変化Ⅲ
用事をすべて済ませた俺たちは、ショッピングモールの入口まで戻ってきていた。買い物の合間に喫茶店へ寄ったり、昼食を食べたりしたこともあって、時刻はすでに三時を回っている。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
「俺のほうこそ。ここには滅多に来ないから、新鮮だった」
そんな言葉を向け合って、お互いに笑顔を浮かべる。時折、彼女の行動に照れたり戸惑ったりもしたが、それも含めて楽しかったことは事実だ。
工房を継いでからというもの、買い物は必要な分を効率よく買うだけの作業になっていただけに、自分でもそんな感想を抱いたことは意外だった。
「じゃあ、帰るとするか」
そう宣言して歩き出そうとする。だが、霞は動こうとしなかった。その代わりにとでもいうように、俺をじっと見つめている。
「どうしたんだ?」
尋ねると、彼女はためらいがちに言葉を切り出す。
「あの、もしよかったら……」
「――あら? 霞さん?」
だが、霞の言葉を最後まで聞くことはできなかった。横手から、柔らかな女性の声が聞こえてきたからだ。声のする方向に顔を向けた霞は、軽く目を見開いた。
「水崎さん?」
「こんにちは。あと、唯衣でいいですよ?」
彼女はにこやかに訂正する。霞の知り合いということは、おそらくホライゾンカフェの従業員なのだろう。ふんわりした雰囲気の美人だ。
「じゃあ唯衣……さん」
「うふふ、ありがとうございます。なんだか無理に呼ばせてしまいましたね」
そう告げると、水崎唯衣というらしい女性は、笑顔のまま視線を俺に移した。そして、少し困ったように眉を下げる。
「ひょっとしてデート中でしたか? ごめんなさい」
「え? ええと、その……」
「いや、霞の買い物に付き合ってただけだ。彼女一人じゃこの量は持ち切れないから」
困った様子の霞に代わって答える。俺が両手に持った大量の荷物を見て、水崎さんは納得したようだった。
「……そうですね」
だが、話を合わせた霞は、どこか拗ねたように口を尖らせる。――と。俺は同じく彼女を見ていた水崎さんと目が合った。
「自己紹介をしていませんでしたね。私は水崎唯衣。霞さんの仕事仲間です」
「俺は日野京弥。霞の……」
言いかけて固まる。同僚にどこまで説明したものだろうか。心配なのか、霞も緊張した様子でこちらを見つめていた。
「――大家だ」
やがて、出てきたのはそんな単語だった。間違ってはいないし、調理器具の買い出しに付き合う理由にならなくもない……はずだ。
「まあ、そうなんですか。仲が良さそうでしたから、早とちりしてしまいました」
「……」
その言葉を受けて、俺と霞は同時に目を合わせて……そして、無言で眼を逸らす。気まずいことこの上ない。
その原因の水崎さんはと言えば、にこにこと笑顔でこちらを眺めていた。何か勘違いをしているフシはあるが、いい人そうだな。それが俺の彼女に対する感想だった。それに――。
「日野さんって、もしかして術師さんですか?」
「ああ。錬金術師だ」
先に言われたか。彼女から妖気を感じるので、こちら側の人だろうとは思っていたのだ。向こうも同様だろう。
「え? じゃあ『トワイライト』の方ですか?」
おっとりした雰囲気を漂わせていた彼女が、初めて驚きを見せた。それが意外だったようで、霞が会話に入ってくる。
「日野さんの錬金術工房って、そんなに有名なんですか?」
「日本に数人しかいない錬金術師ですから。この地域では一番の有名人なんじゃないかしら。私の周りにも、錬成薬のおかげで助かった子がいますよ」
そう説明すると、水崎さんはこちらに丁寧に頭を下げた。
「だから……本当にありがとうございます」
「それはよかった」
その言葉に頬が緩む。こんなところで自分の錬成薬が役立っていることを知るとは思わなかったが、やはり嬉しいものだ。
そんな感慨に耽っていた俺は、水崎さんの表情が真面目なものに変わったことで姿勢を正した。
「……何か?」
そう問いかければ、彼女はこくりと頷いた。荷物が多いところに申し訳ないのですが、と前置いて口を開く。
「実は、ここへ来る途中で妙な妖力を感じたんです。それで、低級霊の注意書きが出ていたことを思い出して」
「ああ、そういうことか」
俺は納得する。少し前の会合で、低級霊が頻繁に出現しているため、見かけたら力のある術師が対応することという話が出ていた。その関係で俺に知らせてくれたのだろう。
「場所はどの辺りだ?」
「ここから南西に十分ほど歩いたところです」
「それなら、このまま行こうと思うが……霞はどうする?」
霞に問いかける。ここからは俺の仕事だし、帰り道とほぼ逆方向だ。先に帰ってもらっても問題はない。
「いえ、私も行きます」
