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失われた悪役令嬢と攻略対象 ~シナリオの強制力は力負けしました~

作者: 砂鼠

「失礼致します。お嬢様、お客様です」


慣れた様子で執務室に入室した年若い執事が来客を告げた。

お嬢様と呼ばれた同じ年の頃の人物は、執事を一瞥すると興味なさげに手元の書類に視線を落とした。

書類に視線を落としたものの一向に動く気配のない執事に溜息を吐き出し、再び視線を上げた。


「…ウィル。何度も言うけど、お嬢様は止めて頂戴。陞爵されたばかりとは言え、私は伯爵家の当主ですよ。更に言えば、この執務室にいる間は商会長と呼びなさいと何度も言っているでしょう?」


執事に視線を向けつつ手早く書類を束ね、結い上げていた髪留めを解き軽く頭を振った。

髪留めから解放された燃える様な赤い髪は、キラキラと光を反射させ空を舞った後にサラリと音を立てて身体に沿う様に流れ落ちた。


「申し訳ございません。わたくしにとってお嬢様はお嬢様でございます。なかなか直るものではございませんし…当面、直すつもりもございません」


「…はぁ。まぁ、いいわ。ウィルとは長い付き合いだものね…。…で?今日はもう面会の予定はなかったと思ったけど?どなたなの?」


「はい。お嬢様の仰る通りでございます。本日行われた貴族学院からの社会見学の参加者の御令嬢だそうで…男爵家のお方との事です」


「男爵家ねぇ…。リンドアナ侯爵家の長子で、女で在りながら成人前に陞爵して独立したわたくしに会える訳がない事位解りそうなものだけど…。何かあるのね?」


「はい。アンジェリカお嬢様」


アンジェリカはその言葉を聞くと、席を立ちあがった。


「面会の男爵令嬢に会います。ウィル、移動の間に説明を」


執事は執務室のドアを開け、先に出たアンジェリカの後ろに付き説明をはじめた。


「説明いたします。男爵令嬢は、ルイゼン家の者で名はマリアンナ。侍女の子で庶子でしたが、昨年正式な手続きにて貴族籍となった者です」


「今年の貴族名鑑に新しく乗っていたわね。確か、私と同じ年齢だったと記憶しているわ」


「はい、その通りでございます。本日行われた貴族学院の社会見学にて当社を見学し、一度学院に戻った様なのですが、先程戻られ当社の製品の発案者に会いたいと再訪問されたそうです」


「ふーん…発案者ねぇ…商会長でも開発者でもなく、発案者ね。それで?」


「それだけであれば本来は追い返したでしょうが、本日の受付に立っていたのがジェフリーで…ジェフリーが言うにはマリアンナ嬢は『アイロンの発案者に会いたい』と申したそうです」


「っ!?…本当なの?」


「はい。開発段階の名称である『アイロン』とマリアンナ嬢が口にした為、念の為とジェフリーが私に報告をあげました」


開発段階の名称であった『アイロン』では、子爵であるアロイン家と結び付けられてしまう可能性があった為に、製品化にあたって美の女神ジュヴィアリアの名から『アリアの髪鏝』と名付けられた髪をまっすぐに整える美容器具。それは、今や王家御用達となった最先端の美容品を一手に引き受ける『ジルマイア商会』の今年の目玉商品であり、アンジェリカが美容器具や美容品の開発に目覚める切っ掛けとなった品であった。

高熱を使ったその商品は扱いが大変難しく、美容器具であるにも関わらず髪を痛める可能性があった為に商会長であるアンジェリカが長年愛用していた物ではあったが販売が見送られ、昨年になって漸く安全面の基準に達し製品化に至った品だった。

『アイロン』の名は開発に携わっていた僅かな者しか知らず、ジェフリーは元々リンドアナ侯爵家の庭師の次男でアンジェリカの器具開発に振り回された人物であり、アンジェリカの独立に伴いアンジェリカ専属として植物の研究を任された人物であった。


今回彼が受付にいたのは偶然であり、マリアンナは運良く商会長への面会に漕ぎつけた。


これは、何の導きであろうか…

アンジェリカは、まだ見ぬ急な来訪者に意識を向けた。


応接室に到着したアンジェリカはベルを鳴らし、すぐさま現れた侍女にマリアンナを通す様に指示を出す。そして、商談用の豪華なソファーに軽く腰を下ろし来訪者を受け入れる体制を取った。


