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第18話

 脱ぎ落された薄汚れた衣装は、数日前、同じようにして緊張しながら着替えさせたものだ。

 ある意味先輩の下女は、それをどこか懐かしいように手に取って丸めた。そして新しい衣装に身を包んだ破流姫をうっとりと見た。

「あぁ、素敵です、姫様」

 やっぱりあの時と同じ台詞が口をついて出た。

 破流姫は首元の留め金を留めてもらいながら、窮屈そうに頭を振った。

「絞め殺されそうだ」

 さすが破流姫の感性は人を震え上がらせるものがある。

 衣装係の下女は瞬間に手を止め、それからゆっくりと、そっと、最後の留め金を留めた。

「何てお美しいんでしょう」

 正面にいたお茶係の下女も、そう言って感嘆の溜め息を吐いた。

 衣装係の下女はその言葉に恐怖も忘れ、破流姫の前に回った。

「まぁ、姫様、良くお似合いです。とっても素敵です」

 胸の前で両手を組み、うっとりと眺めた。

 破流姫本人は特別何の感慨もないようだった。逆に首回りが気になるらしく、引っ張ったり押さえたりしていた。


 胸元がやや寂しい。

 そう思った衣装係の下女は、衣装箱から装飾品の小箱を取り出した。

 それを先輩の下女は黙って押し留め、彼女の目を見て首を横に振った。

 なぜ止めるのかと不思議に思って見つめ返した。

 美しい衣装には美しい装飾品を。それがさらに破流姫の美しさを際立たせるのに。


 先輩下女は無言のままブラシを手に取り、小箱と引き換えに彼女に押しつけた。

「姫様、御髪もよろしいでしょうか?」

 彼女の疑問を無視して破流姫にそう声をかけた。

 破流姫は二人に目を遣り、次いで手に持ったブラシを見、そして黙って椅子に腰掛けた。

「慎重に」

 先輩下女は忠告のような励ましのような言葉を後輩にかけ、ブラシの持つ手をぎゅっと握った。彼女も何だか大仕事を請け負ったような錯覚を起こし、大きく頷いてからそっと破流姫の背後に立った。

 失礼します、と声をかけてから髪を梳く。

 もつれて跳ねた毛を引っ張らないように注意しながら、そっと撫でて行く。少しでも引っ掛けようものなら、自分の死期は確実に迫ってくるだろう。計り知れない緊張感を持ちながら髪を梳き、毛先までさらりと通せば、見事なまでに美しく艶やかな黒髪へと変わった。

 この黒髪には真っ赤な宝石が似合う。いや、それとも衣装に合わせて華やかな黄色がいいだろうか。真珠の滑らかな白もよく映えるだろう。

 想像だけでうっとりとする下女をよそに、破流姫は目の前で同じくうっとりと呆けているお茶係の下女に命令を飛ばした。


「お前、三杉たちを呼んでこい」

「はいっ!」

 下女は咄嗟に良い返事をして部屋を飛び出して行った。

 二人の下女は無意識に羨ましそうな目をしてその後ろ姿を目で追った。


「お前」

 二人ははっとして破流姫に目を戻した。二人のうちどちらを呼んだものか判断がつかなかったから、お互いに緊張の面持ちで次の言葉を待った。


 破流姫は無言で空のカップを持ち上げた。

 即座に反応したのは先輩の下女だ。素早く動き、カップにお茶を注いだ。

 それを一口含むと、破流姫の眉間に皺が寄った。

 下女はそれだけで体が竦み、死刑執行を待つ囚人のような恐怖と絶望感とで血の気が引いた。

 破流姫は一気にお茶を飲み干し、

「温い」

 と不機嫌そうに言った。

「申し訳ございません! ただ今別なものをお持ちします!」

 下女は死の恐怖に怯えながらも必死に取り繕おうと、慌てふためいてお茶の道具を片づける。下女の恐怖心に同調するかのような、耳障りなほどの食器の音の合間に、破流姫の声が重なった。

「いや、いい」

 下女はその台詞に思わず手を留めて破流姫を見た。

 聞き間違いかと思った。あまりの恐怖に幻聴が起こったのかとも思った。

 しかし破流姫はカップを投げつけるでもなく、毒のある言葉を吐くでもなく、無言でまたカップを差し出した。

 その意味に下女は悩んだ。

 温いと言ったお茶をまた飲みたいのだろうか。それともカップを返すという意味だろうか。対極にある解答の、どちらを取れば正解だろう? 間違えば恐怖のどん底に叩き落とされるのは必至だ。

