#4(終)
そして、舞台に光が戻った時。
舞台に立っていた役者達は、深くお辞儀をしている最中だった。
拍手の音が客席中から湧き上がった。もちろん僕も、惜しみなく両手を打ち鳴らした。
それを十分に聞いてから、役者達は一様に頭を上げた。
「本日は、N大学劇団ノヴァスキートの公演に足を運んでいただき、ありがとうございました」
先程まで、マツイとして舞台に立っていた女性が、通る声で挨拶を始めた。
「団長の高杉渚です。本日の公演は、素晴らしいゲストを迎えることで実現できました。この場をお借りして、ゲストの三人に、一言ずつお願いしたいと思います」
高杉は、はじめに弥生さんを示した。
「こんにちは。名探偵の如月弥生です」
客席から拍手が湧き上がった。もちろん僕も、惜しみない拍手を送る。
「ご縁があって舞台に上がらせていただきました。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです」
実にシンプルな挨拶である。
いや、実は意外と緊張しているのかもしれない。
「ありがとうございます。そして、次は神酒くん、あら?」
高杉は、イチガツ役を示そうとして失敗する。
「あー渾身の演技が続いています。おい、イチガツ、神酒、もう生き返っても良いぞー」
ウメハラ役の男性が、そう言って、舞台の奥、演劇の最期の位置で事切れている演技の神酒に声をかけ、その腕を引いて――。
「うわぁ、なんだこれ!」
その動作は途中から悲鳴に変わった。
「これ、血!?」
弥生さんの表情が瞬時に変わった。神酒の傍らに足早に歩み寄ると、屈み込んだ。
舞台と客席がざわつく。
「――ダメだわ。死んでる」
弥生さんのその声だけが、小声にもかかわらず会場に響いた。
客席で誰かがひっ、と息を飲んだ。
「全員、その場を動かないで!」
凛、と弥生さんの声が響いた。
しんと静まり返る会場で、ただ一人弥生さんだけが動く。
舞台を飛び降りると、客席の間の通路を抜けて、後方の入り口へと向かった。
会場全体が彼女の一挙手一投足を見守る中、彼女は外へと顔を出すと、二言三言会話を交わし、また舞台上へと戻った。
「どうか落ち着いて聞いてください。この舞台上で、皆さんの目の前で、神酒春之介さんが殺害されました」
「さ、殺害って」
舞台上で、タケナカ役の女性――山姥が声を上げる。
「背中にナイフが刺さっています。出血が原因だと思います」
ざわつきは舞台上と観客席、両方から発せられた。
「この会場には――」
弥生の声が、再度その混乱をさえぎった。
「公演中に出入りした人はいません。受付を担当する2名の学生が証人です。劇団員ではありませんが、信用できる証言です」
それから、弥生さんはゆっくりと客席を見回した。
「そして、客席にいる皆さんは犯人ではありません」
観客は、固唾を呑んで弥生さんを注視している。
「舞台上で神酒さんが演技を終わってから、亡くなっていることが分かるまでの間で、客席から舞台に上がった人物はいません。これは、舞台上で演技をしていた全員が証人になれるでしょう」
弥生さんは続ける。
「なにか機械のようなものを使ってナイフを投擲する、などのトリックを使った可能性もありますが、ナイフは背中に刺さっています。今の段階では除外して良いでしょう」
同時に、と弥生さんは続けた。
「舞台上で演技をしていた役者全員も、殺害のタイミングはありません」
え? と客席から声が漏れた。
「客席から皆さんも見ていたように、芝居の終盤、演技の最中の神酒さんは独白のシーンが多く、他のメンバーは近づいていないのです」
弥生さんは舞台を見回して、言葉を続けた。
「念のため舞台の構造を説明すると、皆さんから見えるこの舞台は壁で四角く切り取られています。壁と壁の隙間は、白布でカーテンのようになっていて、ここから出入りできます。
皆さんから見えない舞台裏の部分には、休めるように椅子が何脚か置いてあります。バーカウンターのシーンなどは、イチガツ、マツイ以外の役者は、ここで出番を待っていた訳です。後は、二階に上がるための螺旋階段があるだけ」
