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第10話

「破流様!」

 三杉はキラリと光る三本の剣を目の当たりにし、血の気が引いた。あれを交えて無事であるはずがない。大きく力強い男たちの二本の剣に、細身でしかも実戦経験の無い女性の力が太刀打ちできるはずがないのだ。


 男たちは駆けてくる二人が厄介だと思ったのか、一人が舌打ちをして破流姫に向かい、剣を突き出してきた。

 破流姫はそれを剣で振り払った。意外と重く、その一瞬で力も技術も劣ることを認めた。はなから勝てるとは思っていない。ただ三杉と華青がくるまで持ちこたえられれば、と思った。そのくらいの力はあると思った。だが、本当の敵と渡り合うのは初めてだったから、目の前の男だけに集中して周りが見えていなかった。

 横に回ったもう一人が破流姫の右腕の腕飾りを抑えた。

 腕を掴まえられたのと同時に、剣も封じられた。

「離せ!」

 腕ごと吊り上げられて抵抗もままならなかったが、身を捩り、足を振り回し、暴れるだけ暴れた。

「威勢のいい女だな」

「破流様! 破流様!」

 破流姫の元へ走りついた三杉は、距離を取って剣を構えた。華青は止まることなく剣を振りかぶって切り込もうとした。

「待て、華青!」

 華青は剣を振り上げたまま止まった。

「破流様が怪我をする!」

「そんなヘマはしねーよ!」

「駄目だ! 絶対に駄目だ!」

 ちょっとのかすり傷さえ負わせてはならない。自分の命と引き換えにしても、尊い破流姫を傷つけてはならない。

「じゃ、どうするんだよ!?」

 同じように剣を構え直して、華青が怒鳴った。

「私が代わりになる! 身代わりになるから、破流様を放してくれ」

 三杉の懇願に盗賊はニヤリと笑い、ぶら下げている破流姫の腰に腕を回して抱き寄せた。

「こいつは俺のものだ」

 そう言って嫌がる破流姫に頬擦りした。


 三杉の胸がスッと冷たくなった。妙に静かな鼓動しか聞こえなくなった。


「やめろ! 貴様、ただじゃ済まさないからな!」

 破流姫は嫌悪で身震いし、麻袋を放り出した自由な片手で盗賊の頭を押し退けようとする。

 盗賊は面白そうに笑って顔を寄せた。破流姫がすかさず眉間に頭突きした。

「ぐあっ」

 思わぬ反撃に破流姫を落としてよろけた。と同時に、首筋に冷たいものが当てられた。


「貴様……殺す」

 感情を押し殺した、静かな声だった。表情すらなかった。


 そんな三杉を見たのは初めてで、破流姫は唖然として地面に座り込んでいた。

 剣を突きつけられてさすがに言葉を失った盗賊は、微動だにせず三杉の次の行為を待った。


「殺すな、三杉! アジトと親玉がまだわからない!」

 もう一人に対峙している華青が、ちらちらと三杉を見ながら焦って止めたが、様子の変わった三杉には届かない。


「首を切り落とすか、心臓を抉り出すか、どちらか選べ」

 三杉は冷やかに言って剣をさらに押しつけた。

 盗賊は恐怖に固まり、押されるまま仰け反った。


「三杉、駄目だ!」

「選べ」

「おい、三杉!」


 殴ってでも止めたい華青だったが、目の前の盗賊に隙を見せられない。今にも剣を払いそうな三杉にもそう猶予はないようだから、どちらかに待っててもらうわけにもいかない。


 ふと、視界の端に白い塊を認識した。

「破流!」

 破流姫が反応したかどうかはわからなかったが、華青は盗賊を睨みながら叫んだ。

「三杉を止めろ! 殺させるな!」


 すぐには何も帰ってこなかった。


 そよ、と風が吹いた。

 対峙する人間のあいだには緊迫感が漂っていたが、辺りは穏やかで静かだった。木漏れ日がユラユラと柔らかく地面を這い、小さな草花が微笑むように揺れている。


 ここに不浄なものはいらない。あるべきではない。

 例えば剣の交わる金属音や、命を宿した血潮、あるいは空の器となった肉体。


 今まさにそれらが生み出されようとするなか、耳触りのいい葉擦れのような、すり抜けるいたずらな風のような、そんな優しくも気を引く音が立った。


 それは我を忘れた三杉にも届いた。


「三杉。殺すな」


 三杉は動揺を目に浮かべ、ひと際鮮やかに咲いた花のようにそこに座り込む破流姫を見ていた。

 破流姫は穏やかな口調で、語りかけるように言った。

「まだ早い。じわじわと嬲り殺せ。ひと息にやっては慈悲というものだ。私に無礼を働いた償いと後悔をさせてからにしろ」

「違うだろ!」


 ツッコミどころ満載で、華青は思わずよそ見をしてしまった。

 すかさず男が切り込んできた。

 ガキン、と場違いな金属音が響いた。

 はっとしてそちらを見た三杉の隙を突き、盗賊は突きつけられていた剣を押し退け、三杉の腰の辺りに蹴りを入れた。

