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第21話

 破流姫に最後の挨拶を、と行きかけた三杉の腕を、華青は掴んで引き戻した。

「おいおい、待て。お前の代わりにって何だ? お前、どこ行く気だ?」

 問い詰められると悲しみがぶり返してきそうだったが、振り切るように敢えて笑顔を作って答えた。

「どこって、当てはないけど、またギルドの仕事でもしようかな。腕は鈍ってるだろうけど、そのうち勘を取り戻すだろうし」

「ギルド? 何でギルド? 破流姫様はどうするんだよ?」

「だから、華青がお側でお仕えするんだよ」

「はぁ? 何で俺? お前は?」

 要領を得ない華青に、一連の成り行きを聞いていなかったのか、と三杉は訝しんだ。

「さっき姫様が言っただろう? これからは華青に頼むって」

「知らねぇよ!」

 あぁ、やっぱり呆けたままで聞いていなかったのか、と得心した。

 間髪入れずに思い切り否定した華青は、続けて思い切り拒否もした。

「やだよ! あんなぶっ飛んだお姫様……じゃない、えぇっと、ちょっと風変わりな感じのお姫様? お前だからやっていけるんだよ。俺じゃ無理だって」


 確かに一般的な姫君とは違い、一風変わった人格ではある。噂に名高い破流姫像はまるで女神のようだと称えられているが、実際は女神は女神でも戦いの女神だ。剣を携え、自ら先頭に立って突き進んで行く。穏やかな微笑みで周りを照らすような太陽であったなら、華青も喜んで任に就いただろう。

