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#2

「こちらが、リング館の食堂です」

 キノシタの声に案内され入ったその場所には、すでに何人もの男女が席に着いていた。皆が一斉に、新たに現れた二名に注目する。

「あ! あなたは! まさか名探偵のキサラギ」

 ブレザー姿の青年が、声を上げた。

「顔だけでわかってしまうなんて光栄ですね。確かに、私が名探偵のキサラギです」

「助手のイチガツです」

 簡単に自己紹介する二人に、キノシタが空いている席へと案内する。

「なるほど。そういうことですか。僕は、現役高校生探偵のエトウです」

 席に付くのを待たずに、エトウが名乗りを上げた。

 自称とは言え高校生探偵などと名乗ってしまうとは、ただの自意識過剰でなければ、弥生さんのような本物かもしれない。

「正直、プロの登場には興ざめです。ぜひフェアにお願いしたいものです」

「? それはどういう――? いえ、エトウくん、あなたはどうしてリング館へ?」

 弥生さんの疑問は、脈絡のはっきりしない台詞よりも、高校生がこんな場所にいることに向けたものだった。

「む。登山の途中で、道を間違えました。どうでも良いでしょう、そんなことは」

 弥生さんの質問に、エトウはむくれて見せた。

「それじゃあ、せっかくなのでもう一度、順番に自己紹介しようか」

 そう言った穏やかな表情の男性は、どこかの企業の作業着に身を包んでいた。

「俺はウメハラ。この別荘地のガスの使用量を確認する、検針員の仕事をしている。天候不良で下山を諦めて、ササガセさんにお世話になってるところだ。実は、今回が初めてじゃなくて、何回かお世話になってしまっているんだ。ねえ、ササガセさん」

「んん? ああ、そうです。そういうことですな」

 なるほど、来訪者歓迎は、働く人の助けにもなっている訳だ。

 それから、待ちきれないと言った表情で、女性が声を上げた。

「私はマツイです。高山植物愛好家で、今日の突然の悪天候のため、お邪魔してしまっています。それにしても高山植物というのは素晴らしくて――」

「あーチョット待って。マツイさん、さっきからずっとその話してるでしょ。先に私に自己紹介させてくださいよ。私は山ガールのタケナカです。週末は一人で登山とかハイキングとかしてるんだけど、今日に限って下山の道を間違えちゃったんだよね」

 高山植物の愛好家だという女性、マツイの長話の開始をさえぎって、いかにも流行りの登山ルックに身を包んだ女性が自己紹介を終えた。

「それにしても、こういうシチュエーションはワクワクだよね。私は、解決には力不足だけど、この中にいるっていうだけで――」

「タケナカさん」

 エトウが、強めに声を上げた。

「それ以上雰囲気を壊さないでくださいよ」

「あ、そうだよね。ごめんなさい」

 今のやりとりの意味はわからないが――。

「さあ、皆さん、食事にしましょう」

 そう言って、キノシタがワゴンを運んできた。

「簡単なものしかありませんが」

「私達の分もですか?」

 さすがに弥生さんの声にも恐縮の色が浮かぶ。

「あっはっは。伊達に突然の来訪者大歓迎の看板を上げてませんぞ。保存食中心なのは目をつぶってもらうとして。キノシタの料理のひと手間でなかなかのものになっているはずですから」

 自慢気に語るササガセの言葉に嘘はなさそうで、おいしそうな匂いにタケナカなど鼻を鳴らしている。

「あ、配膳手伝います」

「ああ、私も」

 人数分の食事も、それぞれが手を動かせば準備は早い。

「それではいただきましょう」

 ササガセの言葉に、その場のメンバーは手を合わせた。

 しばらくは食器の立てる音と、料理への称賛の言葉が続いた。

「しかし、この食堂は素晴らしいですね」

 ウメハラがササガセへと称賛の言葉を発した。

「壁面がガラス張りで、リング館の廊下と部屋の出入り口が見渡せる。開放感があると同時に、不穏に見張られている気にもさせる」

 ウメハラは壁面を見回すように両手を動かして見せた。

「いやはやお恥ずかしい限りですが、リング館の自慢の一つです。食堂が半円状なので、北側しか見渡せないのが口惜しいところです。本当は、南側の入り口から全て視界に入れたかったのですが。建築基準法がなんとかと実現できなかったのです」

