第2話
「三杉、カップを二つもらった」
ほくほく顔でやかんとカップを差し出す破流姫を、三杉は困ったように見、華青は微笑ましく見た。
「良かったですね。商売をやっている人たちと仲良くしておくことは大事です」
言いながらやかんと二つのカップを受け取り、三杉は馬に括り付けている布袋にしまった。
「こうして得をすることもありますし、何より一番の情報屋となります」
真面目な顔で頷いて聞いている破流姫は可愛らしかった。が、旅をすることに反対していた三杉が旅の心得を教えているのも可笑しかった。
「俺たちが一番頼りにしている情報屋は酒場だ」
横から華青が付け加えると、三杉は嫌な顔をして睨んだ。
「酒場か。やっぱり酒場だよな」
破流姫は目を輝かせた。
「旅人が集まる社交場だからな。色んな情報が飛び交ってるぜ」
挑発半分で華青がそう言うと、破流姫は「行きたい」と三杉に視線で訴えた。
「華青、余計なことを教えないでくれ。あんな場所に破流様を連れて行けるわけがない。それに、破流様はまだ十五だ」
酒場は酔っ払いやごろつきの溜まり場だ。そんなところに王族の姫君を連れてなど行けない。『もしも』、『万が一』、そんなことがあってからでは遅過ぎるのだ。
そんな三杉の心配など露ほども思わないで、破流姫は純粋な好奇心で要求する。
「来月には十六だ」
「いいえ、いけません。お年も問題ですが、あそこは破流様の行くような場所ではありません」
三杉がきっぱりと言い切ると、またも華青が横槍を入れた。
「固いこと言うなよ。何事も経験だぞ? お前だって若いうちから修羅場をくぐり抜けてきたじゃないか」
「それとこれとは話が――」
「そうだよな! お前は話が分かる」
破流姫は三杉を押し退け、喜色満面で華青に言った。
「三杉は頭が固いんだ。あれもダメ、これもダメばっかりだ」
ちらりと視線を流され、三杉の心臓は条件反射で縮まった。
「旅に危険はつきものだろう? いくら三杉がいるとは言え、自分で何とかできなければ剣士にはなれないと思うんだが、どうだ?」
破流姫の意見に華青は頷いた。
「そうだ、その通りだ。三杉は過保護すぎる」
「だろう? お前とは気が合いそうだ」
華青はどう見ても面白く話を合わせているだけのようなのだが、知ってか知らずか、破流姫の機嫌は上り調子だ。
なぜむさ苦しい流れ者の華青と意気投合するんだ……?
三杉は複雑だった。
華青は悪い奴ではない。寧ろ楽しい男だし、剣の腕も確かだから良い勉強になる。
だからと言って破流姫に必要な知識も技術も持ってはいない。
破流姫は「姫」なのだ。一国の王女で、しかもたった一人の王位継承者なのだ。過保護にしてし過ぎることはない。いや、寧ろ大人しく保護されて欲しい。
「ということで、三杉」
「はい……」
機嫌のいい破流姫に、三杉はこの上なく沈んだ返事をした。
「今日はここに泊まって酒場に行く」
えぇ……と嫌そうな声が零れそうだったのを、寸でのところで留めた。
「この男ともっと話してみたい」
華青もにんまりと笑って三杉に言った。
「ということだ、三杉」
駄目だと言い張ったところで、破流姫が決めたことに三杉の意見は通らない。
泣きたいような面持ちで三杉は破流姫を見、華青を見た。
嫌な予感は得てして当たるものである。
そう自分に言い聞かせて、こっそりと溜め息を吐いた。
「では酒場へ行こう」
どこともわからずに歩き出す破流姫を、男二人は慌てて止めた。
「待て待て! 酒場はまだ開いてない」
「日が暮れないと開きませんよ」
「そうなのか?」
至極当たり前に破流姫は問うた。
「何て世間知らずなお嬢さんだ」
「知らなくて当然だ」
呆れたような華青に、三杉はムッとして言い返す。
どこに酒場の開店時間を把握している王女がいると言うのだ。しかも未成年だ。知っている方がおかしい。
破流姫もいささか気分を害したように言った。
「お嬢さんではない。私の名は破流だ」
「破流様、だ」
華青は付け足す三杉と破流姫を交互に見て、それから吹き出した。
「そうかそうか。破流な。よろしく」
「破流様だ!」
姫君を名前で呼び捨てるなど恐れ多い。
そう言外に強調する三杉を無視し、華青は破流姫に片手を出した。
破流姫は何の躊躇いもなくその手を握った。
「よろしくな。何とか」
「華青だ」
「華青」
人の名前を憶えない破流姫が華青の名を繰り返したからと言って、記憶したかどうかは怪しかった。
「では三杉。酒場が開くまで買い物の続きをしよう」
意気揚々と言って促す破流姫を、三杉は静かに止めた。
「いいえ、破流様。こちらに泊まるのでしたら、まずは宿を決めなくてはなりません。間違っても街なかで野宿はしてはいけません」
「なぜだ? 寝られそうな場所はいくらでもあるだろう?」
破流姫は人通りの多い市場の通りをぐるりと見渡した。
単に外で転がって眠りたいだけで、場所はどこでも構わないらしい。
「このような大きな街であれば、警備の目が厳しいのです。風紀を乱す者、ひいては犯罪を誘発する者として捕まります。それに、物乞いと同一視されます。彼らは彼らで縄張りがありますから、それを侵していざこざを起こせば、やっぱり警備に捕まってしまいます」
