8
「あっつ……」
持っていたペットボトルのお茶を勢いよく口に入れる。この暑さのせいで今朝買ったばかりのお茶は既にぬるくなっていて、中身ももう半分以上無くなっていた。
暦上ではまだ一応春だと言うのに、今日は朝から三十度近い気温でこの後もさらに暑くなるという予報だった。直射日光の当たる屋外で長蛇の列に並び初めて三十分以上が経ち、じんわりと汗もかいてきた。
僕が暑さにうなだれている一方で、隣に立つ長い髪を青いリボンで後ろにまとめ、白のシャツに水色のワンピースとまるでお姫様のような格好をした雫は、汗一つかかずに澄ました顔で……、いや、目を輝かせ、そわそわしながら自分たちの順番を今か今かと待っていた。
雫が楓さんの家に泊まった日の翌々日の朝。僕らは今日までの期限だったチケットを持って二人でハニーランドに来ていた。
今朝は雫の希望でいつもとは違い彼女の家の前に集合することになった。そんな家の外観も相まってか、扉を開けて出てくる雫の姿はまるで物語の世界から出てきたお姫様のようで、思わず見蕩れてしまうほどに綺麗だった。
「おはよう」
「えっ? あぁ、うん、おはよ……」
普段とは違う雫の姿に、緊張で顔を直視することができない。
「ねえそれだけ? お洒落してきた、彼女を、もっと褒めたりとか、しなさいよ」
雫が顔を逸らす僕を身体でグイグイと押しながら詰めてくる。
「…………っ、き、きれい、だよ……」
「え、なんか気持ち悪い……」
「なっ――」
「まぁでも、ありがとっ。あなたも素敵よ。服の感じも好きだし、髪も……。うん、やっぱりそっちの方がいいわよ」
「……ありがとう」
罵倒からの褒め言葉という流れのせいで、嬉しさと気恥ずかしさでなんとも言えない気持ちになる。
「あーでもこの服、楓さんが今日のために張り切って用意していたやつでさ。髪のセットも服も全部楓さんにされるがままだったんだよね……」
今朝はセットしていた目覚ましがなるよりも早く、部屋へ乗り込んできた楓さんに叩き起こされた。そしてまるで着せ替え人形のように楓さんが用意したシンプルな白のセットアップを着せられ、髪もセットされ、すべてされるがままに朝の支度を終えた。
「そう……。……ねえ、知ってる? デート中に別の女性の話をすると嫌われるそうよ?」
「あっ! いや、ごめん! そんなつもりは全然なくて……」
「ふふっ、冗談よ。いいからほら、行きましょ!」
「ちょっ――」
雫が動揺する僕の手を掴んでそのままぐいっと引っ張る。
駅へ向かう道中、雫は繋いだ手をぶんぶんと振り回しながら鼻歌交じりで足早に歩き、文字通り身も心も躍らせていた。
そしてそれは電車に乗ってからも続き、身体を小さく左右に揺らして子どもみたいにはしゃぎながら、スマホでハニーランドの地図を見て目を輝かせていた。最近では専用のアプリで地図やアトラクションの待ち時間なんかも見ることができ、制限はあるがアトラクションに並ばなくても入れる事前の時間予約までできるようになっているそうだ。
電車からハニーランドの建物が見えてからは、繋いでいた手にギュッと力が入り、その手を僕の足の上でバタバタとさせて興奮が隠せない様子だった。
そして現在、ハニーランドが近づくにつれて依然雫のテンションは上がり続けていた。このまま入園したらいったい彼女はどうなってしまうのだろうか……。
並び初めて四十分ほど経ち、ようやく僕らの順番がやってきた。分かれて荷物検査を受け、持っていたチケットのコードをゲートにかざして入場する。
「んんーっ、やっと入れたー」
長蛇の列を抜けた開放感からぐーっと伸びをする。雫は少し荷物が多かったようで、荷物検査に時間がかかっているようだった。というか、小さいボディバッグにスマホと財布と飲み物くらいしか持ってきていない僕が少なすぎるのか……。ちなみにこのバッグもコーディネートの一環として楓さんが用意してくれたものなのだが、普段どちらかといえば荷物が多い方の僕にとってはなんだかその容量が心もとなく感じてしまう。
