<2>サド伯爵夫人の妹・アンヌの手記
伯爵と私たち姉妹が出会ったのは、とあるご婦人のサロンでした。
姉が伯爵と結婚したのは父の言いつけであったことは、パリの社交界の皆さんは大方ご存知でしょう。元々、伯爵が私との結婚を望んでいたことも。
伯爵は、私が知っている貴族とは全く違っていました。彼の該博な知識、哲学は、真鍮の玉の中にある黄金のようでした。純粋で神々しい光を放ち、超然としていたのです。やがて父から、伯爵が私との婚姻を望んでいると伝えられたときは、天にも昇る気持ちでしたわ。
その夜私は、両親が話しているのをこっそり聞いてしまいました。
「王家と縁戚である伯爵と縁を結ぶことができたら、この先何かと都合が良い。しかし、下の娘はまだ若い。見栄えもよく社交的で女性として魅力的だし、女性関係に悪い噂の絶えない伯爵に嫁がせなくとも、この先身分の高い男性がいくらでも現れよう。かといって、伯爵の申し入れを無下にするのも惜しい」
両親は悩んでいたようでした。
父は上昇志向の強い人でした。父の家は元々資産家でしたが、貴族の中での地位は高くなかったのです。財産を手にした大概の人間は次に地位と名誉を欲するように、父も母も、更なる地位を求めていました。
私はそんな両親にいつしか反発を覚えるようになりました。もっと大切なものがあるのではないかと思うようになりました。そんな時に出会ったのが伯爵だったのです。
私は財産や名誉に固執する両親に反発していたですが、姉のルネは「王族と親しくなって王宮に出入りできるようになったら、人生楽しいじゃない。アンヌだってそうでしょう」と言いました。
私はそれ以来、ルネとそういった話をするのをやめました。
巷間では、ルネは思慮深く夫に尽くす貞淑な妻と言われているそうですけれど、私はそう思いません。
私の知っているルネは、子供の頃から思慮が浅く軽卒な女性です。考え無しの行動をしては失敗をし、褒められれば調子に乗ってまた失敗をし、よく両親に叱られていました。地味な外見とおっとりとした振る舞いから思慮深く見えるのかもしれませんが、ルネはただ、両親に叱られるのを恐れておとなしくしていただけなのです。
しばらくして、ルネと伯爵が婚約したことを聞かされ、私は衝撃を受けました。
後に伯爵から聞いたのですが、父が「妹はまだ幼い、姉のルネとなら結婚を許可しよう」と言ったのだそうです。全てにおいて妹に見劣りし、婚期を逸しつつある姉を、持参金付きで処分しようとしたのです。伯爵がどういったお考えかわかりませんが、父の申し出を承諾したのだそうです。
私はルネを「父の言いなりになって好きでもない人と結婚するの。一生を左右することなのに」と非難しました。でも、ルネは「貴方はまだ子供だからわからないのよ」と笑いました。
その時私はルネを憎らしく思いました。
ルネは人の心に鈍感なところがありました。恋人を取られた妹の気持ちなど考えもしなかったのです。
伯爵と結婚してからのルネのことは、私よりもパリの皆さんのほうがご存知かもしれません。
最初に伯爵が逮捕されたのは、ルネと結婚して半年ほどのことだったと思います。ええ、売春宿の娼婦に訴えられた事件ですわ。
両親を訪ねてきたルネの様子は、今でも覚えています。血の気を全く失って、そう、子供の頃両親に叱られた時のように身体を小刻みに震わせ、今にも倒れそうに見えました。
ルネが最も苦手な物は何だと思います?両親の小言です。父から頭ごなしに怒鳴られ、母から口を挟む間もなく叱責の言葉を捲し立てられる。そんな風に両親に叱られると、自分の存在を全て否定されるようだ、と言っていました。
ですから、あの時も、伯爵が逮捕されるようなことをしでかしたのは妻であるルネのせいだ、と責められるのではないかと怯えていたのです。
