プロローグ 【天使と悪魔】
この世界には天使と悪魔が存在する。神様に仕える天使には悪魔を討伐する義務がある。そう、悪魔は悪い生き物だ。天使の誰も彼もから恨みを買っている。だから俺もそうである……はずだった。
天使見習いの俺はその日、父親に連れられて悪魔狩りに出てた。父は神様の幹部だから学べることも多い。それにもうすぐ正式な天使として認められるだろうって父に言われたからより頑張らないと。
いつも通り悪いことをする悪魔を殺す。任務が終わり帰路につこうとした時。
その時だった。
天使の一人が襲いかかってきたのは。
お父さんの羽根がもがれる。
羽は天使である誇りとして存在するもの。羽を失ったものは天使として生きることができない、とされている。
だから今その瞬間、父は天使でなくなったのだ。
悪魔に襲われたわけでもなく、仲間の天使を守ったわけではなく、だた一人の天使によって一人の天使が消えたのだった。
そして羽をもぐだけでなく、どうやらその天使は父を殺そうとしているらしい。父と一緒に逃げる。父は羽根がないため足での逃亡となった。もちろん当然羽を使って追いかけてくる天使には速さでは勝てない。
だから俺達はとっさに茂みへと隠れた。
俺はまだ成長しきっておらず、幸いまだ羽も身体も小さかった。茂みを隔てて相手の天使が目の前に降り立つ。心臓の鼓動は激しくなるばかりだった。そして、父も羽根がなかったため特にバレることもなくその場をやり過ごしたのだった。
父はこう言った。「俺を見捨てろ」と。「俺はもう天使として生きていけない」「おそらくこの調子だと天使内で裏切り者として告発されているはずだ。同士討ちは罪が重い」あの父が、一人の天使が俺を置いて行けと願う。俺はまだ小さい。確かに一人なら逃げ切る可能性は格段に上がる。天使の最後の願いは、必ず叶えられる。そういう言い伝え。そしてその願いに応えるのも天使の役目だと、父から言われてきていた。
だから俺は、その願いに応えるしか術がなかった。
必死に駆けた。飛ぶにはいささか心もとない小さな羽は、まだ空の下では体をささえることができない。だから足を動かす。
誰かに伝えなきゃ。アイツが、アイツが裏切り者だって。父は羽をもがれてしまったと。
でも……誰に?
父の言っていた通り、あいつが馬鹿正直にあの状況を仲間に伝えているとは到底思えない。きっと父を裏切り者に仕立て上げる。
今の状況じゃ俺の言うことは信じてもらえないだろう。何せ1人前の、それに幹部であるアイツの言うことと、ただの見習いの俺。しかも身内だから庇ってると推察される可能性もある。
わからない。誰に助けを求めていいのか。誰が味方なのか、わからない。
父は多分自分を見捨ててほしそうだったけどできれば、間に合うのなら生きていてほしい。でもその綱がない。
どうしよう。どうしよう。
無我夢中で走っていると、誰かいる影が見えた。敵か味方かもわからない。でもその人にかけるしかない。必死にその気配の方へと足を動かした。
助けを求めようと、口を開け手を伸ばす。頬に痛みが走った。何か鋭いものが掠ったみたいだった。
助けて、と願う声はのみ込まれた。
「誰だ、てめェ」
痛みのせいでもあるが、それ以前に
「天使が悪魔になんの用だァ?」
悪魔だった。
喉が引きつる。助けを求めようにも、悪魔だ。俺たち天使が散々殺してきた悪魔。悪魔が天使を助けることはない。現に今目の前にいる悪魔は憎悪のこもった目でこちらを睨んでいる。
では討伐する?無理に決まってる。俺はまだ一人で悪魔を殺したことがない。いつも誰かが後ろで見守ってくれている。失敗しそうになったら手を貸してくれる。
それにこの悪魔は強い。きっと天使で言う幹部のような立ち位置にいるのだろう。気配がまったくない。
では降伏する?万が一にも、この悪魔の気が向いたら良し。殺されることも覚悟で助けを乞うのが正解?
わからない。
でもやってみる価値はある。この悪魔は我々天使みたいに出会い頭に殺し合いを始めたりはしなかった。話し合いの余地はあるのかもしれない。
緊張で喉が鳴る。悪魔はまだこちらの動きを見ている。地に膝を、手をつき、頭をつける。
「助けてください。お願いします……」
決死の思いで振り出した声は小さかった。足も震えてる。でも悪魔には聞こえたようで、怪訝そうな顔をした。
「……天使様お得意のお騙し戦法かァ?」
無言で、頭を下げ続ける。
悪魔が息を吐いた。
「とりあえず頭上げろ。話はそれからだ」
必死に説明をした。悪魔相手に。とりあえず今は父を助けるために。
「……無理だ。お前の父は死んでる」
悪魔が話を聞いたあと、一番にそういった。
言葉が出てこない。わかっていた。羽もなく逃げ切れるわけがないと。父自身の覚悟も見てきた。そもそも俺がここまで逃げ切れたことが奇跡に近いはずなのだ。
それでも俺は父を諦めきれない。
「……お前の親父のとこに案内しろ」
悪魔はチッ、と舌打ちを響かせながらもこちらの雰囲気を読み取ったのか案内を促す。
微かな記憶を頼りに、走ってきた道のりに沿って悪魔を連れた。
やっとのことで父と別れた場所に着いた時、目に入ったのはやはりと言っていいのか、父の、おそらく亡骸だった。しゃがんでしっかり確認する。羽もなく、天使としても死なせてもらえなかった父は苦しそうに、でもどこか安心した表情で眠っている。
この調子だと俺の家族は反逆者の身内だと処刑されるのだろう。もう、戻る場所もない。
俺がじっと父の亡骸を見つめていたのを悪魔は一歩引いたとこで見ている。何も言わない悪魔の存在は今は、裏切ってきた天使よりも安心感があった。
これじゃあ、天使のほうが悪魔みたいじゃないか。
ははは、と乾いた笑いが漏れる。悪魔はそんな俺を見ても特に何も感じていないようだった。警戒もしていない。もしかしたら俺にもう戦意がないことが分かっているのかもしれない。
「なんで?」
なんで父は殺された?なんで羽を剥いだ?なんで、なんで……と疑問ばかり湧きだってくる。
「おい、天使」
悪魔の声でどこかに行ってた思考が戻ってくる。
「お前は憎いか?」
もちろんだとも。父を殺したアイツを今一番に殺したい。
でも返事する気力もなく、ただ悪魔を見る。
「その羽を、誇りを捨ててまで殺したいのなら手伝ってやってもいい」
俺達も天使を消したいしな。手は多いほうがいい、と続けて言う悪魔。
俺はすぐさま持っていた短剣で羽の根本を切り裂く。痛い。血がぼたぼたと垂れる。あれだけ綺麗だと、誇りだと思っていた羽はただのゴミへと成り代わった。もうそこに輝きはない。
俺の瞳ももう濁っている。
「……ついてこい」
悪魔の声をトリガーに足を奮い立たせた。
「悪魔は俺を拾ってくれる?」
「……あぁ」
「なんで?」
「同情」
一番今言われたくない、悪魔らしい嫌な言葉だった。
天使の俺、ノアは今死んだ。