間もなく、重厚なドアから乾いたノックの音が響く。


「…どうぞ」


そう声を返すと、静かにドアが開いた。

来訪者であるマリアンナは軽く目を伏せつつ静かに入室しスカートを摘まむと軽く腰を落とした。


「…本日は、急な訪問に応じて頂きありがとうございます。マリアンナ・ルイゼンと申します」


先触れの無い急な訪問にも関わらず、目の前の来訪者は落ち着きしっかりとした淑女の礼をとった。

その様子に少しの安堵を感じつつ、アンジェリカはマリアンナの観察を続けた。


「ジルマイア商会の商会長を務めているアンジェリカ・ジルマイアよ。どうぞ、お掛けになって」


訪問に応じた相手が商会長本人である事を知ったマリアンナは、僅かに肩を跳ねさせたが一呼吸おいてゆっくりと顔を上げ、対面のソファーを指すアンジェリカを見て息を飲んだのだ分かった。


今度は何を驚いたのだろうか…アンジェリカは更に笑みを深め席を進めた。

意を決した様子のマリアンナは、ソファーへと足を進めアンジェリカが座ったのを見て自分も腰を落とそうとしたがアンジェリカの後ろに立つウィルに気が付いて中腰のままの姿勢で止まってしまった。


「…それで、要件をお伺いしますわ」


アンジェリカが助け船を出す様に声を掛けると、ハッとしたマリアンナは慌ててソファーに腰を下ろし話をはじめた。


「はいっ!改めまして、マリアンナ・ルイゼンと申します。えっと…、聞きたい事があって伺ったのですが…その…ここへ来て更にお伺いしたい事が増えてしまい…何から話せばいいのか…」


相当に混乱しているのか、マリアンナは両手を握り込み視線をあちらこちらへと彷徨わせていた。

しかし、姿勢を崩す事はなく言葉もしっかりと選んでいる事が見て取れた。

昨年貴族籍に移ったばかりにしては良く出来ている。アンジェリカは素直に関心した。

服の質はお世辞にも良いとは言えないが、侍女を連れていけない全寮制の貴族学院を考えれば、彼女の色彩感覚やコーディネート力は優れていると言える。

マリアンナのふわふわとした淡いピンクの髪に今年の流行色を取り入れるのは難しいにも関わらず、レースの刺し色と濃い色のビスチェを使う事でうまく纏めてある。そしてそのレースは、恐らく自分で縫い付けた物だろう。


目的が何であれ、話すに値すると判断したアンジェリカは控えていた侍女に目配せをした。

侍女は静かに退出しお茶の用意に向かう。その流れに気が付いたマリアンナは安堵し、僅かに落ち着きを取り戻した。


「…はじめの訪問の目的は、『アリアの髪鏝』と言う商品についてお伺いしたい事があったからです。技術的なお話ではなく、開発経緯に関してなのでご安心下さい。御社を害する意思はございません」


そこで一旦言葉を区切ったマリアンナはアンジェリカの目を見据え、チラリとアンジェリカの後ろに立つウィルに視線を移した。


「急な来訪にも関わらず対応して頂き、とても感謝しています。まさか、商会長に対応して頂けるとは思ってもおらず…加えて、商会長がこんなにもお美しい方とは…えっと…その…大変お伺いし難いのですが、商会長は…えっと…すごい…ドリ…あっ、癖っ毛だったりとか…」


後半に行くにつれて歯切れの悪くなるものの、『アイロン』の使用によって五歳の頃には美しいストレートヘアを手に入れていたアンジェリカの髪について言及するマリアンナに対しアンジェリカは驚きを隠せなかった。

アンジェリカは生まれながらにくるくるとした髪の癖を持ち。成長につれて長くなった髪は不思議な事にいくつかの束に分かれ大きく渦を巻く様になった。その髪の癖は恐ろしい程に強く、どれだけ手入れをしても治る事は無かった。それを知っているのは極僅か。侯爵家に関係する一部のみだ。

