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3 死の悪魔

 騒然とした空気の城内を、ロゼはメイドの作法も忘れて駆け抜ける。スカートに足を取られることもなく、一心不乱にその場所へ向かう。

 すぐに人だかりが見えてきた。開いたままの扉の前で、皆が一様に押し黙って部屋の中を見つめている。


 全員の脇をすり抜け、ロゼは部屋の中へ入る。


「……!」


 そして愕然と、膝から崩れ落ちた。

 割れたガラスも、床を汚す血だまりも目に入らない。ロゼが見つめるのは、そこに横たわるマリーの体だけだった。


 首から上のなくなった、物言わぬマリーの体だけ。


 どうして。

 誰がこんなことを。

 自分が近くにいれば。


 理解が追いつかないまま、ロゼの視界が大きくぼやけた。見えづらい。マリーの体がよく見えない。

 膝をついたまま、這いつくばるようにしてマリーに近づく。手やメイド服に血が付着することも厭わない。


 目にたまっていた涙が、一気に流れ落ちる。鮮明になったロゼの視界に、大切な人の亡骸が容赦なく飛び込んできた。

 距離は目と鼻の先。首の断面からは、未だ赤い液体が流れ続けている。手と手が意図せず触れ合う。

 固い。


「う……!」


 マリーの体に縋りつき、ロゼは泣いた。周囲をはばかる余裕もなく、喉が張り裂けんばかりに慟哭した。


「…………」


 泣き叫ぶロゼと、なにもできず部屋の入口を取り囲む騎士や使用人たち。


 一歩引いた所から、フードを被った女はその光景を眺めていた。







 まぶたが異様に重たい。目を開けようとするも、顔の筋肉がひくついて上手くいかない。


「う……?」


 なにがあったのかよく思い出せない。自分がいつ寝たのかも朧気だ。恐ろしい目に遭ったような気もするが、いまいち頭がまとまらない。


「起きたか」


 誰かが近くにいるらしかった。薄い壁でも隔てているように、くぐもった少し聞き取りづらい男の声。最近どこかで聞いたような気がして、ふわふわした記憶をたぐり寄せる。

 そういえば、昨日聞いたはずだ。あれは、部屋で指輪を眺めていたとき……。


「……!?」


 記憶が一気に呼び戻された。持ち上がらなかったまぶたが、一瞬にして軽くなる。

 そうして開けた視界に、真っ先にその男が映し出された。


「貴方……!」

「おはよう。とはいえもう昼過ぎだが」


 黒い仮面に黒い服。

 あの夜現れた男が、マリーの目の前でベッドに腰かけていた。


「どうして……いやそれよりここはどこですの!?」


 男の存在が衝撃的すぎて、自分が見知らぬ所にいると気づくのに遅れた。こんな狭くて質素な部屋は、マリーの暮らす城の中にはない。

 より部屋を見渡そうとしたところで、違和感に襲われた。


 体が、ぴくりとも動く気配がしない。

 そもそも自分は今どういう体勢なのか。立っているのか座っているのかも分からない。


「あれ……?」


 同時に、記憶と現状が食い違っていることに寒気を覚える。


 あのとき大鎌を首元に当てられて、その後……。

 ここから思い出せない。思い出せないということは、つまりそういうことではないのか……?


「ここは城下町の郊外にあるスラムの空き家だ」


 男は律儀に質問に答えてくれたが、マリーはなにも反応できない。恐ろしさが徐々に驚きを超えてゆき、あの夜同様に余裕がなくなってしまっていた。また涙が流れそうになる。


「しかし最初の質問が今のでいいのか? もっと他にあるだろう」

「……どういう意味ですの?」

「そのままの意味だ。そうだな、例えば」


 男は懐をまさぐり、手鏡を取る。

 それをマリーの方へと向けた。


「どうして首だけになっても生きてるのか、とか」


 そこに映っていたのは、怯えた表情をしたマリー。

 胴体がなく、小さな机の上に乗っけられたマリーだった。


「っ!?」


 鏡の中の顔が更に引きつり、両目に涙が滲む。

 体が動かない……自分の姿勢が分からない……当然のことだった。その体がないのだから。ないものが分かるはずもない。


 しかしそんなことに合点がいっても、なんの余裕も取り戻せなかった。むしろ混乱は加速して、マリーの頭は真っ白になる。


「説明の前に自己紹介だな。俺の名はスペード。死を司る……」

「待ってくださいまし!」


 つい取り乱し、叫ぶようにマリーは言った。手がないせいで涙も拭えず、鼻をすすって泣きながら男を睨む。


「なにがなんだか分かりませんわ! いきなり襲われて殺されたかと思えば、首だけになって生きていて、その犯人が目の前にいて……貴方なんなんですの!? なにが目的でわたくしにこんなことを……!?」

