第20話
「恥をお話しするようでお恥ずかしいのですが」
深く息を吐いてから、ウェインは思い切ったように話し始めた。
「以前から父とサリアード卿の意見の対立が見られまして、ここ数年は特に激しく、感情的になることもしばしばでした。それはサリアード卿が、ですが。父は争いを好みません。戦争はもちろん、個人間の諍いも極力避けようとします。それがサリアード卿にはもどかしいのだと思います。争いを避けるあまり、国に不利となる条件を飲んでしまうこともあるからです。どちらの言い分もわかるのです。ですが、息子だからというわけではありませんが、私もどちらかと言えば父の肩を持ってしまいますから、サリアード卿も意見が通らないことに不満を爆発させたのでしょう」
ウェインはがっくりと肩を落とした。
ウェインの優しさ、人の良さは父親譲りらしい。もう少し第二王子のような野心でもあれば、こんな内部分裂を起こさずに済んだだろう。利を得るには戦うことも必要だ。武器を手に取ることではなく、意見をぶつけ合うことで、妥協や譲歩が生まれてくるものだ。
王は単に逃げているだけなのだ。戦うことで自分が傷ついたり他人を傷つけたりすることが怖いのだろう。
それで幾万の民を守れるだろうか。
「話し合われるべきですわ、ウェイン様」
破流姫の柔らかな声がウェインの顔を上げさせた。そして落ち込む肩を優しく撫でるようにふわりと笑った。
「街の住人たちは口をそろえてサリアード卿を褒め称えましたわ。万人に慕われる人物など又とない貴重な人材。敵に回しても不利なだけですわよ。味方に付けてこそ、この国の大きな力となります。そもそもが国を思っての行為。お互いが妥協できる線までとことん話し合うべきです。攻撃し合うばかりが戦いではありませんのよ? 手遅れにならないうちに、隣国の貴族からサリアード卿を奪い返すのです」
破流姫を見つめるウェインの目は次第にキラキラとし、別な意味で熱を帯びたように輝いた。
「破流姫。あなたは女神のような人だ。あなたの言葉で進むべき道が開けました。私たちだけでは名案も浮かばず、国が傾いて行くばかり。破流姫、是非ともこれからの我が国の行く末を共に支えては――」
「ウェイン様」
舞い上がって行くウェインを叩き落とすような、鋭く強い口調で破流姫は言葉を遮った。
口元は変わらず笑みの形を保っていたが、目は笑っていなかった。
「わたくしのことはお気になさらないで。さぁ、今すぐにサリアード卿を呼んで話し合われるのです。こうしているうちにも、あの方は最悪の結末へ走っているのです。引き止めるのは今です。グズグズしていると手遅れになりますわよ」
脅してけしかけると、ウェインは我に返って、また元の不安げな表情に戻った。
「で、では、大変申し訳ないのですが、このことを父に話してきますので、こちらで少々お待ち頂けますか?」
「時間がありませんわ、ウェイン様。わたくしのことは放っておいて大丈夫。一刻も早く和解することが第一です」
そう背中を押せば、ウェインは慌てて立ち上がり、転げるように歩を進めてから部屋の中央で破流姫を振り返った。
「あぁ、せっかく破流姫がいらっしゃっているのに、充分なおもてなしもできずに申し訳ありません。せめて、せめて今夜の夕食は御一緒に――」
「ウェイン様。早く」
ウェインの駄目押しの未練の言葉は問答無用で断ち切られた。
これ以上ここに留まっていると、破流姫の機嫌が急降下し、強暴な素の部分が姿を見せる。
だから早く行ってくれ、と三杉は心の中で切実に願った。
「今日はこちらにお泊り下さい。部屋を用意します」
そう言いながらウェインは扉を開け、廊下に出てから名残惜しそうに言った。
「あなたともっと話がしたいのに……あぁ、本当にすみません。できる限りのもてなしをさせていただきますから。だから是非、夕食をご一緒に……」
扉は無情にもぱたりと閉じた。
破流姫は大きな溜め息を吐き、バリバリと頭を掻いた。
「良い方ですね、ウェイン様は」
三杉の第一印象は、こうして会ってみても崩れることはなかった。
だが破流姫の評価は辛辣だ。
「あれでは駄目だ。王になる器ではない。弟のほうが人を率いて行く力がありそうだ」
「ですが、今は皇太子ですから、王様の元で実践的に帝王学を学ばれれば、良い王様になるでしょう」
「どうだかな。人格者の重臣と足並みが揃えられないのでは、愚王と言われても仕方なくないか?」
「姫様! 何て事を言うのですか。王様もウェイン様もお優しい方なのですよ」
「優しいだけではな」
確かに優し過ぎるからこういった内部分裂も起こるのだろうし、優し過ぎるから解決法も見つけられないのかもしれない。
しかしウェインのようなあのホッとする優しさが、破流姫にはちょうどいいかもしれない。二人一緒になれば、ウェインの暖かさで包み、破流姫の冷酷さで鞭打ち、案外うまくいくのかもしれない。
そう頭で思ったのではなく、無意識に口に出していたらしい。
「三杉」
呼ばれて目を向け、反射的に肩を竦めた。
不機嫌全開な目つきだった。
「そうか、お前は何が何でも私を厄介払いしたいのだな」
違う、と言いたかったが、言葉が出なかった。
「よくわかった。それなら私にも考えがある。泣いて許しを乞うてももう聞く耳は持たないからな」
完全な死刑宣告だった。
血の気が引いて行く音が聞こえるようだった。
破流姫の側にいる権利を華青に奪われ、それを無理に納得して去ろうと思っていたのに、最後の最後で大失態をやらかして見捨てられた。捨てられるだけならともかく、何か恐ろしい仕打ちが待ち受けている。泣いて許しを乞うほどの、何が待ち受けているのだろう……?
