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第14話

 ◇



 真夜中に宿へ戻ると、部屋には灯りがともり、中で破流姫が銀の腕飾りを磨いていた。

「帰ったか。どうだった?」

 破流姫は手を止めて華青を迎え入れた。

 華青は懐から書類を取り出し、ひらひらと振ってから破流姫に差し出した。


「つーか、お前、ここで何してんだ? 三杉は寝てるし」

 三杉は自分の寝台で軽い寝息を立てて眠っていた。

「気になって眠れないから起きていた。ひとりで待っていても仕方ないからここへきたら、三杉は寝ていた。仕方ないから腕飾りを磨いていた」

 書類に目を落としながら、破流姫は淡々と説明した。


 机に乗った繊細な細工の腕飾りを、華青は手に取った。

「そういやお前、変わったものを持っているな」

 しげしげと腕飾りを眺める華青に、破流姫は顔を上げて得意げな笑みを浮かべた。

「私が作らせたんだ。いいだろう」

 手の甲を覆う部分に小さな留め金がある。それを外して逆さまにすると、細身の剣が滑り出てきた。

「この時点でもう飾りじゃないよな」

「飾りと見せかけた剣だ。護身用になる。威力はないが不意をつくにはちょうどいい」

「お前、物騒なこと考えてんなぁ」

「短剣を持ち歩くよりいいだろ?」

 破天荒ぶりについつい忘れがちだが、目の前の美人はどこかの良家のお嬢さんなのだ。護衛をつけて歩かなければならないと、三杉も言っていた。万が一のために護身用の武器を隠し持っているべき身の上なのだ。


 華青の腕に飾りは細過ぎたから、がっちりと握って軽く振ってみた。

 風を切る音が心地よく聞こえる。


 細い刃の先で、三杉は相変わらず爆睡している。

「しっかしよく寝てるな」

「一度も目を覚まさない」

 二人で凝視するも、三杉は一向に目を覚ます気配はない。

「普通はありえないんだぞ。俺たちみたいな流れ者は危険と隣り合わせだから、緊張感で眠りが浅くなる。こんな風に熟睡していたら、誰かが忍び込んでもわからないからな」

 華青は三杉に刃の切っ先を向けた。

「な? 危ないだろ?」

「三杉は殺されるのか?」

「今だったらな」

 そう言って華青は剣を腕飾りに仕舞い、机に戻した。そして自分の寝台にどっかりと腰掛けた。

「それだけ安心しきってるんだろうよ」

「安心?」

「お前のそばが心地いいんだろ」

 肩を竦めて見せる華青を一瞥し、それから破流姫は眠りこける三杉を見た。


 目を縁取る長い睫は今はピタリと合わさり、髪と同じ茶色の瞳は隠れている。鼻筋は彫刻のようにスッと通り、薄めの唇はやや開いて気持ち良さ気に寝息を立てている。全体的に無骨な男らしさより、繊細且つ涼しさを合わせ持っている。優しげな女性らしさとはまた違う、いいとこ取りの中性的な顔立ちである。


「あぁ、それともお前のお守りに疲労困憊してるのかもな」

 破流姫は後ろ手をついて足を投げ出している華青をじろりと見遣った。

「お前は世間知らずのお嬢さんだからな。その点でも三杉はいい師匠だろうよ」

 嘲るというよりは事実を述べているだけのような華青の言葉を、破流姫は文句の一つも言わずに受け流した。


 確かに世界中を放浪してきた三杉と、城の中、あるいはその城下町くらいしか行動範囲のない破流姫とでは、おのずと経験の差は見て取れるだろう。

 だから降って沸いた今回の様々な出来事が楽しくて仕方がない。初めてのことばかりで興味が尽きない。見るもの聞くものが初めてづくしであるし、師匠と認めた三杉と華青の経験からくる知識も、今まで知らなかったことばかりで為になる。

 城にいたのではこんな経験も知識も得られなかっただろう。

 何も知らない自分に呆れ返るくらいだが、だからこそもっと吸収したい。何でも知りたい、見たい、聞きたい。


「お前もいい師匠だぞ、ヤトウ」

 珍しく破流姫の口から褒め言葉が出たが、相変わらず覚えられていない名前に、華青はすかさず訂正を入れる。

「華青」

「華青」

「お前はとりあえず、人の名前を覚えろ」

 華青でなくとも言いたくなる台詞である。

 そして破流姫はいつもの如くくだらない言い訳をする。

「お前はまだ付き合いが短いからな」

「そういう問題じゃないだろ」

 即否定されて破流姫は心なしかムッとした。

「周りの人間全部の名前なんか覚えられるわけないだろう?」

 拗ねたような言い訳をしてみるが、やっぱり否定された。

「覚えられるね。お前はやる気がないだけだ」

 三杉とは違い、華青はまるで遠慮もなくバッサリと切って捨てた。


 破流姫の周辺にどれだけの人がいるのかはわからない。家柄から想像するに、恐らく華青の何倍もの人間と付き合い、また使っているのだろうが、その数は敢えて無視して言った。

