第15話
一仕事終えてきた華青にも気づかず、その報告を受けていたのだろう、用紙を片手に座っていた破流姫にも気づかず、ひとり寝ていた自分を激しく責め、そして落ち込んだ。
従者がこんな体たらくでいいのだろうか? 華青ひとりに仕事をやらせ、自分は暢気に寝ていた。いつ帰ってきたのかもわからない、破流姫が訪ねてきたこともわからない。華青が無事に仕事をやり遂げたことの労いもなければ、その結果を分析し、判断することも破流姫にやらせてしまっている。
完全に失格だ。従者としても、友人としても。
だから華青も破流姫も自分を起こすことをせず、華青の仕事の報告を破流姫が受け取ったのだろう。
そんな絶望的な僻みすら湧き起こった。
「何かまた悲観的になってるみたいだな」
華青の鋭い指摘が胸をつく。次の無遠慮な言葉がぐっさりと傷を抉った。
「何落ち込んでんのか知らないけど、今更だからやめとけ。きりがないぞ」
そして破流姫の冷酷な嫌味に打ちのめされる。
「これが三杉の十八番なんだ。放っておいてやれ」
三杉はよろりとよろけて寝台に座り込んだ。
二人に役立たずの烙印を押され、見放されたも同然の無神経な言葉で確信する。
終わりだ……すべてが終わった……。
楽しかった日々が目まぐるしく脳裏をかすめて行く。泣きそうに大変だったのも、今となっては楽しい一つの思い出だ。全ての日々が楽しかった。幸せだった。その幸せも、今日限りで終わりとなる。
「どうした? 元気出せって。お前は人より抜けてるけど、いい奴なんだから。技術は足りなくても、人柄で勝負できるって」
華青のせっかくの慰めも、どん底に落ち込み、捻くれた考えしか浮かばず、僻むしかできなくなった三杉には逆効果だった。
ただの役立たず。
そうとしか受け取れなかった。
呆然と床を見つめるその視界がじんわりと歪む。
「三杉。どうしたんだ? そんなに暗くなるなって。おい、破流。お前も何とか言ってやれよ」
水を向けられた破流姫は、落ち込む三杉などそっちのけで華青が手に入れてきた書類を見ていた。何やら真剣な表情だったが、ふと顔を上げて言った。
「もう寝ろ。明日は忙しい」
「忙しいって? 役所にそれ届けるだけだろ?」
「いや」
そこで破流姫は不敵な笑みを浮かべた。
「私にいい考えがある」
◇
「みーすーぎー。しっかりしろよ、おい。何気にしてんのか知らんけど、そんなに落ち込むなって」
背中を丸めて馬に揺られるだけの三杉に、華青は目覚めてからずっとこの調子で慰めていた。
あれから眠れなかったのか、ひどく疲れたような顔をして起きてきて、もそもそと少量の朝食を口にし、時々手を止めながらも出発の準備をし、こうして馬に揺られてからも、三杉は一言も発さず、大きな溜め息ばかりを幾つも零していた。
「どうしたんだ? 何を悩んでる? 力になってやるから何でも話してみろ」
親身になってくれるのは有り難いが、華青にだけは打ち明けられない。
お前に自分の居場所を追いやられた、などとは。
追いやられたのに未練がましくまだ破流姫に付き従っている自分にも呆れるが、せめてこの仕事が終わるまでは側にいたいと思った。何の役にも立っていないようではあるが、途中で放り出して破流姫に軽蔑されたくなかった。最後ぐらいは笑ってさようならと言いたかった。
「なぁ、三杉。ほんとにどうしたんだ、お前? 俺には話せないか? 話せば楽になるぞ?」
別の悩みであったら打ち明けられたかもしれない。だが心配してくれるのが華青であれば、それはますます自分を惨めにするだけだ。親切にしてくれる華青に嫉妬し、また僻み、そしてそんな風にしか捉えられない自分の心の狭さに自己嫌悪に陥る。
放っておいて欲しかった。
そんな意味も込めて、三杉は俯いたままゆるゆると首を振った。
「三杉」
呼ばれて視線を上げると、先を行く破流姫が剣呑な眼差しで振り返っていた。
「お前の馬鹿さ加減は今に始まったことではないが、いつまでうだうだとしているんだ、鬱陶しい。いい加減にしろ」
また怒らせてしまった。不甲斐ない自分のせいではあるが、心がみしみしと軋んだ。
「お前、何て言い方するんだ。仮にも師匠だぞ? 慰めてやるとか励ましてやるとか、そういう気持ちはないのか?」
「ないな」
破流姫はあっさり言い捨てて前を向いた。
三杉はますます俯いて背中を丸めた。
「お前なぁ、冷た過ぎるだろ。困ってたり悩んでたりすれば助けてやるのが情ってもんだ。それが身内ならなおさらだ。追い打ちをかけてどうするんだ」
華青の説教も、破流姫はどこ吹く風だ。
「私の従者にそんな軟弱な者はいらない。ましてや師匠であれば弟子に悩みを相談してどうする。そんな師匠なら師匠と認めるわけにはいかない」
厳しいが尤もな意見だ。仲の良い友達ではないのだから、温い馴れ合いはいらない。主を守る家来、技術を教える師匠があからさまに弱さなど見せてはならない。