そんなことを考えながら先にエントランスに入って待っていると、少ししてからようやく雫も入場してきた。
「っ…………」
ゲートを越え、雫が僕の元へと早足で駆けてくる。するとそんな彼女の姿を見た人たちが皆、朝の僕のように突如現れたお姫様に心を奪われ、その視線が一斉に彼女へと向いた。
「綺麗……」
「あの子可愛い!」
「エルだー!」
今日の雫のコーディネートはハニーランドのお姫様の一人〝エル〟を模したものだったようで、彼女の整った容姿も相まってか、ここのキャストと勘違いしたのかたくさんの人が写真を撮ろうと集まってきてしまった。
「あのっ、私は……」
「――ごめんなさい! ただの学生なので写真はご遠慮ください……」
謝罪する雫の元へと急いで駆けつけ、僕も慌てて頭を下げる。すると、彼女を囲んでいた人たちは残念そうな表情を見せるもすぐに離れていった。
「……ありがと」
「うん……」
再び雫の手を掴んでギュッと指を絡ませる。
「じゃあ、行こっか」
「えぇ……。っ――」
そのまま雫の手を引いて歩きだそうとするも、彼女の身体がぐいっと後ろへ引っ張られてしまった。慌てて振り向くとそこには、彼女のスカートの裾を掴むバラをモチーフとした綺麗な黄色いドレスを着た小さなお姫様がいた。
「お姉ちゃん、エルじゃないの……?」
女の子が今にも泣きだしてしまいそうな顔で雫を見上げる。それを見た雫はすぐに僕の手を離してしゃがみ、その子と目線を合わせた。
「お姉ちゃんはエルじゃなくて雫っていうの。あなたのお名前はなんていうの?」
「ゆい……」
「ゆいちゃんね。ゆいちゃんはエルが好きなの?」
こくんと小さく頷くゆいちゃん。
「やっぱり! 私も好きなんだーっ。ゆいちゃんのドレス、エルみたいで可愛いね!」
「うん……。ママがね、買ってくれたの」
「そうなんだ! いいなぁーっ。あ、でもエルとは少し違うところがあるかなー……。エルはね、泣くのを止めて幸せを夢見て、笑っていたから王子様と出会えて幸せになれたのよ? ゆいちゃんもほら、せっかくの可愛いドレスなんだか笑っていないと! ねっ?」
「うん」
さっきまでの泣き顔が嘘みたいに晴れ、ゆいちゃんの顔がパーッと明るくなる。
「あのねあのね、お姉ちゃんもエルみたいですっごく可愛いよ!」
「ありがと。あっ、せっかくだから一緒に写真撮ろっか!」
「うん!」
「じゃあー……。あ、ちょっと待っててね?」
そう言うと雫はゆいちゃんのお母さんらしき人の元に掛けていき、ペコペコ頭を下げるお母さんになにやら中央の方を指さして話をしだした。そして話を終えた彼女が今度は僕の方へと駆け寄って来る。
「あの花壇の前にゆいちゃんと並ぶから、これで写真を撮ってくれないかしら?」
はい、っと彼女が僕にスマホを差し出す。
「あぁ、分かった……」
「撮り方分かる?」
「うん。多分大丈夫、だと思う」
「じゃあお願いね?」
僕が頷くのを見て、雫はゆいちゃんの元に戻った。そしてゆいちゃんの手を引いてエントランス中央の花壇まで行くと、その前でゆいちゃんの身長と合わせるようにしゃがんで並んだ。それに合わせて僕も彼女たちの目の前に行き、さっきのゆいちゃんのお母さんとペコッとお互いに会釈をしてから並びあってスマホを構えた。
「はーい! 撮るよー」
「ゆいー、こっち向いてー」
ゆいちゃんのお母さんと一緒に二人のお姫様の写真を撮る。雫もゆいちゃんも本当に可愛くて綺麗で、どちらも本物のお姫様のように幸せそうな笑みを浮かべていた。
「……写真、か……」
二人の写真を撮り終えた後、せっかくならと雫がゆいちゃんとお母さんも一緒に写真を撮ってあげると、ゆいちゃんのお母さんが僕らも撮ってくれると言ってくれた。
「ゆいが撮る! ゆいが撮る!」
「だーめ。ゆいはママが撮るとこ見てて?」
「ゆいできるもん。ゆいがやるーっ」
