第6話
◇
華青の定宿へ着くころには陽もすっかり落ちていた。
一階に食事処を構えたその宿は、多くの客で賑わっていた。
「随分繁盛している店だな。全部泊まりの客か?」
目の前に果汁を絞ってわずかな甘みを加えただけの真っ赤なジュースを置き、破流姫は騒々しいくらいに賑やかな食堂を見回した。
「まさか。半分以上は食事にきた客だな。ここの飯は美味いからな」
「美人の女将もいるし?」
「そう言うこと」
言ってから華青は大振りのグラスに入った酒を豪快に飲んだ。
「ぷはー! うめー!」
同じものを三杉はちびりちびりと飲んでいた。久し振りに口にする酒は、華青のように叫ばずとも、体に染み渡るような美味さが広がって行くのを感じる。
当然のように破流姫も同じものを欲しがったが、三杉が却下すると渋々引き下がった。
華青の嘘くさい教えが効いているようで、嬉しさと共に寂しさが三杉の胸に広がっていた。
そんな浮き沈みする三杉の気持ちを断ち切るかのように、テーブルにドン、と大皿が二つ置かれた。
「はい、お待ちどうさま! たっくさぁん食べてってよ!」
威勢のいい掛け声は、ここの美人女将だ。
黙って立っていれば貴族の奥様然とした品が見られるが、口を開けば気風のいい陽気な女性だ。
「欲しいものがあったらじゃんじゃん言って。代金はこっちのお兄さんにつけとくからさ」
女将は華青を指差し、そう破流姫に言った。
「どれも美味そうだから目移りする」
破流姫の言葉に女将は大声で笑った。
「そうだろう? うちの料理は天下一品さ。揚げ物、焼き物、煮込み、何でもござれだ」
中でも一番人気のモツ煮込みが、目の前の大皿に盛られている。隣には野菜と海鮮の炒め物。ホカホカと湯気を立てて見るからに美味しそうだ。
「これは何だ?」
破流姫が指差したモツ煮込みを、女将は小鉢に取り分けてくれた。
「牛の内臓を煮込んだものさ。うちの自慢の一品だよ」
透き通ったスープに見たこともない塊が幾つも沈んでいる。内臓と聞いてスプーンを持つ手は躊躇してしまう。だが、向かいに座る華青は躊躇いもなく頬張り、満足気な笑顔を見せた。
「やっぱりここのモツが一番だな!」
「そりゃそうさ。うちの旦那の作るものだからね」
「おぉ、おぉ、ごちそうさん」
女将はカラカラと笑い、どこかで呼ばれた声に返事をして戻って行った。
「どうした、破流? 食わないのか?」
スプーンを握り締めてじっと器を見つめる破流姫に、華青はもごもごと食べながら言った。
破流姫は顔を上げて華青を見、そして隣の三杉を見た。
「お口に合わないのでしたら無理に食べなくてもいいのですよ。この手のものは好き嫌いが分かれますから」
「三杉は食べるのか?」
「私は大丈夫です。寧ろ庶民的で好きですね」
「庶民的か……」
庶民ではない破流姫には馴染みのない食べ物だ。興味はあるが、如何せん、内臓を食べるということに抵抗がある。
「贅沢だな、お前は。いつも食ってるような上等なものは、旅の最中には食えないんだぞ?」
それはわかっている。見たことも食べたこともないような物を、この旅で口にする楽しみはある。しかし……動物の内臓を調理して食べるとは思っていなかった。
「誰にだって苦手なものはある。無理に食べることはない」
三杉はそう擁護するが、破流姫は自分の弱さをさらけ出したような気がして何だか癪だった。それに、一度も口にせずに嫌いだと言うのもおこがましいと思った。
意を決してスプーンを差し入れた。
「破流様?」
三杉が心配そうに声をかける。
中のひとかけらをスプーンに乗せ、じっくり見た後、匂いを嗅いでみた。香辛料の香りが食欲を刺激する。気味悪さより味への好奇心が勝った。
ゆっくりと口に入れ、スープを飲み込む。薄い色をしている割に濃厚な味わいだ。そのせいか口に残った塊に臭みはなく、柔らかいのに歯ごたえがあるという、何とも奇妙な感覚を味わった。
「いかがですか?」
様子を窺う三杉に、破流姫はしっかりと咀嚼し、飲み込んでから言った。
「うん。美味いかもしれない」
「だろー? ここのを食ったら余所のは食えないぞ。だけど店によって味も違うから、色んなものを食うといい」
華青は自分のことのように喜んで、また食事を再開した。
