令嬢と婚約者殿②魔王討伐
『勇者様』がこの世界に召喚され早くも三ヶ月が経った。その時間というのはクロードがエリアーデのもとから去っていったのと同じ時間で。日に日に闇を深くしていく世界に、エリアーデはそっとため息をついた。
辛いのは自分なんかよりも前線に立っているものたち。そう考えるようにしなるべく気分を持ち上げようともしてみたが、その前線に立っている一人が婚約者殿である以上全く気分は浮かばれない。むしろずぶずぶとそこの見えない沼に沈んでいく感覚。
どうしてくれるのよ、とどんなわがままも「エリーは仕方ないな」と笑って叶えてくれるクロードへ令嬢らしからぬ舌打ちをひとつ。これは違う私が舌打ちしたんじゃなくって前世の私が出てきたのよ。誰にいうでもなく心のなかで一人言い訳を吐き、それから「仕方がないのは貴方のほうよ」と目を閉じた。
―――結構重症みたい。こんなに貴方を思っているとは思っても見なかった
「今度は私が貴方のわがままを聞く。だからお願い、早く帰ってきて……」
私はこうして祈ることしかできない。何かを叶えられるのは魔術師の貴方しかいないのよ。
そもそも、稀代の魔術師と言えどこの国の三大貴族の一つ、イゼット家令嬢エリアーデの婚約者クロードが魔王討伐の旅に出たのにはいくつもの交錯ゆえにだった。
ある者は彼のその力を期待し。ある者はクロードからエリアーデの婚約者という立場を奪おうと、もし成功したらそれはそれで大団円という野心を抱き。それからある者は、純粋に婚約者を守るため。彼は、王都を旅立った。
「君を守れると思ったから、王様の命を受け、魔王討伐に向かおうと思ったんだよ。そうでなきゃこんな面倒な……大変な、旅に出ようなんて考えない」
物腰柔らかに話すクロードは最後の方には色々なものが隠しきれていなかったが、エリアーデはなれた様子で「私のためだなんて大義名分はいらないから早く王城へ戻って断ってきなさいな」と頭を抱えた。「ああこの男そうとう怒っているわ」と心のなかでため息を吐きつつ。
「貴方に危ないことをしてほしくないの」
せめてもの抵抗。エリアーデは俯きクロードのローブの裾をほんの少し握る。いかにも可愛らしい加護欲のそそられる令嬢を演じてみたものの付き合いの長いクロードにそれが通じるはずもなく、「エリー」と申し訳ないような困ったような声をあげた。
「ごめんね、おふざけが過ぎたみたいだ」
「まったくよ。……でも行くのでしょう」
顔をあげ真っ直ぐクロードの夜のように深く星のように輝く瞳を見つめる。先程までの柔らかな表情を一転し、クロードは表情を引き締めると「行くよ」と首肯した。
この男は昔から自分のいうことを何でも聞いてくれた。だが極稀に、だめだよと反対することもあり……そのとき、いつも浮かべるのがこんな表情だった。
命の危険だってあるのに、……ほんと、仕方のない人。
エリアーデは、彼女の浮かべるもののなかでも最上と言えるほど綺麗に、それでいて令嬢らしい大人しい笑みではなくエリアーデらしい意思のはっきりした笑みを浮かべ。
「いってらっしゃい」
そう声をかけた。クロードは「……ごめん」と何に対しての謝罪かわからぬ言葉を口にし、そのまま流れるようにエリアーデの頬に唇を寄せた。
翌朝、クロードと勇者たち一行は王都を出立し、いつ帰れるかもわからぬ旅を始めた。
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