襲来Ⅰ
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「ええ、一人です」
「かしこまりました。お席にご案内いたします」
眉目秀麗、という表現が似合いそうな男性店員に先導されながら、俺はホライゾンカフェの店内を歩く。黒色を基調とした内装だが、決して暗いわけでも単調でもない。テーブルやソファはもちろんのこと、飾られている小物にもこだわりが感じられた。
「それでは、後ほどご注文をお伺いに参ります。ごゆっくりおくつろぎください」
優雅に一礼すると、店員は落ち着いた足取りで去っていく。その様子を感心して見送っていた俺は、やがてメニュー表に視線を落とした。
さすがは人気カフェと言うべきか、メニューに載っている写真や解説も魅力的なものが多い。そんな品々の中から注文するものを決めると、俺は店内を見回す。
「――お伺いしましょうか?」
声を上げるまでもなく、店員から声をかけられる。その反応の早さに感心していた俺は、ふと目を瞬かせた。その店員の顔に見覚えがあったからだ。
「あら? 日野さん……でしたよね?」
「ああ。水崎さん、でよかったかな?」
そう答えれば、彼女はふわりとした笑みで頷いた。その瞬間、このテーブルに複数の視線が集中する。
「覚えていてくださったんですね。この前はありがとうございました。おかげで助かりました」
そんなやり取りを経て、俺は軽食のセットを注文する。そして、注文を受けた水崎さんがテーブルから離れると、集中していた視線がさっと離れていった。やはり彼女も人気があるのだろう。
そんなことを考えながら、俺は店内をゆっくり見回す。平日にもかかわらず、店内は満席だった。店員の配置には余裕があり、彼らは機敏でありながらも、丁寧で落ち着いた所作を崩すことはなかった。
「……あ」
そして、キビキビと動く彼らの中から、最も見知った顔を見つけ出す。美男美女揃いの店員の中にあっても、やはり霞が際立っていると思うのは贔屓目だろうか。
品格と華やかさを両立したモノトーンの制服は、霞の清楚な容姿によく似合っていた。動きやすいようにだろう、彼女は髪をアップにしてまとめており、それがまた新鮮だった。
「ん……?」
だが、俺はそんな霞に違和感を覚えていた。と言っても悪い意味ではない。機敏に手際よく、だが上品な動きを崩さない霞は、とても凛として見えたからだ。
いつもの控えめな微笑みの代わりに、余裕のある落ち着いた微笑を湛えた彼女は、優雅な動きで店内を巡る。そんな彼女を眺めていると、同じく霞を目で追っている客と目が合った。
――霞ちゃん、凄く人気だったよ。『あ、こいつ霞ちゃん狙いだな』みたいなお客も結構いたし。
ふと、そんな美幸の言葉が脳裏をよぎる。想像していた霞とは少し異なっていたが、たしかに人気が出てもおかしくない。
「……あ」
そんなことを考えていた俺は、慌てて彼女から視線を外した。よく考えたら、今の俺は霞のストーカー状態だったのではないだろうか。そんな心配から、今度は霞を視界に入れないように努めて店内を観察する。
「――お待たせいたしました」
そうしてどれほど経っただろうか。俺が頼んだセットを持って来てくれたのは、他ならぬ霞だった。仕事モードの彼女も魅力的だな。ふと頭に浮かんだ感想を、俺は慌ててかき消す。
「ホットドッグとサラダ、マッシュルームのポタージュ、それに本日のコーヒーです」
そう言いながら、霞は注文した品を並べていく。その迅速で丁寧な動きを眺めていると、ふと霞と目が合った。
「……絶対にこのスープを頼むと思いました」
そしてクスリと笑う。そこに立っていたのは、少し照れた表情を浮かべた、いつもの霞だった。その瞬間に周りが騒然とした気がしたが、もはやどうでもいい。
「本当は、注文を受けた唯衣さんが持ってくるはずだったんですけど、譲ってくれました」
「そうか。今度会ったらお礼を言うよ」
そう答えて、あまり長くならないように会話を切り上げる。仕事中の彼女をあまり邪魔するわけにはいかないからな。