駄々をこねるゆいちゃんにお母さんが困っていると、雫がゆいちゃんの目の前にまたしゃがみ込む。
「じゃあ、はいっ。お願いね、ゆいちゃん」
「うん!」
「すみません……」
「いーえ、全然大丈夫ですよ」
小さなカメラマンにスマホを渡して二人で並ぶ。
雫とこうして写真を撮るなんて初めてで、なんだか緊張してしまう……。
「おててつないでー!」
「手?」
まぁそれくらいなら、と雫の方をちらっと見ながらすーっと手を伸ばすと、彼女も同じように少し戸惑いながらも手を差し出してきた。そしてそのまま小さなカメラマンに従って手を繋ぎ、照れくささから少し俯き気味にカメラへ目線を向けると、パシャパシャっと何枚かシャッターが切られた。
「よし、じゃあ――」
「次はお姫様抱っこ!」
「え?」
さすがの雫もこれは無理だろうと再び視線を送ると、気分が乗ってきたのか今度はなぜかノリノリで僕に向かって両手を広げて抱っこを要求してきた。
「いや、さすがに――」
「んっ」
両手を僕の方にぐっと突き出し、抱きかかえるようにアピールする雫。
「はやくー」
「はやくー」
どうするべきか迷う僕に、小さなカメラマンとお姫様から催促が入る。
「……あー分かった! 分かった、やるよ」
二人の圧に負け仕方なく雫に向かって腕を伸ばすと、彼女が僕の首の後へと腕を回してこちらにぐいっ身体を寄せてきた。すると当然お互いの顔も近づき、僕の視界は彼女の小さく整った顔で埋め尽されてしまう。
「っ――」
このままじゃまずいと、慌てて首をぶんぶんと振って我に返る。
「すぅー、ふぅー……」
覚悟を決め、恐る恐る手を伸ばして雫の背中とももの裏に添え、息を整える。そして、ふっ、と勢いよく持ち上げると、彼女は見た目よりもかなり軽く僕の力でも容易に抱きかかえることができた。意識も運ばれる気もない泥酔状態の楓さんを運ぶことがよくあるのだが、その時と比べると段違いに楽だった。
「大丈夫?」
「うん、意外と。それに楓さんよりは重くないから大丈――、いったぁっ!」
軽いと言ったつもりだったのだが、勘違いさせてしまったのか頬をギュッと摘ままれてしまった。
「――なんで!?」
雫の方を見てもそのままぷいっと顔を逸らされてしまったため、表情を見ることができない。いったいなにがそんなに気に障ったのか見当も付かない……。
「こっち向いてー」
再び小さなカメラマンからの指示が飛び、ほぼ同時に目線をカメラへと向ける。
「っ……」
シャッターが切られるまでの間、雫の顔に息が掛からないように最小限の呼吸で待っていると、胸の鼓動が自分でも分かるくらいに早くなり息も苦しくなってしまう。そして彼女と触れている部分から、僕のこの鼓動が伝わっていないだろうかと不安で胸がいっぱいになった。
「………………」
一瞬なはずの時間がとても果てしなく感じる……。そして僕の額から汗が垂れてしまいそうになったその時、ピピッという効果音と共にフラッシュの光が放たれた。
「おっけー!」
「はぁー……」
合図を受けて雫を下ろすと、その安心感からさっきよりも大きくため息をするように息を吐いた。高鳴ったままの心臓の鼓動がまだ収まらない。
雫はなんとも感じなかったのだろうか……。彼女の方を見るも、依然そっぽを向いたままの雫の表情を確認することはできなかった。でもきっと彼女にとってはこれくらいなんともないことで、顔色一つ変えていないのだろう……。
「はいっ!」
「ありがとう」
ゆいちゃんからスマホを返され、雫が撮ってもらった写真を彼女と一緒に確認していく。
「すごーい! ゆいちゃん撮るの上手だねー。どれもすごく綺麗に撮れて、る……」
確認を終える間際、写真を褒められてへへーっと喜ぶゆいちゃんの横で雫の表情が一瞬曇ったように見えた。
その後、ゆいちゃんたち親子とはお互いにお礼を言って別れた。別れ際、何度も振り返って手を振るゆいちゃんに雫は優しい表情で何度も応え、僕もその度に横で頭を下げるお母さんと何度もペコペコと頭を下げ合った。