ところが両親は、ルネのことなど気にかける余裕などなく、とにかくどうにかして伯爵を無罪にしようとそればかりでした。王家との繋がりを持つ大切な婿の一大事ですもの。母が人脈と持ち前の社交性を駆使し、なんとか伯爵を無罪放免にできました。二度目の事件の時も同じでした。
そのためルネは、伯爵が何か事件を起こしても母が無罪にしてくれる、と母頼みになってしまったのです。
そのの後ルネは、伯爵との子供が産まれたこともあり、伯爵の相変らずの乱行も気にしていないようで、上流貴族の暮らしを謳歌していました。何かあっても両親が解決してくれるし、自分の暮らしを揺るがす物は何も無いと、暢気に暮らしていました。
ですから、伯爵が死刑判決を受けた例の事件、あの時も姉は、悠長に構えていました。それまでと同様、母が何とかしてくれると思っていたのでしょう。
ですが、母は力を貸しませんでした。
その前年、私たちの父が逝去しました。それは私たち一家を根底から変えてしまう出来事です。
だって、それまで私たち一家、特に母は、父が出世することだけを目標に生きてきたのですもの。そのために娘である私たちは犠牲になったのですけれども。
父を失い、人生の目標を失った母は、以前の母ではありませんでした。もう無理をして伯爵との縁を保つ必要がなくなったのです。
私にとっても父の死は大きなものでした。
父の生前、私は伯爵と二人きりで会うことを許されませんでした。それが父がいなくなり、母が精神的に参ってしまって気弱になると、母の言葉を借りると「その隙を伯爵につけ込まれ妹を奪われた」のです。私も、反発しながらも逆らうことができなかった父の存在が無くなり、自分の気持ちに歯止めが利かなくなったのは確かです。
ええ、私たち家族は、父の死で変わってしまったのですわ。ただ一人、ルネを除いては。
ルネはそういったことには鈍感でした。父のことはもちろん悲しんではいましたが、それまでの生活を変える様子はありませんでした。社交界のサロンに出かけ、流行のドレスを吟味し、ゆったりと上流貴族らしい暮らしを楽しんでいました。以前とは事情が違っていたことに、ルネは全く気付いていなかったのです。
私が伯爵と密会し恋仲になっていても、それまでの女性との浮気を見過ごしたように、ルネは素知らぬ顔をしていました。他の女性と同じように思われるのは癪でしたけれど。伯爵と私は、心から愛し合っていました。真の愛を知らないルネには、それがわからなかったのでしょう。
それならなぜ、私という存在がありながら、伯爵があのような破廉恥な事件を起こしたのか、と言われましょう。
それは私にもわかりません。伯爵の心は単純ではないのです。伯爵の心の奥底には、子供の頃から実母に愛されなかった傷が、大きな奈落の穴を作っていたのです。いつか私がその穴を埋めることができたら、と望んでおりましたが、そう容易いことではなかったのです。
私にも計り知れない伯爵の心。あの事件は、おそらく伯爵のある種の実験なのだろうと思いました。人間の精神と肉体に関する、彼独特の哲学に基づく実験なのです。やりすぎだとは思いますけれど、死刑になるほどのことをしでかしたとは今でも私は思っていませんわ。
伯爵が告訴され逮捕状が出されると、伯爵は海外へ逃亡しようと私を誘いました。伯爵が、ルネではなく私を誘って下さったことに、私は幸福を感じました。
イタリアへの逃避行は、私の人生で最も楽しい旅でした。
知る人のいない異国の地で、誰にも気兼ねすることなく腕を組み、川辺の緑陰で愛を語り、青い月光の下で愛し合い、ふたり一緒に純化する。私はいつか終わるこの夢のような時間が永遠に続けばいいと願っていました。
でも、その楽しい時も三ヶ月ほどで終わりました。
私たちがイタリアにいる間に伯爵の裁判が開かれ、被告人不在のまま判決が下されました。死刑判決です。神の教えに背く行為。それが死刑の理由です。
