襲来Ⅱ
――大丈夫かね、少年。魔力中毒のようだが。
――京弥。本格的に錬金術を覚えてみんか? 釜に魔力を流すだけでは退屈じゃろう。
混濁した意識で夢を見る。変わらない結末へ向かって、それは淡々と進んでいく。
――加勢より彼らの避難が先じゃ。……頼めるな?
――お前がこの地に残っている限り、この戦いはワシの勝ちじゃからな。
師匠は陽気に微笑んで……そして、再会を約して別れる。
いつまで待っても、工房の主は帰ってこなかった。
◆◆◆
ふと目を覚ました俺は、極度の疲労と倦怠感に苛まれていた。
「やっぱりこうなったか」
ベッドに寝転んだまま、ぼそりと呟く。昨晩の戦いでは、工房の錬成陣から膨大な量の魔力を吸い上げて、それを惜しみなく使っていた。魔力増幅の錬成薬も服用したし、こうなることは覚悟の上だった。
「……あの夢、久しぶりに見たな」
そして、さっきまで見ていた夢の内容を思い出す。師匠の戦友と名乗る人物と出会ったことで、記憶が刺激されたのだろうか。そんなことを考えていると、部屋にノックの音が響いた。
「――日野さん、大丈夫ですか? お部屋に入ってもいいですか?」
そんな霞の声を聞いて、はっと覚醒する。そう言えば、昨晩の別れ際に「心配ですから、明日の朝は様子を見に行きますね」と言われていたな。
「ああ、大丈夫だ」
そう答えると、霞はドアから顔を覗かせた。彼女はベッドから動けない俺を見て、慌てたように駆け寄ってくる。
「以前と一緒で、魔力の過剰供給による後遺症だ。大したことじゃない。受けた傷は錬成薬で治したし」
枕元にしゃがみこんだ霞に説明する。一か月ほど前にも、彼女はこの状態の俺を見たことがある。翌日にはすっかり元通りになることも分かっているはずだ。
「だから、まずは――」
「臨時休業の張り紙、ですね?」
察しのいい言葉に微笑む。霞はあの時のやり取りを覚えていたらしい。そして、彼女は続けて口を開いた。
「後はご飯の用意ですね。任せてください。……朝は冷蔵庫にあるものを使うとして、お昼と夜のリクエストはありますか?」
そう尋ねる霞の言葉はあまりに自然で、俺は反応が少し遅れた。
「今日は仕事じゃなかったのか?」
今日は金曜日だ。霞は水曜日と日曜日をシフト休みにしているため、意外な気がした。
「ええと……今日は、たまたまお休みの日です」
「……」
そう答える霞がどうにも怪しくて、俺は無言で彼女を見つめる。すると、やがて霞は気まずそうに視線を逸らした。
「あの時だって、日野さんは大変そうでしたし」
「でも、次の日にはすっかり元気になっていただろう? その気持ちだけで充分だ」
「だとしても、今、日野さんが辛いことに変わりはありませんから」
霞はそう断言すると、俺の目を真っすぐ見つめる。
「昨日も、日野さんは私を助けてくれました。それなのに、寝込んでいる恩人を放っておくなんて……心配で仕事が手に付きません」
そう告げると、霞は携帯電話を片手に部屋を出た。どうやら、廊下で勤務先に電話をしているらしい。やがて部屋に戻ってきた霞は、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「オーナーの了承を得ました。というか――」
「どうした?」
意味ありげな霞の様子に首を傾げる。
「電話に出るなり、オーナーに無事かどうかを聞かれました。昨晩の件はかなり話題になっているそうです」
「あー……それもそうか。あんな規格外の妖怪が近くに来れば、こっち側の人間は皆気付くよな」
それどころか、昨日は戦闘まで行ったのだ。あの時の少年の妖力は、離れていても身の危険を感じるレベルだったはずだ。
「それで事情を説明したら、オーナーのほうから『今日は休みなさい』って言ってくれて」
「今度会ったらお礼を言っておかないとな」
俺は以前の会合で会ったオーナーの顔を思い浮かべる。彼女には借りばかり作っている気がするな。
「ところで、霞は大丈夫なのか?」
そして話題を変えると、当の本人はきょとんとした顔をしていた。
「私ですか?」
「ああ。一番の被害者は霞だからな。トラウマになってもおかしくない」
結果的に攻撃を受けなかった俺と違って、霞はあの強大な妖気に拘束されていたのだ。負傷は免れたようだが、その恐怖は計り知れないはずだ。
「たしかに怖かったですけど……それよりも、日野さんに何かあったらどうしようって、そっちのほうが不安で」
そう答えると、霞は上から俺の顔を覗き込んだ。そして……そっとその手を伸ばして、俺の頬に触れる。
「だから、無事で本当によかったです」
慈しむような眼差しで穏やかに告げる。その表情はあまりに魅力的で、だからこそ俺は頬の感触に耐えられなくなった。
「霞。その……」
「はい、なんですか?」
微笑みを湛えて訊き返す彼女に、正直な心情を吐露する。
「ずっと頬に触れられているのは、さすがに恥ずかしいんだが……」