「それでも、素晴らしいこだわりですわ。この食堂にいるだけで、現実とは離れた場所に迷い込んだかのようですもの」

 マツイも追従して称賛を口にすると、ササガセは実に嬉しそうに笑った。

 やがて、ササガセが口を開いた。

「名探偵のキサラギさんは、当然、この山に潜伏中だという連続殺人犯の話はおきき及びでしょうな?」

 会食時の雑談のつもりだろうか、ササガセが弥生さんに訪ねた。

「ええ。A県警の捜索隊も山に入ったとききました。この天候では、捜索の続行は難しいと思いますが」

「そうですか。物騒なことですな。なんでもスタンガンで気絶させた後に、ナイフで首を斬る手口だとか。おっと、食事中の話題としては不適切でしたかな」

「構いませんよ。――他の皆さんも、特段、顔色を変えた様子もないですし」

 偉そうに返事をしたのはエトウだった。

 ふむ。自称高校生探偵なら平気でも当然なのだろうけど。

 しかし、たしかに皆、何も問題にしていないような平然とした表情で食事を続けている。

「どこに隠れているか知らないけど、殺人犯とやらもこの天候では困っているでしょうね」

 ウメハラが冗談めかした言葉を口にした。

「私達と同じで、雨宿りできる場所を探しているかもしれませんね」

 タケナカもそれに便乗した。

「あっはっは。ミステリの定番ですと、あれですな。ここに集まった皆さんの中に、実はその殺人犯が紛れているという」

 ササガセの言葉に、すっ、と誰かが息を飲んだ気がした。

「嵐のせいでここから出られなくなって」

 マツイがササガセの言葉をつないだ。

「外部とも連絡が取れなくなって」

 ウメハラが続いた。

「そして事件が起きる、ですね」

 タケナカが締めくくった。

 皆に笑いが起きた。

 どうも、一般的な笑いのセンスとはずれている気がするが、このメンバーには可笑しいやりとりだったらしい。

「キサラギさん、せっかくなので何か面白い事件の話など聞かせてもらえませんか?」

 ササガセの言葉に、弥生さんは困ったように首をかしげた。

「実は、お話できることは多くなくて……」

 名探偵に困ったことがあれば、助け舟を出すのは助手の役割だ。

「そう言えば、人工知能と人間のやりとりから、人工知能を見分けることができるかという挑戦を受けたことがあったよね」

 その言葉に、弥生さんが頷く。

「ああ、あの話なら――」

「それは実に興味深いですね。ぜひ聞かせて下さい」

 当然反応を示したエトウだけでなく、皆が興味津々と身を乗り出した。

「うんうん」

 こうして、リング館での夜が更けていく。



「つまりね。高山植物の魅力って言うのは、なんと言っても、そのささやかな――」

「マツイさん、もう三回目ですよ、その話」

 今、この場には二人分の声があるだけだった。

「本当? イチガツさんが聞き上手だから。気分良く喋っちゃうのよ」

「それにしても、食堂にはバーカウンターまであるし、お酒も好きなだけどうぞとは。ササガセさん、どんな仕事をしているんでしょうね?」

 二人が腰掛けた足の長い椅子は、リング館の食堂の一角にあるバーカウンターのものだった。

「んー仕事はともかく、さすが自称ミステリマニアの別荘よね。このガラス張りだけで雰囲気がすごいもの。さっきの話じゃないけど、いつでも事件が起こりそう」

 マツイが、ガラス張りの壁面を見渡すように、両手を動かして見せた。

「ええ。その話ももう三回目ですね。……皆さん部屋へ引っ込みましたけど、マツイさんはいつまで飲み続けるつもりですか?」

「まだ飲み足りないのよー。そういうイチガツさんは、部屋に戻らないの?」

「……キサラギと同じ部屋割なので、遠慮しているんです」

「あら? あらあら? 二人って特に恋人同士、ってわけじゃないの?」

 興味津々といった様子で、マツイが身を乗り出した。

「僕にとってキサラギは、憧れ……畏敬……崇拝かもしれない。とても簡単に触れられない対象なんですよ。彼女に魅了されている、という意味では恋や愛に似ているのかもしれないけど」