破流姫はお代わりはしなかったものの、器によそった分は完食した。
そのほか、海鮮炒め、茶わん蒸し、鳥唐揚げの野菜あんかけなど、食べたことのない料理に次々と舌鼓を打つ。
「初めて食べるものばかりだが、どれも美味いな」
「お気に召しましたか?」
「あぁ。これをうちの調理師たちにも作らせよう」
そこまで気に入ったのなら三杉としても嬉しい限りだ。それに、家庭料理とも言える気取らない料理が城でも食べられるのならなお嬉しい。
「だけどな、破流。お前が作れば三杉はイチコロで落ちるぞ」
突拍子もない華青の台詞に、破流姫は怪訝な表情をし、三杉は赤くなって狼狽えた。
「な、な、何言ってんだ?」
「私が料理をするのか?」
華青は半分ほどの酒を一気に飲み干し、何杯目かのお代わりを叫んでから言った。
「三杉は料理上手な女が好きだ」
破流姫が三杉に視線を送ると、それを察してか、真っ赤な顔を伏せて横を向いた。
「あれはリンちゃんだったか? 長い茶色い髪で下の方がくるくるしてた可愛い子」
忘れ去っていた過去の記憶を、華青の説明で鮮やかに思い出した。
「仕立て屋で針子をしている子だったんだが、三杉が街でどでかいカギ裂きを作った場面に出くわして、親切にも繕ってやったそうだ。だろ、三杉?」
華青の問い掛けに三杉は顔を上げないまま頷いた。
「しかもうまい具合にリンちゃんは食材の買い出し中、三杉の腹はぐぅと鳴って、食事まで御馳走になったんだよな?」
またも三杉は一つ頷く。
「知らない男を家に招くのもどうかと思うが、三杉も人畜無害な雰囲気だからな。それ以来随分といい感じになっちゃったよな」
「あれはただ、私があまりにもひもじそうに見えたからって。だ、大体、あの子は幼馴染の恋人と暮らしてた。単に食事に招いてくれただけで……」
「それにしては随分足繁く通ってたじゃないか」
「……そんなに行ってない」
間を開けて否定する言葉は弱々しく、華青の言葉もあながち嘘ではないと自分で証明したようなものだ。
「リンちゃんの料理はとにかく美味いってべた褒めでな、それを聞いた他の女たちが競って手料理を食べさせようと頑張ったんだ。仕舞いには弁当まで作ってきたな。あの頃は三杉の後を付いて行けばタダで飯が食えたんだよな」
華青はそう言ってケラケラと笑った。三杉は居た堪れずに小さく、
「もういい」
と華青を制した。が、聞こえなかったのか興が乗ったのか、華青は破流姫の方へ身を乗り出して続けた。
「三杉は鈍いから、女たちの策略に気付かないでホイホイ付いて行くんだ。みんなに食事を作ってもらって悪いな、とか何とか言いながら」
「もういいって」
「裏で激しい争奪戦があったの、お前、知らなかっただろ?」
疑問を浮かべて赤い顔を上げれば、その表情が可笑しかったのか、華青は一層面白そうに大笑いした。
「酔い潰して一晩泊めるんだって、面白い戦いだったぞ」
そんな裏事情があったとは初耳だった。毎日誰か彼かが食事に誘ってくれ、美味しい手料理を味わい、何気ない会話を楽しんでいた。有り難いと思いはしても、深い意味までは気づかなかった。そんな素振りも感じられなかった……と思う。
「で、潰れたのか?」
淡々と訊ねる破流姫の声音は、三杉には妙に冷たく感じられた。
「さすがにそこまではなかった。潰れたら潰れたで面白かったのにな」
三杉には少しも面白い話ではなかったが、華青はまた大いに笑った。
こいつ、酔ってる……。
三杉は居た堪れなさを誤魔化すように話題を逸らした。
「破流様、明日はゆっくりしていられませんから、もうお部屋に戻って休みましょう。簡単な仕事でも万全の態勢で臨まなくては、良い結果は得られません」
もっともらしい台詞で丸め込むように言えば、破流姫は素直に頷いた。
「そうしよう。もう少し暴露話を聞いていたい気もするが、それはまた次の機会にする」
そう言ってグラスに残った飲み物を流し込み、席を立った。
「は、破流様……」
簡単に誤魔化されてはくれなかったようだ。
「えー、もう戻るのか?」
やけにご機嫌な様子の華青は、物足りないと不平を口にした。
「お前は一人で飲んでいろ」
突き放す三杉に、はーい、と子供のような返事が返ってきた。