「それじゃ、失礼しますね」
霞もそのことに気付いたのだろう。最後にもう一度柔らかく微笑むと、俺のテーブルを後にした。それに合わせてまた視線が移動していくのは、なんとも面白い光景だった。
「……さて、食べるか」
やがて意識を切り替えた俺は、霞が運んでくれた食事に手を伸ばした。
◆◆◆
店の扉にcloseの札を吊るして、鍵を閉める。夜七時の時点ですっかり外は暗くなっており、秋が深まっていることを感じさせた。
「そろそろ帰ってくるか……?」
ふと時計に視線を向ける。霞の勤務シフトは、その多くが六時までだ。移動時間と途中で買い物をする時間があるため、だいたい今ぐらいの時刻に帰宅する傾向があった。
もちろん、普段は出迎えるわけでもないし、住居エリアに顔を出すこともない。ただ、今日はホライゾンカフェを訪れたということもあって、その感想を伝えたかったのだ。
……だが。
「――っ! なんだ!?」
身の毛がよだつ感覚に、俺は目を見開いた。凄まじい妖力を感知したせいだと気付いた俺は、反射的に魔力増幅の錬成薬をカウンターから取り出し、そして飲み干す。
「何事も起こらなければいいが……」
俺は苦々しく呟いた。もちろん、この莫大な妖力の持ち主が移動しているだけ、という可能性もある。だが、妖力はまっすぐこちらを目指しているような気がしてならなかった。
近付く妖気を感知していた俺は、やがて店から外へ出た。相手は大妖怪……いや、天災レベルといっても過言ではない力の持ち主だ。もし何かあって店が壊れると困る。
「ん……?」
だが、通りの向こうに現れた姿を見て、俺は少し戸惑った。その背格好は小学生にしか見えなかったからだ。とは言え、尋常ではない妖気が小さな身体から放たれているのは間違いない。
そして、彼は歩みを進めて……俺の目の前で立ち止まった。
「お前が錬金術師か?」
少年は甲高い声で問いかける。近くで見れば綺麗な顔をしており、美少年と呼んでも差し支えないだろう。だが、その顔は不快げに歪められており、友好的な目的で来店したとは思えなかった。
「そうだ。工房を訪れたということは、錬成薬の注文かな?」
あえて、にこやかに告げる。工房を訪れるお客の中には、同程度の年齢の少年少女もいる。その多くは妖力や種族特性を抑えられない子供たちであり、彼らと同じ対応を取ってみたのだ。
「馬鹿にするな。錬成薬に頼る必要なんかない」
「じゃあ、自分じゃなくて家族のための錬成薬かい?」
怒っている様子の少年を受け流して、質問を重ねる。だが、彼はキッとこちらを睨みつけたままだった。そして、怒りに震える声で呟く。
「……何が錬金術師だ」
「え?」
この少年は錬金術師に悪印象を持っているようだった。そう認識した俺が懸念したことは、俺が錬成した薬が失敗作で、彼の関係者を害したという可能性だ。もしかして、周囲に錬成薬の被害者がいるのか。そう彼に問いかけようとした時だった。
「――日野さん!?」
角の向こうから、最悪のタイミングで霞が現れる。この膨大な妖力に気付かなかったとは思えないから、工房の客だと思ったのだろう。だが、俺と少年の間にある険悪な雰囲気に気付いたのか、彼女は青ざめた顔で立ち止まった。
「……?」
霞の声に反応して、少年が背後を振り返る。彼女が人質に取られることを懸念して、俺は緊迫した声で警告した。
「霞、離れていろ!」
「は、はい!」
俺の切迫した様子が伝わったのか、彼女は踵を返そうとして――だが、ぴたりとその動きが止まる。動きが止まっただけではない。その身体は、少し地面から浮いていた。
「え――?」
霞は驚愕に目を見開いていた。彼女の身体は地面から五十センチほど浮いており、まったく身動きが取れない様子だった。方術の類ではなく、妖力を念力のように使っているのだろう。膨大な妖力がなければできない技だ。
「ふーん、正義の味方気取りなんだ」
霞のほうへ意識を向けていた俺は、その言葉で少年へ視線を戻した。
