第1話
「っ!寄るな!この女がどうなってもいいのかっ!?」
そう叫んで小太りな男は女の首筋に剣を突き立てます。
「あー……、おっさん。いいから、その手を放せ」
男の部下の大半を斬り倒した——残りは男を見捨てて逃げました——青年は無造作に剣を払って言います。
女の腕を掴む男の力がより強くなりました。
しかし女は首筋に剣が突き立てられているにも関わらず顔色一つ変えません。信じていると言うようにただじっと青年を見つめるばかりです。
「言っとくが、そいつは死なないぞ」
「はっ!何を!」
「そいつは帝国の女神様だからな」
「女神……?」
そう聞いて男は眉を顰め——何かを思い出したのか突然うろたえだしました。
「まさか……まさかまさかまさか!」
「——そうよ」
それまで一言も口を開かなかった女が初めて声を発します。
「私は帝国に加護を与えている戦女神様。ほら、深紅の瞳でしょう。いくらなんでも神話くらいは読んだ事あるわよね。ちょっとやそっとじゃ死なないわよ?」
言って女はふふっと笑いました。
「だが!神がこんな所に来る訳が……!」
「んー。それはまぁ、戦女神様だから?戦あるところ私在り、みたいな」
「まぁ、なんだ。死ぬ前に女神様が見られて良かったな、ってことで——死んどけ」
いつの間にやら男の背後に回っていた青年は女に傷がつかないよう実に器用に男の首を——刎ねました。
「よぉ、シスト様!この前の戦闘また勝ったんだって?」
「うん」
シストと呼ばれた白銀に輝く長い髪と紅玉の瞳を持つ女はまだ少女と呼ぶのに相応しい幼い顔つきで、しかし小柄なわりには整ったプロポーションをしています。
その耳には瞳の色と揃いの紅玉のピアスをつけていて先ほど店主から発された「戦闘」という言葉にはおおよそ似つかわしくない、どちらかというと深窓の令嬢といった趣の彼女は頷き、そして小さく肩を竦めました。
「でも囮役だったから全然暴れられなくて。つまんない」
それを聞いて気のいい酒場の店主は大笑い。
「ははっ、流石は戦女神様だ。小さかったこの国がここまでデカくなったのもシスト様とリア様の加護のお蔭さ。ゆっくり休みな!——で、なんで勝ったっていうのにシオンの奴は不機嫌なんだ?」
「あー……」
隣で不機嫌オーラを醸し出して酒を飲む青年に女神はちらりと目を遣りました。
大人しそうな少し垂れ気味の目、濡れたように艶やかな黒髪。体型は長身痩躯、口を開けば大抵の女性はコロッとほだされる優しげな低音ボイス——見た目だけを並べればお前何処の御伽噺の王子様だよ!と女神様はいつも思います。言いませんけど。
その上騎士団の中では群を抜いて強く、剣を抜く速さは目にも止まらぬ程で幼い頃は神童ともてはやされていました。
そんな見た目も中身も完璧な彼が不機嫌であるとすれば理由はただ1つ——。
「なに、またイェンに嫌みでも言われたの?」
『イェン』という名を聞いてシオンは苦虫を噛み潰したような顔をして手に持った木製のジョッキを握りしめました。
すると、ミシリという音をたててジョッキにヒビが入ります。どんだけの握力だよ。
「——あ、すまない親爺。ジョッキ代、上乗せしてくれ」
「言われなくてもそうするさ」
お前、以前もジョッキ壊さなかったか?そう言いながら新しいジョッキに酒を注いでシオンに手渡します。
次いでシチューの入ったお椀をシストに差し出しました。
「で?何言われたの?」
シチューを口に運びつつ尋ねます。
シオンはジョッキに入った酒を一気に煽ると空になったそれを今度は割らないようにそっとカウンターに置きました。
「あの野郎、何が『女の子を盾にしての作戦、ご苦労様。シストに怪我が無くて良かったねぇ?女神に怪我を負わせたとあっちゃ陛下のお怒りは免れなかっただろうし』だ。お前が指揮したんだろ!!しかも『あ、あと姫君から俺か君に舞踏会に出て来いって言われてるから、君、行ってきてね。上官命令ってことで』だと!?何っでアイツが少佐で俺が大尉なんだ!納得いかん!」