話が決まると、俺は荷物をコインロッカーに突っ込んだ。そして、水崎さんに先導されて街中を三人で歩く。
「日野さんが錬金術師で、本当に助かりました。注意喚起されていた低級霊というわけではないので、連絡していいものか悩んでいたんです」
「困った時はお互い様だ。……ところで、ホライゾンカフェには他にも妖怪や魔物の末裔が?」
興味に駆られて、俺はなんとなく問いかけた。オーナーが関係者なのだから、他にいてもおかしくない。
「あと七人います。日常生活に支障が出るような人はいませんから、一般の人とあまり変わりませんけれど」
彼女が答えた人数は、予想よりも多いものだった。まあ、あのカフェには数十人の従業員がいるだろうから、ほんの一部ではあるのだろうが。
「それでも、こちら側の人が霞の傍にいるのは助かるよ。これからも霞をよろしく頼む」
そう頭を下げたところ、くいっと服の肘の部分が引っ張られた。見れば、霞が恥ずかしそうな表情でこちらを見ている。しまったな、保護者面で出しゃばってしまったか。
「まあまあ。大家さんは霞さんを大切にしているんですね」
俺と霞を交互に眺めて、彼女は楽しそうに笑う。どう言葉を返そうか。そう悩む俺だったが、すぐにそれどころではなくなった。前方から漂ってくる魔力に気付いたからだ。
「これか……」
「さすが錬金術師さんですね。もう感知できるんですか」
「職業柄、嫌でも敏感になるからな」
俺は少し気を引き締めると、魔力の根源へ向かっていく。やがて辿り着いたのは、小さな公園だった。子供が遊ぶような遊具はなく、ベンチだけが置いてある。だが――。
「結界か……?」
俺は驚きをこめて呟く。なぜなら、眼前に仕掛けられている結界は俺と同じ――西洋魔術の作法で構築されていたからだ。
「え? 結界が張られているんですか? でも……」
水崎さんは困惑した様子だった。あまり人気がないとはいえ、さっきから何人もの人がこの公園を横切っているからだろう。一般的な結界であれば、人自体を寄せ付けないのが普通だ。
「それは、たぶん――」
俺が説明しようとした時だった。ふと、結界がアクティブになる気配を感じる。
「論より証拠だな。二人とも、俺の傍で見ているといい」
念のためにと自分の魔力を活性化させながら、俺は公園のとある一点を見つめる。予想通り、そこで魔力が揺らぎ始めた。
「日野さん、あれって――」
「霊体……?」
ふと生まれ出た低級霊を見て、二人が同時に口を開く。だが、それは始まりに過ぎなかった。
「……ここからだ」
俺がそう告げた瞬間、周囲の結界がさっと起動した。そして……発生したばかりの低級霊を魔力の雷で打ち据える。
「!?」
その様子に、二人が声にならない悲鳴を上げた。その直後には、低級霊はすっかり消滅しており、公園にはなんの変化もない。
「対象を絞り込んだ、自動迎撃の結界術か。上手くできてるな……一般人への隠蔽も見事だ」
俺は素直に賞賛する。こんな見事な魔術を使える人間が師匠以外にもいたのか。そう感心していた俺は、二人の視線がこちらへ向いていることに気付いた。
「つまり……この不思議な妖気は結界だったんですね?」
「ああ。どうやら、この公園には低級霊が発生しやすい歪みがあるようだな。それに気付いた誰かが、自動的に迎撃する結界を張ったんだろう」
つまり味方の仕業だ。そう結論付けると、二人はほっと息を吐いた。
「よかったです」
「ええ、本当に……」
そして、二人は安堵の表情で公園を離れようとする。自分たちを狙わないとはいえ、あんな魔力の雷を見せられては、あまり長居したくないのだろう。その気持ちは分かった。
そんな彼女たちの後ろを歩きながら、俺は公園を振り返った。そして、そこにある技巧的な結界をもう一度視界に収める。
「しかし……誰がこんな結界を張ったんだ?」
そんな疑問が口をついて出る。この近辺に住む術師とは顔見知りだが、西洋の流れを組む術師で、ここまでの技量を持つ者はいないはずだ。もし師匠なら工房に顔を出すはずだし、最近この地に流れてきた術師でもいるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は公園を後にした。
◆◆◆
その日の夕食は、いつもより賑やかだった。
「んー! やっぱり霞ちゃんの料理は美味しい!」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
美幸が舌鼓を打ち、霞が笑みを浮かべる。今日は美幸が遊びに来ており、そのまま夕食を食べていくことになったらしい。
そして、どうせならと言うことで、俺もお相伴にあずかることになったのだ。
「さて――」
楽しそうな二人を眺めながら、俺も茶碗を手に取って炊き込みご飯を頬張る。
「美味い……!」
