#3
「ササガセさんが殺害されたこの事件。やはり外部からの侵入者によるものとは思えません。犯人は、この中にいます」
しかし、それは事実とは反する。
現実ではありえない。
「待って。それは無理だ。食堂の外壁は、全部ガラス張りになっている。リング館の内円も同じくガラス張り。つまり、僕がいたバーカウンターからは、ササガセさんの部屋を含む、北側の部屋への出入りが全て見える。僕やマツイさんに気づかれずに、ササガセさんの部屋には入れない!」
「そ、そうね。隠れる場所もないし、匍匐前進で進んだとしても、ここからは丸見えよね」
マツイも同意した。
「二人は、席を外したりしなかった?」
「えっと、確か、一回くらいずつトイレに立ったかな。あとは、マツイさんは少しの間だけうたた寝していたけど」
「少しの間?」
「それこそ、トイレから戻ってくるより短い時間だよ。ちなみに、トイレはリング館の南側だから、ササガセさんの部屋とは反対方向だし。少なくとも、マツイさんは部屋には近づいていないよ」
「イチガツさんもそうよ」
マツイも同じく、相手の無罪を主張した。
「とすると、やはり外部から殺人犯が」
「名探偵の掟、その17。名探偵は、たどり着いた一つの真実に惑わされてはいけない。一度、ガラス張りの密室は置いておいて、状況を確認しましょう」
弥生さんは、助手の言葉を遮って、なおも主張を取り下げないようだ。
「キサラギさんは、どうして内部の犯行だと?」
腕組みした姿勢で、エトウが訪ねた。
「ササガセさんは、書机の椅子に深く腰掛けて亡くなっていたわ。外部から不審者が入ってきた時の反応として不自然だわ」
「それは……。驚いて立ち上がれなかったとか」
エトウの反論はもっともだった。
「エトウくんにも確認してもらったけど、部屋の中は、外から吹き込んだ雨で濡れている状態だった。でも、ササガセさんの顔や衣類には湿った跡はなかったわ」
それは、つまり――。
「扉が開いて、不審者が侵入し、ササガセさんが立ち上がる間もなくスタンガンを押し当てたとしたら。ササガセさん本人が濡れていないのはおかしい。この天候の中、外から突然入ってきた犯人が、雨に濡れていないとは考えにくい」
「確かに、それはおかしいな」
ウメハラの同意の声に、弥生さんは頷いた。
「同じ理由から、リング館の中の誰かが、玄関から外へ出て、外を経由してササガセさんの部屋に侵入したという可能性も除外できます」
弥生さんは続けた。
「犯人は扉をあけて、まるで外から入って来たかのように見せかけた、ってこと?」
タケナカが恐る恐るという様子で尋ねる。
「そう。つまり、犯人はこのリング館の内側にいる」
でも、とマツイが声を上げた。
「それでも、ガラス張りの密室がある限り、内部犯の犯行はありえないでしょう」
「そのガラス張りの密室を解き明かす前に、もう一つの謎について解き明かしておきましょう」
「もう一つの、謎?」
助手の言葉に、弥生さんは頷いて見せた。
「あなた達が、なんのためにこのリング館に集まったか、ということ」
その声に、エトウ、ウメハラ、マツイ、タケナカがぎょっとして顔を上げた。
「ウメハラさん、マツイさん、タケナカさん。そして、キノシタさん――一緒に現場検証したエトウくんを除いて――あなた達は、ササガセさんが本当に死んでいるということを信じていませんね」
いくつもの息を飲む声が聞こえた。
「不審な点はいくつもあったわ。私達がリング館を訪れた時、ササガセさんもキノシタさんは、『これで安心だ』『あとはお任せすれば大丈夫』という発言をしている。エトウくんの『プロの登場は興ざめ』『フェアに行きましょう』という発言もある。