「え……?」
目を瞬かせた彼女は、ふと自分の右手を見つめて、そしてその先にある俺の顔を見詰める。どうやら、無意識に手が伸びていたようだった。
「す、すみません!」
霞は慌てて手を引っ込める。そして、顔を朱色に染めたまま立ち上がった。
「それじゃ、張り紙をして朝ごはんを用意しますね」
そう言い残すと、霞はどこかぎこちない動きで部屋を去っていく。
「心臓に悪いな……」
頬に残る感触を思い出して、俺は布団に顔を埋めた。
◆◆◆
昼過ぎになり、後遺症も楽になってきた頃。霞が作ってくれた昼食を食べ終えた俺は、あれこれと考え事をしていた。
昨晩現れた少年のこと。師匠の戦友と名乗ったルーカスさんのこと。手持ち無沙汰なこともあって、様々なことに思いを巡らせる。すると、扉が丁寧にノックされた。
「日野さん、入っていいですか?」
それは霞の声だ。食べ終えた昼食を片付けてくれていたはずだが、もう終わったようだった。
「ああ、大丈夫だ。どうかしたか?」
部屋へ入ってきた霞に問いかける。すると、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「いえ、その……日野さん、眠かったりしますか?」
その質問の意図が分からず、俺は首を傾げる。
「眠くはないな。午前中、ずっと寝ていたようなものだし」
そう答えると、霞はなぜか嬉しそうに目を輝かせた。
「それなら、少しお話をしませんか?」
「話……?」
俺は目を瞬かせるが、やがて彼女が言いたいことに思い当たった。
「悪かった。そう言えば、ちゃんと昨晩の情報共有をしていなかったな」
霞からすれば、帰ってきたらいきなり天災クラスの妖怪と俺の戦闘に巻き込まれたのだ。説明を求めて当然だろう。
と、そう思ったのだが……霞はわずかに口を尖らせた。
「そうじゃなくて――いえ、そうなんですけど……」
謎掛けのような呟きの後で、彼女は恨めしそうにこちらを見る。その瞳のまま、霞は小さな声でぽそりと呟いた。
「だって……日野さんは、用事がないとお話してくれませんから」
「え?」
予想外の答えに目を瞬かせる。だが、弁解するより先に彼女の言葉が続いた。
「せっかくこんなに近くにいるのに、差し入れの時以外はほとんど会えませんし」
「いや、それは――」
「それに、動けないほど衰弱していても、私を頼ってくれません」
口早に告げる彼女は、なんだかむくれているように見えた。そして……霞は俺の布団の裾をきゅっと握る。
「だから……昨日のことも、それ以外のことも、いろいろお話しませんか?」
緊張と照れが入り混じった表情で、霞はそう提案してくる。そんな顔をされては断るわけにはいかないし、そもそも断るつもりもない。
「そうだな。そうしようか」
その提案を了承すると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
◆◆◆
「――本当に、同一人物とは思えなかったな。颯爽とか凛々しいとか、そういった言葉が似合う動きだった」
「同僚の皆さんにも言われます。いつも通り動いているつもりですけど、やっぱり違うんですね」
「仕事で気を張っているせいかな。まあ、理由は何であれ、見ていて気持ちのいい動きだったよ。アップにした髪型も制服に似合ってたし」
「ふふ、ありがとうございます。日野さんはアップのほうがお好きですか?」
「いや、好きと言うか、新鮮だと思っただけで――」
ふと気が付けば、霞と話し始めてから一時間以上が経っていた。昨晩のことからもっと他愛ない出来事まで、意外なほど話題は尽きなかった。
「そう言えば、唯衣さんがとても感謝してましたよ」
「感謝? 結界のことか?」
彼女の同僚の顔を思い浮かべて尋ねる。だが、霞は首を横に振った。
「この前、弟さんが暴走しかけて、お家の中で吹雪が吹き荒れたらしいです」
「それはまた……」
彼女の家系は雪女か何かなのだろう。もちろん、家族にも寒さへの耐性はあるはずだが……。
「下手をすると、家にある電化製品が全滅だな」
「唯衣さんもそう言ってました。危うく家電を全部買い直すところだったって」
「なるほど、それで感謝につながるわけか」
そう納得すれば、霞も笑顔で頷く。
「はい。日野さんにも、先代の方にも本当に感謝してるって」
「先代……師匠にも?」
「なんでも、弟さんは昔から妖力が暴走しがちだったそうで、十年以上前から錬成薬を常備しているそうです」
「それはまた古株の常連だな……そう言えば、師匠が幼い子供用にと、甘い味の錬成薬を作ったことがあったな」
ふと思い出す。師匠はあまり調理系の技術に長けていない人だったため、酷い味の錬成薬を何度も味見する羽目になったものだ。
そんな話をすると、霞は楽しそうに笑った。そして昔の話題につられたのか、遠慮がちに口を開く。
