第12話
◇
「お姉さん、水ちょうだい」
厨房に入り込んだ華青は、そこにいた中年のふくよかな女性に声をかけた。
野菜を洗っていたらしい。腕をまくり、前掛けに水を跳ねらせ、片手にたわしを持った格好で振り返った。
「誰だい、あんた? 見かけない顔だね」
訝しげに問うものの、お姉さんと呼びかけられて満更でもない女性は、グラスに水を満たしてそれを華青に渡した。
華青はそれを一気に飲み干し、ひと息ついてから言った。
「最近入ったばっかりだよ。護衛頼まれてさっき帰ってきたとこだから喉乾いてさ」
堂々とした嘘を、女性は簡単に信じたようだ。納得顔で頷く。
「ご苦労さんだったね。何事もなかったかい?」
「うん、まぁ、俺たちに刃向ってくる奴なんていないよ」
「そうだろうけどさ」
女性は眉根を寄せ、心配そうな、不快そうな顔で続けた。
「あんたに言うのもなんだけど、危険なことはしないで欲しいんだよ」
「別に危険じゃないだろ?」
「いや、あんたの仕事がどうとかって話じゃなくってさ、旦那様が良からぬことを考えてるみたいで心配なんだよ」
話が簡単に本題に入りかけ、華青は期待に胸を膨らませたが、そうと悟られないように落ち着いて言った。
「良からぬって?」
「あんたは聞いてないのかい?」
単純に疑問を浮かべた女性に、華青は内心ドキリとしながらも平然と答えた。
「俺、まだ日が浅いからさ、詳しくは聞かされてないんだよね」
その嘘も女性は少しも疑わなかった。
「じゃあ、教えてあげるけど、いいかい、あたしが言ったなんて言わないでおくれよ」
野菜を放り出し、前掛けで濡れた手を拭きながら声を潜めて言った。
華青は待ってましたとばかりに大きく頷いた。
「あたしも詳しく知ってるわけじゃないんだけどね、よその国の貴族様と手を結んでるらしいんだよ」
華青は演技ではなく本当に驚いた。
「何でまた?」
「さぁね。いい話で手を組むならいいんだけど、どうやらそうじゃないらしいのさ」
「悪い話なんだ」
「だってね」
そこで女性は辺りに目を走らせ、それからさらに小声で言った。
「その貴族様から武器を買ってるらしいのさ」
華青は驚いて声も出なかった。
なぜ、何のために武器を買い集めているのか。それは考えるまでもなく誰かへの、あるいは何かへの反逆だろう。
「運んだ荷物は見なかったかい?」
「いや、見てない」
新人ならさもありなんと女性は思ったようで、軽く頷いてから囁いた。
「その買い取った武器らしいよ」
あんなに山積みにするほどの武器を、しかもこれまでに何度も繰り返し運んだのなら、恐らくは大規模な争いに使用するのかもしれない。
「何だって武器なんか? 戦争でも始めるのか?」
「そうじゃないと思いたいけど、旦那様が何をお考えなのかあたしにはわかんないよ」
女性は少し寂しそうに、そして諦めたように言い放った。そしてしみじみと付け足した。
「旦那様はいい方なんだよ。ほんとにいい方なのさ。だから心配なんだよ」
武器を買い集めている旦那様と、女性が慕う旦那様の像には随分と違いがあるようだ。同一人物とは思えない温度差がある。
「旦那様は偉い人なんだろう?」
知らないついでに訊いてみれば、女性は疑うことなく答えた。
「そりゃそうさ。国王様の信を得た重臣なんだからね」
我が事のように得意気に胸を張る女性に、華青は疑われる可能性を抱きながらも、一か八かその正体を問うてみた。
「へぇ、そんなに偉い人だとは知らなかった。だって名前すら知らないんだよ、俺」
案の定、女性は怪訝な顔つきになった。
「あんた、旦那様の名前も知らないで仕事してるのかい?」