宿に届いた手紙でそれを知った私は、不安になって、パリに戻りたいと伯爵に言いました。伯爵は何も気にすることはないと言いました。その頃、伯爵の悪い癖、他の女性と関係を持つようなことがあったので、私の気分は少々陰鬱になっていました。それで伯爵と言い争いをして、痴話げんかのようなものですが、私はフランスに帰ることにしたのです。
私は独り、伯爵のお城、私たちの愛の巣とも言えるラ・コスト城に戻ったのですが、そこには母の追っ手が待ち構えていました。私は母のいるパリの屋敷に連れ戻され、その後二度と伯爵と会うことは叶いませんでした。
母は私の顔を見るなり、気が違ったかのように早口で捲し立てました。
「お父様と大事に育ててきた貴方までもが伯爵の如何わしい魔手にかかってしまうなんて、こんな悲しいことがあるかしら。貴方だけはちゃんとした男性と結婚してもらいたかったのに、もうそれも駄目。姉だけでなく妹も恥知らずな男にひっかかって、私はもう二度とパリの街を歩けないわ。修道院にでもどこでも行って私の目の届かない所へ行って頂戴」
それきり母は部屋へ閉じこもってしまいましたので、詳しい状況を聞き出すこともできず、仕方なく私は小間使いに聞きました。
伯爵に逮捕状が出た直後、ルネが訪ねてきたそうです。もちろん母になんとかしてもらうためです。でも先ほど言ったように母は以前の母ではなかった。
「あの恥知らずな男のために、これまで私がどれだけ艱難辛苦してきたと思っているの。お父様が築き上げた財産をつぎ込み、あの男を守ろうと腐心してきたけれど、もう限界。あの男は全て台無しにした。今まで私たち家族が失ったものを全部返して欲しいくらいだわ」
そう言って、ルネの懇願をはねつけました。
「伯爵は私たち家族をめちゃめちゃにした。死刑になってしまえばいい」と言い放ち、ルネに対して、伯爵との離婚を迫りました。
離婚は教会が認めてくれなければできませんが、事件を起こした時に教会から破門されている伯爵との離婚なら認めてもらえるでしょう。ただルネは離婚すればもう二度と結婚はできませんし、修道院で一生を終えることになりましょう。
ルネは断固として離婚を拒否しました。母の言うことをあんなに強く拒否したルネを見たのは初めてだと小間使いは言っていました。
それで母とルネは険悪な状態になり、母は、伯爵と別れない限り二度とルネをこの屋敷に入れるなと言いつけたのだそうです。
母の協力を得られなかったルネは、伯爵の起訴を取り消させるこれといった手だてを打つことができなかったようです。伯爵がいないまま行われた裁判で、伯爵を子供の頃から知っている親類のマダムや友人が弁護を行ったそうですけれど、それらは、伯爵の罪を軽くすることさえできませんでした。そうして、神に対して最も重い罪を犯した伯爵は、もちろん私はそうは思っていませんけれど、死刑判決を受けたのです。
母は私の行方を探しながら、伯爵の逮捕に尽力していました。
伯爵はいずれ逮捕されるでしょう。そして死刑になり、家族は伯爵がもたらす苦難から解放される、この屋敷では皆がそう思っているようでした。
私はルネが今どうしているのか気になりました。
小間使いの話では、母はルネと直接連絡を取っていないものの、屋敷の使用人は母の手中にありましたし、知り合いのご婦人方が訪ねてきてはルネの話をするので、大方はわかっているとのことでした。
あるご婦人は、ルネから伯爵の刑の軽減を口きいてもらえないかと頼まれた、けれど断った、と言ってらしたそうです。力になりたいのはやまやまだけれど自分にはそれほどの力はない、との言葉でしたが、本心では伯爵に関わりたくないのだろうと屋敷中では言っていたそうです。
