第3話
「三杉、見ろ! こんなにもらった!」
甘味好きなのは世の女性と変わりない破流姫が、それは嬉しそうに両手の紙袋を三杉に掲げて見せた。
「破流様、いくらなんでも頂き過ぎではないですか?」
両手一杯では、ちょっともらったにしては度が過ぎる。菓子屋とて商売だ。タダでくれてやっては生活に困るだろう。もっとも、困らない程の裏があれば別だが。
「くれるからと言って無闇にもらってはいけません。世の中には、タダより高いものはない、という言葉もあるのですよ?」
「何だ、それ? タダはタダだろう? 意味がおかしい」
「差し上げたのだから見返りを下さい、ということです」
破流姫は驚いて後ろの菓子屋を振り返った。
菓子屋の店主は好々爺然とした小柄な老人だ。見るからに人が良さそうで、破流姫に対して何か裏を持っているとはとても思えない。
「それはないな。なぁ、じい?」
老人は聞こえてないのか、ただニコニコと笑っているだけだ。
「ご主人、お代はいくらですか?」
三杉が声をかけると、老人は、
「いらないよ」
と言って首を横に振った。
「しかし、こんなに頂いては申し訳ないですから」
それでも老人は、いいんだ、と言って笑った。
「このお嬢さんね、ウチの孫娘に似てるんだよ。遠くに住んでて滅多に会えないからさ、何だか嬉しくってね。しかも孫の好きなお菓子を美味い美味いって食べてくれるんだよ。孫から代金をもらうわけにはいかないからさ。ワシの気持ちだよ」
すでに口に入れていたのか。
三杉はその要領の良さに感心半分、呆れ半分で破流姫を見た。
「人の好意は素直に受け取るものだ」
自分の行為を正当化しようとしてか、破流姫は偉そうに言った。
自国でもそうだった。傍若無人なのになぜか商人たちにウケがよく、街に馴染み切っていた。破流姫を悪く言うものは誰一人としてなく、皆が破流姫を愛していた。
その人柄がここでも発揮されたのだろう。金物屋といい、菓子屋といい、破流姫をさらりと受け入れ、好意を見せてくれる。
三杉は溜め息を一つ吐き、菓子屋の店主に礼を言った。
「では、有り難く頂戴します」
破流姫はそれに続けて、
「またな、じい」
と紙袋を持った手を振った。
「あぁ、またおいで」
店主も優しげな笑顔で片手を挙げた。
「この国はいいヤツばかりだな」
紙袋は三杉に渡さず、自分で抱えて中を漁りながら破流姫が言った。
三杉はやや気を引き締めて破流姫と向き合った。
「いいですか、破流様。たまたま良い方に当たっただけで、みんなが善人とは限りません。下心を持つ者もいるのです。親切にしてもらったからといって、その人が信用に値するかどうかはわからないのです。お菓子を目当てに付いて行ってはいけませんよ」
破流姫は聞いているのかいないのか、袋の中から取り出した丸い揚げ菓子を華青に差し出した。
「俺にくれるのか?」
「美味いぞ」
「こりゃどうも」
「下心はないからな。純粋な好意だ」
聞いてはいたらしい。
「ほら、お前にもやるから、そうガミガミ怒るな」
「あ、ありがとうございます」
思わず受け取り、甘い匂いとほんのり温かさを感じて一瞬気が逸れた。
「私とて物に釣られたわけではない」
手元から視線を上げると、破流姫は自分の分をパクつきながらもごもごと言った。
「馬鹿ではない。稀代の詐欺師ならともかく、あのじいはどこからどう見たって善人だ」
「それはそうですが……」
「誰もが善人たり得ないことは、身に染みてわかっているだろう。ここにいるそもそもの理由は何だ? あの大馬鹿者のせいだろう? あの馬鹿が信用に値しないのは一目瞭然」
それはそうだ。みながみな善人であれば、この国にいるはずはないのである。
悪人、とまではいかないものの、おかしな兄弟の見栄の張り合いに担ぎ出され、計り知れない迷惑を被った。
「あいつは善人か? だったらお前と二人でここにいるはずがない。では親切か? こちらが言い出さなければ馬も旅費も手にしてなかった」
それはちょっと違う、と三杉は心の中で反論した。
諸々のことをばらされたくなければ一番いい馬と余るほどの旅費を寄越せ。
成す術もなく泣いている相手にそう凄んだのだ。
そこだけ見れば完全に破流姫が悪人だろう。そこまでの原因と過程を合わせればやむを得ない、とも言えなくはないが。
「じいとあの馬鹿を同等に見てはじいに失礼だろ。まぁ、あいつのお陰で面白いことができそうなのは評価してやるがな」
にんまりと笑った破流姫は、美しいながらも極悪だった。
そうだ……姫様が群を抜いて突飛だった……。
三杉はもう心の中でさえ反論できなかった。
口を噤んでしまった三杉には目もくれず、破流姫は揚げ菓子を齧りながら踵を返した。
一歩踏み出したところで、華青が咄嗟に腕を掴んで引き止めた。
「ちょっと待て」
破流姫は華青を振り返り、揚げ菓子で一杯の口ではなく、やや上がり気味の目に疑問を浮かべた。
