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第7話

 ◇



「何かありましたら、私は隣におりますので」

「わかった」

 おやすみなさい、と破流姫の背中を見送り、三杉は自分の部屋へ入った。


 対極の壁際に寝台が二つ、中央の窓の下に洗面用具が置かれた机がひとつだけの、簡素な二人部屋だ。男二人ではやや狭い感じはするものの、掃除は行き届いて淀んだ空気もなく、シーツやタオルなどは皺ひとつなく清潔に整えられている。


 三杉は上着を脱いで、寝台のひとつに転がった。

 今日は華青のせいで焦りっぱなしだった。久し振りに会って話ができて良かったが……。

「疲れた……」

 早く城へ帰って休みたかった。しかし明日は破流姫の気紛れのお陰でギルドの仕事に付き合わなくてはならない。しかも、やるとも言ってないのに自分にも仕事が回されてしまった。久し振りの仕事に腕が鈍っていないか心配だが、それよりも早く帰って休みたいという欲求の方が強い。とにかくもう、やっかいなごたごたには巻き込まれたくなかった。


 あれでも平穏な生活だったな、と城での自分を思い返しながら、うつらうつらとし始めた。

 眠りの狭間を行ったり来たりしながら、そうして向こう側へ転がり落ちて行くさなか、鋭い悲鳴にひと息にこちら側へ引き戻された。

 三杉ははっとして飛び起き、辺りを見回した。

 灯りのロウソクは消え、部屋は真っ暗だった。

 華青はまだ戻っていないようだ。


 アイツ、まだ飲んでるのか?


 そう思った直後、またも悲鳴が聞こえた。隣の部屋だ。


 三杉は部屋を飛び出し、破流姫の部屋の扉を引き倒す勢いで開けた。


 華青が破流姫に抱きついていた。


 三杉の理性がはじけ飛んだ。


「貴様……!」

 夢中で引き剥がし、殴りつけた。

 反動で華青はよろよろと後退り、自分の足に引っ掛かって尻もちをついた。

 破流姫は三杉の背後に隠れ、その腕にしがみついて微かに震えていた。

 見たこともない怯え様に三杉の胸は引きちぎられそうに痛み、そして怒りで体が震えた。

「華青! 貴様、姫様に何をしている!」

 華青は焦点の合わない目を三杉に向け、呂律の回らない口調で言った。

「お前こそ何すんだよぉ」

「黙れ! 姫様に無礼な真似をして、ただで済むと思うな!」

「なぁにが無礼だ。お前こそ野暮な真似をするな」

「華青……!」

 怒りに我を忘れて華青に飛び掛かろうとする三杉だったが、しっかりと腕を取られていてはたと思いとどまった。

 振り返ると、破流姫は黙って俯いている。黒髪が表情を隠してはいたが、驚愕と恐怖で固まっているのは明らかだ。

「姫様、もう大丈夫です。さぞや恐ろしかったでしょう。あの男は私が始末をつけますので、離れていて下さい」

 宥める三杉の背後から、華青の間延びした声が掛かった。

「おーい、どしたぁ? 何で暗くなってるんだ?」

 瞬間、三杉はキッと華青を睨みつけた。

「お前は自分が何をしたかわかっているのか!」

 華青は黙り込んだ。考えているのか、無視したのか。それから小首を傾げ、やっぱり間延びした言葉を発した。

「何言ってんだぁ、お前?」

 三杉はますます眉を吊り上げ、破流姫の手を解いて華青の胸倉をつかみ上げた。

 よろよろと立ち上がる華青の目は三杉を向いているものの、ぼんやりとして、さらにはひどく酒臭かった。

「まぁったく、失礼なのはお前の方だろ? 久し振りの兄妹の再会に水を差すな」

 兄妹、という台詞に引っ掛かって、三杉はしばしその意味を考えた。

「なぁ、左利さり? お前、しばらく見ないうちに一段と美人になったなぁ」

 三杉は自分がつかみ上げている華青のだらしない笑みを見つめ、それから振り向いて、立ち竦んでいる破流姫を見た。

「兄さんは鼻が高いよ。器量良しのお前が妹で」

 そう言ってえヘヘヘ、と笑った。


 華青には歳の離れた妹がいる。故郷で母親と二人暮らしなのを、二、三度会ったことのある三杉も知っていた。明るくて気が利く、可愛らしい子だ。

 こういう仕事をしている以上、家族と会うのも年に数度、下手をすると数年顔を合わさないこともある。妹を溺愛している華青が酔って前後不覚になり、破流姫をその妹と見間違えたようだ。ちょうど年の頃も同じくらいだから、なおさら面影を重ねてしまったのだろう。