 不意をつかれて三杉が倒れる。

「三杉!」

 破流姫がにじり寄る。

「大丈夫か?」

 すぐさま身を起こした三杉は、咄嗟に盗賊の姿を探した。その姿は手の届かないところにあり、さらに逃げ去って小さくなっていた。

 ほっとして破流姫に目を向けると、身が震えるような恐怖と気力が抜けていく安堵感で、胸が一杯になった。

「姫様……ご無事ですか? お怪我はありませんか?」

「何ともない。大丈夫だ」

 破流姫も安堵したのか、笑みを浮かべた。

 その微笑みで三杉も気が緩み、笑みを返した。そして申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「さぞや恐ろしかったでしょう? 私がついていながらあんな暴挙に晒させてしまって、どうお詫びをしたらいいのか……」

「いや、何ともなかったから大丈夫だ。お前が急所を教えてくれたから反撃できたんだ」

 破流姫は笑って自分の額を指差した。

 三杉は困ったように笑い、袖口でそっと破流姫の頬を払うように撫でた。

「姫様。立ち向かうより逃げることをお考えください。いくら剣術を学んだからと言って、実戦はまだ無理です。それにその剣では太刀打ちできません。姫様に何かあったらと思うと、私は生きた心地がしませんでした」

 破流姫は大人しく頬を拭かれながら、いつもなら不機嫌にさせる三杉の小言を、この時ばかりは聞き入れた。

「そうだな。私の実力ではまだまだ足元にも及ばない。盗賊の一人や二人で怖がっていては立派な剣士にはなれない。実戦は初めてだったから舞い上がってもいたし、あの大きな剣を見たら怖くなった。それでは駄目だ。初めから勝負はついていた。私は精神的にも強くならなくてはいけない。お前たちがくるまでは、と思いあがっていた。確かに私では立ち向かうのは無理だ」

 反省しているのはよくわかったが、反省どころがずれている、と三杉は思った。だが珍しく自分の非を認め、気落ちしているので、黙っていた。


「あのさ、雰囲気壊して悪いんだけど」

 第三者の声が割り込んだ。華青が気まずそうに頭を掻いている。

 途端に三杉は真っ赤になり、慌てて手を引っ込めて立ち上がった。

「何だ!」

 照れ隠しに怒鳴ると、華青は意味ありげにニヤリと笑った。

「いや、邪魔するわけじゃないんだけどさ」

「だから何だ!」

「あいつら追いかけるぞ」

「はぁ?」

 華青が指差す向こうを、思わず見遣る。『あいつら』に該当する人影は見当たらなかった。

「きっとアジトに逃げ帰ってる。一網打尽にする」

「追い払ったんだからもういいじゃないか」

「依頼は盗賊退治だ。完全に潰さないと終了しない」

「それはお前の受けた依頼だろう? 私は破流様を守るためだけに――」

「行くぞ、お前たち」

 破流姫はいつの間にか転がっていた麻袋を抱えて、盗賊が逃げて行っただろう方向へ歩いて行った。

「は、破流様!?」

 先ほどの反省は何だったのか、懲りずに盗賊退治に参加するようだ。

「よし! お前の意気込みは褒めてやる」

 無責任に称賛して華青は破流姫を追いかけた。

 一人取り残されるわけにもいかず、三杉も慌てて追いかけた。


 草花を分け入り、乱立する木々の間を抜けると、本道とは違う、踏み固められただけの細い小道へ出た。

「この先へ行けば森から出られるな」

 華青が向こうを見遣って言った。

「盗賊はあっちへ逃げたのか?」

「わからん。だけどついさっき車が通った跡がある」

「なぜわかるんだ?」

「草が踏み倒されているだろう? この幅は車輪の幅だ。草が向こう側に倒れているということは、あっちから向こうへ通ったということだ。車が通ったってことは、奴らも素通りはさせないだろうから、行ってみる価値はある」

 華青の説明に破流姫は、なるほど、と感心しながら頷いた。


 三杉は二人の一歩後ろに控え、黙って成り行きを見ていた。口を開けばやめよう、とか、帰ろう、しか出てこないだろうし、それを言ったところで華青も破流姫も聞く耳など持たないのは十分承知していた。華青には嫌々ながらも引き受けた仕事だったし、破流姫も多大な興味を持って首を突っ込んでいるから、何を言ったところで今更大人しく帰るわけがない。


 なるようにしかならない。


 破流姫の侍従となってからは、そう諦めることにも慣れてしまっていた。


「では先を急ごう」

 二人のあいだで結論が出たらしく、破流姫がそう促すと、

「手遅れにならなきゃいいけどな」

 華青が同調して駆け出した。後に当然の如く破流姫が続いた。

「行くぞ、三杉!」

 駆け出すと同時に振り向いて叫んだ破流姫に、三杉は渋々返事をした。




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