弥生さんは話題を切り替えた。
「後は、最期の暗転の間にナイフを刺せるかについて検討しましょう」
弥生さんの言葉に。
「いや、暗転の時間は短くて、いつ明るくなるかは照明担当次第なんだ。そんな中、誰かを刺して自分の場所に戻るなんてできないでしょう」
エトウ役の金田が半分裏返った声で主張した。
「そもそも暗すぎて、神酒さんの場所まで行けませんよ」
キノシタ役の亀井もそれに続いた。
「私も、舞台上で誰かがそんな動きをしたら気づいたと思う」
弥生さんが、その不可能性を補強した。
「そこで――問題はこう。神酒さんは、いつナイフで刺されたのか」
弥生さんの言葉に団員たちが頷いた。
「確かに、このままじゃ、世界中の誰も神酒くんを殺せないものね」
団長の高杉がそう付け加えた。
「ここで、一つの仮定を導入すると、たった一人だけ殺害が可能になる人物がいます」
「え?」
「仮定?」
「誰?」
団員達の疑問の声に、弥生さんは言った。
「名探偵の掟、その50。名探偵は、解決編の始まりを宣言すべし」
人差し指をすっとかかげ――。
「犯人はあなたね。小沢さん」
客席の上空を指差した。
観客の全員がその仕草を追いかけ、二階席を見上げた。
今回の公演では、二階の席には観客を入れていない。最前列に音響や照明をコントロールするための機材が置かれており、その機械の中央に、その女性は座っていた。
「ま、待ってください」
彼女の声は、舞台上の皆に比べると小さい。
「私は、暗転の操作をこの場でやらないといけないんですよ。ここから舞台裏を通って一階まで降りて、神酒さんを刺すなんて――」
「そうだわ、如月さん」
団長の高杉が、小沢を守るように言葉を発した。
「最後のシーン、照明を担当している小沢はあの場を離れることは無理よ。彼女だけが可能になるなんて――」
「一つの仮定とは、こうです――神酒さんは、最後のシーンより前に刺されたんです」
「えっ?」
弥生の語る内容に、団員達は息を飲んだ。
「具体的には、神酒さんが――イチガツが自分の動機を語るシーン。照明も音響も動かず、彼の懊悩を吐露するシーン。彼はいつも決まって、壁に背中を叩きつける演技をしていた。正確には、壁の間のカーテンの位置に」
「その時、刺されて――でも」
「小沢さんは、舞台を台無しにしても良いと考えていたかもしれない。そこで神酒さんの演技は途絶え、悲鳴と混乱の渦になっても良い、と。しかし、そうはならなかった」
弥生の言葉に、はっと浦賀が息を飲んだ。
「彼が、演技を続けたから」
弥生が頷きを返す。
「そう。プロの俳優である神酒さんは、そこで芝居が終わってしまうことをよしとしなかった。背中を刺された状態で、文字通り血を吐く思いで台詞をつなぎ、最後まで演じきったのよ」
弥生は言葉を続けた。
「そこで、小沢さんは、二階の定位置に戻る時間を得てしまった。これが、この事件の真相よ」
そして、小沢はことの真相を語りだした。
「神酒さんのことが好きだったんです。このお芝居でご一緒できて、話しも気軽にしてくれて、告白だってしたんです! なのに、今は芝居のことしか考えられないからって。だから私っ」
「そうだとしても――」
弥生さんが、重く響く声で声を発した。
「それが、誰かを殺して良い理由にはならないわ」
バチン、と。
舞台が再度暗転した。
そして、現実を取り戻す、二度目の鐘が鳴り響いた。
◆
再度、客席が光を取り戻した時。
もう一度、役者全員が頭を下げていた。
観客は、目を見開いて事の次第を凝視している。
「さて、『虚実の解』、今度こそ本当に終演です。お楽しみいただけましたでしょうか?」
先程と同様に頭を上げ、団長の高杉が口火を切った。
「では、一言お願いしますね。神酒くん」
「どうも、神酒春之介です」
背中からの出血で衣装を汚したままの神酒が、ひょこりと頭を下げて見せた。
客席からは、どよどよと驚きのざわめきが巻き起こった。