「うー、まぁ、言わんとすることはわからないでもないけど……だけどお前はもう少し思いやりを持った方が――」
「いいんだ、華青」
庇う華青の言葉を遮り、三杉は今日、ようやっと声を発した。
「私が至らないんだ。愛想を尽かされても仕方がない」
聞き取れるぎりぎりの小さな声は、果てしなく落ち込んでいた。
「いいや、お前はよくやってるよ。自信持てよ。俺だったらこんなぶっ飛んだお嬢に長いこと付き合ってられない」
華青はそう言って慰めるが、三杉には何の安心感も湧かない。寧ろ恥を晒しているようで居た堪れなかった。
「心外だな。それでは私を侮辱しているように聞こえるぞ」
破流姫は言葉の割に別段怒った風もなく、振り返って言った。
それは華青の台詞だったからだろう。自分ではこうはいかない、と三杉の胸が痛んだ。
「事実を言ったまでだ。こんなに世間知らずで常識が通用しない奴は初めてだ」
流れ者の華青が高貴な身分の娘と係わり合うことはほとんどない。その知性と教養がどれほどのものかは人の噂話と想像のみだ。破流姫を基準とすれば、身分の高いお嬢様ならさもありなんと思う反面、ここまで酷いか? という疑問も浮かぶ。
「失敬なヤツだな、カ……カ……カセン」
「惜しい! 華青だ」
「華青」
いまだに名前を憶えられていないという事実が、ほんの少しだけ三杉の胸を軽くする。だが、そんなことで浮上する自分の惨めさに落ち込む。
「お前は私の従者ではないからな」
「だからそんなことは言い訳にならないんだよ」
「いい線まで行っていただろう?」
「そういう問題じゃない」
三杉をよそに、仲の良さを見せつけられたようで心が痛い。
やはりこの二人は気が合うのだ。役に立たない自分より、華青をそばに置きたいと思うのは自然だろう。
もう涙より溜め息しか出ない。
「だからな、三杉。うまくこいつと渡り合って行けるのはお前くらいなもんなんだ。これができりゃ何だってできるさ。お前はやればできるんだ」
心の中で僻んで嫉妬した華青が一生懸命に自分を励ましてくれる。友達として涙が出るほど嬉しかった。また、心の底から申し訳なくも思った。
才能には恵まれていなかったが、友人には恵まれている。役目を終えて華青に引き継がれたなら、きっと笑ってその座を譲ろう。
多少なりとも吹っ切れて、ぎこちなくも微笑んで見せた。
「ありがとう、華青」
「お、ようやっと浮上したか」
そう言って笑う華青はほっとした様子だった。
「じゃあ、三杉。お前はお前の仕事をしろ」
手厳しい破流姫の命令が容赦なく飛んでくる。
「お前のお守りなら十分やってるだろ」
完全に三杉の肩を持つようになった華青が、破流姫を責めるように言った。
「うるさいぞ。カセ……」
名前は途中で切れた。少し待ってみたがそれ以上は続かなかった。
「お前、今省略しただろ」
「してない」
「した」
「してない」
「した!」
破流姫は嫌そうに眉根を寄せて華青を見た。
「細かいヤツだな。そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいわけあるか! お前はもっと他人に気を配って、人の気持ちを――」
「三杉」
説教を始める華青を完全に無視し、話の途中で三杉に声をかけた。
「お前は先に馬鹿王子の屋敷に行って、私が行くと伝えてこい」
華青は何やら文句を言ったが、それも無視して視線さえ向けなかった。
三杉も華青の文句より、破流姫の示した人物に気が向いた。
「ヒール様……ですか?」
破流姫が『馬鹿』を頭に付けて呼ぶ王子をすぐさま頭に浮かべてしまい、その王子に心の中で謝罪した。
「あいつのところに私に誂えた衣装があるはずだ。それをもらいに行く」
「どうするおつもりですか?」
「この姿では王城へ行けないだろう?」
両腕を広げて見せるそのドレスは、ヒールの屋敷を出た時に着ていたものだ。質はいいだろうが、この二、三日の立ち回りで薄汚れ、くたびれ、とても身分ある者の着衣とは思えなくなっていた。それでも辛うじて品よく見えるのは中身のお陰か。
「王城って、お前……マジで王様に直談判しようとしてるのか?」
てっきり役所へ訴え出るのかと思いきや、どこか別の場所へ向かっているとわかって華青は思わず馬を止めた。
昨日、即刻却下した冗談のような提案を、本人は至って真面目に、本気で実行しようとしているらしい。
「手っ取り早いし、確実だ」
「そりゃそうだけどよ」
内容が内容だけに、信用できる人の手に渡さなければ問題は闇に葬られる可能性もある。相手は貴族であるし、証拠ひとつ持って行ったところで即拘束、尋問、という流れにはならないだろう。かといって王に直訴するなど、そう簡単にできるものではないはずだ。
先へ行く破流姫と三杉を追い駆け、華青はまた馬を進めた。