ここには居ない、上司兼悪友その1を睨みつけるかのようにギラギラと怒りに満ちた目で吐き捨てます。
その様子を見てシストは本当に仲悪いんだなーと他人事のように思いました。実際他人事ですしね。
「いつか敵と巻き添えに刺し殺してやる……」
そこまで悪いのか。口に運びかけていた木製のスプーンを下ろし呆れつつも口を開きます。
「あの人前線に出てきたことないじゃない」
そうだけど、と言いかけた彼の背後から声がかかりました。
「上官殺しは重罪だぞ」
「ヘイゼル」
シオンは振り返り、男の名前を呼びます。
ヘイゼルこと悪友その2は年の頃は20代半ば、ガッシリとした体格でシオンと比べればやや低めの印象を受けます。それでも中々の長身で男前と呼ぶのに相応しい容貌をしていました。
「まぁ、俺ら同期の中でアイツだけが特に出世が早いとは思うけどな」
苦笑いしながら言うヘイゼルにシストはしれっと1つの事実を告げました。
「それはあの人が上層部の人間の弱みを握りに握ってさんざん利用したからでしょう。どうやって握ったのかまでは私の知る由じゃないけれど」
あぁ。と思い当たる節があるのか、シオンもヘイゼルも納得したかの様に頷きます。
「そう言えば、アンタ達は同い年だったわね」
シオンが童顔だから忘れてた。とシストが言います。
「何だと?お前みたいなちびにだけは言われたくないな。胸ばっかり育ちやがって」
「だっれがちびよ、誰が!私だってねぇ!もうちょっと契約が遅ければスラーっとした手足の長い美女になってたわよ!それをアンタと神殿の巫女たちが共謀してさっさと契約させちゃうから!」
ていうか、胸ばっかりって言うな。胸ばっかりって!とシストが怒るとシオンも負けじと
「勝手に俺をあの巫女たちの共犯者にするな。こっちだって色々脅されたんだぞ」
などと応戦します。騎士を色々脅す巫女って一体なんなんだ。
きゃんきゃんと言い合う2人を見てヘイゼルは小さな疑問を口にしました。
「契約って、人間が神が死ぬまで一緒に居てやることだとガキの頃に聞いたがそれを交わすと成長が止まるのか?」
確かにシオンは同い年であるヘイゼルや先ほど話に出てきたイェンと比べるとまだ20になるかならないかくらいの見た目であるし、シストはシオン達より3つほどしか違わないはずであるのにとても幼く見えました。
「うん。契約を交わすとね、不老になるの。私が死ぬまで、シオンは死ねない。そりゃ怪我や病気にはなっちゃうけどね。だからシオンも単独で先陣切って敵に突っ込む無茶やれるのよ。普通は兄弟並に仲が良いか恋仲になるかしないでも限り契約なんて交わさないんだけど」
簡単に交わしていいものじゃないのよ——彼女が俯いて小さく漏らした声は誰にも届きませんでした。
「あ、もうこんな時間だ。リアに怒られちゃう。おじさん、シチューご馳走さま。美味しかったよ」
空になったお椀と代金を店主に渡し、パタパタと帰り支度を始めます。
「送るか?」
「ううん、いい。神殿までそんなに離れてないし」
じゃっ、おやすみなさい!そう言ってひらひらと手を振りながらシストは店を後にしました。
「相変わらず騒がしい奴だ」
シストの背中を見送って、シオンがぼそりと呟きます。
「そう言えば、お前たちは幼馴染だったな」
「神域の近くに住んでたからな。神のくせにふらふら出歩きまくって。まぁ流石戦女神と言うべきか、ガキの頃はあの辺でアイツに喧嘩で勝てる奴はいなかった」
俺で辛うじて引き分けだ。とシオンは苦笑しました。
「シオン大尉にヘイゼル大尉じゃないっすか!一緒に飲みませんかー!?」
底抜けに明るい――というか明らかに酔っ払っている――声が2人の名を呼びます。
「マーヴィンか」
「はい!マーヴィン・ルロイ中尉、ただいま浮かれております!」
マーヴィンと呼ばれた男はピシリっと敬礼をして笑います。
「自分で言うか、普通」
ヘイゼルが呆れながら言うと
「正直なのが信条であります!」
と堂々と言いました。
「そんなことよりお二方!我々と一緒に飲みませんか!?」
いやー、女神様がご一緒だと中々声をかけづらくて!と笑いながら言うマーヴィンにシオンは