「だからと言ってその辺の小屋や空き家にもぐりこんでも駄目だぜ。持ち主に見つかったら面倒だし、すでに先客がいたりするからな。ボロでも宿屋に泊るのが一番だ。寝台があるだけマシだし、泊り客からの情報も馬鹿にならないからな」
経験者二人の話は説得力があり、破流姫は頷きながら真剣に聞いていた。
「なるほど。お前たちの話はためになるな」
今後、何の役にも立たないだろう知識だ。いらないことをつい教えてしまった自分自身を責め、三杉は頭を掻き乱した。
「では宿屋を探そう」
そう言って破流姫は先に立って歩き出した。
三杉は黙って破流姫の馬の手綱を華青に渡した。
「さすがいい馬だな」
華青は馬の鼻筋を撫でながら感嘆して言った。
体格も毛並みも申し分ない立派な栗毛の馬だ。身分のある家のお嬢様なのだから、連れている馬も立派なものであるのは当然、と思っているのだろうが、その実、この国の第二王子から奪い取った、他人の馬だ。
「さぁ、破流様を見失う前に追い駆けよう」
張りのない、沈んだ声でそう言い、三杉はトボトボと歩き出した。馬が寄り添うように三杉の後をついて行くその光景は、あまりにも悲哀に満ちていた。
お嬢様の我が儘に付き合わされる家来。
何だか笑いが込み上げてきて、華青はそれを堪えながら三杉の後を追った。
「お前、苦労してんな」
ほぼ面白がって慰めの言葉を口にすれば、三杉は前を向いたままぼそりと言った。
「クビになるのも時間の問題だ」
そこに冗談の欠片も見出せず、華青は口元の笑いを引っ込めてそっと訊いた。
「何でだ? 何かやらかしたのか?」
三杉は泣きそうな顔で華青を振り返った。
「いつも叱られてばかりだ。とんでもないことをして迷惑ばかりかけている」
本当に落ち込んでいるらしい三杉に、さすがの華青も軽口を引っ込めた。
「お前、イマイチ要領が悪いもんな。剣技は抜きん出ていいのに、剣を持たないと丸っきりダメ人間だもんな」
三杉は項垂れ、肩を落とし、足取りも重くなった。
「だけどほら、お前はいいヤツだからさ、誠意があれば多少のダメさ加減くらい大目に見てくれるって」
景気付けに肩を叩くと、三杉はとうとう足を止めてじっとその足元を見つめた。
「それも限度があるだろう?」
その言葉の裏に大きな事件が潜んでいそうで、華青はますます興味が湧いた。それでなるべく面白がって聞こえないよう、声を抑えて低く囁いた。
「何があった? 何をしたんだ?」
期待に胸を膨らませて三杉の言葉を待つ。
そうとも知らずに、三杉はぎゅっと目を瞑り、絞り出すように言った。
「命の危険に晒した……!」
華青はわずかに目を瞠り、息を飲んだ。
そこまで深刻な状況に陥っているとは思ってもみなかった。精々、不興を買って怒鳴られでもしたのだろうと予想したが、大きく覆されて二の句が継げなかった。
「護衛失格だ。主人を危険な目に遭わせて、護衛などと言えるわけがない。今日明日にでも放り出される。いや、寧ろ自分から出て行くべきなんだ。なぁ、そうだろう、華青?」
縋るような目で同意を求められても、華青には肯定も否定もできなかった。どういった状況だったのかもわからず、無闇にそうだ、と言って三杉の進退を促すわけにもいかず、かといって否定して慰めるのも違う気がする。どちらに身を振るべきか考えあぐね、最終的に誰かに背中を押してもらうだけのようだが、突然華青にそれを託されても、華青も思わず戸惑ってしまう。
「えっと、そうだな……」
華青は困った様子で、伸びきったボサボサの頭を掻いた。
「まぁ……俺の考えだけど……」
三杉は身の振り方を決める決断の一言を聞き漏らすまいと、食い入るように華青を見つめた。
「破流のそばに居たいんだったら、少しでも長くついていたらどうだ?」
三杉は情けない顔でしばし華青を見つめ、それからゆっくりと俯いた。
「お前はもう用済みって言われるまでさ。あいつがそう言うまで今の立場にしがみつけ。本当は離れたくないんだろ?」
若干低い位置にある三杉の頭は下を向いたまま、返事も返ってこなかった。
考えているのか、あるいは泣いているのか。
その顔を覗き込もうとして腰を屈めたとき、
「……うん」
と、しおらしい返事が聞こえた。かと思えば、急に真っ赤な顔を上げ、華青に飛びついて言い訳をした。
「あ、いや、違う! そばに居たいとかそういうことじゃない!」
やっぱりこいつ、面白い。
内心大笑いしながらも、華青は努めて真面目で冷静な意見を述べた。
「別に否定なんかしなくたっていいって。好きなら好きでいいじゃないか。身分違いだろうが報われなかろうが、好きでいるのは自由だろ?」
「ち、違う! そんなこと言ってない!」
「言ってなくても顔に書いてある」
華青がそう言った途端、三杉は腕で顔を隠して飛び退いた。
「まぁなぁ、好きな女も守れないんじゃ剣士の名が廃るってもんだけど」
そこで華青はつい、と遠くに目を遣った。
「あいつは何とも思ってないみたいだぞ?」
釣られて三杉もそちらを見遣ると、菓子屋の前で両手一杯に紙袋を持った破流姫が、ご機嫌な様子で三杉を呼んでいた。
それを見て華青はとうとう笑い声を上げた。
「いいんじゃないのか、お前たち」
「何が? どういう意味だ?」
さあな、と華青は軽い笑いを残して歩き出した。
「おい、待て。華青」
追い縋っても華青はわざとらしく笑うだけで、三杉の問いに答えることはなかった。