いつもながら、俺は感嘆の声を上げた。炊き立てのお米はふっくらと仕上がっており、噛み締めると具と出汁の旨味が舌の上に広がる。
鶏肉や人参、油揚げなど、ほどよい大きさに切られた具材は、本来の味を保ちながらもご飯に調和していて、これこそ炊き込みご飯の完成形だと、そう思わざるを得なかった。
「……霞ちゃん。あれ、めちゃくちゃ感動してる顔だから。多分、頭の中で感動の言葉が飛び交ってると思うよ」
「そうみたいですね。ああいう時の日野さんは、味の感想を聞くととても熱心に伝えてくれます」
「さすが。霞ちゃんも京弥のことが分かってきたねー」
「それはもう、日野さんのことですから」
霞はにこやかな笑顔で答える。その切り返しに一瞬驚いた様子の美幸だったが、彼女は楽しそうに俺のほうを見る。
「なんだか、すっかり日野家の食卓って感じ」
彼女がそう告げると、向かいに座っている霞がコホッと咳き込んだ。むせたらしい。
「普段は差し入れをもらってるだけで、一緒に食べてるわけじゃないぞ」
そんな霞の代わりに答えれば、美幸はニヤニヤとこちらを見る。
「えー? 本当にぃー?」
「本当だ。そこまで霞に負担をかけられない」
わざとらしい声色で問いかける美幸に、冷静に言葉を返す。霞は気を遣う性格だから、いつも他の人間がいると落ち着かないだろう。家主かつ成人男性の俺が相手となれば、なおさらだ。
「でも、出来立てのほうが美味しいでしょ?」
「それはそうだが……霞の料理は、時間が経っても美味いからな」
嘘偽りない本音で答える。おそらく、俺に差し入れをくれる時は、冷めても味が落ちにくい料理にしてくれているのだろう。そんな俺をどう思ったのか、美幸はやれやれとばかりに額に手を当てた。
「なんかもう、新妻の手料理を自慢する夫に見えてきた……」
「なんでだよ」
少し照れながらも、そうツッコミを入れる。だが、彼女の言葉を流しきれなかった人物がいた。霞だ。
「あ、あの! 冷やしておいたデザートも出しちゃいますね! ちょっと盛り付けに時間がかかると思います!」
よほど動揺したのだろう。上ずった声でそう告げた霞は、慌てたように立ち上がった。俺は呆気に取られてその背中を見送る。
「……ねえ、何かあったでしょ」
そんな俺に、美幸が小声で話しかけてくる。
「明らかにお互いのことを意識してるじゃん。距離感もやたら近くなってるし」
「……ずっと近くにいれば、多少は距離も縮まるさ」
言葉に詰まりつつも返事をすると、美幸は意味ありげな笑みを浮かべた。
「ふーん? それでいいの? ……実は、この前ホライゾンカフェに行ってきたんだよねー」
「はぁ。それで?」
「霞ちゃん、凄く人気だったよ。『あ、こいつ霞ちゃん狙いだな』みたいなお客も結構いたし」
「霞狙いって……キャバクラじゃあるまいし、だからどうということもないだろう」
あのカフェはお洒落な雰囲気をウリにしているし、露骨な声掛けはできないはずだ。オーナーもその辺りには目を光らせているようだからな。
「知らないの? あそこの接客スタッフって、ちょっとしたステータスなんだよ」
「ステータスねぇ……」
つまり、お洒落な店で働いていて、容姿にも優れているという証明になっているわけか。
「そ。だから、あわよくばお近づきになりたいってお客も多いんだよね」
「霞はその手の男には興味がなさそうだけどな」
そんな感想を告げると、美幸はニマニマと笑う。
「何それ、彼氏の余裕?」
「付き合ってなくても、それくらいは分かるつもりだ」
「でもいいの? 中には本当にいい男だっているよ? たまたまホライゾンカフェに入って、霞ちゃんを見初めちゃうかも」
「お前は何が言いたいんだ」
多少の苛立ちを抑えて問いかければ、美幸もやりすぎたと思ったらしい。彼女は片手で謝る仕草をしてみせた。
「ごめん。ちょっとからかいすぎた。……でも、後で後悔しないように真剣に考えておきなよ? それが、今日の二人を見た私の結論」
「……そうか」
俺は神妙に頷いた。美幸が本気で忠告してくれたことが分かったからだ。だが、そもそも霞は――。
「あの、どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない」
突然声を掛けてきた霞に慌てながらも、なんとか平静を保つ。
「京弥が、今度ホライゾンカフェに行きたいんだって」
美幸がそう告げたのは、フォローのつもりなのだろうか。あのお洒落空間に足を踏み入れるのは、あまり気が乗らないのだが……。
だが、そんな俺の内心を知らない霞はにっこりと微笑んだ。
「なんだか照れますけど……お待ちしてますね」
「あ、ああ」
そう言われてしまっては、今さら取り消すわけにもいかない。霞の笑顔を前にして、俺は密かに覚悟を決めるのだった。




