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第16話

「お前なんかが行っても相手にしてくれないぞ? いくら着飾ったって無理だろ」

「そのために馬鹿王子を利用するんだ」

 先ほども聞いた『馬鹿王子』という名称がようやく気にかかった。

「お前、いくらなんでも王子に馬鹿はないんじゃないか?」

「救いようのない馬鹿だから仕方がない」

「王子を知ってるような口振りだな。それにお前の服があるってどういう……あ! あれか! お前、王子の嫁候補か!」

 驚き半分、感心半分で声が大きくなる。


 身分の高い娘だ。王子の結婚相手に不足はないだろう。今の今まで頭では分かっていたものの、本当にそんな立場の娘なのだと改めて気づかされる。


 感心したように目を向ける華青の視線を受け、しかし破流姫は本当に嫌そうに睨みつけた。

「ふざけたことを言うな。私は馬鹿は嫌いだ」

 その暴言は王子に向けたものだったろうが、華青に向けたもののようにも聞こえた。


「ヒール様は第二王子なんだ。候補に挙がってるのは第一王子の――」

 余談ではあったが、説明しようとする三杉に射殺すような鋭い視線が向けられ、言葉は途中でプツリと消えた。

 だがそこまでの説明でも華青はしっかりと理解でき、妙な声を発した。

「ほぇえ……すげぇな、お前。何か……お前とか言ってるのも不敬罪になりそうだな。行く行くはこの国の王妃になるのかぁ」

「なる気はない」

「はぁ? 何言ってんだよ、王妃だぞ、王妃。お前、やっぱすげぇよ」

 華青は『すごい』を連発し、未来の王妃と知り合いになった、と感動さえした。


 それを無視し、破流姫は三杉を先へ促した。

「私の世話係になった侍女にすべて用意させろ。それから、お前たちの着替えもだ。あの護衛の衣服でももらえ」



 ◇



 三杉はヒールの屋敷まで馬を走らせ、後に残った破流姫と華青はのんびりと進んだ。

「どうせなら一緒に走った方がよくなかったか?」

 もっともな華青の意見も、破流姫はただ、向こうで待つのが面倒、という素っ気ない返事で一蹴した。

「はいはい、王妃様のご意見は御尤もです」

 面倒臭そうに答える華青をひと睨みし、こちらも面倒臭そうに溜め息を吐いて言った。

「お前は馬鹿か? 私は嫁入りする気はないと言っただろう?」

「それは三杉を婿にもらうからか?」

 破流姫は何か言いたげにじっと華青を見たが、口を開かないまま視線を外した。


「なぁ、悪いことは言わないから、三杉はやめとけ」

 外した視線をまた華青に向け、破流姫はなぜかと問うた。それは否定に対する憤りより、ただ理由が知りたいという、純粋な疑問だった。

「そもそも身分が違う。お前がよくても周りが許さないだろ。無理に押し通したところで、お前たちは幸せになれると思うか? 三杉は周りを気にする奴だ。いつまでもお前と釣り合わない自分を悔やむだろうよ。それにな、王家を蹴って一介の従者を取ったりすれば、王の威光を踏みにじったってことでお家断絶。父親は処刑、お前は良くて牢獄行き、三杉なんか殺されて野ざらしにされるだろうな」

 そんな結末まで想像もしてみなかった破流姫だが、華青の心配も尤もだと思った。長く歴史の続いてきた中でそんな話は珍しくもない。現に他国の王女の政略結婚の話は時おり耳にする。もしも自分だったら、などと考えないこともないが、結局は考え付かないのでそれほど親身にはなれなかった。

「まぁ、どのみち三杉が嫌だと言っているのだから、そんなことはありえない」

 破流姫の簡潔な結論に反論の余地はなかった。

「あー、まぁ、そうだけどな」

 そう言いながらも、どことなく納得のしていないふうで、華青はガリガリと頭を掻いた。


 お互いがお互いを思っているのに、身分の差という、大きくもただ一つの障害で結ばれないとは、まるで悲恋の舞台劇を地で行くような二人だ。あれは作り話だが、現実の二人ならば、もしかすると違った展開が待っているかもしれない。いやしかし、あの作り話はあながちまったくの虚構とも言えないだろう。こういった二人を土台に、心を揺さぶるような感動物語に仕上げているのかもしれない。

 では、この二人の結末はどういったものになるだろう。

 物語のように思いを貫き、破滅するか、あるいは逆らえない権力に引き裂かれるか。

 それとも手に手を取って逃避行か。いや、堂々と立ち向かうかもしれない。待っているのは破滅ではなく、温かい理解かもしれない。


 そうだったらいいけどな、とわずかな希望を祈った。


「つーか、この話を蹴った三杉もすごい度胸だよな」

 今度は他人事とばかりに、まるで下世話な話でもするかのように少々面白がって言った。

「しがない傭兵がいっきに貴族様だぞ? 高い身分も有り余る金も手に入るのに、もったいない」

「お前は三杉をどうしたいんだ?」

 三杉と破流姫の仲を否定したかと思えば、潔く決断した三杉を腐す。

 破流姫は特に感情を見せない目でちらりと華青を見遣った。

「どう、ってこともないんだけどよ」

 言葉を切ったのか、濁したのか、華青は口を噤んで行く先を遠く見た。

 そしておもむろに破流姫を振り返り、少し笑って言った。

「三杉がいいならそれでいい。俺、全面的に三杉の味方だから」

 破流姫はフッと息を吐くように笑った。

「お前は三杉が好きなんだな」

 華青は至極真面目な顔で答えた。

「嫌いじゃないな。アイツ、いい奴だから。素直だし、真面目だし。三杉を嫌ってる奴なんて未だかつてお目にかかったことないな」

 ほう、と破流姫は感嘆の声を漏らし、眉根を上げた。

「面倒見がいいんだけど、ちょっと口うるさいところもあって、おふくろか! って突っ込まれてることもあるんだけどさ。でも基本的にアイツはいい奴だから、泣かせたくはない。三杉の話になると結局そこに辿り着くんだ」