「まずは、この型破りなお芝居にご一緒させていただいたことに感謝します。まあ、種明かしは水上先生にお任せするとして。まずは、客席の皆さん、ファンの皆さん、神酒春之介は生きてます。嵐のリング館と、N大講堂と、二度も死なせていただいてありがとうございます。少しでも驚いていただけたなら光栄です。あと、音響の一年生に手なんか出してないですからね。告白もなし。全て台本どおりです。それでは、どうもありがとう」
おどけたような神酒の挨拶に、ようやく事情が分かった観客達は、拍手を送った。
「そして、最後は、脚本・演出をお願いした小説家の水上先生」
前に出たのは、ササガセを演じていた人物だった。
「先生は慣れませんね。あ、どうも。小説家の水上春樹です。今回、演劇の脚本を頼まれた時、普通と違うことがしたいなと考えまして。この二段オチの仕掛けと、あと如月弥生さんの了解が取れたらやっても良いと条件を付けたんですね。それを実現したのは、劇団の皆さんの熱意あってこそだと思います。あと、ササガセ役として舞台に乗れたことも良い経験になりました。以上です」
今度の拍手は、さらに大きいものだった。
「それでは以上で本公演を――え、なんですか如月さん」
そこで、弥生さんが、自分に喋らせろと手振りをした。
「ありがとう。最後に私から一つ」
凛と。
如月弥生は舞台の最前列に立った。
「リング館での殺人は、今現在、現実で起こっている、ある連続殺人犯の手口を模倣しました」
弥生さんは何を言い出すんだろう。
「スタンガンで被害者の意識を奪い、その後ナイフで喉を切り裂くという手口です」
弥生さんは続けた。
「現在もなお潜伏中のその犯人。――あなたが、この客席に来ているということは分かっています」
そう言って、弥生さんは、客席を指差した。
しん、と会場が静まった。
そして。
パチ、パチ、パチ、と。
やけにゆっくりとした拍手が響いた。
「いや、驚いた。まさか呼びかけられるとは思わなかった」
僕の座席の二席隣で、男が声を上げた。
「名探偵の掟、その13。罠もよし」
舞台上で、弥生さんが口にした。
「この演劇に参加するにあたり、私も条件を出しました。それが、潜伏中のあなたに対する挑発行為をすること。派手な宣伝と、謳い文句で、あなたをここに呼び出すようにすること」
「ほほぉ」
心底面白がっている様子で、男は頷いた。
「劇場型の犯罪を繰り返し、自己顕示欲の強いあなたなら、『潜伏中の連続殺人犯にも挑む!?』なんてチラシを見かけたら、いても立ってもいられなくなるでしょうからね」
「確かにそのとおり、無理してチケットを入手したよ」
男の目がギラリと光った気がした。
「この会場は、警察に包囲されているわ。おとなしく、投降しなさい」
「なるほど、全てお見通し、予測どおりって訳だ。それじゃあ――これも予測できたかな!?」
その男は、突如立ち上がった。
懐からナイフを取り出して、隣に座った女性を抱え込む。
女性の悲鳴が上がった。
僕の眼前にその刃物を振りかざした。
ああ。
これは。
僕が、未来予知した内容そのものじゃないか。
だから――。
がちゃん、がちゃん、と。
僕は目の前の腕と、パイプ椅子の背もたれを、手錠でつないだ。
「何だてめえ! 何しやがる!?」
男の怒号と同時に、がしゃんと手錠が音を鳴らした。
そう。
たとえナイフを握った手でも、目の前で動かずじっとしていることが、ずっと前から分かっているなら、落ち着いて手錠をかけることくらいできるに決まっている。
「おもちゃの手錠だけどね。簡単には外れないと思うよ」
「確保っ!」
弥生さんの声。講堂になだれこんでくる警察。
男は、抱えていた女性を突き飛ばし、右手のナイフを左手に持ち替え、振りかざした――ところを、警官の腕で抑え込まれた。
虚構を扱っていたこの場は、現実の混乱によって、しばし騒乱の時を過ごす。
僕は待っていた。
もうすぐ弥生さんが、舞台裏から戻ってくる。
虚構の世界から、僕のいる現実へと。
迎えなくては。拍手と笑顔で。
そして。
慣れないことをしているという自覚はあるけれど。
こんな時くらい、少し格好つけても良いはずだから。
――主演女優に、花束を。




