救出
俺は一体何をしているんだ?!
どうして俺がこんなことをしているんだ?!
なぜ俺は見ず知らずの少女を急いで担いで自宅に運んでいるんだ?!
俊也は非常に混乱していた。
自宅のマンションの前で土砂降りの雨の中傘も差さずにぼんやり突っ立っていた少女が、俊也の見ている前で突然倒れた。駆け寄ってみると微かに意識はあるようで、けれど自分の力では立ち上がれないようだった。
普通なら救急車を呼ぶだろう。車に轢かれないように道の端に運んだっておかしくない。けれど俊也はそうしなかった。
なぜそうしたのかは分からない。俊也は倒れた少女を担ぎ上げると、一目散に自宅へと走っていったのだ。
少女の体は驚くほど軽く、そして冷え切っていた。まだ肌寒いこの天気の中、薄手のノンスリーブのワンピースなんて着ているから冷えていて当然だ。しかも体中に雨が浸み込んでいる。
いつもならのんびりと上る階段を俊也は少女を抱えて駆け上り、慌てて鍵をポケットから取り出すと、足早に部屋に入って行った。
少女を担いだまま浴室に直行し浴槽の中に少女をそっと下ろした。浴槽のふちに少女の両腕をかけさせ体が倒れないような体制をとらせると、俊也は迷わずシャワーのノズルからお湯を出し、彼女の首筋にお湯をかけ始める。もくもくと湯気を出しながら、温かいその液体は少女の体を流れ落ちて行き、彼女の体を徐々に温めていった。
まるで死人のように動かなかった少女の指が、体を温めるお湯に反応したのかぴくりと動き、そして恐ろしく緩慢な動きで浴槽のふちに預けていた頭を起こした。今更俊也の存在に気付いたようだ。
「!」
彼女に見つめられ、俊也は思わず言葉を失った。
彼女の表情は雨に濡れながら道端に立っていたあの時と同じで、少しでも刺激を与えたらいなくなってしまいそうなほど儚く、人間ではないのではないかと思ってしまうほど美しかった。
顔の造形ではない、何か別の美しさだ。オーラ、というのだろうか。神聖で、それでいて希薄で、触れただけで崩れてしまいそうな存在。それだけもろいからこそ生まれる美しさを彼女は持っていた。
しばらく彼女も俊也も見つめあったまま動かなかった。ざああ、とお湯の流れ落ちる音が妙に耳障りで、それ以外の音は何もしない。
体が縛られたように動かない。動いたら何もかもがなくなってしまいそうな、そんな気がして仕方がない。
だが、当然だが彼女は消えもしないし崩れもせず、それどころかのろのろと立ち上がった。
何をするのだろう、と俊也が見守る前で彼女はワンピースの裾を弱々しく掴むと突然脱ぎ始め、俊也はぎょっとして後ずさった。
「うわっ?!ちょ、ちょっと待って!!」
予想外の少女の行動に驚き、俊也は慌ててシャワーのノズルを手放すと浴室から飛び出し、浴室の戸を勢いよく閉めた。
心臓がばくばくと鼓動しているのが分かる。
あの程度で動揺するなんて情けない、相手はたかだか高校生かそこらの少女じゃないか。
そう自分に言い聞かせるが、心臓の動きはしばらく落ち着きそうにない。
浴室からは彼女がシャワーを浴びているのだろう、お湯の流れ落ちる音が聞こえてくる。自力でシャワーを浴びることが出来るようだ。とにかく着替えを持って来ようと、俊也は寝室に向かうことにした。彼女の服は当分着れそうにない。サイズは合わなくても着るものが必要だ。
だが廊下に出て、寝室に向かおうとした時だった。がたん、と浴室の方から何かが倒れる音がした。
弾かれたように俊也は浴室に戻り浴室の戸を開けると、そこには裸で倒れている少女の姿。
「おい、大丈夫か?!」
シャワーのお湯を止めてから少女を抱え浴室から出すと、俊也は彼女の体をバスタオルでくるみ、寝室へと向かった。
なぜ俺がこんなことをしているのだろう。
こんなことをせずに早く病院に連れて行ったほうがいいんじゃないか。
そんな思いとは全く逆の行動をしている自分が不思議でしょうがない。
だが俊也はそんな思いとは真逆の行動をとらずにはいられなかった。なぜだか分からない。体が勝手に動いてしまうのだ。ただ、俊也にも分からない自分の中の何かが俊也を突き動かしていた。
それから俊也は彼女の体の水分をざっとふき取ると寝室のベッドに寝かせ、布団をかけた。まだ肌寒い季節とはいえ室内は暖房なしでも過ごせるが、彼女の体が冷えてしまわないようにエアコンのスイッチをオンにする。
そこまでしたら、あとは何もすることがなくなった。あとは彼女が目を覚ますまで待つだけだ。
ちゃんと目覚めるだろうか。ここで死んでしまったりしないだろうか。むしろもう死んでしまっていたりして。
急に不安になって、俊也は恐る恐る彼女の顔を覗き見た。
彼女にかかっている布団が微かに上下している。息はしているようだ。
「はあ、とりあえず生きてる」
俊也は胸を撫で下ろし、とにかく着替えることにした。まだ比較的新しい背広がびしょぬれだ。
とにかく様子を見ることにしよう。そう決めると、俊也は着替えを持って寝室を後にした。