「いや、だってさ、俺が仕事の話を聞いたのはアニキからなんだよ。簡単な仕事があるからお前もこいってさ。俺みたいな下っ端はアニキの言うことにいちいち疑問は挟まないんだよ」
完全な大嘘に、女性は少々気の毒そうに言った。
「そりゃあ、あんたも大変だねぇ。あたしにはあんたたちのことはわからないけど、厳しいところなんだね」
真に受けた女性は気遣わしげな表情すら浮かべた。
「それほど悪いこともないよ。実力次第で上に上がれるからさ、今は簡単な仕事ばっかりだけど、選り好みなんかしてられない。頑張って経験を積めば実力も上がるってもんさ」
それを実践して、現在はギルドの頂点に立っている。そんな華青の真実味を帯びた台詞に、女性はテーブルをトン、と叩いて、
「偉い!」
と感嘆の声を上げた。
「あんたは立派だよ。今にきっと上に立つ男になるよ」
華青は感動する女性にヘラリと笑って見せた。
「偉い人にはなれないけどね」
「偉いか偉くないかは他人が勝手に決めることさ。うちの旦那様だって、あたしから見りゃあ随分と立派なお方だけど、ご本人は腰が低くてそりゃあ優しい方なんだよ。あたしにだっていろいろと声をかけて下さるしね」
「へぇ。いい人なんだね」
「街へ行ったら聞いてごらんよ。サリアード侯爵様はどんな方かって。みんな口をそろえて褒めるだろうよ」
サリアード侯爵。
華青はこの名前を頭に刻んだ。
「わかった、訊いてみるよ。じゃ、そろそろ行くね。水どうもね」
「あぁ、またおいでよ」
聞きたいことをすべて聞き出した華青は、もう用無しとばかりに腰を上げた。
台所を出て、さてどうするかと難しい顔で立ち尽くした。
ご立派なサリアード侯爵様が裏で他国の貴族と手を結び、武器を買い漁って何かを企んでいる。
それがわかっても、証拠となるものが何もない。
武器を押収するか、取引の書類を手に入れるか、何か確たる証拠がないと表に引きずり出すことはできない。事態が明らかにならないことには、盗賊退治の依頼も終了しない。
しばし腕を組んで考え、それから屋敷を後にした。
◇
人生初の仕事をやり遂げ、報酬を手にしてほくほく顔の破流姫が奢ってくれた酒を口にし、華青と三杉は頭を寄せ合って話していた。
「しかし、証拠と言っても何が……」
「何か言い逃れのできない、決定的なものを手に入れなきゃ、訴え出ても俺たちが犯罪者扱いだ」
その横でひたすら料理を平らげる破流姫が、思いついた意見を出した。
「王に協力を仰いだらどうだ? 王命なら逃げも隠れもできまい。家探しすれば証拠が出るだろう?」
大胆な案に三杉は困ったように眉尻を下げ、華青は侮蔑の眼差しを向けた。
「お前な、根拠もないのに王に直談判して取り合ってもらえるとでも思ってるのか? 大体、一市民がそう簡単に謁見できるわけないだろうが」
「なぜだ? ここの王は平和主義者で国民の意見もよく取り上げてくれるという物わかりのいい王だと聞いているぞ? 最も、諍いを嫌うあまりに長いものに巻かれる節があるというのも否めないが」
王族としての破流姫の耳に入ってくる情報だろう。やや棘を感じる台詞だが、下手に詳しい情報を口にしては身分を怪しまれてしまう。
三杉はヒヤヒヤしたが、幸い華青はそれに気づかないようだった。
「だからってお前、近所の友達とお喋りするのとはわけが違うんだぞ? いくらお前がいいとこのお嬢さんだからってな、王宮に行くにはそれ相応の準備ってものがいるだろ」
「準備? 手土産でも持って行くのか?」
「馬鹿か。いいか、まずは謁見したいという意思を王宮に伝える。それから返事がくるまで待つ。その返事が拒否なら諦めるか、日を置いてまた頼みに行く。いいという返事なら、許可された日程のいつ、何時ごろ、どんな用件で誰が謁見したいのかを申し入れる。それが拒否されればまた最初からやり直しだ。許可されればようやく王宮に入れる。だがここで安心するなよ」
