第5話
「師匠。その話は今夜するとして、仕事はどう受けたらいいんだ?」
一人、冷静な破流姫が三杉の窮地を救った。というより、痺れを切らして話の腰を折った。
「あぁ、そうだったな。何か破流に合う仕事はないか? 初めてだからそう難しくないものがいい」
華青は思い出したように言った。
「あるよ、あるよ。破流ちゃんにぴったりの仕事」
そう言って後ろの棚から書類の束を持ってきて、カウンターでペラペラと数枚めくった。
「ほら、これ。絵のモデル。破流ちゃんくらい可愛かったら依頼主も大喜びだ」
破流姫が差し出された紙を覗き込む。そこには依頼主、仕事内容、報酬などが記されていた。
「絵か……」
破流姫は気乗りしない風で一言漏らした。だがはっきりと駄目を出したのは三杉だった。
「駄目です。いけません、絵なんて。街中に広まったらどうするんですか?」
肖像画は王家のものだ。市井に出回っていいものではない。
そう言う意味で三杉は破流姫に言ったのだが、受付の男はもちろん、そうは取らなかった。
「何だよ、三杉。独り占めしたい気持ちもわかるけどさ、絵ぐらいいいだろ? 破流ちゃんのこの可愛さで寂しい俺たちの心を慰めてくれよ」
眉尻を下げて哀れを誘うが、三杉は断固、拒否した。
「駄目だ、駄目だ! 破流様が許しても私が許さない」
カウンターを叩いて募集要項の書類を突き返した。
「ちぇっ、ケチだな。破流ちゃんはどうだい? 一番可愛い時を絵にして残すのもいいもんだろ? 大丈夫、服は着たままでいいからさ」
男の最後の台詞に声を荒げたのはやっぱり三杉だった。
「あ、当たり前だ! 大体、そんな怪しい仕事などはなから引き受けるものか! 破流様! 仕事など必要ありません! 早くここを出ましょう!」
三杉はものすごい剣幕で叫ぶが、破流姫はうるさそうに首を竦めて明後日の方を向いた。
「破流様、聞いていますか!? こんな仕事を引き受けたりしたら品格が下がります! ただでさえあるかどうかも怪しいのに!」
途端に破流姫はぎろりと三杉をねめつけた。
「聞き捨てならないな、三杉。私の品格が何だって?」
破流姫の怒りを湛えた静かな声音に、三杉は反射的にびくりと肩を震わせた。一瞬、何が機嫌を損ねたのかわからなかった。勢いで言ってしまった台詞を反芻し、そして激しく後悔した。
「もう一度言ってみろ。私の品格が何だ?」
血の気が引いた三杉は瞬きも忘れて硬直した。蝋人形のように固まって微動だにしなかった。
「あーあ、怒らせた」
そう茶化したのは華青だ。
「怒った顔も可愛いねぇ」
鼻の下を伸ばしているのはカウンターの男。
三杉は蒼褪め、破流姫は静かに怒りで燃えていた。
「お前はつくづくクビになりたいようだな」
身の毛もよだつ悪魔の唸り声、と三杉が心の片隅で無意識に恐れている破流姫の低い低い呟きだ。三杉は何とか言葉を絞り出し、掠れた声で言った。
「も、申し訳、ありません……失言でした」
「いいんだぞ、ここで新しい仕事を見つけても」
三杉の謝罪など聞き慣れている破流姫はそう簡単に機嫌を直すわけもなく、脅すように三杉に言った。
図らずも自分で自分の辞職を促してしまったようだ。せっかくもう少しだけ破流姫のそばに居ようと決めたのに、何という馬鹿なことをしてしまったのだ、と三杉は泣きたくなった。
「こいつらの仕事が溜まりに溜まってるんだろう? 三杉に与えてやってくれ」
破流姫は三杉を素通りし、カウンターの男にそう声をかけた。
「そんな……破流様……」
いつもはひたすら苛められるだけの三杉だったが、今日は心強い味方がいた。
「いいか、破流。師匠と決めたヤツにはひたすら敬って従うものだぞ。それができなけりゃ弟子は務まらん。無理難題でも二つ返事で返すのが弟子ってもんだ」
それはちょっと言い過ぎだ、と三杉もカウンターの男も思ったが、敢えて口にはしなかった。
「無理難題でもか?」
世間を良く知らない破流姫には有効な手だったようだ。物知りの華青が真面目くさった顔で言えば、怪しいと思いつつもそんなものかと信用してしまう。
「無理難題でもだ。そうすればお前は師匠から信頼を得られる。信頼を得られればあらゆる技術も伝授してもらえる。信頼がなければ駄目なんだ。だからお前は三杉の言うことを黙って聞くしかないんだ。間違っても口答えはするな」
破流姫は憮然として三杉を見た。三杉は目が合わせられなくて視線を足元に落とした。
そんなことはない、と言った方がいいだろうか。華青の言うことは大げさ過ぎると、破流姫を宥めた方がいいだろうか。だが、騙されたと言って怒り狂うのは目に見えているし、従者如きに従う立場ではないと言ってやっぱり怒り狂うのも目に見えていた。