「……いいわね、ああいうの……」
先を行くゆいちゃんたちの後ろ姿を眺めながら、雫が独り言のようにぼそっと呟く。
「そうだね……。まぁでもあの調子だと、お母さんはちょっと大変そうだけどね」
「ふふっ、そうね……」
お母さんの手を元気よく引っ張るゆいちゃんを見て笑みをこぼす雫だったが、二人の後ろ姿を眺める雫の表情はどこか寂しげにも見える。
「………………」
ゆいちゃんたちが見えなくなり、胸の前で構えていた手を雫がゆっくりと下ろす。
「さて、私たちもそろそろ……、っ――」
そんな行き場を失ったままの彼女の手を、上からそっと包み込むように握る。
「………………」
反応がなく不安に駆られたがそれも一瞬で、彼女は僕の手を握り返して応えてくれた。
「……ありがと」
「うん……。じゃあ、行こっか」
「えぇ……」
気恥ずかしさを隠すように彼女の手を引いて歩き出す。
「……あ、そういえば、最後ゆいちゃんとなに話してたの?」
「んー……、お姫様だけのヒミツ?」
別れ際、雫とゆいちゃんが僕らから少し離れたところでなにやら楽しそうに話していたのが気になっていたのだが、きっと女の子同士にしか分からない話もあるのだろう。
「そっか……」
「うん」
「あ、さっき撮った写真見せてよ」
「あー……」
あの時、僕も雫と一緒に写真を撮りたいと思ったが、自分からは絶対に言い出せないと分かりきっていたのでゆいちゃんたちには本当に感謝してもしきれない。
「僕もスマホがあれば送ってもらいたかったけど……。あ、そうだ。楓さんにでも送ってよ」
「……だめ」
「えっ……!?」
彼女からのまさかの返答につい足が止まってしまう。
「えーっと、だめっていうか、そのー……。ほら私、変な顔しちゃってたし、それに……」
ちらっとさきほどまでゆいちゃんたちがいた方に視線を送る雫。
「あー……」
写真をチェックしている時、最後に一瞬彼女の顔が曇ったように見えたのはそれが理由だったのだろう。この様子だときっとゆいちゃんが撮ってくれた他の写真もきっと……。それでも頑張って撮ってくれたゆいちゃんの手前、撮り直しはお願いしにくかったのだろう。
「そっかぁー……」
ものすごく惜しいが、まだ今日は始まったばかりでアトラクションや写真映えするスポットもまだたくさんある。この後、雫と写真を撮る機会もまたきっとあるだろう……。あると信じたい……。
「ばかね……。そんな顔しなくても写真くらいいくらでも撮ってあげるわよ」
「――ほんと!?」
思ってもいなかった雫からの提案に、嬉しさからつい大きな声が出てしまう。
「ふふっ、えぇ……。ちゃーんと良い子にしていたらね?」
「分かった!」
「ふっ、ふふっ。じゃ、じゃあ、行きましょうかっ……」
「うん!」
無邪気なゆいちゃんに当てられたのか、子どものように素直な返事をしてしまった。そんな僕を見て必死に笑いを堪える雫に手を引かれ、僕らはようやくエントランスを後にした。
エントランスを抜け、僕らはまず涼むのと休憩を兼ねてお土産ショップに入ることにした。
「おー、生き返る……」
一歩足を踏み入れた瞬間から外とは別世界と感じるほどに室内は涼しく、さきほどまで流れるように出ていた汗も一気に引いていった。涼しい顔をしていた雫もやはり暑かったようで、ふぅーと息を吐き一度僕の手を離すと、鞄からタオル地の可愛いらしいキャラクターのハンカチを取り出して汗を拭った。
「……お、あれ良いな。雫、あれ見、て……?」
壁に掛けられたたくさんのカチューシャの中に、雫の好きな熊のキャラクターの耳が着いた可愛らしい帽子が掛けられているのを見つけて彼女を呼んだ。だが、さきほどまで横にいたはずの彼女の姿がどこにもなかった。一体どこに行ったのだろうか……。
あたりを見渡すと、お菓子や小物、ぬいぐるみといった数多くのハニーランドのキャラクターグッズで埋め尽くされた広い店内にはたくさんの人があふれていた。だがそんな人混みの中でも、服装と立ち姿も相まってひときわ存在感を放つ彼女はすぐに発見することができた。こういう時は見つけやすくていい、けど……。