「人と付き合って行くには名前を覚えるのは必要不可欠だ。どこの誰だったかわからないんじゃ、お前の立場にも不利益だろうよ。まさか三杉しか知らないわけじゃないだろうな?」

 馬鹿にするな、と破流姫は不機嫌に言った。

「武器屋はおやじとおかみだ。薬屋もだ」

「馬鹿だろ、お前。それは名前じゃねぇ。ただの呼び名だ。マジで三杉しか知らないのか? 使用人の名前も?」

「私の世話係は倫だ」

 どことなく得意げに言った破流姫に、あぁ、重症だ、と華青は少々気の毒になった。


 従者と世話係しか名前を知らないのでは、今後の人付き合いに支障が出るに違いない。庶民ではないのだろうから、社交界という広い世界で多くの人たちと接しなくてはならないはず。そうであれば名前どころか、その人となりや家柄、環境など、知っておくべき項目は多岐に渡るだろう。基本すらできていない破流姫に、他人事ながら心配になる華青だった。


 そんな華青の内心を知ってか知らずか、破流姫はあっさりと言った。

「大丈夫だ。三杉は何でもできる奴だから」

 華青は深い深い溜め息を吐いた。

「お前な、いつまでも三杉が助けてくれると思ってんのか? お前が歳食って婆さんになるまで、三杉をそばに置いておく気か?」

 呆れ返って言えば、破流姫はなぜか不思議そうに小首を傾げた。

 華青はどこか投げやりに言った。

「あー、すげぇな、お前。三杉を人生ごと手に入れたのか。もうあれだ、婿にもらっとけ。こいつもお前が気に入ってるみたいだしな。持ちつ持たれつでちょうどいいだろ。あぁ、お前の親父が激怒するか。身分が違うもんな」

「父上はそんな料簡の狭い人ではない。個人の価値を身分で計らない」

「ほぉ。良くできた父上だな」

 貴族とは大抵、家柄を重んじる。そうではないらしいものの考え方に、多少は本気で感心した華青だったが、次の台詞で吹っ飛んでしまった。


「だが三杉が嫌だと言った」

「……は?」


 嫌だ、とは何だ? 何が嫌なんだ? 何を拒否した?


 破流姫の言っている意味がわからず、まじまじとその顔を見つめた。


「父上の後を継ぐのは嫌だと言った」


 あっけらかんと帰ってくる答えもまた、華青は一瞬、理解ができなかった。


 後を継ぐ……とは、つまり……。


 それから華青は大げさでなく、本当に心底驚いて飛び起き、素っ頓狂な声を上げた。

「はぁ!? マジか、お前!? マジで三杉を婿にもらおうとしてたのか!?」

 破流姫は耳を塞いで肩を竦め、嫌そうに顔をしかめて瞠目する華青を見た。

「うるさいな、お前。大声を出すな。何時だと思っているんだ?」

 今が何時だろうと、それは些細な問題に過ぎない。

「だ、だって、お前……いくらなんでもぶっ飛んでやしないか?」

「なぜだ?」

「なぜって……お前の家柄で三杉を後継ぎとか……」

「だから、父上は頭が固くない」

「いや、むしろ固い方がいいだろ」

「なぜだ?」

「なぜって……お前の家柄で……」

 話がまた戻る。ただでさえ混乱している頭では話の整理がつかず、一層困惑した表情で破流姫を見つめた。


「あれ……華青、戻ってたのか」

 舌足らずな茫洋とした声が割って入った。華青の叫び声に目を覚ましたらしい。

 三杉はムクリと起き上がり、目を擦って視点の定まらないそれを何気に破流姫に向けた。しばしじっと見つめ、それからはっと目を見開いて慌てて寝台から降りた。

「ひ……破流様! なぜここに?」

「暇だったからだ」

「起こして下さればいいのに」

「気持ち良さそうにクウクウ寝ていたからやめた」

 三杉は真っ赤になって片手で口元を抑えた。

「しかもお前、ずーっと寝てたんだぞ。随分と暢気になったもんだな」

 緊張感がまるでない、と暗に責めているような華青の台詞に、三杉は愕然とするとともに羞恥心に襲われる。


 今や流れ者を卒業した三杉にとって、就寝時間は安らぎの時間なのだ。緊張を孕んで眠るなど必要がなくなったのだ。ぐっすり朝まで眠りこけても何の不都合もない。稀に寝過ごして破流姫に叱責されることすらある。自分の部屋で、寝台で寝ていたからと言って、何を責められることがあろうか。


 そう開き直るだけの度胸は、三杉にあるはずもなかった。


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