自分可愛さに言うか言うまいかを逡巡している間に、破流姫は答えを出した。
「そうか、わかった。済まなかった、三杉」
三杉は驚きに目を瞠り、まじまじと破流姫を見つめた。
破流姫がその口から謝罪の言葉を零すなどありえなかった。明らかに自分が悪くても責任転嫁するあの破流姫が。そもそも姫君を詰るなど誰もできない。真面目一辺倒の三杉だけは勢いで破流姫を叱り、だがますます機嫌を損ねて逆に苛められるという悪循環を辿るのが常だった。それがよもや謝罪をされるなど、天と地が引っ繰り返ったような驚きだ。
「ひめ……は、破流様……」
三杉はあまりの感動に涙を滲ませた。
落ち込んだり舞い上がったりと忙しい三杉の胸中などまったく気にも留めず、破流姫はあっさりと話を終わらせてカウンターの男に言った。
「絵はやめる。はなから気乗りはしないしな」
たとえ三杉から了解を得たとしても、破流姫自身が断っていた話である。じっと座っていることが嫌いで、数年ごとに描かれる肖像画は苦痛以外の何物でもないのだ。
「そう言わずにさぁ、一枚ささっと描いてもらいなよ。破流ちゃんの美貌なら人気爆発だよ?」
食い下がる男に、破流姫は簡潔に断る。
「いや、いい。それより私は剣の腕を上げたいんだ。力をつけられるような仕事はないか?」
ええぇ、と男は不満そうな声を上げたが、破流姫の気が変わりそうもないのを見て取ると、渋々別な書類の束を持ってきた。
「破流ちゃんは絶対に絵の方が向いてると思うんだけどな。気乗りしないなら仕方ないけどさ。でも、気が向いたらいつでも言ってよ。待ってるからさ」
諦めきれない男はそう言って笑った。
「師匠の許しが出たらな」
破流姫はうまくかわして同じく笑った。
三杉のあの剣幕では許しなど永遠に出ない。完全な拒否だ。
男はもったいない、もったいない、と呟きながら書類を捲った。
「そうだなぁ……破流ちゃんは初心者だから、いきなり危険な仕事もあげられないけど……これなんてどうだい?」
中から一枚抜き出し、破流姫に差し出した。
「薬草採取?」
依頼表の上の項目にそう書かれていた。
「簡単そうに聞こえるだろ? 聞くとやるとじゃ大違い。ま、薬草摘むのは簡単だけどね、場所が問題なんだよ」
破流姫も後ろの二人もそろって興味を示した。
「この街の南門からしばらく行くと大きな森に出る。通り抜けるにはややしばらくかかる大きな森で、下手に道から逸れると迷子になる。薬草は奥に分け入ったところにある。調剤師たちが道と目印をつけているから、まぁ、迷うことはないだろう」
「それのどこが問題なんだ?」
三人がそれぞれ頭に浮かべた疑問を、華青はいち早く口に出した。
「この森な、半年くらい前から盗賊が出るんだよ」
あぁ、と三人は納得した。そして三杉はまた駄目を出した。
「そんな危険なところに破流様をやるわけにはいかない」
「そうなんだけど、盗賊もいつも出るってわけじゃないんだ。明るいうちなら女でも行けるらしい。ただ、いつ出るかわからないから近寄らないそうだが」
「盗賊稼業にも休日があるのか」
そう茶化したのはやっぱり華青だ。
「盗賊は何人くらいだ? 金品を奪うのか? 命も?」
破流姫は矢継ぎ早に質問する。
「今のところ死人が出た話は聞かない。だけどこれからも出ないかどうかはわからない。多い時で十数人くらいはいるらしい。もちろん盗賊だから、身包み剥がされる」
「そんな、そんな危険なところに……」
険しい表情の三杉に、男は二カッと笑って言った。
「だから、な。三杉も行けばいいだろ? それなら安心だ」
「いい考えだな。もしもの時は師匠にまかせろ」
無責任に賛成する華青にも、男は同じように笑って用紙を一枚差し出した。
「もちろん、お前も行くだろ? これ、頼んだ」
その依頼書は『盗賊退治』。クラス保持者への依頼だった。
「何だよ、ついでに片付けろってことか?」
自分に話を振られると、華青は途端に嫌そうな声を上げた。
「同じ場所に出向いて二つの仕事が片付くんだ。一石二鳥じゃないか」
「それはあんたにとって、だろ?」
「ほら、三杉も行くんだからさ、二人でチョイチョイっとやってくれよ」
ただの付き添いの三杉を勝手に加え、面倒臭がる華青に男はごり押しで仕事を押し付ける。
「三杉は行くとは言ってないぜ?」
「いいや、行くね。恋人のためならどこにでも行くね」
「こっ……こ、こ、こ……」
相変わらず面白い反応を返す三杉に、カウンターの男は
「行くよな、もちろん?」
と肯定を促し、華青は
「断れ、三杉」
と拒否を促した。
言葉に詰まった三杉が不意に破流姫を見遣る。
口元に嬉しそうな笑みを浮かべ、依頼書をじっくり読み込む姿を前にしては、拒否の言葉などとても言えなかった。