第4話
「いつも身に付けて大事にしているようだったから、恋人からもらった物かと思っていた」
さらりと言い放たれた言葉を、三杉は赤くなって否定した。
「ち、違います! 外すと違和感があって、そのままつけっぱなしにしていただけです」
ふーん、と破流姫は疑わしげな目で三杉を見た。
「本当です。一度つけると外すことはないんです。な、そうだろう、華青?」
三杉は無理矢理話を華青に振って同意を求めた。
「まぁな。別に外しても問題はないが」
「華青! これは肌身離さず身につけているものじゃないか!」
「だけどお前、いい就職先見つけたんだろ?」
ギルドから離れればクラスは無意味だ。ダイヤを身に付けている理由はない。
「装飾品として価値もあるが、心配するな、破流。三杉のは確かに恋人の贈り物じゃない」
「し、心配って……」
過剰に反応する三杉とは打って変わって、破流姫は無表情だった。
「こいつはな、よく女にモテたが、いい人止まりで恋人はいなかった」
華青はなぜか嬉々として三杉の暴露話を始めた。
「誰にでも優しくするから、勘違いさせるんだ。だけど三杉にその気はないから、みんな諦めて去って行く。三杉が気づくのはしばらく経った後だ」
「そ、そんな話……もういい」
三杉は赤くなって俯いた、ちらりと破流姫を盗み見ると、彼女は特別感情を見せずに黙って華青の話を聞いていた。
「三杉が好きになった女もいた。だけどこいつは――」
「待て!」
三杉が叫んだのと破流姫が制止したのは同時だった。
華青は飛びつこうとした三杉をかわして二人を交互に見、三杉は華青に手を伸ばしたまま隣の破流姫を振り返った。
破流姫は無表情だったが、三杉を見て口の端を上げた。
三杉の背に悪寒が走った。
「その話、酒場でゆっくりと聞こう」
華青もそれに合わせてニヤリと笑った。
「いいとも。酒の肴にちょうどいい」
三杉は絶望に似た無力感を味わった。
何でこんなところでも気が合うんだ?
破流姫ひとりでも持て余し気味なところへ、厄介な華青が加わってはもう、三杉に太刀打ちなどできないに等しい。
「夜が楽しみだな」
「俺も久しぶりに美味い酒が飲めそうだ」
二人そろってフフフと笑い合えば、それは何だか悪魔のほくそ笑みに見えた。
「では行くとするか、カヨウ」
「華青だ」
「華青」
当たり前のように名前を間違える破流姫と、何事もないように訂正する華青は、三杉を置いて歩き出した。
二人のその後ろ姿を見て、三杉は急激な寂しさに襲われた。
入って行けない……。
ここまで気が合う二人なら、いっそのこと華青を従者に迎えるべきではないのか。役に立たない自分より、もっとずっと頼りになるだろう。
そう仮定してみたが、自分で自分を悲しくさせただけだった。
「何してる、三杉! 行くぞ!」
自分を呼ぶ破流姫の声に、三杉は途端に胸が温かくなった。
まだ。今しばらくは。
三杉は急ぎ足で二人を追いかけた。
◇
ギルドにはまばらに人がいた。男も女もいたが、その年代はまちまちだ。
ごく一般的な家を三軒、横に繋げたくらいの広さがあり、壁は様々な張り紙で埋め尽くされていた。
雇用人を募集する飲食店、仕事を探す絵描き、御愛顧記念大特価を謳う旅雑貨専門店、お尋ね者、賞金首の張り紙はかなり古くて色褪せたものもあり、逆に額縁に入ってひと際目立つように並んでいる、クラス保持者の顔も並んでいた。
「おい、三杉も晒されてるぞ」
一番上の段に掛けられている三杉の顔を見つけて、破流姫が言った。
「馬鹿か。ああいうのは晒されてるとは言わないんだ」
遠慮のない華青の罵倒が素早く飛んだ。
「俺と三杉と、もう一人が並んでるだろ? あれがダイヤクラスだ」
三杉も華青も今より幾分若い感じだ。端にいるもう一人も、似たような年齢の、人当たりの良さそうな柔らかい印象の男だった。
「あの男はどこにいるんだ?」
「さあな。気に入った街に逗留してるか、ぶらぶらと世界を歩き回ってるかだ。俺たちはお互いに干渉し合わない。組んで仕事をすることもあるが、同じ街にいること自体稀だから、滅多に会わない」
破流姫はふうん、と言ってまた三人の並んだ額の絵を眺めた。
「下に名前と、手掛けた主な仕事が書いてある。あれが判断材料となって仕事が依頼される」
上段の三人は護衛から野盗退治、犯罪者の確保、変わったところで王宮建築の労働、それに伴う引っ越し作業、国営庭園の手入れ、などを経験していた。