「それを説明してやろうとしたんだが」

「……今は無理ですわ。もう少し時間をくださる?」


 自分でも支離滅裂なことを喚いていると思う。しかし今のマリーに道筋立てて考えることはできなかった。最後の言葉を言いきって、再び鼻をすする作業に戻る。

 大声でまくし立てたせいで、少し息が上がった。肺も心臓もないのにどうなっているのかと一瞬考えたが、やはり深く思考する余裕はない。


 そんなマリーを見かねたのか、ため息を挟んで男が言った。


「……仕方ないな。せっかく残った頭なんだから上手く使え」

「なっ……!」


 予想外の口撃に、マリーの顔が赤くなる。

 なぜこんなことになっているのかは全く分からないが、この男のせいであることには間違いないのだ。なのに追い打ちでそんなことまで言われなければならないのか。


 だんだんと怒りが強くなる。拳があればきっと握りしめていただろう。瞳は涙で濡れたままだが、マリーは眉をつり上げた。


「どうしてわたくしが侮辱されなければなりませんの!?」

「そう頭に血を上らせるな。おっと、頭しかないから上りようがないか」

「っ! さっきから上手いこと言ってるつもりですの!? ちっとも笑えませんわ!」

「死ぬほど和んだだろ?」

「そう見えるのならとんだ節穴ですわね! その趣味の悪い仮面と同じように!」

「……顔を悪く言うのは駄目だろ」

「わたくしだって暗に馬鹿だと罵られましたわ! そもそも顔がどうとは言ってませんの!」


 いつの間にか混乱は収まり、マリーは興奮のままに叫びを男にぶつけていた。はたと冷静になり、ため息をつく。自分の首を持ち去った男を相手に、一体なにをしているのだろう。


「……もう大丈夫ですわ。話を聞かせていただけます?」

「…………」

「ちょっと、聞いてますの? ねえ……あの、え? なに本気で落ち込んだそぶりで項垂れてますの?」

「……俺は趣味悪くない」

「そ、そんなにその仮面気に入ってましたの?」


 膝に肘をつき、組んだ手と頭をくっつけたまま、男はぽつりと呟いた。

 自分の方を見もしないへこみぶりに、マリーはなんともいえない表情を浮かべる。昨夜感じた恐ろしさはどこへやらだ。


「わたくしのことも好き勝手言ったくせに、自分だけ被害者ぶるのは都合がよすぎるのではなくて? そもそも先ほどのやり取りを加味したとしても、被害者はわたくしの方ですわ」

「……こういうとき正論はよくないんだぞ。落ち込んでいる相手は嘘でも励ますべきだ」

「貴方は自分を棚に上げないと生きていけませんの?」


 ならさっき自分のことを励ましてくれればよかったのではないか。そう言ったところで同じようにはぐらかされる気がしたので、マリーは考えるに留めた。


「分かった。ここは痛み分けということで手を打とう。話を再開しようか」

「……お願いいたしますわ」


 本当は痛み分けどころではない気もするが、その言葉も呑み込んでおいた。もうふざけているのか本気で言ってるのか分からない。


「改めて自己紹介だ。俺の名はスペード。死を司る悪魔だ」

「悪魔……」


『悪魔は契約を破れないからな』……。

 昨夜、最後に聞いた言葉を脳内で再生する。


「聞き間違いではなかったようですわね。初めて見ましたわ」

「だろうな。悪魔が人間界に来るには、契約を通すしかない。それも今やほぼ不可能だ。国際的に規制もされてる」

「それは、倫理的な理由ですの?」

「決めたのは人間だろ。俺は知らないが……報復を恐れたんじゃないか?」


 あり得ると思った。かつて悪魔は、契約によって酷い扱いを受けたのだ。どうにか手を尽くして、下克上を成そうとしてもおかしくない。

 それを警戒し、そもそも人間界に呼びさえしなければ安全だと考えた、といったところだろうか。


「なら貴方は、どうやってここに来たんですの?」

「アンナ=ホーネットとの契約でだ」


 その名を聞いて、マリーは思わず目を見開いた。


「……本当ですの?」

「嘘じゃない。俺はお前の母親との契約でここにいる」


 どうしてここで、三年も前に死んだ母親の名前が出てくるのか。自分が答えを出せるはずなく、マリーはまたしても混乱に陥りそうになる。


「アンナは死の直前に俺と契約を交わした。それを今果たしたわけだ」

「どうして……。つまりお母様は、わたくしがこんな状況に置かれることを望んだということですの……? そんな……」

「そう言うな。確かに百点を出せたわけじゃないが、最悪とまではなっていないぞ」

「どこを見ればそんなことが言えますの!? 体を失ってこんな所に連れ去られて、更にそれを望んだのがお母様だなんて……」


 恐怖というより、ショックだった。喧嘩することは何度かあっても、仲はいいと信じていたのに。逆に母は悪魔と契約してまで、自分をこんな目に遭わせることを望んでいた。

 そう思うと、今日一番の絶望だった。見開いたマリーの瞳が、再び潤いを増し始める。


「まあ聞け。その契約がなかったら、お前は今頃死んでいたぞ」

「は……? そういえば、そもそも何故わたくしは首だけで生きて……」

「俺は死を司る悪魔だぞ。殺さずに首を刎ねるくらい簡単だ」


 最も不可解な謎の答えを、事もなげにスペードは言った。

 殺さずに首を刎ねるのが簡単……? スペードの魔法なのだろうが、マリーの知る限りそんな芸当のできる魔法は存在しない。簡潔な回答に反してまるで理屈が分からず、マリーはぽかんと口を開ける。


「悪魔と人間とでは魔法の仕組みも違うらしいからな。別に理解しなくてもいい。それに、話の主題はそこじゃない」

「そ、そうですわね。貴方がいなければ、わたくしは死んでいたと……。それで、お母様との契約とは?」


 表情の窺えない顔を頷かせ、スペードが立ち上がる。

 今更気づいたが、かなりの長身だ。間近で見れば、怪しすぎる風貌と合わさって息を呑む迫力がある。


「アンナが俺に課した契約は、『娘に危機が迫ったとき、助けてあげてほしい』。以上だ」

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