゆが一体となり、口内で至福の味を構成していた。
「……美味い」
それだけを告げて、海老の残り半分を口に入れる。次はどれにしようか。茄子や大葉もいいが、やはりここは舞茸だろうか。いや、その隣のマッシュルームも捨てがたいな。
「――駄目だこりゃ。天ぷらしか見えてない」
「ふふ、たくさん揚げた甲斐がありました。やっぱり、天ぷらは油が綺麗なうちに作りたいですから」
「分かる。フライものは油が汚れるよねー」
「味や匂いもついてしまいますから、どうしても後回しになりますね」
二人が和気藹々と会話をする傍で、俺は黙々と天ぷらを平らげていた。今日も美幸が遊びに来ており、霞との食事に俺が混ざった形だ。美幸はすっかり霞の料理が気に入ったらしく、しょっちゅう顔を出していた。
「……本当に美味しかった。ご馳走さま」
――と。心ゆくまで天ぷらを堪能した俺は、ようやく理性を取り戻した。何度か霞が追加分を揚げてくれたのだが、それもすっかり食べ尽くしてしまった。
「ようやく、揚げ物を食べてもらえました。冷めると味が落ちるので、差し入れには二の足を踏んでしまって」
そう言って霞は微笑む。差し入れの料理について、本当に色々考えてくれているんだな。
「これなら冷めても美味いと思うけどな」
「どうせなら、一番美味しい時に食べてほしいですから」
そんなやり取りをしていると、美幸が呆れたような顔で口を挟んでくる。
「……ていうか、私がいなくても普通に二人で食べたらいいのに。せっかく同じ家に二人いるのにさ、一人で食べてたら寂しくない?」
「さすがにそれは悪いだろ。それに、繋がってはいるが、俺は住居側には滅多に立ち入らないからな」
「そうなんです。日野さんは全然顔を見せてくれませんから、こっちから行かないと会えないんです」
そう言って、霞は拗ねるようにこちらを見た。
「女性の生活エリアに、ふらりと顔を出すわけにはいかないからな」
「たしかに京弥の言い分にも一理あるよね。霞ちゃんだって、油断してる時の顔を京弥に見られたくないでしょ?」
「油断……」
美幸の言葉を受けて、霞が油断している時の顔を想像する。だが、どうにも上手くいかなかった。そつのないイメージが強いからだろうか。
「日野さん。ひょっとして、何か変な想像をしていませんか?」
と、霞が疑うような眼差しを向けてくる。勘が鋭いな。
「大丈夫だ。うまく想像できなかった」
「想像はしてみたんですね……」
霞は複雑そうな表情で呟く。助けを求めるように美幸を見ると、彼女は楽しそうに頷いて、別の爆弾を落とした。
「でもほら、霞ちゃんだって、下着姿の時に京弥に出くわしたら困るだろうし」
「そ、そんな姿で家の中を歩いたりしません!」
そんな美幸の言葉に、霞は顔を赤くして抗議する。
「え? そうなの?」
「俺に聞かれても困る」
こっちを見た美幸に素っ気なく回答する。俺の意識は、霞の下着姿を想像しないようにすることで精一杯だった。
「……日野さん」
「大丈夫だ。何も想像していない」
霞に弁明しながら目を逸らすが、視界の隅でも、彼女の顔が朱に染まるのが分かった。
「美幸……」
この気まずい空気をどうしてくれるのか。そんな恨みがましい視線を彼女に向けると、美幸はごまかすように笑った。
「ごめん、ちょっとからかいすぎた。お詫びにこれ上げる」
そして、いそいそと持ってきた紙袋から何かを取り出す。彼女が机の上に置いたのは魔力を宿した草……つまり霊草だった。
「これって……霊草ですか?」
霞もそのことに気付いたようで、不思議そうに霊草を見つめる。霊草と言っても、存在そのものが霊的な場合と、普通の植物に魔力が宿った場合があるが、これは後者だった。
「うん。これ、京弥の大好物だから」
「美幸、お前……」
俺は呻くように呟く。料理好きな霞だからこそ、霊草を食べる趣味は引かれそうで黙っていたのだ。
霊草には五感のどれにも属さない刺激があって、それがクセになるのだ。あえて言えば炭酸に近いだろうか。
「そうだったんですね。これ、扱うのにコツがいりますよね」
「……え?」
と。思わぬ返事に、俺と美幸は顔を見合わせた。
「霞ちゃん……霊草も料理できるの?」
「え? 食べるつもりで持って来てくれたんですよね?」
「あ、うん。そうだけど……」
どうやら、霞の中で霊草は食材に分類されるらしい。長年、霊草を食べてきた俺だが、わざわざ料理するという発想はなかったな。
「そもそも、霊草って料理できるのか? そのまま齧らないと、魔力が流れてしまうと思うんだが」
そう尋ねると、霞は楽しそうに答えてくれる。
「調理中は、微弱な妖力で霊草を保護する必要があるんです。私みたいな弱い妖力の人間じゃないと調整が難しいですから、お二人には厳しいかもしれませんね」
その言葉に、再び美幸と顔を見合わせる。
「予想外の展開になったけど……よかったね。とりあえず、魔力中毒だけは気を付けなよ?」
「いつの話だよ。魔力を溜めこんだとしても、すぐ錬成に使うから大丈夫だ」
そんな話をしていると、霞が何かに気付いたように声を上げた。
「ひょっとして……日野さんが言っていた特殊体質って、霊草の魔力を食べて取り込めるということですか?」
「ああ。子供の頃から、山や森に入っては霊草を齧っていたんだ」
「それで、魔力中毒になってたところをウィリアムさんに助けられたんだよね」
美幸がからかうように補足する。すると、霞は不思議そうに疑問を口にした。
「でも、霊草ってそのまま食べても効果が薄いんじゃ……?」
「だから特殊体質なんだ。俺は魔力の経口摂取効率がよくて、下手をすれば霊草以上の魔力を得ることができる」
「いつも思うけどさ、それって摂取効率の領域じゃないよね」