 あっちこっちと揺れる下女を、破流姫は無感動に見て、

「お茶」

 と一言言った。

 下女は瞬時に動き、お茶を注ぎ入れた。

 先程の「温い」は、苦情ではなくただの感想だったらしい。

 紛らわしい破流姫も早とちりの自分もさておき、大きな安堵に肩の力が抜けた。


「味もいいが、香りもいいお茶だな」

 今度は口に含まず、匂いを嗅いでからそう言ってカップを膝の上に置いた。

「え……あ、はい」

 罵倒以外の言葉が出るのかと、下女は拍子抜けして間の抜けた返事をしてしまった。

「この国で作られているのか?」

「い、いえ、北方の国から取り寄せている物です。王様がお気に召しているので」

 破流姫はふうん、と納得してから、カップに口をつけた。


 想像もしなかった展開に、下女は不安になった。

 単にお茶が気に入ったのか、それとも何か別の意図があるのか。

 破流姫のこれまでの行動を考えれば、何か良からぬことが起こりそうな予感がする。大いにあり得る。ひしひしと感じる。

 警戒し、ビクつきながら破流姫を見つめていると、不意に扉が叩かれ、思わず飛び上がってしまった。


「入れ」

 凛とした破流姫の声が響くと、お茶係の下女と、うしろから見覚えのある三杉、そして誰だかわからない男がひとり入ってきた。

 三杉よりは幾分逞しい体つきで、しかし同じ格好をしているので破流姫の従者と思われる。

 その男が開口一番、とんでもない口調で破流姫に声をかけた。

「おい、破流。お前――」

 言いかけた途中ではっと息を飲み、まじまじと破流姫を見て溜め息を吐いた。

「はぁ……。そうやって黙って座ってりゃお上品に見えるのにな」

 あまりの馴れ馴れしさ、無礼さに驚き固まった。

 従者が主人に対する口の利き方ではないどころか、破流姫に対する敬意がまるでない。

 三杉と同じ格好をしているから従者のように見えるが、本当は身分ある者かもしれない。いや、それなら従者の恰好など初めからしないのではないか。いやいや、破流姫の近しいもので身分のある者なら、少々変わっていて従者の格好も平気でするかもしれない。

 その証拠に、破流姫は激怒するでもなく、射殺すような視線を投げるでもなく、無表情に言葉を返した。

「元々お上品に生まれついているからな」

 破流姫が言うと嫌味に聞こえない。

 当たり前の事実に、男も言葉を詰まらせた。そして負け惜しみのように言った。

「ケッ。中身と外見は大違いだぜ」


 確かに。

 そう思ったのは自分だけではないはずだ。

 思うだけで口になど死んでもできない。それを自然にやってしまうこの男に好感を持った。


「それより、お前、何を人様の使用人泣かせてんだ? このオネエチャン、目が真っ赤だぞ?」

 お茶係の侍女を指差して男は言った。

 他の者が言ったならきっと不敬罪で首をはねられるに違いない、胸のすくような思い切りのいい台詞だ。

「大した仕事もできないから泣いて誤魔化してるんだろう」

 破流姫の台詞は相変わらず辛辣だ。

 心に大きな刃が突き立てられ、俯いた。

「自分の家じゃないんだから思い通りになるわけないだろ。人の家で傍若無人になれるお前がすごいよ。少しはオネエチャンたちの身にもなってやれよ」

 男の言葉に胸を打たれ、はっと顔を上げる。

「どうして私が使用人の立場に立たなければならないんだ?」

「それが思いやりというもんだ」

 あまりのあたたかい台詞に涙が滲んできた。


 下女は主人の思いやりを期待しない。主人の望むように仕事をし――時には先回りして自ら動き、そうして給金をもらうものだ。街でお針子をするより、食堂で料理を運ぶより、破格の金額をもらう代わりに、破流姫のような我が儘や理不尽には耐えなくてはならない。

 破流姫はいささか度が過ぎているように思えるが。恐らく破流姫のお世話をする侍女たちは、人間が出来ているに違いない。そうでなければ務まるわけがない。この男のように諌める人があれば、あるいはどうにか耐えられるのか。

 破流姫の侍女は尊敬に値する。そして、自分はこのお屋敷で幸せであると実感した。


「それは違うな」

 破流姫はあっさりと男の言葉を否定した。

「私は使用人ではない。立場が違う。その違いを超えては、私とこいつらの境がなくなってしまう」

「そりゃまぁ、そうだけどよ。だから多少は、だよ。なぁ?」

 そう言って同意を求めようとしたお茶係の下女に目を向け、そしてあっ、と声を荒げた。

「あんたも苛められたのか? 泣いてたんだろ?」

 彼女は慌てて俯き、指先で目を擦った。

「主人とか使用人とか関係ないぞ。人としてどうなんだ?」

 破流姫は冷めた目で男を見て、ふん、と鼻を鳴らした。

「こいつらは使用人として使えない。ここの主人が馬鹿だから、使用人も考えが甘い。思いやり? ふん。お前の言ってるのはただの甘えだ。主人はこいつらを仕えるように仕込み、こいつらはその家に忠誠を尽くして働く。それがお互いの立ち位置だ。お互いがお互いに立ち入ってはならない。些細なことでも目を瞑れば、こいつらは仕事を覚えるどころか、妥協するだろう。それではいつまでたっても使える人間は育たない」

 はっきりきっぱりと言ったその言葉に、男は何も言い返せず、あぁ、とか、まぁな、と言って濁していた。

 その男の姿がなぜか滲む。

 涙が込み上げてきたとわかったのは、一粒零れてからだった。


 破流姫の醸し出す恐怖は、使用人に対する思いやりだったのだ。そうとわからせないところに破流姫の優しさが見て取れる。我がままや理不尽だと思っていた自分が恥ずかしかった。一国の姫君という身分も位もある、普通なら近づけもしない人が使用人のためを思ってくれるという、懐の深さに感無量だった。

 見れば他の二人も涙ぐんでいる。


「あ、あれ? 何で君たち泣いてるの?」

 男がそう声をかけたのを合図に、涙は止めどもなく流れ始めた。

「ちょっと、何で? 泣くなよ、おい」

 慌てる男に破流姫はお茶を飲みながら静かに言った。

「お前が泣かせているように見えるぞ」

「え、嘘、俺のせい?」

 破流姫の優しさが心に響いていない男の後ろで、一言も発しない三杉が溜め息を吐いていた。




ただの意地悪だと思われます。

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