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与太話(短編集)  作者: 一つ目小僧/三ツ目
前 オセロが好きな男
2/10

ゆとり教育



 山田祐次、十五歳。家族構成は両親と三人暮らし。父は溶接工場に務め、母はスーパーのパートをしている共働き。当人の人当たりの良さを見れば意外と取られるのだが、山田は帰宅部だった。交友関係は多岐に渡り、彼の端末には余程仲の良い友人を除き、知人のフルネームがずらりと並んでいる。授業態度は至って普通。クラスメイトの男子と混じり高校生らしく茶々を入れる、健全な男子高校生であった。

 

 女教師は彼の担任で、現代文を担当している。三十七歳。既に夫も、子供も居る。無類の本好きである彼女は!ある日知らせを受けた。それに伴い、現在山田祐次なる生徒の自宅へと訪問する運びとなった。

 山田が自殺未遂を犯したのが事の始まり。

 校舎の立ち入り禁止区域、どうにかしたらしい細かく傷が入った扉の鍵穴、壊されたその先、屋上のフェンスを飛び越えそのまま身を投げ出したらしい。頭部から血を流して倒れているのを、通りがかりの女子生徒が発見し、教師が呼ばれ速やかに救急搬送された。幸い、悪運なのか何なのか一命を取り留め、予想された骨折等も見られず、一週間で退院している。頭を三針縫うような怪我だったが、調べに対し山田が思わぬ事を口にする。イジメが事故に至ったのかと思えば、当人は「自殺するつもりでした」と来たものだから致し方ない。生温い世迷い言を熟々重ねた後、一笑され厳重注意の元自宅へ帰された。

 両親は勿論烈火の如く怒り、怒鳴りつけたという。泣いて縋り付いたとも。特に腹を痛めて生んだ母親が、酷いものだったと。


 山田は以降、随分と大人しくなった。家でもそうだと聞く。人当たりの良さは変わらないが、腫れ物のような扱いが応えたのか、彼は笑みを貼り付けたまま、多くを語らなくなった。おしゃべりとまではいかずとも、無口な生徒では無かった。笑い方も貼り付けたようでなく、もっと自然に笑う生徒であった。

 だから常々、教師は言ったのである。大丈夫か、話したいことは無いかと。決まって山田は、大丈夫です、いえ、平気ですよと身を引いてしまうのだ。

 それでも無理に聞き出そうとはしなかった。傷を負ったのだろう見せたくないのだろうと教師は思っていた。こういう場合、癇癪を起こしてはもっと心が離れてしまうからだ。教師としてそれだけはしまいと思っていた。

 だかそれも、鎮火に向かい緩やかに忘れ去られようとした頃合い、丁度、半月ばかり経った頃に、山田が不登校になった事で再熱した。浮き足立つ生徒を宥め、担任である彼女が自宅を訪れた。話を聞かなければならない。何を思い詰めたのか。些細な事か、(わだかま)りか。問いただす真似はよそう、いけない、彼は傷付いているのだからと教師は言い聞かせた。

 二階建て住宅の玄関口、チャイムを鳴らすと、女性の声で返事が返された。戸を開いた先では少し頬の痩けた山田の母親が居た。どうか、どうかお願いしますと頼み込まれる。教師は誠意を持って、しかと頷いた。


 二階には四つの扉があり、手前から二つ目の右の部屋に、『ゆうじ』と書かれたプレートが下げてある。三回戸を叩き、彼の名を呼ぶ。担任として伺った旨を伝えると、「どうぞ」と青年の声が聴かれた。暫し迷った後ドアノブを押すと、教師のよく知る山田の顔が見れた。上がって良いかと聞くと、彼は了承する。


 座布団を出され、山田はベッドに腰掛け膝を束ねて座った。対面した山田は、至って普通の所作に見えた。

 逡巡の後、教師は「元気にしていたか」と聞いた。

 「そうですね。普通です、先生は?」と聞いてくるので、教師は神妙に「健康体ですよ」と含めるように言った。

 教師は、沈む肩をしゃんと伸ばし、躊躇った後確信を突くように言った。引き延ばすのに無理を感じたからだ。迫り上がってくる焦りも教師にはあった。何か期限が迫っているようで落ち着かない。

