第50+話 みやこ
目を覚ましたとき、そこが保健室だとすぐにわかった。
ゆっくり起き上がる。目の前には、白い布の囲い。
ああ、保健室の先生に、起きたことを言わなきゃ。
ベッドから降り、囲いから出る。
「おはようー」
先生がいるはずの席に座ってたのは、生徒だった。
え?
「先生は今いないぞ」
上履きを見る。緑色の線。同じ中学一年生。
いや、この子のことは知ってる。
「白石さん……?」
「おっ、合ってるよ。よく知ってるね」
「クラス同じだから」
「でも席も遠いし、喋ったことないと思うけど?」
「クラスメイトの名前は一応、全員」
「覚えてるのか。すごいな」
まあ座りなよ、と白石さんは丸椅子を指差した。
クラスメイトの名前を覚えたのは本当だけれど、実はちょっとだけ違った。
白石さんは有名人だったのだ。
特定の授業だけ、教室からいなくなるから。
「私も宮古さんのことは知ってるよ。品行方正、成績優秀って有名だからね」
「いやいや、そんなことは」
「倒れたって聞いたけど、どう? 熱はないらしいけど」
「今は大丈夫です。ちょっと疲れてて」
「真面目そうだもんなー、宮古さんは」
窓の外、グラウンドを見ながら白石さんは言った。
「よく見習えって先生から言われるよ――ってなんで泣いてる!? え、ごめん!」
いつの間にか私は泣いていた。
白石さんが悪いわけではなくて、なんかこう、タイミングが悪かった。
わたわたと焦る白石さんの前で、私はしばらく泣いた。
十二時ちょっと前。四時間目の最中のことだった。
――――――
「なるほどねぇ、暗くて真面目な自分が嫌い、ねぇ」
そしてなぜか私は、色々と白石さんに話してしまった。
たぶんだけど、あまり知らない人だからってのもあったと思う。
保健室だからってのもあるかもしれないし、泣いた後だったからだったかもしれない。
ただ、とりあえず私は白石さんに話した。
保健室には二人きり。保健室の先生はまだ戻ってきてなかった。
「じゃあ逆に、どうなりたいとかある?」
「どうなりたいですか?」
「不良とか、悪くなりたいとか」
「不良はちょっと……」
「陽キャになりたいとか」
「そこまでは……。でも明るくなりたいです」
「目立ちたいとかあるの?」
「それはないです」
ふーん、と曖昧な返事。
「宮古さんは頭がいいんだね」
「え?」
「きっと頭が良すぎるから、いろんなことを考えちゃうんだよ」
そう言う白石さんは、なぜか楽しそうだった。
ぱちん、と控えめに手を叩いて、
「じゃあさ、ちょっとくだらないこと言ってみてよ」
「くだらないことを言ってみて?」
「綺麗なオウム返しだね。そう、くだらないこと。言える?」
「えっと……」
考えたけれどひとつも出てこなかった。
私は白石さんに頭を下げた。
「すみません。言えません」
「真面目過ぎるよ。それにめっちゃ暗い。クライマックスだよ」
……え、すごい。
「え、すごいって顔するのやめてもらっていい?」
「どうしてわかったんですか」
「そういう顔してたから」
「どうやればそんなの思いつくんですか?」
「えっと、なに。宮古さん、馬鹿にしてる?」
「してないです……っ!」
知ってるよ、と白石さんはまた笑った。
今度は少しだけ、私も笑えた。
「じゃあさ、くだらないことを言う練習をやらない?」
「え、いいんですか?」
「いいよ、面白そうだし。毎週、そうだね、お昼休みに保健室でやろう。保健室の先生には言っとくから」
誘ってもらえたことが、とても嬉しかった。笑顔で私は頷いた。
そのときチャイムが鳴った。四時間目が終わった。
「じゃあ私は用事あるから。また」
「はい! えーと白石……」
失礼ながら、下の名前は憶えてなかった。
どうしようか迷っていると、白石さんは手を横に振って苦笑した。
「いい、いい。名字で呼んで。私も宮古さんと一緒だから」
「一緒?」
「私も、下の名前が嫌いなんだ」
舌をぺろりと出して彼女は笑うと、保健室から出ていった。
――――――
これを機に、私の中学校生活はちょっぴり変わることとなる。
楽しくて、ばかっぽくて、知らないことだらけで、
それでいて、くだらない中学校生活に。
でもそれはまだ、もう少し後のお話。