「申し訳、ありません……」
消え入るような掠れた声で謝罪をするも、破流姫はすでに無視だ。
「私はそんな……そんなつもりはまったくありません。姫様にはお幸せになっていただきたくて、それで……」
視線すら向けてくれない破流姫が切なくて、三杉は俯いて足元を見つめた。
「あの方はお優しいから、だから姫様をずっと大事にしてくれるのではないかと……そう思っただけで、姫様には何も思うところなど……」
「言い訳はいらない」
ぴしゃりとはねつけられ、項垂れた頭がますます落ちた。
「これからは華青に用を頼むとしよう」
三杉は息を飲んだ。
事実上の解雇だ。こんなにあっさりと、こんなに後味の悪い終わり方など予想もしていなかった。
破流姫の幸せを願っただけだったのに、それがただの迷惑でしかなかったなど、どのみち自分には側仕えの資格などないのだろう。
華青に奪われて当然なのだ。
もう何もかもがおしまいだ。
大きな大きな溜め息をそっと吐くと、不意に涙が込み上げてきた。
出来の悪い従者だったが、それでも一生懸命だった。辛いこともあったが楽しかった。破流姫の側で、叱られながらも幸せな日々を送っていた。側にいるだけで幸せだった。
もう、そんな幸せもなくなった。
「どうした、華青? 黙りこくって、借りてきた猫のようだな」
破流姫は三杉を無視し、フフフ、と人の悪い笑い方をして華青に声をかけた。
「え? あぁ、はい、えぇ……いやぁ、あのぅ……」
しどろもどろで良くわからない返事を返し、最後には誤魔化すようにエヘヘ、と笑って三杉の腕を引いた。そのまま部屋の隅へ引っ張って行き、声を顰めながらも怒鳴りつけた。
「お前、どういうことだよ!」
いきなり怒鳴られる意味がわからず、三杉は悲しげな目をそのまま華青に向けた。
「あいつが……あ、いや、あの方が破流姫様だなんて、お前、何で言わなかったんだよ!」
ようやっと破流姫の正体を知った苦情だ。しかし、今の三杉には取るに足らない問題である。
「言ったじゃないか。身分のある方だって」
ぼそりと言えば、華青は掴みかからんばかりの勢いでまくし立てた。
「そんなもんでわかるか! 俺はてっきり貴族のお嬢さんだと思ってたよ! あの方がお姫様で、しかもあの破流姫様だなんて知ってたら、もっと敬意を払ってたのに! あぁ、俺、破流姫様を馬鹿呼ばわりしちまった……」
華青は頭を抱えてよろめいた。
「どうしよう……名前を呼び捨てにしてた。おい、とか、お前、とか、他にも偉そうに失礼千万なこと言ったよ」
「酔っぱらって抱き付いたしな」
半ば嫌がらせのように付け足してやれば、華青ははっと顔を上げ、青さを通り越して白くなった。
「ヤバい。俺、ほんとにヤバい。極刑にされる。あれは不可抗力だ。な、そうだろ? お目こぼししてくれるよな?」
そう三杉に縋ったところで、従者の役を叩き切られた今の三杉では、何の慰めもできない。
「悪いけど、私はもう……」
「頼むよ! お前しかいないんだ。一生恩に着るから!」
ただの失業者に破流姫への意見など通るはずもない。
ちらりと様子を窺えば、食べ残していたお菓子を口に放り込むところだった。三杉の悲壮感も、華青の焦燥感も、どこ吹く風といった様子だった。
「姫様は華青がお気に入りみたいだから、きっと不問にしてくれるよ。これからは私の代わりに姫様にお仕えしてくれ」
ひと息に言うと、意外にあっさりと言えた。もう自分の中で諦めがついたのかもしれない。
「破流姫様をよろしく頼む。私の代わりに幸せを見守ってくれ」
笑顔で言えた。ほっとした。これでもう思い残すことはない。




