舞台開幕
小宮一は不機嫌そうに薄い桜色の紙を見つめていた。入学式のしおりであるその紙には一にとって馴染み深い名前が書かれている。
杉田秀斗。
幼稚園からの幼馴染で、一がライバルとして常日頃から意識していた相手である。
意識していた、と過去形で表現しているのは一がライバルとして競うことすら諦めてしまうほど差ができてしまったからだ。
現に秀斗の名前が入学式のしおりに記載されているのは、高校の入学試験でトップの成績をとり、新入生代表として壇上にあがるからだ。
だからと言って一の成績だってそれほど劣るとは限らない。だが、わずかな点差であろうとなかろうと、秀斗が1番であったのは確かなことだ。
中学の間はめげずに秀斗をライバルとしてがむしゃらに頑張っていたが、毎度毎度負けていたらさすがに現実を認めざるをえない。
どう努力したって自分は勝てない、ということを。
中学まではいつも自分が優れていたとは信じられないくらいだ。
昔は一という名前に誇りを持っていた。1番を意味するこの名前は自分に相応しいと。だけど、いつの日からだろうか?秀斗に負けてばかりの毎日で、毎回見る2番の数字に、自分は名前負けしていると恥ずかしく思うようになったのは。
期待を膨らませる入学式だというのに、出てくるのは悔しい思い出と感情。
一は真面目に校長の話を聞かずに受付の時にもらったクラス名簿を見る。
一が所属するクラスは1年2組。また2の数字。
ハァとため息をつく。秀斗が1組だから、成績順の可能性だってある。もし、そうだとしたらやはり辛い。
他にも同じ中学からの生徒がいた気がする……
名簿には全員の名前とクラスが表記されていたから、パラパラとめくる。
「新入生代表、杉田秀斗」
「はい!」
凛とした声が体育館に響き渡り、一は顔をあげる。
いや、一だけではない。一人、また一人と壇上に上がる彼に顔を向ける。
さらさらと流れる茶色の髪、真面目な式では少し浮くくらいの穏やかな表情。スラッとした身体は一見華奢に見えるが、それに反するくらいの運動能力を携えているのを一は知っている。
「あたたかな春の風とともに……」
今、この瞬間は誰もが杉田秀斗を見ているだろう。誰もが彼を主役だと、ヒーローだと思うだろう。
大勢の人の真ん中に立ち、魅了していくはずだ。
昔はそこに秀斗ではなく、一が立っていた。
だが、それは過去の栄光。今ではない。
きっと、誰も一のことは振り向きもしないだろう。
「杉田君、めっちゃかっこいい!!」
「でも、絶対モテるだろうねー」
秀斗の挨拶が終わり、斜め後ろでさっそく仲良くなったのであろう女子達がこそこそと話ししているのが聞こえる。
早く、こんな式なんて終わってしまえ。一は心の中で悪態をつく。いつまでも女子たちの話しを聞いているのは耐え難い。
幸運なことに、その後の段取りもすんなりと進み、式はあっという間に終わった。
式の前に連絡事項などは済ませていたため、教室に戻ったら今日はこれで解散である。
といっても新入生達はすぐに帰るわけでもなく、友達づくりに励んだり、部活の勧誘に捕まったりなどさまざまである。
「やっほー!君、名前なんて言うの?こみやいち??」
一は帰ろうかと席を立った時、前の席に座っていたキツネ目の少年が話しかけてきた。
秀斗の自然なこげ茶とは違い、少し不自然なくらい明るい茶色。きっと髪を染めてるんだろうと、彼を分析しながら一はぶっきらぼうに答える。
「いちって名前じゃねーよ。こみやはじめだ」
「あっ、ごっめーん!一って、はじめって読むのか!じゃあじゃあ、オレの名前読める??」
随分とチャラそうな奴に絡まれたな。面倒くささを感じながらも、少年がクラス名簿を見せる。彼が指差す名前は小林月と書いてある。
「こばやしつき?」
「ぶぶー!ざんねーん、はずれー!月って書いてあるけど、らいとって読むよー」
「キラキラネームかよ!」
月の流れにのまれて、一はついツッコミをいれる。
「ねえねえ、普通にハジメっていうのめんどいからイッチーって呼ぶね〜」
「なっ!?イッチー!???」
まさかあった直後に承認も得ず勝手にあだ名をつけられ、一は目を丸くする。
しかも周りで聞いていた生徒たちも月に便乗して、一に声をかけはじめた。
