令嬢と婚約者殿①エリアーデ
この世界はいわゆる『異世界ファンタジー』である。
剣と魔法のファンタジー。そんなものにあこがれた時期がエリアーデ・イゼットにもあった。……正確には、彼女の前世に、ではあるが。
簡単な話である。エリアーデ・イゼットは所謂記憶持ちというやつで、前世の記憶を持っていた。とはいってもよくある『前世の記憶に飲み込まれた』なんてことはなく、『知識』として、エリアーデは前世のことを知っていた。
その中にあった前世の彼女の趣味の知識、それが『異世界ファンタジー』とジャンル分けされるであろうこの世界についてだった。
その知識をエリアーデが得たのは今から十五年程前、彼女が三歳のころの話。当時から子供らしくなかった彼女が父の書斎で本を眺めていた時に、ふと、ならった覚えのない文字まで読めていることに気付いた。数か月ほどそれに気づかず読書に耽っていたが、気づいてしまえばとんとん拍子に全てを――それこそ必要のあるのかないのかわからない知識まで――思い出した。
子供でありながらどうにも子供らしくなかったエリアーデはそのことに興奮することもなく、ふむと一つ頷き、……読書に戻った。当時のことは今のエリアーデからすると大変――それこそ顔を覆って呻きたくなるほど――恥ずかしい記憶であるが、幼いエリアーデは子供には必要のない知識を手に入れたところで全く、微塵も、ほんの少しばかりも気にすることなく、読書を続けた。当時からエリアーデを知るものはいう。
―――「お嬢様は少しばかり変わったお方で、少しばかり博識である」、と。
この「少しばかり」というのがオブラートに包んだだけの表現であることは、いわずともわかるだろう。
変わった子供だったエリアーデが、今まですくすくと育ってこられたのはその環境ゆえだろう。
エリアーデ・イゼット。本名エリアーデ・リザ・イゼット。彼女は王家に次ぐ権力を持つとされるイゼット家の御令嬢である。これまた前世の私が喜びそうな役職だことで、とエリアーデは変に冷めたことを思いつつ、紅茶を啜る。ただ、エリアーデの前世が喜びそうな事柄は、まだあった。
クロード・リル・マクファーレン。その名を知らぬ者はこの国にはいないのでは?と思えるほど名の通った、『魔術師』。そんな男は、エリアーデの婚約者だった。有力貴族令嬢と魔術師の恋なんてどんな恋愛物語だ。突っ込みたくなる前世の知識に無理やり蓋をし、その上に重しを乗せる。
エリアーデがクロードと婚約関係を結ぶことになったのは至って簡単。エリアーデの父とクロードの父が学生時代からの親友であったから。そうでなければいくら今現在凄腕魔術師であっても、小さなころは末端貴族の三男というなんとも言い難いポジションにいたクロードが、少し変でも構わない、王族に次いで国で一、二を競う高貴な令嬢のエリアーデと婚約を結ぶことはできなかっただろう。……考えれば考えるほど自分はすごい立場なのだな、とエリアーデはため息を吐きたくなる。もっと気楽な立場が良かった、それこそ末端貴族のような。だが立場が重くとも今の自分の生活が嫌というわけでないのでわがままは言えない。むしろこの生活を嫌がっている体を少しでも見せれば後ろから刺されかねない。
ここで間違ってはいけないのが、エリアーデがクロードとの婚約を嫌がっていないということ。婚約自体は全く構わない、問題なのは家の大きさだけ。彼女が気にしているのは、自分という大貴族の令嬢と無理やり――とはいえそんなのは貴族の世界では当たり前のこと――婚約を結ばされたクロードのこと。
小さなころは何も考えず、ただただ好きな読書をしているだけでよかった。だが、この年になって、自分の婚約者という立場が、クロードにとってどれ程重くつらいものなのかを考えるようになった。
彼は見た目こそそんじょそこらの貴族令息など並ぶことすら許されぬほど整っている。だが家の規模を考えると、どうしても他家に軍配の上がることが多かった。エリアーデはそんなことを気にしたことなど一度もなかったし、むしろこの変わった性格を理解してくれるクロードの存在はありがたかった。だが周りは許さなかった。隙あらばクロードから婚約者という立場を奪おうとし、……結果、クロードが変わらざるを得なかった。そう。自惚れでなければ、クロードはエリアーデのために、稀代の魔術師という称号を得た。それが彼の血のにじむ努力の結果ということを誰よりも近くで見ていたエリアーデは知っていたし、何より悲しんだ。
「私は別に貴方が貴方でいてくれればそれでよかったのに」
恥ずかしそうに笑い、エリアーデの人と変わった部分を理解してくれた婚約者殿は今、隣にはいない。
数か月前に目覚めたという魔王を封印するためと言って、召喚された『勇者』とそれを支えるも騎士と共に旅立ってしまった。
―――稀代の魔術師として、『勇者』を支えるために。
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