「ふーん。結構複雑な訳ね。難しく考えすぎな気もするけど」

 マツイのグラスで氷がカラカラと音を立てた。

「グラス空きましたね。同じので良ければ、おかわり作りますよ」

「え、この話題終わりなの? まあ、誤魔化されてやるか。お願いするわ」

 氷とグラスが触れる音が響いた。

「今、何時だっけー?」

「ちょうど9時半ですね。はい、どうぞ」

「わー、ありがとー」

 グラスを受け取り、マツイはそれに口を付けた。

「……気遣いもできるし、顔もイケてるし、ずっと一緒にやってきた訳でしょ? キサラギさんも、案外待ってるだけだったりしないの?」

「その話題は終わりました」

「あら。そう? つまんないわねー」

 そう言って、マツイは大きくあくびをしたのだった。



 唐突に、硬質の音が響いた。



 大きな花瓶か置物か、ガラスか陶器でできた何かが、砕け散る音に聞こえた。

「マツイさん。今の、聞こえました?」

「え? あれ? いけない、寝ちゃってたわ。そんなに飲んでないハズなんだけど」

「一瞬フラフラしてたくらいですよ。それより、花瓶か何か割れる音がしましたよね?」

 そこへ、キノシタが顔を出した。

「今、何か壊れる音がしたと思ったんですが」

「あ、僕も聞きました」

 すると、エトウ、ウメハラ、タケナカが次々と顔を出した。もちろん弥生さんも部屋から出てきた。

「皆さんのお部屋ではない、となると」

「私の部屋?」

 マツイが自分の顔を指差した。

「ちょっと見てくるわね」

 マツイは、お酒が残っているのか一瞬ふらつく様子を見せたが、すぐに食堂から姿を消した。

「ササガセが来ていませんね。様子を見に行きます」

 そう言って、キノシタが姿を消す。

「私の部屋じゃなかった。というかそもそも花瓶がなかった」

 入れ替わりに、マツイが戻ってきた。

 やがて。

 リング館に悲鳴が響いた。

 声の主はキノシタだった。



「キサラギさん。ササガセは」

 キノシタの声に、弥生さんは静かに首を横に振った。

「お亡くなりになっていました」

「そんな――」

 キノシタは息を飲んだ。

「机の椅子に深く腰掛けた姿勢で事切れていました。首に、刃物で切りつけた跡がありました」

 弥生さんが、そう状況を説明した。

「ササガセさんの部屋からは、私達の部屋とは違って、外に出られる外扉がありました。開きっぱなしになっていましたので、これは閉めました。割れた花瓶は、そのままに。警察の現場検証までは、この部屋は極力立ち入らないようにしましょう」

 弥生さんはそう言って、皆の顔を見回した。

「誰かデジタルカメラを持っていませんか。現場の写真を取りたいと思います。その後、証拠品として警察に渡してしまうと思うのですが」

「私のを使ってください。ちょうどSDカードは空ですから」

 マツイがそう言ってハンドバックからカメラを取り出す。

「ありがとうございます」

 弥生さんはそれを受け取ると、食堂を出ようとした。

「僕も行きます。後で、妙な疑いをかけられる手間を省きましょう」

 エトウの申し出に、弥生さんは重たい視線を向けた。

 彼の言葉は、弥生さんを監視するものであり、同時に弥生さんを証拠隠滅や不審な行動がなかったと守るためのものでもあった。

「本物の遺体、それも他殺体よ。大丈夫?」

「ええ。問題ありませんよ」

 軽い調子ともとれる彼の返事に、それ以上何も言わず、二人は食堂を後にした。

「キノシタさん?」

「イチガツさん。大丈夫です。もちろんショックですけど――」

「リング館の中は、携帯電話が圏外のようです。固定電話がありますか?」

「そうか、警察……。こちらです」

 この二人も連れ立って食堂を後にする。

「いよいよ――いや、大変なことになったな」

「ええ。そうですね」

 残された、ウメハラ、マツイ、タケナカが顔を見合わせた。

 やがて、再度、食堂に皆が集合する。

「警察は、この天候のせいですぐには来れないそうです。天候の回復を待つと、早くても明日の朝以降の見込みとのことです」

 そう報告するキノシタの顔色は、気分が切り替わったのか先程より少し良くなっているようだ。

「きちんと検死をしないとわからないけれど」

 弥生さんが重々しく口を開いた。

「首筋に火傷の後があった。スタンガンを使われた時に残る跡だと思う。犯行に使われたと見られるスタンガンとナイフも室内に残っていた」

 弥生さんの言葉に、一同に動揺が走った。

「それって……」

「外への扉が開け放たれていたこと、スタンガンと首を斬る手口、もしかすると、今逃走中の殺人犯が押し入ってササガセさんを殺した可能性があるわ」

 弥生さんの言葉に、皆の間に妙な空気が流れた。

「外からの侵入者、ですか?」

 ウメハラはポカンとした表情で繰り返した。

「その解決はなんとも……」

「そうね。なんというか」

「普通、この中に犯人がいる、ってやるもんじゃないの?」

 マツイとタケナカも顔を見合わせた。

 どことなく、反応が軽いようにも感じるが。

「いや、違う。違うんだ」

 エトウがようやく口を開いた。

「本当に死んでた。僕には、そうとしか見えなかった。冷たかった」

「えっ?」

「でも……ああ、そういうことか」

 彼の言葉に、ウメハラ達は対応に困ったかのような反応を見せる。

「ちょっとイチガツさん。今のって、本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫。……きっとキサラギが事件を解決します」

 弥生さんへの信頼を口にした。

 そして。

 弥生さんは、それに答えるように、すっと顔を上げた。

「名探偵の掟、その4。名探偵たるもの、関係者を集めて「さて」と言え。

 弥生さんのその言葉は――。

 解決編の始まりを告げるものだった。

 事件が本当に、外部からの侵入者の犯行であれば必要ないはずの。

 と、いうことは――。


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