純黒
漆黒の髪をお持ちのあなた、いつも窓辺で外を眺めていらっしゃるあなたは、このわたくしのことをどう思われているのですか。
忌まわしいと呪われる黒い翼を持つわたくし、あなたと同じ言葉を紡ぐことができないわたくしのことを。
あれは一年ほど前のことになりますでしょうか。
突風に煽られ、木に翼を強く打ち付けたわたくしは、あなたの住まわれている立派な家の、とても広い庭の隅で、一人静かに血を流し、涙を流しておりました。
しかし涙や血を流そうとも、わたくしのそれは汚らわしく、醜い。
もうこのまま命を失くしても構わないと思っておりました。この醜い姿から解き放たれたいと願っておりました。
わたくしに、この醜く汚らわしいと疎まれているわたくしに手を差し伸べてくれるものなど、この世に存在するはずもないと諦めておりましたのに。
あなたは突然わたくしの元に現れ、そしてあたたかな腕に抱いてくださった。
その涙がこぼれそうな奇跡に、わたくしは縋らずにはいられなかったのでございます。
わたくしを腕に抱いてくださったあなたは、とても優しく慈しみ深く、そして美しかった。
あなたに癒され、あなたの腕の中から飛び立ったわたくしの見た青い空は、それはそれは澄んでおりました。
わたくしはあなたが恋しいと、わたくしはあなたをお慕いしているのだと、わたくしはわたくしの心を知りました。
ふたたび空を得たわたくしは、一目でもあなたのお姿を観たいと願い、あなたの部屋の窓辺に毎日のように降り立ちます。
しかしわたくしがあなたの部屋を覗くと、日に日に白く細くなっていかれるあなたのお姿を目にするのです。
どこか体を病んでいらっしゃるのでございますか。わたくしにできることは何か無いのでしょうか。
わたくしはあなたにこの心をお伝えする術をどうすれば持てるのでしょうか。あなたには永遠に伝えることができないのでしょうか。
あなたの望みはなんでございますか。わたくしは、わたくしが心からお慕いするあなたが儚くなるそのときまでにそれを知り、叶えたいのです。
「ああ、よく来たね。黒露」
そう呼びかけると、君は軽やかに僕の部屋の窓辺に降り立つ。
朝露に濡れ、庭で血を流していた君は、なんと美しかったことだろう。
あの朝は、珍しく気分のいい朝だった。いつも閉じている二階の窓を開け放ち、深く息を吸ったときの清々しさ。
そのとき僕には聞こえたのだ。君の切ない心の声が。涙を流し、痛みをこらえる君の叫びが。
急く心を抑えながら、僕は君の元へと。庭の草をかき分け進んだその先に、君は優美に倒れていた。
倒れていた君に覚えたのは、憐れみでも悲しみでもなく、愛しさ。人ならぬものに抱く感情ではないと、そう笑うものがいるのなら、僕はそのものにこそ憐れみを覚えるだろう。
君の艶めく漆黒の翼は朝露に煌めき、僕の目には何よりも純粋な色に映った。
真紅の血を流す君の翼を優しく癒やし、いつか再び大きく果てのない空へと羽ばたく君の、美しく気高い姿を目にしたいと願った僕。
君は翼を癒し、そしてふたたび空へと舞いあがった。
しかしその僕の願いが叶っても、寝台に横たわるのみの今の僕には、君の姿を青空に探すこともままならないのだ。
かすかに開くあなたの部屋の窓から体を滑り込ませたわたくしは、あなたの枕元にそっと降りたちます。あなたの枕を揺らさぬようにそっと。
目を覚まし、わたくしを見つめるあなたのその優しい眼差しを、わたくしはとてもとても愛しく慕わしく思うのでございます。
あなたがわたくしを助けてくださったあの朝。きっとあなたにはわたくしの声なき声が聞こえたのだと、そう信じてもいいのでしょうか。
それをきっと、お優しいあなたはきっと、きっと許してくださる。
どうか。
どうかわたくしにあなたの望みを。
「美しい黒露。僕も君のように広い空を舞うことが叶えば……」
そうわたくしに呟き、そしてあなたは儚くおなりになりました。
その望みは叶うでしょう。あなたの魂は現世の殻を脱ぎ捨て、形無いものとなりますから。
形無いとはすなわち何ものにでもなれるということ。
あなたがお望みならば、あなたは広い翼で空を舞うことも叶うでしょう。
黒き翼を持ち、それゆえに、あなた以外誰からも愛されなかったわたくし、同じ種の中で誰よりも長く生きたわたくしもあなたと共に次の生へと参ります。
あなたと共に空を舞い、今度こそあなたと生きるために。
end