みなさん色々な理由で、偶然ここに集まったように見えますが――道を間違えたパターンは、この別荘地に辿りいてからならともかく、別荘地へ向かう道と下山の道を間違えることは考えにくい。さらに、天候不調で避難のパターンは、天候が本格的に崩れ始めたのは私達が避難する直前。食堂で自己紹介も終えているというのはタイミングがおかしい。
お借りしたマツイさんのデジカメは、たしかにSDカードが空でした。高山植物愛好家が、登山の帰りに写真の1枚もないというのは不自然です。さらに、ウメハラさんが何度も利用しているという発言の後のササガセさんの発言も不自然でした。タケナカさんとエトウくんの言い合いも気になりました」
弥生さんは疑問点を次々と口にした。
「私の話に、まるでササガセさんだけでなく、全員がミステリマニアのように食いついてきましたね。」
そこで、弥生さんは皆の顔を見回した。
「私の推理はこうです。あなた達は、ミステリツアーの参加者ですね」
やがて、エトウが口を開いた。
「そうだよ。安全に嵐の山荘を体験できるツアーだったはずなのに。でも、ササガセさんは本当に死んでいたんだ」
「それは本当に……エトウくんの演技ではなく?」
ウメハラの言葉は、未だ懐疑の色を残している。
「そうだよ! 本当に冷たくなっていたんだよ!」
その叫びに、キノシタが息を飲んだ。
「それで、様々な違和感が解消されました」
弥生さんが、まとめるように言葉を口にした。
「こちらは本物の殺人事件を相手にしているはずなのに、関係者の反応が半信半疑の様子でした。まるで、私一人が虚構の事件を相手にしているかのように。でも、これではっきりしました。実際に皆さんにとっては虚構のはずの事件だった訳です」
弥生さんは、ピンと人差し指を立てた。
「はっきりさせておきたいことがあります。私は、ミステリツアーの参加者ではありません。事件に対するガイドでも、解決を任された運営側の人間でもありません」
その言葉に、キノシタが息を飲んだ。
弥生さんは、さらに衝撃の内容を続けた。
「そして、これによってササガセさんを殺害した犯人もわかりました」
弥生さんの表情はどこか暗く、重い。
「ただ一人、私と同じく実際の事件を相手にしているはずなのに、虚構の存在を前提に行動している人物がいたのです。つまり――」
「犯人はあなたね。イチガツ」
――そうか、犯人はイチガツだったのか。
僕は、大きな納得とともに、知らない間に握りしめていた汗をズボンで拭いた。
この虚構には、この舞台には、この『演劇』には名前がついている。
『虚実の解』。わがN大学の演劇サークル、劇団ノヴァスキートの定期公演だ。
N大学講堂で開催されるこの芝居に、弥生さんが本人役で出演することになった。彼女は稽古に励み、今日、晴れて公演当日を迎える。そこで、僕は客席で一観客として、それを観劇しているのだ。
如月弥生が僕の隣にいない理由。それは、彼女が役者で僕が観客だということだ。
キサラギ役の弥生さんはともかく、助手のイチガツを僕以外の誰かが演じているというところが、得も言われぬ恥ずかしさ、くすぐったさとなっているが、それ以外は非常に良くできた演劇である。
そして、この結末である。
犯人は僕――ではなく、助手のイチガツという訳だ。
助手が犯人という結末は、ミステリの世界では珍しくもないだろうが、演劇の舞台として名探偵キサラギとともに虚構の世界を見ていた観客には少なからぬ衝撃があったはずだ。
他でもない、僕がこれだけ驚いているのだから。
僕は、手元のチラシに視線を向けた。
『N大学劇団ノヴァスキート主催『虚実の解』
■名探偵 如月弥生 本人役出演!
■N大現役プロ俳優 神酒春之介 出演!
■N大現役小説家 水上春樹 脚本・演出!
■嵐の山荘で起きる殺人事件!
■さらに潜伏中の連続殺人犯にも挑む!?
