令嬢と婚約者殿⑤相も変わらずこれからも
唇が震えた。言いたいことはたくさんあったのに何も言葉にならない。
イゼット家その他諸々の人に囲まれた一角。落ち着きない様子でノックをしてきた侍女に引っ張られ、尋ねたいことを尋ねられぬまま来てみれば。最後に見た時よりも少し筋肉質になったな、とか、綺麗な顔に傷を作って何をしているんだとかそういった感想を抱き、エリアーデは肩を震わせた。そんな彼女を見た周りが気を利かせて人だかりがはけた。
その先にいた男を見て、エリアーデは低い声を漏らした。
「私、まだ死因聞いていなかったのだけど」
恨みがましくもどこかずれた発言に周りはすぐにエリアーデの言葉の意味を掴めなかったらしい。皆一様に首を傾げ、その言葉の向かった先を見る。どういうこと? エリアーデの言葉を一番理解できるのはお前だろう、と。両親や兄たちまでもがそのような仕草を取ったがエリアーデは幸いそれに気付かず、真っ直ぐ男を見つめた。
「どうして聞いていなかったの?」と男がやわらかい声で尋ねた。対するエリアーデの態度といえば、未だに怒りの篭ったもので―――そう、エリアーデの唇が震えたのは悲しみのせいでない。少しずれた『怒り』によるもの。だがその怒りをぐっと飲み込むと、エリアーデは息とともに何か重苦しいものを吐き出し、どこかすっきりした表情を見せた。
「……おかえりなさい、クロード」
「ただいま。……遅くなってごめん」
まったくよ、という言葉は声にならなかった。死んでいない、死んでいるはずがない。心からそう思っていたが、実際クロードが無事帰ってきた姿を見たら、固まっていた心が解れ、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。「ごめんね、心配かけたね」というクロードの声は笑っているようで、余裕そうな彼に苛立ちを覚え肩を叩けば、ぎゅうと抱きしめられる始末。
―――こんなラブコメ展開になる予定なかったんだけど
前世の記憶より言葉を引っ張りだし今の状況を表現する。だが、心のなかで冷静を装ったところで子供のように泣きじゃくる姿を誤魔化せるはずもなく、よかったよかったと周りは微笑ましく彼らを見つめるのであった。
「……恥ずかしい」
「そんなことないよ。オレはすごく嬉しいし」
満面の笑みを浮かべるクロードに向かって目元を冷やしていたタオルを投げつければ、軽々それを受け取り、魔術で冷やしなおしてエリアーデの目元にあてた。万能男、と恨みがましく思いつつも、泣きすぎたせいで目元は真っ赤に腫れ上がってしまっているのでありがたくなされるがままにしている。手袋をしていない少し骨ばった手は小さなころから知っているもので、その手に触れられているととても安心する。
だが、現在一つ問題が生じていた。
「ねえクロード」
「なんだい?」
「…………そちらの、御嬢さんは、一体どなた?」
皆の前で泣きじゃくり、恥ずかしくなったエリアーデがクロードと共に自室へ引き上げるとき、どういうわけか一緒についてきた十歳ほどの少女。一緒にとはいっても彼女がついてきたのはクロードで、今は気を使っているのか少し離れたところにいるものの、先程まではずっとクロードの旅装束のマントを掴んでいた。
―――そう、何を隠そうこの男、勇者帰還及び姫様奪還による凱旋パレードに参加せずイゼット家へ――正確にはエリアーデのもとへ――来ていたのだった。
その際どういうわけか少女もクロードについてきていたらしく、不安そうな目でこちらを見る。
「……名前はリベルテ。少しわけありでね」
「リベルテ、さん」
クロードはさりげなくエリアーデの耳元に顔を寄せると「詳しいことは後で話すから今は……」と囁き目元からタオルを取った。どうやら魔術で腫れを治してくれたらしい。婚約者をほっぽりだして魔王討伐の旅にでたかと思えば今度は少女をお持ち帰り。どうなっているのだこの男は、と思ったが、あまりにも少女―――リベルテが怯えたような、不安そうな様子なので、仕方がないわね、と肩を竦めた。あとできちきちんと説明して頂戴、と口には出さないものの視線で訴えれば、無事通じたようでわかったと告げるように頷いた。
「で、どうして凱旋パレードに出なかったの? ……まさか貴方死んだことにしておく」
「つもりはないよ。リベルテを保護するためにオレは療養中ということにしてもらっているんだ」
被せるように答えたクロードに思わず「それで死因は?」と尋ねそうになったがさすがにぐっとそれは我慢する。今すべきことは。
「私はエリアーデ・リザ・イゼット。兄たちはリザと呼ぶけれどエリアーデと呼んで頂戴。貴女はリベルテでいいのかしら?」
椅子から立ち上がりリベルテの傍に屈めば、びくりと震えクロードの方を向く。彼がどのような表情をしているのか横目に盗み見れば、なんとも穏やかな表情を――安心させるためだろう。決してクロードはロリコンでない――していた。リベルテはそんな彼の表情に、エリアーデは大丈夫な人だと判断したのか、小さな声で「リベルテ、と呼んでくだ、さい」と俯いた。あらかわいらしい。エリアーデは微笑むと、黒く真っ直ぐ伸びたリベルテの髪をすっと撫でた。
別名魔王編はこれにて完結
少しお休みをいただき新編に入ろうと思います
20150818//行間を修正しました