『アイロン』こと『アリアの髪鏝』は、そんなアンジェリカの癖の強い髪を直すべくアンジェリカ自身が自身の秘密を以て開発されたというのが発端であり、開発の経緯である。


「あと…その…えーっと…」


必死に言葉を探すマリアンナを余所に、侍女がティーセットを持ち戻って来た。

小耳良い茶器の音に気を散らされてしまったのか、マリアンナは更に言葉を濁した。


一年の淑女教育と貴族学院生活ではそろそろ限界か…


「…ウィル。下がって頂戴。彼女と内密の話があるわ」


その言葉にうつむき気味になっていたマリアンナがハッと顔を上げた。


「よろしいので?」


「えぇ。彼女の事はだいたい分かったわ。ここからは女同士の時間よ」


「畏まりました。何かありましたらお声掛け下さい」


ウィルは侍女と共に応接室から退出していった。

アンジェリカは、微かな足音を見送って少し声を潜めてマリアンナに声を掛けた。


「マリアンナさん、『日本』という言葉に聞き覚えはあって?」


その言葉にマリアンナはパッっと顔を輝かせた。

その笑顔はとても純粋で、見る者を惹きつける可憐さがあった。もともと可愛らしい顔をしていると思っていたが向けられた笑顔にアンジェリカが「これが物語ならば彼女は正しくヒロインね」と考える程に。


「よかった!よかった!私だけじゃなかった!」


マリアンナは、ポロポロと真珠の様な涙を流しながら笑った。


「…誰もいないから言葉を崩していいわよ。お名前は…マリアンナさんのままで大丈夫?」


「はい!もう、マリアンナで慣れましたので大丈夫です。本当に…本当に良かった…。私だけじゃなくて…。学校で、急に胸が苦しくなって倒れちゃって…たぶん、そのまま死んじゃって…気が付いたら外人ばっかりの知らない世界で、自分も全然違う人になってて…何故か言葉が解って…孤児院にいたのに色々あってなんか貴族になっちゃって、入学した貴族学院の門を見て、あ、これは『春風と永遠に君を』の世界だって思い出して…そしたら自分がヒロインだって気が付いちゃって…これから虐められるんだって覚悟決めたのに悪役令嬢が学院にいなくって、押しキャラだったウィルきゅんもいなくって!!ちょっと安心と残念な気持ちでいたら、別の知らない人が悪役令嬢で!仲良くなんてしてないし、勉強もちゃんとしてたのに平民上がりって虐められて、そしたら攻略対象が助けに来ちゃって!!!それで!それで!あっ、アンジェリカさんドリル!なんでドリル無いんですか!なんで学院にいなんですか!!」


「とにかく落ち着いて!お茶飲んで!美味しいから!しかし、ドリルって…まぁ、確かにドリルっぽかったかもしれないけど…とにかく、ゆっくり説明して?『春風と永遠に君を』って何?ヒロインとか悪役令嬢ってどういう事?」


アンジェリカは一つ一つマリアンナに確認しながら話を聞いた。

要約するとこうだ


ここは『春風と永遠に君を』という乙女ゲームと言われるジャンルのゲームの世界で、マリアンナはそのゲームの主人公で攻略対象と言われるイケメン達の中から好みの男性と疑似恋愛の過程を楽しむといった趣旨の元、不幸な生い立ちから幸せになっていくという。

その趣旨の中で、愛の障害として現れるのが燃える様な赤い髪できつい縦巻きロール(通称ドリル)の侯爵令嬢アンジェリカであり、あの手この手でマリアンナを苛め抜きマリアンナの恋愛成就の暁には厳しい断罪を受ける当て馬役だった。


攻略対象の一人として執事のウィルも入っており、本来であればアンジェリカの従者として学院に入学していたらしいが、主人であるアンジェリカとは不仲でそこにマリアンナと恋に落ちる切っ掛けがあったとか…。ウィルはマリアンナの押しキャラ、つまりお気に入りであったらしい。

しかしアンジェリカは、三歳の頃には『日本人』であった記憶を取り戻していた物の既存の品では何をやっても矯正できないドリルに悩み、髪質をどうにかするべく奮闘。その結果、美容関係の商品開発が進み商会を立ち上げる為に八歳にして貴族学院の学修過程をすっ飛ばし神童としてその美貌と共に世にその名を知らしめた。十歳で立ち上げた商会は美容関係を主軸に貴族界隈で瞬く間に広がり一流商会へと昇りつめ、王家御用達の称号と共に成人を待たずに陞爵し王国史上初の女伯爵となっていた。