「えーなに、君って、イッチーって呼べばいいのー?る」
「じゃ、おれもこれからイッチーって呼ぶわー」
どうやらこのあだ名は確定らしい。思わず月を睨みつけるが「てへぺろ」で返されてしまった。
何か文句を月に言おうとした時、廊下がざわつき始めた。
秀斗だ。
1組も終わったらしく、秀斗も帰ろうとしたのだろう。一のクラスの女子も含め、遠巻きに見たりしているが、肉食系はさっそく秀斗にアピールをし始める。
「杉田くんだよね!私となりのクラスなんだ、よろしくね!せっかくだからLINE交換したいな」
なにが、せっかくだからだ。同じように秀斗から連絡先を聞こうとしてる彼女たちに対し引いてしまう。可哀想なのは秀斗と一緒にいた男子2人。全く相手にすらされず、居心地悪そうにしている。
「ありがとう、嬉しいな。でも、ごめんね友達待たせるわけにはいかないから、次の機会があったらお願いしてもいいかな?」
申し訳なさそうにはにかみながら、秀斗は受け流す。
しかし、女子たちの気迫に負けて一緒にいる男子は弁明する。
「い、いや。大丈夫だよ。僕たち用事ないし……」
小柄な少年はおどおどと答える。
「大丈夫だっていってるよ〜」
逃げ道をふさがれた秀斗は内心戸惑っているはずだが、そんなことは顔に出さず視線を一瞬だけ教室で傍観してた一に向ける。そう、一にだ。
一は秀斗と目が合い、嫌な予感がしたときには秀斗は動いていた。
「彼らもそうだけど、今日はそこにいる一と帰る予定なんだ」
秀斗が指を一に向ける。
視線が自分に集まっているのを一は感じた。しかし、決して心地の良いものではない。
「いっちー、知り合いだったのかよ……すげーな」
月の声が一に突き刺さる。できれば知り合いじゃない方がよかったと悲しく思う。
「彼、引っ越しの準備があって手伝う約束してるんだ」
「えーそうなのー??」
そうなのである。
秀斗が言うことは事実であり、一は否定することができない。ただ、少し違うのは秀斗が手伝う約束していること。そんなの初耳だが、きっと言ったからには手伝ってくれるだろう。
なぜ、秀斗が引っ越しすることを知っているんだ?と、疑問に思ったがすぐに答えはでた。
そういえば、2、3日前にSNSで一はつぶやいていた気がする。そこには無論、秀斗も友達登録しているから見ることができる。
面倒事に巻き込まれるのはごめんだが、引っ越しの手伝いをしてくれるとなると、どうにも断りきれない。
のってやるか、と腹をくくり一は秀斗に声をかける。
「秀斗、引っ越し屋がそろそろ来る頃だから早く行こう」
「まってまって〜俺も途中までいく〜」
一が秀斗に呼びかけると月も立ち上がった。女子たちも懲りずに便乗するかと焦ったが、さり気なく月が「これから男の会議があるから女はついてくんなよ〜」と、訳のわからない冗談を言ってくれたおかげかすんなりとこの場から離れることができた。
「で、月、男の会議ってなんだよ??」
教室を後にして、一が不機嫌そうに口を開けた。変なあだ名をつけられるわ、秀斗の面倒ごとには巻き込まれるわで苛立っていた。
そんな一の態度には全く気にせず、ニッコリとした表情で月は待ってましたとばかりに話をする。
「決まってるじゃん!自己紹介ですよ〜!自己紹介!せっかく生徒代表の杉田秀斗君に話せるチャンスなんだから、お近づきにならなきゃね〜!」
ビシッと月は指を秀斗に向ける。基本ポーカーフェイスで笑顔を絶やさない秀斗も、月のノリに戸惑いを隠せず惚けた顔をしている。
「俺の名前は小林月!つきって書いて、ライトって読むよ!クラスは1年2組!面白いこと大好きだよ〜これからよろしく!」
下駄箱の前、脱いだ上履きを使ってご丁寧にポーズまで決めて、月は自己紹介をする。そして、すでにスニーカーに履き終えた秀斗に視線を送る。
「あっ、次は僕の番ね。名前は杉田秀斗、小学と中学共に一と同じ学校通ってたよ。好きなものは何だろ?うーん、読書とか音楽聞くことかな??」
「いたって普通だな。というか、秀斗、今日は誰かと会う約束してるのか?」
「えっ、よくわかったね……あっ、でも、会う約束ってわけじゃないよ」
秀斗はやたら早口で自己紹介したり、校内から出て校庭にはいったあたりから周りをキョロキョロとしている。人探しか何かしているのだろうか?