 「如何したんです?話をしてくれますか?」

 「話ですか」

 「ええ、君の話です」

 山田が何を話そうと、受け止めてみせようと教師は決めていた。大人の務めであり教師の意義であると思っていた。心を尽くして対話をしようと、教師は思っていた。

 「知ってますか」山田はそう言った。教師は、まるで破れ物を扱うような、膝をついたような態度で「何をです」と言う。


 眼が合わない。山田は壁を見ながら、薄ら微笑みながら長い長い話をし始めた。

 「徳を、積むそうです。死ぬまでに徳を積み、天国へ行く義務が人間にはあるそうです。良いことをしなくてはいけない、良い人でなくてはいけない。潔白、良い心を持っていない打算の心は、良い心とは言えないんです。心から思った、心ある徳を積まなければいけない。人間はそうでなくては、いけないそうです。俺は全然、それが一番だとは思わないんですけど、…そうですね、そういうのを、知ってるんです。あぁ、俺、良いものととことん相容れないんじゃないかって。程遠い人間だと、そういう人間だと思いながら、思ってたんです。この否定したがる心は、いつ終わるんだろう、って。

 いつか諦めて、それで良いと思う日が来るんじゃないかと思っていて…、知ってますか、打算を、許せないのに、辞められないような自分が、いつか辞められるかもしれないと、思っているんです。申し訳なくて。騙している自分が、騙されている人が。あぁ、俺は非道い奴だとずっと、思っているんです。きっと、きっとと思っているんです。いつかは来るけど、そのいつかまで、どうするんだろうって。バレてくれないかとも、一生バレるなとも…、知ってますか、俺、俺以外全員聖人君子みたいに思うんです。終わってる、と思うんです確かに変わってしまったんです。乱暴な父さんをどう思っていたか、涙腺が緩い母さんをどう思っていたか、変わったんです、変わった日、確かに在るんです。何でも否定したがるイキがった俺ですけど、こう変わった、ってなると、もう終わってると、思うんです」

 教師は、山田が壁すらも見ていない事に気付いた。もっと遠い所を見ている眼は、光が無い。それが内側から潰れていった結果のように思えて、教師は身を焼かれたような痛みを感じた。

 来る所まで来てしまった、手の届かない所に山田が座ってしまっている。ベッドの高さと離れた数センチが、崖の溝のように思われた。

 

 考える前に口にする。

 「君は生きています。きちんと、座っています。先生が言うんだから間違いはありません」

 落ちたのか登ったのか分からないまま、出鱈目に腕を振って手を伸ばすような心地だった。掴まなくても気付いてほしい、眼の内に自分の手が写ればいいと。

 「終わりません、生きて下さい。教師としてそれは見過ごせません。話をしましょう、君の君自身を否定する想いも全て君のものです。生きましょう、君はまだ若い」

 薄らと、山田は笑っている。それが表面通り明るいものに如何しても思えない。それが堪らなく苦しく思える。

 「あいつのせいなんです」

 方向性の変わった切り口に、教師は戸惑う。「あいつ?」と言葉をなぞる。山田は至って普通の笑顔で、人当たりの良い教師のクラスメイトの顔で、男子高校生らしい声色ど、言い募った。 

 「俺と全然違う奴です。大人しくて、優しくて、(ねじ)れたけど、大きい奴。敵わない奴で、……で、あっ」


 今気付いたらとばかりに、山田は言った。

 「部活、やっとけばよかったな」




※※※※※※※※※※





 一月経った頃、山田は高校へ通い出し、以降席が空く事は無かった。平均的な男子高校生を続けている。教師の眼にはそう写った。

 一度体調不良で休学した時、思わず電話をしてしまった。風邪だと(うぞぶ)く山田は、幸せを詰め込んで口いっぱい頬張ったような声色で、『ありがとうございます』と言う。教師は迫り上がって来るものを感じながら、廊下の壁に手をついて言葉を待っていた。

 『死んでしまうんじゃないかと心配してくれて凄く、有難いんです。恵まれてます、すっごく。俺、死にませんよ、辞めにしたんです。だから、…ちゃんと大人になります、高校生になって』


 これはちょっと、独り言なんですけどと山田は言う。

 『俺、次男坊なんですよ。祐次ですから』


 行くところまで行ってしまった。そんな絶望感が胸に巣くい、一生剥がれないんだろい予感がした。





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