シチューの入った器を抱え、木の匙を持ったまま聞き入っていた破流姫に、華青は教え諭すように真剣な顔で説明をする。
「大抵どこの国でも王という者は皆多忙だ。突然中止になる場合もある。食い下がったところで追い返されるか、ひどければ牢屋でしばらく暮らすことになる。まぁ、運が良ければ代わりに宰相や大臣なんかが話を聞いてくれる場合も、あることにはある」
謁見の経験がない破流姫は将来そんな立場に立つだろうことも忘れ、物珍しそうに聞いていた。
「お前は何でも詳しいな。どこかの王に謁見したことがあるのか?」
「たまたまそんな機会があったというだけだけどな。国王に謁見したという話ならどこの都市へ行っても聞かれる話だから、いくらでも教えてもらえる」
破流姫はふと、父王はどうなのだろうかと思い、三杉に視線を投げた。
三杉はその意味を正確に理解し、重々しく頷いて見せた。
「いくら人柄のよい王様でも、誰でも自由にお会いできるものではありません。どんな意図を持った者があらわれるかわかりませんからね」
破流姫はふうむ、と唸り、黙り込んだ。
よくよく自分はものを知らない、と反省をしていたのだが、三杉は何やら嫌な予感が背中を駆け抜けて身震いした。
「それは私でも無理なのか?」
国は違えど同じ身分だ。しかもこの国の第一王子は自分の気を引こうとあの手この手で言い寄ってくる。行って名乗ればすぐにでも通してもらえるのではないか。
単純に面倒を避ける方法を思いついただけなのだが、三杉は視線を泳がせ、あらぬ方向を向いてしまった。
代わりに罵倒したのは華青だ。
「馬鹿だな、お前は。ほんとに馬鹿だな。お前如き娘が頼んだところで通してもらえるわけがないだろう。どんだけ立派なお嬢さんなんだよ。王宮ってのはそこらの貴族の屋敷と訳が違うんだぞ」
その王宮の住人に向かって、そうとは知らない華青は滔々と説教を始めた。
「いいか、一国の王ってのは国を支配して統治するだけの人じゃないんだ。そこに住むひとりひとりの生活も守ってるんだ。王の政治如何で幸せに暮らせるかどうかが決まる。愚王ならともかく、賢王であればその損失は計り知れない。土地を守り、民を守り、他国と国同士のつながりを持って自分の国を豊かにし、邪まな考えを持って近づく人や国から自国を守る。そのおかげで俺たちは安心して生活ができるってもんだ。そんな王様に誰でも簡単に会わせてもらえると思うか?」
破流姫はただ黙って華青の説教を聞いていた。三杉が相手ならば不貞腐れるか怒り出すところだが、真剣な表情で何かを考え込むようにじっと手にした匙を見つめていた。
「華青、それは破流様もわかっているから……」
曲がりなりにも王族の姫君だ。政治の何たるかを知らずとも、年頃の娘たちと比べれば、上辺だけでも国の統治や王の存在がいかなるものかを知ってはいるだろう。
その身分をいまだ華青に明かせずにいるから事情を説明することもできず、取り成すようにそっと声をかけたのだが、今度は三杉に説教が飛び火した。
「お前が甘やかしてどうするんだ。知るべき時に知っておかないと、あとで後悔しても遅いんだぞ? この歳で世間を知らないのもわかるが、知らなさ過ぎだろう」
三杉は一言も返せずに項垂れたが、逆に破流姫はキリリと顔を上げた。
「よし、わかった。お前の言い分も尤もだ。王は国と民を守るものだな」
何を思いついたのか想像もつかないが、他国の心配より自国の心配をして欲しいと、切実に願う三杉だった。