「大切な人間を守ろうとするのは、一般的な心理じゃないか?」
「僕を悪者みたいに……っ」
少年は苛立った瞳で睨みつける。感情が昂ったのか、身体から放たれる妖気がさらに密度を増した。
「っ……!」
「霞!?」
妖気が強まったことで、彼女への圧力も強まったのだろう。苦しそうな顔を見せた霞を見て、俺は早々に奥の手を使った。
「錬成陣、拡張起動」
店の奥にある錬金術工房を起動させると、その効果範囲を一気に広げる。本来なら下準備が必要な大技だが、今回は工房がすぐ傍にあるためその必要もない。
「――転送」
そうして、錬成陣の光が地面に広がった直後。捕らわれていた霞の姿がかき消えて、代わりに俺の傍に出現した。こちらへ転移させたのだ。
「日野さん!?」
「大丈夫か? とりあえず、俺の後ろにいてくれ」
「はい!」
ありがたいことに、霞は過度に取り乱してはいなかった。俺の指示を受けて、さっと俺の後ろへ下がる。
「酩酊」
霞を確保した俺は、続けて相手の無力化を試みた。まともに戦えばこの錬成陣の中でも勝率はほぼゼロだ。ならば搦め手で攻めるしかない。
「ち――」
だが、俺の試みは不発に終わった。相手の妖力が強すぎて天然の防壁になっていたからだ。ならばと身体の構成物質を石と入れ替えようとするが、これもあっさりと弾かれる。
この分だと、佐原の時のように魔力消去を仕掛けても焼け石に水だろう。覚悟はしていたが、予想を遥かに上回る化物っぷりだった。
「ねえ、何かした?」
そんな俺を嘲笑うように少年が口を開いた。そして彼が右手をこちらへ伸ばした瞬間、凄まじい圧力を伴った妖気が俺を貫こうとする。
「空間歪曲」
俺は空間をねじ曲げて、その妖気の奔流を別の方向へ逃がした。どれだけ威力が高くても、届かなければ意味がない。さらに襲い来る二撃目を、今度は本人へ向かうよう空間を繋げる。
「……」
少年は不快げに手を振って、跳ね返された自らの妖気を霧散させた。その衝撃で大気が震え、鼓膜をビリビリと揺らす。
「何だよお前っ!」
ならば直接仕掛けようと考えたのだろう。少年は距離と詰めようとするが――今、この一帯の空間は俺の支配下にある。彼がいくら走ろうと、俺に辿り着くことはできなかった。
「難儀な相手だな……」
やがて俺は眉根を寄せた。俺の攻撃は敵に通らず、敵の攻撃は俺に当たらない。ぱっと見では、お互いに決め手を欠いて膠着状態であるように見える。
だが、保有する魔力の量が違い過ぎる。錬金術工房と繋げている以上、すぐに魔力が尽きることはないが、それでも彼の無尽蔵とも言える妖力に比肩するほどではない。そして……。
「くっ――!?」
癇癪を起こした少年が、妖気を触手のように使って怒涛の攻撃を仕掛けてくる。その桁外れの威力は、空間制御すら突き抜ける可能性があった。
「厳しいか……」
やがて、俺の身体に幾筋もの傷が刻まれていく。基礎能力の差が大きすぎて、防御が破られつつあるのだ。俺は視線を敵に向けたまま、後ろにいる霞に話しかけた。
「霞。桑名さんか、美幸の家に避難するんだ。この場から離脱するまで、必ず守り切るから」
情勢が不利である以上、せめて霞だけは無事に逃がしておきたい。それが俺の結論だった。と――。
「なっ……!?」
次の瞬間、俺は驚きの声を上げた。横合いから純白の雷が迸ったからだ。破邪の術式を練り込んだと思わしき雷光は、まっすぐ少年を捉える。
「え――!?」
彼にとっても予想外だったのだろう。白雷は少年の妖力の鎧を貫き、爆発を起こす。その事実だけで、術師が凄まじい技量の持ち主だということが分かった。
そして。予想外の展開に呆然としていた俺は、乱入者の姿に気付いた。
「あれは……」
それは初老の白人男性だった。灰色の髪を撫でつけて、日本では珍しい片眼鏡を身に着けている。ロングコートの襟もとからはきっちりしたシャツやベストが覗いており、それが紳士らしさを助長していた。
その姿はまるで師匠のようで、思わず彼を凝視する。その視線に気付いたのか、彼はこちらを見て微笑んだ。