「お前は先に立って歩くな」
そう言って破流姫を引き寄せ、自分と三杉の間に入れた。
「まだ見習いなんだろう? 俺たちと並んで歩け。先に立って歩くと強盗や獣が襲ってきたとき、真っ先にやられる。かといって後ろについてもダメだ。奴らは一人のところを狙うからな」
華青は破流姫が本当に三杉の弟子と思っているのか、その位置づけを見習いとした。
旅に関しては見習いだが、剣の腕なら基本はできている。馬鹿にするなと怒るかと思われたが、意外にも破流姫は素直に頷いた。
「いつもそばを離れるな。目を離した隙に襲われたんじゃ話にならない」
「それでは私はお前たちに守ってもらうことになるのか?」
「当分のあいだはな。そもそもお前、旅をするのも初めてなんだろう? 基本ができるまでは師匠にくっついているのが一番だ」
「なるほど。では頼んだぞ、師匠」
「おう、任せとけ」
偉そうに胸を叩く華青を、破流姫は機嫌のよい笑みで見返した。
三杉は、いつも叱られてばかりの自分と違い、すんなりと認めてもらえた華青が羨ましくもあり、悔しくもあった。そして蚊帳の外の自分が悲しくなった。
「それで、宿屋はどこにあるんだ?」
そんな三杉を気にもかけず、破流姫は華青に訊いた。
「俺の定宿があるからそこに行く」
「定宿!」
破流姫は目を輝かせた。
「旅慣れている者の証拠だな。どこの街にも定宿があるのか?」
「そうでもない。たまたま気に入った宿があればそこを使うだけだ」
「その条件とは何だ?」
ワクワクしながら教えを乞うと、華青は胸を張って得意げに言った。
「美人の女将と美味い飯」
それを聞いた破流姫はあからさまにがっかりした。
「美人女将がいれば、疲れた心も生き返るってもんだ。飯が美味いのは言わずもがなだけどな」
そう説明してもらっても、破流姫の落胆は変わらない。
「私には魅力的に聞こえない」
それはそうだろう。女将が美人であっても破流姫には何の利点もない。食事に至っては、普段から上等な食事をしている破流姫だ。美味い飯と聞いて心動かされるわけもない。
「お前は贅沢をしているからそう思うんだ。長い旅をすれば食事にありつけないことだってある。女の姿どころか、人さえ見えない場所もある。美人に酌をしてもらって美味い飯を腹一杯食えるのがどれだけ幸せなことか、今にわかるぞ」
精神的にも肉体的にもひもじい話を、破流姫はなぜか顔に期待感を滲ませて聞いていた。
思えば三杉の辿ってきた傭兵時代の話も、同じ表情で聞いていた気がする。それが原因か、今では三杉の手に余る風変わりな姫になってしまった。黙って微笑んでいれば見目麗しい姫君なのに、その懐に趣味で一振りの剣を隠し持っているなど誰が想像するだろう。華青の教えはそんな破流姫を助長し、今後に悪影響しか与えないだろう。今更気がついても仕方がないが。
「その美人女将の宿へ早く行こう」
すっかり乗り気になった破流姫に急かされた華青だったが、片手を挙げてそれを遮り、勿体ぶって言った。
「宿に行く前にギルドだ」
「ギルド? それは何だ?」
「仕事を斡旋する機関だ。独立した機関で、国にも街にも縛られない。よっぽど小さな町や村でなければ、大抵どこにでもある。横のつながりがしっかりしていて、国を跨ぐような仕事でも、請け負ったり精算したりできる。ここのような大都市にきたら、まずはギルドに行け」
「職業斡旋所か。行ったことはないが、話だけは聞いたことがある」
いらない知識がどんどん増えて行く。生徒よろしく、頷いて理解を示す破流姫を、三杉は心配げに、そして少し悲しげに見た。
華青と破流姫。会って数分で立派な師匠と弟子だった。
「どんな仕事があるんだ? 私にもできるか?」
弟子の基本的な質問に、師匠は一から教え始めた。
「色んな種類の仕事がある。まずは簡単な仕事を数こなして名前を売るんだ。大きな仕事を引き受けられるようになれば、そのうち指名されるようになる」
「仕事がお前を指定するのか?」
「そうだ。是非俺にやって欲しいと依頼される。そうなるまでには名前を売り、信頼を得て、ギルドでクラスを与えられなきゃならない」
「クラス? それはどういったものだ? クラスが与えられると何が違うんだ?」
「クラスは実力と信頼の証だ。ギルドのお墨付きってことだな。実入りもいいが、失敗は許されない。だからそう簡単にクラスは与えられない。上からダイヤ、ルビー、エメラルドの三つがある。今のところ、ダイヤで三人、ルビーで七人、エメラルドで十人だ」
少し増えたんだな、と三杉がぽつりと呟けば、破流姫はようやく三杉を振り返り、
「三杉はどうだ? クラスがあったのか?」
と訊いた。
「三杉も俺もダイヤだ」
得意げなその声に、破流姫は今度は華青を振り返った。
その左耳を指差す先に、小さなダイヤが光っていた。
破流姫はまた三杉を振り返り、左耳を見た。
同じくダイヤが光っていた。