その為、貴族学院にも入学しておらず、兼ねてより時期を見計らっての陞爵予定であった為、ゲームの中では第ニ王子の婚約者であったはずのアンジェリカはルートを外れ、シナリオの外側となっていた。それに伴って、侯爵家にてアンジェリカ付きの執事見習いであったウィルもまたシナリオの外へ。アンジェリカとの関係も良好で、商品開発にも携わっており離れる理由はなかった。


マリアンナはそんな事とは知らず、学院に入学したが悪役令嬢のアンジェリカも攻略対象で押しのウィルも居ない『春風と永遠に君を』を進む事となり、ゲームとは違う事を意識した為にしっかりと勉学に励んだが、結局は虐めに合い、関わっていなかった攻略対象に助けられ、日々肩身の狭い思いをしていたところ、シナリオになかった社会見学が行われそこで『アリアの髪鏝』を目にし、中世よろしくなこの世界で目にしたその用途と形状から発案者が日本人ではないかと思い至り、藁にも縋る思いでここへ来たらしい。

必死の思いでやってきて面会に漕ぎつけたら、現れたのはドリルを失った本家悪役令嬢アンジェリカと推しのウィルが現れ完全に混乱したのだと言う。


気が付けば窓からは橙色の強い西日が差し込み、時間の経過を思い出させた。

たった数時間ではあったが、同じ『元日本人』という境遇は二人を打ち解けさせるには十分すぎる時間だった。


「大変っ!寮の門限の時間!!」


「ずいぶん時間が経ってしまったわね。ちょっと待って頂戴ね、今馬車を用意させるわ」


「え!?アンジェリカちゃん、悪いよ!走ればまだ間に合うから!」


「マリアンナ、淑女は走っては駄目なのよ。それに学院長と寮母宛に手紙を書くから待って頂戴」


「うぅ~…ごめんねぇ。面倒掛けちゃって…」


「同郷じゃない、気にしないで。話しに夢中になった私のせいでもあるのだから、貴女が責められる弱みを作らせる訳にはいかないわ。むしろ、強味にしましょう?」


そういうとアンジェリカはベルを鳴らしウィルを呼び出した。


「はぁ~…ウィルきゅん…」


すっかり打ち解けたマリアンナは、入室してきたウィルを見て心の声が駄々洩れとなっていた。

ウィルはその言葉に僅かに眉を持ち上げたものの、なるべく視界に入れない様にアンジェリカの傍まで歩み寄った。


「商会長、お呼びでしょうか」


「お客様の前では商会長になるのよね。まぁ、いいけどね。今後、マリアンナの前では普通にしていいわ。それと、商会の印の入った封筒と便箋を二通分用意して。それから、急ぎ馬車の準備も。マリアンナを学院の門まで送って頂戴」


「畏まりました。…この短時間で一体何が?」


「はいはい、後で説明するから…急いで準備して。それから、お客様に笑顔を忘れないでね」


マリアンナを視界に入れないようにしていたものの、主人にそう言われてしまえば逆らえず、若干引き攣った笑みをマリアンナに向けてから部屋を退出した。

ドアが閉まったその瞬間、声にならない声と共にドタンバタンと悶絶する音が聞こえるのを無視してウィルは足早に廊下の先へを姿を消した。




その後、マリアンナは王家御用達であるジルマイア商会の後ろ盾を受け、表立って虐められる事はなくなり、彼女を取り巻いていた攻略対象達も各々母親からの強烈な釘が刺される事によってマリアンナへの過度な接触はなくなった。それにより平穏な学院生活を過ごしたマリアンナは、優秀な成績で学院を卒業、そのままジルマイア商会へと就職し服飾部門のドレスデザイナーとなり、この度攻略対象であった王太子の婚姻の衣装のデザインを任されるという大任を授かった。それを切っ掛けにジルマイア商会は更に発展し、美容のアンジェリカと服飾のマリアンナの手によって大陸随一の商会となったのは別のお話…




そしてウィルはと言うと…


マリアンナに散々追い掛け回され、はじめは嫌がっていたものの、まんざらでもない笑顔をマリアンナに向けている事を外堀を埋めている最中のアンジェリカだけが知っているが、それもまた別のお話…

読んで下さって、ありがとうございました。

本来の乙女ゲームのシナリオから意図せず飛び出したお話でした。


暇つぶしにでもなれば幸いです。

誤字脱字等、何かありましたらご連絡ください。


2020/8/31 20:00 誤字報告ありがとうございました。

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