「待たせてるんなら、早く行ってやんなよ。下駄箱の近くにいれば会えんじゃね?先いって、校門で待ってるよ」
「ほんと??ありがとう。でも、時間かけるわけにもいかないから5分くらいしたらいくね」
「ああ、俺は大丈夫だ。月は?」
「別にいいよー」
秀斗とわかれ、一と月は校門前で会話を始める。
「えー、いっちーって杉田と知り合いだったんだね〜」
「さっそく秀斗にまで呼び捨てか……まぁ、幼稚園ときから同じ学校だったからな」
「へ〜そうなんだ。じゃあ、次は自己紹介いっちーの番ね」
「は?自己紹介わざわざしなくていいだろ??つか、お前、聞く気ねーだろ」
そう言って、一はジロリと睨む。先ほどから誰かと連絡とってるのだろうか?ずっとスマホを見てて、聞く耳がなさそうだ。
「ちゃんと聞くって〜……おっ!」
「どうした?」
「なんでもない、なんでもない!じゃあ、いっちーが自己紹介する気がないんなら、俺がいっちーの紹介をするよ!」
用事が済んだらしい月は顔をあげ、ニタリと怪しそうに笑う。
ヤバイ。本能的に彼は自分にとって悪いことをやらかすと感じた一は止めようとするが、月の口は止まらない。
「みーなさーん!俺の隣に立っているのは1年2組のこみやはじめ君でーす!!」
大声で月は叫ぶ。一は穴があったら入りたい気持ちだった。校門の周りにいる人たちは驚いた顔をしたり、クスクスと笑ったりしている。
「バッカ!!!やめろ!!!つか、秀斗も来てんだろ!!?」
目を丸くして戻ってきた秀斗がこちら側に来るかどうか迷っているのが伺える。
「はじめ君はしゅうと君の幼馴染で、絶賛彼女募集中でーす!ふごっ!??」
「っ!!!まじでやめろー!!」
確かに彼女がいないのではあるが、流石にこんなやり方は止めてほしい。恥ずかしさと怒りが混ざって、一は顔を真っ赤にして月の口を手で無理やり抑える。
「一達、何やってんの??」
自分の名前も使われたため焦った表情で秀斗が近づいてきた。
「俺もわけわかんねーよ、なんだこの公開処刑は……」
言いたいだけ言って満足気な月を見て、一は頭を抱える。
この騒動で一は高校生活が終わったような気分だった。彼女だけでなく友達すらつくるのが難しくなるのではないだろうか?
反対に秀斗はたくさんできるだろう。
「あのっ!すみません!!ちょっといいですか!?」
ほら来た。
可愛らしい少女の声が後ろから聞こえる。
どうせ、秀斗に声をかけたい子なんだろう。一はチラリと彼に視線をおくる。
ほら、返事してやれよ。と、
「はじめ君だよねっ!?」
だけど、少女は秀斗ではなく一の名前を呼んだ。
「えっ……!?」
一は振り返る。目の前にいるのは頬をリンゴのように紅色に染め上げ、潤んだ目で一を見つめる少女だった。
小柄でくりくりとした目、ふんわりとしたボブは小動物的な可愛さがある。
少女は意を決したように小さい口を開き懸命にハッキリと言葉を伝える。
「私、中村彩葉です!はじめ君のことが好きです!付き合ってください!!」
そうして、彼らの舞台は幕開ける。
登場人物の呼び方です
・小宮 一
・杉田 秀斗
・小林 月
・中村 彩葉
はじめが一と表記されているので、読みづらいかもしれませんが、ご了承お願いします!