「――加勢しよう。ウィリアムの後継よ」
「!?」
その言葉に息を呑む。だが、詳しいことを尋ねている余裕はなかった。
「助かります」
短く同意を示して、同時に少年へと視線を向ける。破邪の雷光に打たれたはずの彼は、大してダメージを受けているようには見えなかった。
「私が攻撃を担当しよう。補助を頼みたい」
「分かりました。防御を優先しますが、可能な限り支援します」
幸いここは錬成陣の中だ。卓越した魔術師らしき彼と、俺の錬成陣による増幅があれば、災害クラスの妖怪にだって攻撃は通るはずだ。
そう判断して俺は魔力を練り上げる。隣では老紳士が複雑で強大な魔術を編み上げており、その威力は先程の雷光の比でないだろう。それでも決定打になるとは思えないが、他に手段はない。
「お前……!」
その一方で、さすがに看過できないと感じたのか、少年からの攻撃も激しさを増していた。ついには線ではなく、面での広範囲攻撃を仕掛けてくるようになったため、防御を担当する俺の負担も大きくなっていた。
いつ動く――隣で編まれている強大な魔術の完成を待ちながら、俺は次々と襲い来る攻撃を凌ぎ続けた。そして……。
「――双方、そこまでだ!」
俺たちの戦いに、よく通る声が割って入った。その声に聞き覚えがある気がして、俺は声の主に視線を向けた。
「賀茂さん……」
予想通り、そこにいたのは当代最強の陰陽師、賀茂成明だった。その後ろには陰陽寮の部下らしき人物が十名ほど控えている。俺と目が合うと、彼は軽く頷きを返してきた。
「やはり日野殿だったか」
賀茂はそう告げると、対峙している少年のほうへくるりと向き直る。
「透殿。ここは引いてもらいたい。一般人からも通報が相次いでいる」
「成明……!」
少年は苛立ったように彼の名を呼んだ。どうやら知り合いらしい。数分に及ぶ睨み合いを経て、透と呼ばれた少年は身を翻した。
「日野殿。また後日、事情を聞かせてもらえるだろうか」
「ああ、分かった」
そして、賀茂も身を翻す。彼は少年に付いていくつもりのようだった。他の陰陽寮の術師がピリピリした雰囲気を出しているところからすると、危険人物の護送といったほうが正しいだろうが。
「――どれ、私も陰ながら付いていこう。何をやらかすか心配だからね」
……と。去っていく陰陽寮の術師たちを見送っていた俺は、いつの間にか姿を消していた老紳士の言葉で我に返った。まず丁寧に一礼してから、俺は彼に話しかける。
「導師。この度は、助けてくださってありがとうございました。不躾な質問で恐縮ですが、ひょっとして貴方は師匠――ウィリアム・ホークスのお知り合いですか?」
それは質問というよりは確認だった。すると、彼は穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
「自己紹介が遅れたね。私はルーカス・ティンバーレイク。ウィリアムとは長年の戦友でね。よく死地で背中を預け合ったものだよ」
「そうでしたか……」
思わぬ関係に驚くが、あれだけのレベルの魔術を扱えるとなれば、それも不思議ではなかった。
「そして、君も見事な技量だった。本来、錬金術師とは戦闘に不向きな存在だが……私が無傷で済んだのは君のおかげだよ」
そう言って、ルーカスさんは俺の肩をポンと叩く。
「あの化物を相手によく持ちこたえたものだ。……さすがウィリアムの後継だな」
「……ありがとうございます」
思いがけない賞賛に頬が緩む。師の知り合いに褒められて、悪い気がするはずもない。間の抜けた顔を見せないよう気を張っていると、ルーカスさんはロングコートを羽織り直した。
「それでは、私は行くが……また日を改めて、工房に寄せてもらってもいいかな。ウィリアムの話も聞きたいからね」
「もちろんです。お待ちしています」
「それでは、また会おう」
俺の答えに笑みを返すと、ルーカスさんは少年や賀茂と同じ方向へ去っていく。その後ろ姿は、どこか師匠に重なって見えた。