□如月弥生:キサラギ。名探偵。
□神酒春之介:イチガツ。名探偵の助手。
□水上春樹:ササガセ。リング館の主人。
□亀井どれみ(団員、学部2年):キノシタ。リング館の使用人。
□金田航一(団員、学部2年):エトウ。高校生探偵。
□浦賀進(団員、修士1年):ウメハラ。ガス検針員。
□高杉渚(団長、学部3年):マツイ。高山植物愛好家。
□山姥流美(団員、学部3年):タケナカ。山ガール。
□小沢時子(団員、学部1年):音響・照明担当。』
シンプルな作りのチラシは、テキストで必要最低限の情報を伝えていた。
さあ、舞台の上に意識を戻そう。
「それは面白い結末だけど、キサラギ。僕には、ガラス張りの密室を突破する力はないよ?」
犯人として名指しされたにしては冷静に、イチガツが反論する。
「バーカウンターに座ったあなたとマツイさん。二人には、相手の隙を見てお酒に薬を入れ、眠らせることができる。時間を適当に偽って、睡眠時間を短く見せることができる」
弥生さんの声が、凛と舞台を震わせた。
「薬を盛ったってことだね。確かに……相手が寝ている間に、ササガセさんの部屋に行くことはできるね。顔見知りだから、席についたササガセさんに怪しまれずに近づいて、スタンガンを当てることができるかな」
イチガツは、苦い表情で仮説を肯定する。
「それどころか、ミステリーツアーの演出だと言って、席に付き続けてもらうことだってできるわ」
弥生さんは、そう補足する。
「でも、それならマツイさんにも同じことができるはずだよ。僕が犯人だという証拠があれば別だけど」
そう、証拠が必要だった。
「その証拠は、キノシタさんが知っているはず。警察への電話をかけた後、キノシタさんの顔色は良くなっていた。そして、エトウくんの発言を受けて、イチガツ、あなたに大丈夫なのかと確認している」
確かに、雇い主を殺害されたにしては、途中から彼女の雰囲気は軽くなっていた。
「キノシタさん。あなた、イチガツになんて言われたの?」
キノシタ自身は、その言葉がどんな意味を持つか、測りかねているのだろう。一言ずつ区切るように、返事をした。
「はい。ササガセが死んだのは、ミステリツアー上の演出で、本当は生きているから警察に連絡する必要はないと言われました」
その発言ができるのは、ミステリツアーの存在を知っている人間だけだ。
一方で、弥生さんと同じく本当に偶然ここに来た人物には、口にすることができない発言だった。
「動機は? どうして僕がササガセさんを殺さないといけないと思う?」
「間違っていたらごめんなさい。――私のため、でしょう?」
一瞬の間。
そして、応えたのはイチガツの笑い声だった。
「ふふふ。ははははっ。そのとおりだよ。そう、僕が殺した。キサラギの推理した通り。寸分の違いもない」
イチガツは続けた。
「キノシタさんと警察の件が証拠になってしまうことは分かっていた。それでも、邪魔されたくなかったんだよ。この天候で本当に来れない可能性もあったけど。せっかくの嵐の山荘に、捜査機関は不要だからね」
イチガツは、ついにことの顛末を話始めた。
「ミステリツアーと称して参加者を集め、有名なミステリマニアのササガセに会場の提供を手配した。僕たちは天候悪化でリング館を訪れたけれど、天候が良ければ僕が転んで怪我をする予定だった。天気予報は荒天だったから心配はしていなかったけどね。
リング館に合流した後は、夕食後の時間をバーカウンターで過ごした。マツイさんが付き合ってくれたから、睡眠薬を盛った。彼女が意識を失ってからササガセさんの部屋に行き、演出上の殺されたフリを頼んだよ。実際には殺したんだけどね。
あとはキサラギの推理通り。外からの犯行に見せかけるために扉を開け放った。花瓶が割れてから皆が出てくるタイミングが読めなかったから、僕が雨に濡れるわけに行かなかった。簡単に外部犯人説が取り下げられてしまった時は――そう、感動したよ」
そして、イチガツは語り始めた。
「僕は、キサラギが推理する姿が好きだ。事件を解決する瞬間がたまらなく好きだ。謎を解き明かすところを、永遠に見ていたいと思うほどに」
その動機は――。
「だけど、世界は退屈だ。キサラギが解き明かすべき謎が少なすぎる。つまらない事件ばかりで、必要なのは知性のきらめきではなく、靴をすり減らして犯人を追い詰める体力だ」
イチガツは、背後の壁に自分の体を叩きつけた!
ドン、と重い音が響く。
「つまらない世界! 退屈な現実! 謎などどこにもない!」
迫真の演技だった。
そう、さすがはN大現役プロ俳優だけのことはある。
「それでは、だめだ。キサラギは謎を解かなくてはいけないんだ。世界に謎がないのなら――僕が創り出すしかない」
狂った犯罪者の思考。
独りよがりな理想の実現のハズなのに。
それがいかに尊くて、あらゆる価値に優先されるように、見ているこちらの胸も熱くなった。
「さよならキサラギ。最期に、君が事件を解決する姿が見られて良かった。この上ない幸せだった」
そう言って、イチガツは何かを口に含んだ。
「イチガツ、駄目!」
弥生さんの声が響くのと、イチガツの全身から力が抜けて崩れ落ちるのが同時だった。
弥生さんは助手に駆け寄ることもせず、悲痛な表情で自分の体を抱いた。
表情を隠すように右手で口元を抑えると。
体を震わせて視線を外した。
暗転。
◆
現実を呼び戻す鐘の音が一つ、大きく響いた。