「ああ。百パーセントを超えているからな。消化中に魔力を増幅しているようだが……そんな例は他にないらしい」
それを見抜いたからこそ、師匠は俺に錬金術を教えることにしたのだ。本来なら、師匠はもう弟子を取る予定はなかったそうだからな。
「……ま、それはそれとして、その霊草は二人に上げるから。今度、一緒にご飯を食べる時の口実にでもしてよ」
「ええと……」
その言葉に霞と顔を見合わせる。料理上手な霞が、霊草を調理してくれる。それはあまりに魅力的な提案だった。
それに、霊草が口実であれば次には繋がらない。彼女の精神的な負担も最低限ですむだろう。誘惑に負けた俺は、自分にそう言い聞かせて口を開く。
「霞。その……予定は合わせるから、その霊草を料理してもらってもいいかな」
「はい! 楽しみです」
そう答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
◆◆◆
よく売れる錬成薬の作り方は、もはや身体が覚えている。レシピを見ることはもちろん、製法を頭に思い浮かべることもない。
だが、今日の俺はそれらの手順を一つ一つ吟味しながら、注意深く錬成薬を作り上げていた。
「よし……念のため、このまま数日観察するか」
最後の工程を終えて、錠剤の形に整形した錬成薬をそっと棚に移す。
「――あの、日野さん?」
霞が声を掛けてきたのは、そんな時だった。工房の入口から顔を覗かせた彼女は、どこか心配そうにこちらを見つめている。
「どうした?」
答えながら手招きすると、彼女は工房を見回しながらこちらへやって来た。
「実は、何時間か前にも見に来たんですけど……ずっと作業してませんか?」
「俺なら大丈夫だ。前はいつもこんな感じだったから」
どうやら、俺がずっと工房に籠もっていることを心配してくれたらしい。俺にしてみれば珍しくない話だが、彼女にとっては根を詰めすぎているように見えるのかもしれない。
「よく売れる錬成薬を片っ端から作ってたんだ。ほら、暴走の話があったから」
「ああ、それで……」
霞は納得したようだった。孝祐や桑名さん経由で、妖怪の暴走事案が増えていることが事実だと知ったのは昨日の話だ。それから、俺は延々と錬成薬を作っていたのだった。
「それより、ちょうどよかった」
俺は話題を変える。ちょうど錬成薬も一通り作ったところだし、タイミングがいい。
「一緒に山へ行かないか?」
そう切り出すと、霞は不思議そうに小首を傾げた。
「山、ですか?」
「ああ。上手くいけば、そろそろ紅葉の季節だしな」
ふと通い慣れた近くの山を思い出す。近所の木々の色づき方から見ても、いい感じに仕上がっていることだろう。
そんな説明をすると、霞は驚いたような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。
「はい、もちろん行きます!」
彼女は勢いよく答える。ここまで乗り気なのは予想外だが、提案した側としてはありがたい。
「日曜日は人が多いかもしれないから、できれば水曜日にしたいな。来週のシフトはどうなってる?」
「もちろんお休みです」
霞は上機嫌で答えた。彼女が嬉しそうにしているところを見ると、こちらまで頬が緩む。
「そう言えば、山で霊草を探すのがご趣味でしたよね」
「ああ。ついでに見つかれば嬉しいが……今回は目的優先だからな。無理に探すつもりはない」
「え? 目的って……」
きょとんとした顔で霞が尋ねてくる。そうか、それを説明していなかったな。
「近くの山に良質な霊脈スポットがあるんだ。霞の解呪を、その霊脈の力を借りて行おうと思って」
「……そうですか」
説明を受けて、上機嫌だった霞の顔が固まる。声のトーンも心なしか落ちた気がするが――。
「大丈夫だ。霊脈の力を借りるとは言っても、施術するのは俺だからな。いつもとそう変わらないさ」
そう説明しても霞が笑顔を見せることはなかった。それどころか、拗ねたように口を尖らせる。
「霞? 何かまずいことでもあったか?」
「別に、何もないです」
霞はぶんぶんと首を横に振ったが、表情までは隠しきれていない。やはり何か事情があるのだろう。
「正直に答えてほしい。霊脈以外にも考えている解呪方法はいくつかあるから、無理をして山へ行かなくてもいいさ」
「い、いえ、そうじゃなくて……!」
霞は慌てた様子で否定すると、なぜか恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……初めて日野さんから誘ってくれたと思ったら、お仕事だったからです」
「え――?」
予想外の回答に頭が真っ白になる。それは、つまり――。
「……」
「……」
お互いに無言が続く。自分に都合のいい結論が何度も頭をかすめるが、その一方で調子に乗るなともう一人の自分が戒める。気まずい沈黙に耐えられず、俺は少し話題を逸らした。
「ほら、霞はよく庭の木を見上げているだろう? だから、山の木々を見るのも好きかと思って」
それは言い訳ではなく事実だった。風にそよぐ枝葉を見上げる彼女は、花の精と見紛うような美しさで、見かけるたびに見惚れていたものだ。
「気付かれていたんですね……」
彼女は照れたように呟く。その一方で、俺はストーカー扱いされなくてよかったと胸を撫で下ろしていた。
そして……霞は何かを思い切ったようにパン、と両手を合わせる。
「……どちらにしても、二人で出掛けることに変わりはありませんし」
自分に言い聞かせるように呟いて、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「お弁当、作ってもいいですか?」