そうそう、私と伯爵の密事を母に告げたのは、ルネではありません。ルネは元々、母にとやかく言われることが苦手でしたから、私のことを母に知らせたらどんな面倒なことになるかわかっていたので、黙過していたのです。
でも、母は勘のいい人でしたので、私がパリから姿を消した後、あちこちへ探りを入れていたようです。そしてラ・コストの城の使用人を買収して、味方に引き入れたらしいのです。
私は、伯爵の元を離れイタリアを出る時、彼と口喧嘩をしました。
「貴女がこの先どんな男と結婚して何人の男を愛するのか、考えただけで憂鬱になる」
そう伯爵が言うので私ははっきり言いました。
「貴方がたとえ死刑となっても、私はこの先一生、貴方しか愛さない」
伯爵は薄ら笑いを浮かべました。
「女性の約束などあてになるものか。況してやあの母親の娘」
「いいえ、私が愛する男性は生涯貴方だけ」
そう言って彼と別れ、フランスに戻ってきたのです。
もう私は、母の管理下に置かれ彼と会うことはできないでしょう。ならば、私のすることは一つ、彼への愛を証明することです。
私は修道院へ入りました。
母は驚きました。
「お母様が修道院でも行っておしまい、とおっしゃったから」
「あれは、単なる言葉の綾で、本心ではないのよ、貴方には良い男性と結婚して幸せになってもらいたいの。考えてちょうだい」
母は知り合いの男性貴族の名を幾つかあげました。
「私の幸せは伯爵を愛すること」
母の呆然とした顔がありました。私は、長い間娘を出世の道具としてしか見ていなかった両親への宿怨を晴らせた、と感じました。
そうして私は家を出ました。
その後間もなく伯爵は逮捕され牢獄に収監されました。
ルネはといえば、ただ、泣いて暮らすばかりだったそうです。このままでは伯爵は死刑に処せられてしまう。もう、母を頼りにできず、どうしたらいいのか全く見当もつかなかったようです。
両親は、幼い頃からルネの行動全てを指図してきました。今日何色のドレスを着るか、何のお芝居を見るか、誰のサロンに行ったらいいか、果ては付き合う友人さえも、両親が決めてルネはそれに従っていました。ルネはそのことに何の疑問も持ちませんでした。
以前にルネは言っていました。
「だって両親の言うことはいつだって正しいし、言う通りにしていれば間違いはないもの。わざわざ両親に背いて失敗して叱られる必要があって?結婚も、父が伯爵と結婚しなさいと言ったので従ったまで。敢えて反抗する理由など何もなかったのですもの」
そんなルネが、両親の代わりに求めたのが伯爵家の家政婦マリーでした。
マリーは伯爵家と遠縁の女性で伯爵とも幼馴染でした。伯爵も彼女を信頼して家政婦を任せていましたので、ルネも彼女に対しては、そう、友人のように感じていたようです。
マリーは、伯爵を救う手だてを考え、ルネに具体的に指示を出して、必要な人や道具も集めました。そして彼女の指示通りにして、ルネは伯爵を脱獄させることに成功したのです。
私はルネが自らの考えでそのような大胆なことをするとは思えませんでしたので、マリーの存在を知りました。
脱獄した伯爵とルネは外国の知人の元へ身を寄せたそうです。時折フランスへ戻ってきてはいたそうですが、財産管理や子供たちのことは弁護士に任せきりだったようです。
私は、以前伯爵と私がイタリア旅行をしたことをルネが嫉妬していて、同じように外国へ逃避行してみたかったに違いないと思いました。私はそんなルネの行動が小癪に触りました。少女時代からルネは私の真似ばかりしていたのです。
後にルネから聞いたことですが、旅先での暮らしは退屈だったそうです。伯爵は初めの頃こそあちこちへ観光に連れて行ってくれたそうですが、しばらくするとお独りで出かけることが多くなり、ルネは独りで街を散歩したり宿でゲームをしたりして過ごしていたそうです。そんなことは私にはどうでもよいことですが。
ルネがパリを出て行ってから、私は二人の子供たちが気になりました。