「馬鹿! よく見ろ! この方は左利ちゃんじゃない!」

「ふぇ?」

 目を覚まさせるように華青を揺さぶると、華青は気の抜けた声を上げてじっと破流姫を見つめた。

 破流姫は未だ固まったまま俯いている。

「あぁ、そう言えば、左利は三杉が好きだったんだよな。おっと、これは内緒だったな、スマン」

 酔った華青の意識はどこか違うところを飛んでいるらしい。まるで見当違いの台詞を吐いた。

「華青! 左利ちゃんはここにはいない! この方は破流様だ!」

 激しく揺さぶるも、華青は一向に正気に戻らず、ただ機嫌良くへらへらと笑っているだけだった。


 酔っ払いに何を言っても通じない。

 持て余し気味の怒りが次第に薄れて行く。何だか空しささえ生まれてくる。


「いいか、華青。この方は破流様で、左利ちゃんじゃない。良く見ろ。まったく違う人だ。左利ちゃんはもっと淑やかで大人しくて優しい子だろ? 破流様は――ぶはっ!」

 振り向いたと同時に、白く大きな物が顔面に直撃した。


 枕だ。


 なぜ枕が? と視線を上げると、怯えて立ち竦んでいた破流姫が、射殺せそうなほど鋭い眼差しを三杉に向けていた。

 あまりの恐ろしさにビクリと震え、捕まえていた華青を取り落としてしまった。

 支えを失った華青は数歩よろけてまた床に倒れ、そのまま大の字に転がって動かなくなった。


「お前たちは仲良くここで寝ろ。私はお前たちの部屋で寝る」

 破流姫は静かに、だが精神まで震え上がるような低い声音でそう言って、荒々しく出て行った。


 壊れるかと思うほどの大きな音を立てて扉が閉まり、その音にも三杉は肩を震わせ、そして呆然と見つめた。


 華青が原因で怯えていたはず。何か激しく怒っているようだが、華青ならともかく、なぜ自分に向けられるのか、まるで想像がつかない三杉だった。



 ◇



 華青は寒さで目が覚めた。

 ぼんやりとする目を瞬かせ、自分が床に転がって寝ていることに気がついた。

 夏にはまだ早いこの時期、いくら部屋の中とはいえ、身一つで転がっていれば寒いに決まっている。


 寝台から落ちたのか?


 寝相が悪いつもりはなかったが、そうとしか考えられない。

 ゆっくりと重たい身を起こす。


 昨晩は久し振りに飲み過ぎた。何年か振りの仲間と再会し、連れのすこぶる美人なお嬢様を前にし、美味い料理を食べながら酒を飲んで、それはもうかなり楽しかった。途中で二人は引き上げたが、酒が入るとますます楽しくなって、一人カウンターに座って誰ともわからない客人と一緒になって騒いだ。

 それから店仕舞いまで盛り上がっていたはずだ。部屋へ戻ってきた記憶はなかったが、ちゃんとこうして眠っていた。


 寝台へ潜り込もうと分厚い毛布をめくったとき、そこに誰かの背中を見た。

 三杉の寝台か、と毛布を掛け直し、反対側にあるはずの自分の寝台を探したが、そこには小さな机がひとつあるだけだった。

 じっと見つめても、それは机から変わりようがなかった。


 ……何でだ?


 もう一度三杉を見る。

 暖かそうな毛布の塊は、微かだが規則正しく動いている。

 確かに三杉が寝ているから、これは自分の寝台ではない。

 そしてまた反対側を見る。

 やっぱり机があるだけだ。


 自分の寝台がどこへ行ったのか、まだはっきりとは覚醒していない華青には答えが出せなかった。

 寝台がなければ、この寒さをどう凌げばいいだろう?


 そこで思いついたのは、三杉に毛布を譲ってもらうことだった。

「なぁ、三杉」

 男の割に細身の背中を揺する。

「なぁ、起きろよ。この毛布、俺にも貸してくれよ。寒いんだよ」

 ゆさゆさと揺さ振り続け、ようやく三杉が身じろぎした。

「何だよ……うるさいな……」

 目は閉じたまま、うるさそうに腕を払って、もごもごとそう言った。

「寒いんだって。俺の寝台、どっかに行ったんだ」

「床で寝ろ」

「床はいいけど、毛布くれ」

「ない」

「何で?」

 その答えはなかった。三杉はもう眠りに戻っていた。

「三杉ぃ。なぁ、起きろって」

 揺すっても三杉は目を覚まさなかった。それどころか、華青を拒否するように背中を向けて丸くなった。

 華青はその背中をしばし見つめ、回らない頭で考えた。


 抱え込んで離さないその毛布を自分の物にするには、引き剥がすより潜り込む方が簡単だと思い至った。


 それで三杉の背中を力任せに壁に向かって押した。軽い体は簡単に移動し、さらに壁に押しつけられて、寝台に程よい空間を作った。

 華青が横になるにはやや狭い気はするが、寒さを我慢するよりはマシ、と早速上り込んだ。

 三杉の体温が移って温かい。

 ほぅ、と満足気なため息を吐いて、華青は毛布も引っ張った。

 身体全体に掛けるには足りなかったが、床で寝るよりははるかに快適だった。


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