「日野さんって、いつから錬金術を学んでいたんですか?」
「小学校の高学年だったから、十五年ぐらい前だな。まあ、最初は錬金術を学んでいたというより、余剰魔力を流すのが目的だったんだが」
「余剰魔力、ですか?」
霞はきょとんとした表情で問いかける。たしかに、俺は昨晩の少年のような甚大な魔力を持っているわけではないからな。不思議に思っても無理はない。
「俺はなんというか……外部の魔力を吸収しやすい体質なんだ。そのせいで魔力中毒になっていたところを、師匠に助けられた」
今朝がた、師匠の夢を見たからだろうか。あの時の情景がはっきりと脳裏に蘇る。
「当時の俺は魔力の存在なんて知らなかったからな。話を聞いた時は信じられなかった」
「え? じゃあ、日野さんのご家族は魔術師じゃないんですか?」
「ああ、一般人だ。だから当時は何かと心配されたな。他人の魔力に気付いて騒いだり、原因不明の体調不良が続いたりと、今思えば心労の種だったんだろうな」
俺は肩をすくめた。今なら両親の気持ちが多少は分かる。
「しかも、ようやく体調不良が治ったかと思えば、今度は怪しげな外国人が経営する店に入り浸るわ、挙句の果てにはその店を継いでしまうわと、だいぶ戸惑っていた」
そのため、今でも家族の俺に対する認識は『怪しげな健康食品店の店主』だった。まあ、法に触れる行いはしていないと理解してもらえたようなので、それで充分だ。
「それじゃあ――」
と、霞が何かを言いかけた時だった。インターホンが来客を告げたことで、霞が腰を浮かせる。
「荷物でしょうか? 私、出てきますね」
「ああ、頼む。大丈夫だとは思うが警戒してくれ」
「はい、分かりました」
彼女は足早に部屋を出て行く。そして――。
「よ、京弥。元気そうで何よりだ」
戻ってきた霞の後ろから、ニヤニヤ顔の孝祐が顔を出した。
「おかげさまで、部屋から動けない程度には元気だよ。……それより、来るなら連絡してくれよ。また襲撃かと思ったぞ」
「おいおい、出る前に連絡は入れたぜ? お前が見ないからだ」
俺の苦情を受け流すと、孝祐はわざとらしく視線を霞へ向けた。
「どうせ彼女とイチャついていて、気付かなかったんだろう?」
「そ、そんなことは……」
孝祐の不意打ちで霞が赤くなる。赤みが俺に伝染する前にと、俺は話題を変えることにした。
「そんなことより、情報を持ってきたんだろう?」
「もちろんだ」
孝祐は封筒を寄越してくる。開封作業を行う俺の耳に、学友の大きな溜息が聞こえた。
「この前の賀茂成明と言い、今回のターゲットと言い……お前、大物ばかり引っ掛けるな」
「やっぱり大物だったか。まあ、あれだけの妖力を持っていて三下のはずないよな」
そうぼやきながら中身を確認する。一枚目に載っている顔写真は、昨晩戦った少年のもので間違いなかった。
「神山透。陰陽四家の一つ、神山家の三男坊だ。まだ十歳だが桁外れの妖力を有していて、『神童』だとか『先祖返り』だとか言われてる」
そんな解説を聞きながら、ベッドに座っている霞にも見えるように書類を広げる。
「神山一族は並外れた妖力を誇る化物ぞろいだが、こいつはその中でも抜きん出ている。次期当主は確定だろうな」
「また陰陽四家か……」
たしか、賀茂成明も賀茂家の次期当主のはずだな。それで面識があったのか。
「同じ陰陽四家だが、賀茂家は人間派閥、神山家は妖怪派閥だ。優秀な人間の術師を輩出する賀茂家と、そもそもが大妖怪の系譜である神山家では、立ち位置が異なることも多い」
そう告げると、孝祐はもう一度溜息をついた。
「……そしてもう一つ。神山の一族ってのは、特定の個人に執着する傾向が顕著らしい。もし神山透がお前に執着を抱いたなら、かなり厄介だぞ」
「執着? そもそも面識がなかったんだぞ?」
孝祐の情報にげんなりする。俺がいったい何をしたというのか。
「錬金術師ってだけで、お前はこっち側では目立つ存在だからな。もし神山家が錬金術師の排斥に前向きだったとしたら、身内の誰かが唆した可能性もある」
「なんて迷惑な……たちの悪い野良犬に噛まれた気分だ」
「さすがに今回は同情するよ。――ああ、ちなみに犬じゃなくて蛇だぜ?」
「え?」
意味が分からず聞き返すと、孝祐はとんでもない情報を口にした。
「神山一族は八岐大蛇の末裔だからな」
「……え?」
しん、と場が静まり返る。八岐大蛇と言えば、誰でも知っている日本神話の大妖怪だ。それならば、あの妖力も、陰陽寮を牛耳っていることも頷けた。
「戦闘評価はEX。天災クラスだな。……お前、本当によく生き残ったな」
しみじみと孝祐が肩を叩いてくる。それが冗談ではなく、本気の言葉だということはよく分かった。
「昨日は状況が味方をしてくれたからな。できれば二度と会いたくない」
「同感だ。あの御曹司がお前に執着していないことを祈るしかないな」
俺たちは目を合わせると、同時に溜息をついた。