生まれたばかりの女児をルネは遠縁の家に里子に出し、長男は修道院に寄宿させ、次男は乳母に任せてパリの屋敷に置いたままでした。
ご存知かもしれませんが、伯爵は、ご自身の母親に愛されず離れて暮らしていました。そのことが彼の性格形成に大きく影響しているという人もいます。私にはわかりませんが、ただ、伯爵は幼い頃から母の愛に飢え寂しい思いをしてきた、ということです。
それなのにルネは、息子たちを置き去りにして、伯爵が味わった寂しさを息子たちにも味わせているではありませんか。
私はルネに対して憤慨しました。それで私は、週に一度、子供たちに会いに行くことにしたのです。伯爵が叔母様に可愛がってもらったように、叔母としての愛を注ぐためです。これはルネへの当てつけでもあるのですけれど。
子供たちは、特に長男のルイは、すぐに私になつきました。やはり母親の愛に飢えていたのでしょう。私も彼らを愛おしく思いました。こんなに可愛らしい子供たちを放ったらかしにするなんて、ルネには母親の資格はないと思いました。
ふと、私にある考えが浮かびました。
彼ら子供たちが、母親であるルネのことを嫌いになればいい、と。
伯爵は、母親に愛されなくともどんな扱いを受けていても、母親に対する思慕の情を抱いていました。そして実の母親から遠ざけられていたことをずっと心の傷として抱いてきました。
ならばその逆はどうでしょう。実の息子から忌み嫌われる母親は、どんな気持ちで一生を過ごすのでしょう。自分の息子に憎まれる母親は、どんなに不幸でしょう。
そう考えたら私はとても楽しくなりました。
その日から私は、いつか来るその日のために、長男ルイの中に不信の種を植え続けました。私がルネの悪口を言うのではありません。彼が自らの意思で母親を憎むように、誘導していったのです。
これが私から伯爵を奪ったルネへの復讐、ええ、復讐なのかもしれません。
いつか彼が大人になった時、ルネと私、どちらか一方を選ばねばならない機会を与えましょう。その時、ルネが今まで自分がしてきたことの報復を受け、打ちのめされるように。
姉夫婦がパリに戻るまでの五年あまりの時間は、充分な準備期間でした。私は既にルイとは信頼関係を築き上げています。伯爵に似て繊細で優しいルイは、私の心を感じ取り、私の思う通りに育っていきました。まるで母親のように私を慕ってくれていました。ルネが入り込む隙間を探すのが困難であるほどに。
もちろん、姉への復讐が全てだった訳ではありません。子供たちを愛おしく思っていたのは本当です。生まれた時から見てきた甥っ子ですもの。可愛くないはずがありません。ルネへの気持ちとは別に、この子たちが幸せになってほしいと心から願っていました。その気持ちは神に誓って嘘ではありません。
伯爵がパリに戻り、再び逮捕され死刑囚として獄に繋がれると、ルネはまた他人を頼りました。前述のマリーです。
伯爵無しで行われた裁判を無効とし、死刑判決破棄を求める運動を始めたのです。ルネは周りの煽動者におだてられ、死刑廃止の演説をし、彼らの言うがままに動きました。
ルネは「死刑囚の妻」という言葉に酔いしれているように見えました。
元々褒められると調子に乗っておかしなことをしでかす人間です。それまで私の陰に隠れてサロンでも誰にも気にかけられなかったのに、急に皆の注目を集めるようになり、明らかにルネは舞い上がっていました。そのため、自分の言動がどのような影響を及ぼすのか、また家族の将来のことも考えられないでいたのです。
ルネが活動する時、幼い子供を一緒に連れて行き、人々の同情を誘うようなことをしていました。それは、子供の教育にとって好ましいものではありません。なんと非道いことをするのだろうと思い、ルネを非難しました。
ルネはキョトンとした顔で悪気なく言いました。