「いや、やめておこう。お前の同僚を見る限り、少なくとも俺の同席を願ってはいないようだからな。俺も帰って寝るよ」
そう言って立ち上がりかけます。
「そうか、じゃあ俺は一緒に飲むとするかな。ところで、マーヴィン。この無愛想な大尉殿には実は意外にも人間くさいところがあってだな、もう20年近くも女神に片想いしていると――」
「よーし分かった。飲めばいいんだな!?飲めば!」
さらりと自分の秘密をバラす同期を恨めしそうに睨みつけ、半ばヤケクソになりながらシオンは叫びました。
「たまには付き合ってやらんからどんどん敬遠されていくんだ、お前は」
「だからといって何故、そのことを言う必要があった」
「何、下士官達もお前が自分たちの様に恋をするんだと知ればもっと仲良くなれるだろうとだな」
「余計なことを……」
「まぁ、中にはイェンやらカレルから面白おかしく聞かされた挙句賭けを持ちかけられたし奴も居るらしいがな」
「もうお前ら死ね……いや、むしろいっそのこと殺してくれ……」
しっかり奢らされ、そうぼやくシオンにヘイゼルはお前を殺す方法なんか知るもんかとケラケラ笑います。
「笑い事じゃない」
不機嫌そうにピシャリと言い放つシオンにふと真顔に戻ったヘイゼルが尋ねました。
「そうだな、確かに笑い事じゃない――実際の話、お前達はどうしたら死ぬんだ?」
「それを俺がお前に教えるとでも?」
「同期じゃないか」
「お前が敵国のスパイだとも限らんだろう」
俺がお前に教えることでアイツらの命を危険に晒したくないとシオンは至極真面目な顔で言いました。
「本当に心の底から女神様に惚れ込んでるようだな」
揶揄するように言うと、俺はこっちだからとシオンに別れを告げました。
「遅いよシスト。どこ行ってたの」
神殿に帰り着いたシストを待ち受けていたのは弟神であるリアでした。
黄金に輝く髪とシストと同じく紅玉の瞳を持ち、男性にしては華奢な体つきをしている青年神は彼女よりも年上に見えます。
「えー……いつもの酒場だよ」
「シオンも一緒?」
「そうだけど」
うげーと渋い顔で聞き流そうとするシストにまぁシオンが一緒だったなら、と一応納得するリア。
「ちゃんと送ってもらった?」
「いや、1人で帰って来た」
その言葉に何考えているの!と眦を吊り上げます。
「シストはパッと見は若い女の子なんだよ?1人で何かあったらどうするの!」
「ちゃんと帯剣してるわよ」
「シストは自分の剣の腕を過信してるよ」
そう言うと彼女の手首をギチリと掴みました。
「ほら、僕にだって身動き取らせないようにできるんだよ?男女の力差ってのを……ぐっ」
言葉の途中で呻き声をあげます。
シストが、素早く、なんですか、その、リアの股間を蹴りあげたのです。
「そんな風にしてくる男なんて急所蹴りあげてやったらいいのよ」
悪びれもせず言いのけると呻き続けるリアを放置してさっさと寝所へと戻ってしまいました。戦女神恐ろしいな。
翌朝、寝ぼけ眼でぼんやりしているシストの前に母親代わりの巫女の手によって1通の手紙が突きつけられました。
「んう?何……?」
「シスト様とリア様への舞踏会の招・待・状・です」
「ええー……そんな華やかな所苦手だからパースー」
「駄目です!今まで色々理由つけてのらりくらりと逃げ回ってくださいましたが今回という今回は行っていただきます!」
「リアだけでいいじゃない……」
「いいえ!今回はシスト様にも行っていただきます!シオンにも迎えに来るよう言ってありますから」
「なんでシオンが」
「殿方のエスコートも無しに行かせられますか!」
そう言う巫女の顔は般若と言っても差し支えが無いものでした。
「いいですか!?1週間後ですからね!」
般若の顔のままである巫女の言葉にシストはもう、こくこくと静かに頷く事しかできません。
「分かってくださったのなら良いのです。では、朝食にいたしましょうね」
素直に頷くシストに気を良くした巫女はにっこり微笑むと彼女を食堂へと促しました。