「色々やってるんだな」
「仕事を選んでたら食って行かれないからな」
逆を言えば何でもこなせるということだ。何でもこなせるから、依頼人も信頼できるのだろう。確実な仕事を期待するのなら、やはりこの三人に頼むべきなのだ。
「お前たちを指名するのは高額なのだろうな」
「まあな。無名の三倍はかかる。ギルドの裁量で割り振られた仕事なら三割増しかな。自分で勝手に選んだものなら相手の言い値だ」
「それじゃあ、偶然お前に当たることもあるのか?」
「まぁ、そうだな。面白そうなら何でもやるぜ、俺は」
「ふーん。お前に当たった者は随分と得する話だな」
「お陰様で喜んで頂いております」
華青は気取った風に一礼した。
「私もなる。ダイヤを目指す!」
拳を握って決意を表す破流姫は、希望を胸にキラキラと目を輝かせた。だが三杉は眉根を寄せて、今日何度目かの溜め息をそっと吐いた。
「破流様の目指すものは他にもあります。というより、そちらを目指してください」
そばでボソリと漏らす三杉に、破流姫は興をそがれてやや不機嫌な眼差しを向けた。
「何を目指せと言うんだ?」
国王。あるいは王を支える王妃。国を幸せで満たし、民に平安を与える。それが破流姫の役割だ。
よもや忘れたわけではないだろうな、と訝しむ三杉だったが、この場で口にできない話題だったために、叱られたように黙り込んだ。
「志は大きいほうがいいぞ、破流。それにはまず第一歩だ」
「おう」
受付へ促す師匠に、弟子はすぐさま機嫌を直して付いて行った。名前だけの師匠はとぼとぼ後をついて行った。
「おや、華青。久し振りだな」
カウンターの中から愛想よく声をかけたのは、受付にはおよそ似つかわしくない、がっちりとした体躯の男だった。
「元気だったのか? ちっとも仕事してないみたいだけど」
「相変わらずだよ。でかい仕事も飽きてきたからちまちまとやってたのさ」
「つまみ食いもいいけどさ、たまに指名も受けてくれないと仕事が溜まる一方だって、みんな嘆いてたぜ」
「ルニーは?」
「一人で裁き切れる数じゃないって。三杉がいれば二つ返事で引き受けてくれるのにな」
「三杉ならいるぜ」
華青が振り向いて一歩横にずれると、しょんぼりと気落ちした三杉が立っていた。
「三杉! おい、懐かしいなぁ! こっちに戻ってきたのか?」
華青に対するよりもさらにもっと笑みを濃くし、カウンターから身を乗り出して男は三杉を歓迎した。
「美人のお姫さんに一目惚れして城で働いてるって聞いたけど、どうしたんだ?」
三杉はここでも真っ赤になってカウンターに詰め寄った。
「違う! 違うんだ! それは出まかせだ!」
「だけどいい加減な噂でもないんだよな」
そう言って華青は破流姫の背を押し出した。
華青の大きな体の後ろから現れた破流姫を見て、男は驚きと称賛の声を上げた。
「おぉ! 随分と可愛い子を連れてるじゃないか。三杉の恋人か?」
破流姫があっさりと否定するのと、三杉が男の襟首を掴まえて否定するのは同時だった。
華青が笑って説明を加えた。
「この別嬪さんは破流と言ってな、三杉のご主人様兼弟子だ」
「何だそりゃ?」
摩訶不思議な華青の言葉に、男は三杉を首元に付けたまま華青に目を向けた。
「三杉は破流の護衛なんだが、破流は三杉に弟子入りして剣を学んでいる。剣士になるための修行の旅に出るそうだ」
華青が言うと男はちょっとだけ驚いて目を瞠った。
「ほほぅ。女剣士とは珍しい。しかもこんなに可愛い子だ」
「違う。剣士なんてとんでもない。そういう方じゃないんだ」
「それにしても、三杉。お前が弟子を取るなんてよっぽどこの子に惚れ込んだな?」
三杉の言い分など聞きもせずに、男はニヤニヤと笑ってそう問い掛けた。
「だから違う! 私は弟子など取らないし、ましてや、その……じゃない……」
後半は呟きとなってほとんど聞こえなかった。男の襟首を掴まえたまま三杉は赤い顔を伏せた。
「まぁまぁ、いいじゃないか」
男がカラカラと笑って三杉の手を叩けば、三杉は俯いたまま握り締めていた両手を力なく離した。
「破流ちゃんよ、三杉を頼むな。この歳まで彼女の一人もいたことないからさ」
「よ、余計なことを言うな!」
怒鳴る三杉の肩を宥めるように叩いて、華青はさも面白そうに言った。
「まかしとけ。俺が何とかしてやる」
色恋沙汰にはてんで免疫のない三杉だったから、二人のいい玩具であった。