「何故悪いの?皆さん、子供たちに同情してくれているのよ。それで協力してくださるならいいじゃない」
私は心底からルネを憎らしく思いました。こんな人が、私の愛する伯爵の妻だなんて。
ルネは、何の努力もなしに伯爵の妻となり、伯爵夫人としての生活を謳歌し、私が欲しかった伯爵との子供も産んだ。私は修道院の中で、二度と相見えられない伯爵のことが心配で胸が苦しいほどなのに、ルネは悠々自適に暮らしている。
私は腹立たしくなり、子供たちが庭で遊んでいる隙に、ルネに刺々しく言いました。
「ルネはすっかりこの屋敷の主人のようね。伯爵が釈放されて戻ってきたらどうなるのかしら」
ルネは驚いた顔をしました。
「伯爵が戻ってくるですって」
「だってルネは今、伯爵の無罪釈放を求めていろいろしてるでしょう」
「ええ、そうだけど。だからといって伯爵が無罪になるとは限らないでしょ。私、もう伯爵は戻ってこない気がするの。マリーには内緒よ。マリーは本当に一生懸命やってくれているから。本当に、マリーがいなかったら、今頃途方に暮れていたわ」
マリーの名を聞いた私が眉を顰めたことに、ルネは気付かなかったようでした。
「ルネは、伯爵を助けようと思ってはいないの?」
「どんなに私が頑張っても伯爵はやがて死刑になる、それは仕方のないことよ。でも私が今していることは後々のためになるって」
「後々のために?誰が言ったの」
誰かがルネに入れ知恵をしたようでした。
「いえ、何でもないわ。私、そんなこと言ったかしら」
ルネに問い詰めるように訊きました。
「ねえ、ルネ。どうしてルネは離婚しなかったの。お母様にも勧められたのでしょう」
「ええ、そう。お母様がなぜ急に離婚を勧めたのかわからなかったわ。だって、せっかく伯爵夫人になれたのよ。結婚した時はあんなに喜んでくれていたのに。どうして離婚なんてしなくちゃならないの。訳がわからなかったわ」
「では、離婚を拒んだのは、伯爵夫人という地位を捨てたくなかったから」
「それはそうよ。離婚なんてしてしまったら……」
ルネは言葉を濁しました。
「まさか、お母様と同じく、伯爵が死刑になるのを待っているの?それで伯爵がいなくなった後は、伯爵家の財産を手に入れて好き勝手に生きたいと思っている。そうじゃなくて?」
「そんなこと……。でも、それはそんなに悪いことなのかしら。伯爵家の財産のことを他の人にどうこう言われる筋合いはないでしょう。それは当然の権利じゃない。だって私、伯爵の妻ですもの」
私はその時、ルネの本心を知ったのです。
ルネの望みは「死刑宣告を受けた伯爵の妻」を満喫した後は、悲劇の未亡人として皆の同情を集め、伯爵家の財産を我が物とし、子供たちと安穏と生きることなのです。貞淑で献身的な妻という評判と財産、ルネはそれが欲しいだけなのです。褒められ良い気分になって、こんなに尽くした妻なのだから伯爵家の財産を好きに使ってもかまわないと、皆に思わせるつもりなのでしょう。
ルネの本心を子供たちが知ったらどう思うか、子供たち、特に繊細な長男、両親は愛し合っていると信じているルイは傷つくに違いありません。財産目当てだった母親。もしかしたら、このような女の腹から生まれたことに絶望し、母を憎むかもしれません。
ルネの子供たちが自分の母親がどんなに非道い女なのか気付き、蔑み憎悪する、いつか来るその日を待ち望んで、私は子供たちの心に多くの種を植え付けました。その種が育ち実を結ぶのをこの目で見届けたい。それが、修道院の中に閉ざされ愛する伯爵と二度と会えない私の、ただひとつの夢なのです。
今までずっとルネから受けてきた不快、それを晴らすためにこれくらいのことはいいでしょう?
この先、伯爵の子供たちが母親と正反対の女性と結婚し、幸せな家庭を築きますように。伯爵と子供たちに神のご加護がありますように。