 破流姫は頷きながら聞いていた。傭兵仲間でも王族でも同じ態度で接する三杉の真正直さがくすぐったく感じた。

「だからお前、三杉を泣かせるようなことをしたら、俺たちが黙っちゃいないぞ」

 三杉にはこうして頼れる仲間が大勢いるのだ。少々気弱で要領が悪いところもあるが、誰からも好かれる気のいい人間なのだ。

 いつもすぐそばで見ている破流姫には今更なことだったが、第三者から聞かされると改めて納得できた。


「とうに成人を過ぎた大の男を庇って、か弱い乙女に凄むとは大したヤツだな」

 破流姫は可笑しそうにクスクスと笑って言った。

「はぁ!? お前のどこがか弱いってんだ。寝言は寝てから言えよ。お前がか弱かったら、世の女性は赤ん坊同然だろ。お前は殺しても死なねぇよ」

 吐き捨てる様に言った華青の台詞を、破流姫は声を立てて笑い飛ばした。

「まったく失敬なヤツだな、カセ……」

「だから省略するな!」

「してない」

「した!」


 騒ぎ立てる二人を乗せ、馬はのんびりと森の中を進んで行く。



 ◇



 この国の第二王子ヒールの屋敷に、静かな焦燥が広まっていた。


「なぜ戻ってきたんだ!?」

 報告を受けたヒールは思わず立ち上がって怒鳴りつけた。

 護衛隊の一人でもあるヒールの従者は、気にする風もなく飄々と答えた。

「ご自分用に仕立てられた洋服を貰い受けにきたとか」

「そんなものさっさと捨ててしまえ!」

 喜んで何枚も仕立てたのはヒール自身だ。確かに今更必要のないものだが、まるで禍の元のように扱うのはお門違いだ。……とは、さすがに主人の前では言えない。

「いいのですか? もうすぐこちらに来られますよ?」

 それは半ば脅しだった。何を思って衣装を取りに来るのかわからないが、あの破流姫をまた怒らせて無事で済むわけがない。散々な報復を受けて、それがわからないほど馬鹿ではないだろう。

 ヒールは苦虫を噛み潰したような渋面で、金色の柔らかな髪を掻き毟った。

「お前が相手をしろ。私は体調を崩して臥せっている」

 そうしてヒールは返事を待たずに自室に引きこもった。


 また、下女たちの間は別な意味で賑やかだ。

「破流姫様がまた来られるのですって!」

 先日はちらりともその姿を目にできなかった下女たちが、再び訪れた好機にはしゃいでいた。

 噂に名高い、賢く美しい姫君が自分たちの主人の元にやってきた。その意味を知って我が事のように喜んだのもつかの間、ひと目も会わずに去ってしまい、全員が落胆した。が、再び戻ってくる今、その喜びは前回の比ではない。


 ただ、その中でひとり、蒼白な顔色で固まった下女がいた。

 破流姫付きの侍女に指名され、みんなの嫉妬と羨望の的になった下女だ。


 あの恐ろしさを知らないで……。


 彼女はそう、心の中で憐みと蔑みを呟いた。


「ね、今度はあたしがお茶を持って行ってもいいでしょ?」

 中の一人が媚びるように彼女に言った。

「ずるい! あたしだって破流姫様にお会いしたいわ」

「そんなのみんな行きたいに決まってるでしょ」

 あたしもあたしも、とわいわいと揉める中、嘆息した彼女はぽつりと言った。

「みんなには無理よ」

 それを耳聡く聞いた数人が、今度は彼女に非難の目を向ける。

「どうしてよ? お茶くらい入れさせてよ。あなたはこれから破流姫様のお世話ができるからいいけど、あたしたちは滅多にお近づきになれないのよ」

「そうよ。あたしは王様にもお茶をお出ししたことがあるわ。破流姫様にだってちゃんと入れられる」

「つい何日か前だって、破流姫様にお会いしたのはあなただけなのよ。私たちはお姿すら見られなかったのに」


 全員の、ずるい、という非難に気圧され、彼女は考えを変えた。


 何も独り占めしているわけでもないし、意地悪で言っているのでもない。あの取って食われそうな恐怖に晒されるのを心配しているのだが、それを言ったところで信じやしないだろう。ならば身を持って体験してみればいい。泣いて帰ってくれば言っている意味もわかるだろう。

「そうね。行ってお世話をして差し上げるといいわ。だけど充分気をつけて」

 飛び上がって喜ぶみんなにどんな災厄が降りかかるか、想像するも恐ろしい。それを体験した彼女は人知れず身震いした。




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