 そんな破流姫でも、三杉にとっては太陽なのだ。側で幸せを見守っていたかったが、それが出来ないのだから華青に任せるしかない。


「華青ならきっとうまくやっていけるよ。私では失敗ばかりだから……」

 最後の最後で怒らせてしまうのだから、どうしようもない役立たずだ。

「だから! お前は人の良さで世の中渡って行けるんだよ。失敗の十や二十でへこたれることないって」

 十や二十は十分にへこたれていい数だ。慰めてくれているようだがしっかり傷ついた。


「大体、何でそんな話になるんだよ? 俺はやるとも言ってないし、やりたくねぇよ」

 解雇処分を聞いていなかった華青には説明が必要なようだったが、自分で言うのは惨め過ぎた。

 言おうかどうしようかと考えあぐね、結局、

「私は必要とされていないんだ……」

 と自分の爪先を見ながら力なく言った。

 華青が強く腕を掴み、顔を覗き込んで諭すように、宥めるように言った。

「してる! 必要としてる! 破流姫様にはお前が必要だ。俺もお前が必要だ」

 優しい言葉は自分のためか、三杉のためか。

 真意を計ろうと穿った見方をする自分が嫌だった。それ以前に、考える気力がない。取り止めのない思いが浮かんでは消えた。


「考え直せ。な?」

 ぼんやりとした目で華青を見れば、いつになく真剣な表情だった。

「姫様はお前がいいって。私はクビだ」

「何でだよ? お前、何したんだよ?」

 三杉は一瞬黙り、意を決して――というより、諦めたように溜め息を吐いてから言った。

「私はただ、ウェイン様と一緒になればお幸せになれるだろうな、と」

 それを聞いて、華青は三杉の腕を振り払うように離し、おまけに肩まで小突いた。

「そりゃお前、お前が悪い」

 言葉どころか、目まで冷たい。

「え? ど、どうして?」

 急に突き放され、しかも蔑んだ目で見られ、三杉は狼狽した。

「お前な、好きな男に、他の男と結婚しろって言われたら、泣くか怒るかのどっちかだろ。あの気性なら激怒して当然だな」

「す、好きって……」

「鈍さもここまでくるとただのバカだぞ?」

 三杉は赤くなって目を泳がせた。

 さすがの三杉もわからないわけではない。だからといってどうにかなるものでもないから、深く考えたりはしなかっただけだ。

「お前と結婚して後を継いでもらうつもりでいるらしいじゃないか。お前、結婚を申し込まれたんだろ?」

「結婚って……そんな……」

「だけどお前が、ありえないって一蹴したんだってな」

「そりゃあそうだろ!」

 三杉はここぞとばかりに声を上げた。

「私に王になれと言ったんだぞ? そんな大それた話、信用するどころか馬鹿げてるだろう?」

 華青は今更ながら破流姫の父の身分に気がついたのか、はっとして目を瞠った。

「しかもご自分は城を開けて剣の修行に行くなどと言うし。誰が承諾できると言うんだ? 諌めるのが当然じゃないか」

 三杉の言うのも尤もだ。全面的に三杉が悪いと決めつけたが、どうやら破流姫も横暴だったようだ。

 華青は腕を組み、難しい顔で考え込んだ。

「ふうん。そういうことか」

「姫様にはきちんとした身分のある方と結婚して、国を守っていただかなきゃならないんだ。私はそのお手伝いができればそれでいい」

 そもそも従者とはそういう立場だ。罷り間違って恋仲になったとしても、行く末は破滅だ。それは過去に例があったし、今でも稀に聞くことがある。そして成就した例はほぼない。

 国の将来、破流姫の将来を思えば、単に好意だけで済まされる話ではないのだ。

破流姫がただの町娘であったなら、何も問題はなかっただろう。だが、もしもの話など慰めにもならない。破流姫は事実、一国の王女で、王位継承者なのだ。

 三杉にできることは破流姫の幸せを願うこと、そのために力の限り尽くすことなのだ。


「まぁな」

 華青は考えがまとまったのか、ひたと三杉に目を向けて言った。

「俺もそう思う。思うけど、女の恋心を切って捨てるってのは、男としてどうなんだ?」

「どう、って……」

 どう、の意味もわからなかったが、破流姫と恋心の関係もなかなか結びつかずに困惑した。

 破流姫だって一人の女性だ。恋だってするだろうが、どうも現実味を帯びない。そしてそれが自分に向けられているというのも、実感が湧かない。


 恋とは心が温かくなるものではないだろうか。自分はそんな気持ちを隠し持ってはいたが、果たして破流姫にその温かさがあったのか、甚だ疑問だ。確かに心内は本人にしかわからないが、いつも傍らで見ていても、ちっとも気が付かなかった。


「あいつは――おっと、あの方はお前が好きだぜ。じゃなきゃ結婚するとか、跡を継げとか、そんな話にはならないだろ。お前だって破流姫様が好きなんだろ? お前が一目惚れしたどこぞのお姫様って、破流姫様だよな? だったらもっと言いようがあったんじゃないか?」

「言いようって? どんな?」

「知らん」

 肝心の答えは簡潔にはぐらかされた。三杉は怒りより先に脱力感に襲われた。

「お前はな、好きだと言った女を鼻で笑って拒否したんだよ」

「そんなことしてない!」

 よもや自分が女性に冷淡な態度を取るなんて、どうしたってありえない。それが破流姫ならなおさらだ。

 だから華青の言葉には、驚くと同時に傷ついた。

「私はただ、姫様の立場とか将来とかを考えて――」

「それは二の次だ。気持ちに応えろとは言わないけど、女を泣かせるな」

 泣くような人じゃない、という反論は、三杉の胸の中だけで浮かんで消えた。

 華青の言うのも尤もだとわかったから。

「とにかく、今はお前が悪い。謝ってこい。土下座でも何でもして許してもらえ」

 もう許してもくれないほど怒り狂っている、という言い訳も、胸の中だけで留めた。

 言い訳をしたところで、悪いのはやっぱり自分なのだ。

 人の気持ちを慮ってやれない鈍感さ、破流姫の好意を受け止めることのできなかった狭量さ、世間体ばかりを気にしてしまった薄情さ。

 人として欠陥だらけの自分を、今更許してもらえるのだろうかと怖気づいた。こんな体たらくでは従者として失格ではないだろうか。


 華青に強引に背中を押され、動かない足が勢いで数歩進み出る。


 破流姫はお菓子を完食したらしく、包みをクシャクシャに握って、砂糖のついた指を舐めていた。

 行儀が悪い、と一瞬三杉の眉間に皺が寄ったが、今は何も言える立場にはない。

ひたすら謝るだけだ。

 果たして謝って許してもらえるだろうか。せめて城へ帰るまでは側に居させてもらえるだろうか。

 お気に入りの華青が口添えしてくれるなら、今しばらくは猶予ができるかもしれない。


 僅かな期待を胸に、三杉はおずおずと声をかけた。

「あの、姫様――」




 おしまい

お付き合いくださいましてありがとうございました。

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