「うわー……」
商品を見ている雫から少し離れたところで、明らかに彼女を囲うように人が集まってしまっている。可愛い、綺麗と見蕩れる女の子たちもいたが、そのほとんどが顔や足などをチラチラと見ながら、彼氏はいるのか、誘ってみようかと狙いを定める欲望丸出しな男たちだった。
端から見るとこんな感じなのか……。可愛い子がいるとつい目で追ってしまう、露出した胸元や足などをばれないようにチラチラと見てしまう、という男心も分からなくはないが、これは……。僕もしばらく彼女の横にいたからこそ分かったのだが、意外とそういう視線は相手にバレているし、それを不快に思う人の方がほとんどだろう。
「僕も気を付けよ……」
そんな人たちをかき分けやっとの思いで雫の側まで近づくと、彼女は棚のぬいぐるみをとっかえひっかえしながらなにやらぶつぶつと呟いていた。
「――どの子にしようかしら……。この子はおめめぱっちりで可愛いし、あーでもこっちの子も口元が笑っていて可愛いしー、いやでも、やっぱり抱き心地が良いこの子が――」
と、こちらもまた欲望のままに、今夜家にお持ち帰りする子を吟味し自分の世界に浸っていた。これだと僕が近づいたことはおろか、周りの熱い視線にも気がついていないだろう……。
「………………」
「えっ? ちょっと――」
気が付くと僕は、雫の持つぬいぐるみを奪って棚に戻し、彼女の手を引いて人ごみを抜けて店の外まで引っ張り出していた。
「――ちょっと、どうしたのよ!」
店から少し離れたあたりで、彼女に掴んでいた手を振りほどかれる。
いったいなぜそうしてしまったのか、自分でもよく分からない。ただ普通に声を掛けようと思ったのだが、気が付くと僕の手は彼女の手を掴んでいた。
「ごめん……」
「ごめんじゃなくて……」
「いや、その……」
ちらっと後ろを見ると、さきほど集まっていた人の何人かがまだこちらに視線を送っていた。表情を曇らせた僕を見て雫も後ろを振り返ると、自分へと集まっていた視線を感じ取ってすぐに状況を理解してくれた。
「……あぁ、そういうこと。まぁいいわ、じゃあ別のお店に行きましょ」
「あぁ……」
差し出された手を取り彼女に引かれて少し歩くと、まるで人形の家のように小さく可愛らしいお店に辿り着いた。窓からちらっと店内を見ると、さきほどよりもかなり小さめの店内にはお客は女性が二人だけしかいなかった。これならゆっくりと見てまわれそうだ。
店に入るとまたも一目散にぬいぐるみの元へ駆けつける雫。本当に好きなんだな……。
この店にはお土産の定番のお菓子や小物類はほとんどないが、雫の家にもあった熊のぬいぐるみ関連のグッズがたくさん置かれていた。きっとそれもあってこの客数なのだろう。
「うーん、やっぱこの子にする!」
そしてしばらく悩んだ末、雫が手に取ったのは、さっきの店でも迷っていた長いまつげでぱっちりとした目の可愛いピンクの熊のぬいぐるみだった。
「この子ね、家にいるの子の彼女でね? ずっと一緒に並べてあげたかったの。それにほら見てこのおめめ! ぱっちりしててすっごく可愛いの」
「そう、だね……」
ほらっ、とぬいぐるみの顔を近づけられる。確かに可愛くはあるのだが、他のぬいぐるみとそんなに違いがあるのかどうか僕にはよく分からない。
「……じゃあね、絶対迎えに来るからね……」
そう別れを告げると、せっかく選んだぬいぐるみを彼女は棚に戻した。
「え? 買わないの?」
「うん……。今買って一緒にまわるのもいいんだけど、荷物になっちゃうし、それに……」
なにか言いかけて僕の手元に視線を送る雫。もしかして僕と手を繋ぎたくて、とか……。
「色々食べたりしたいし!」
「あぁ……」
なんだそういうこと、ね……。危うく勘違いをするところだった。
「よし、じゃあ行きましょっか」
「あ、ちょと待って!」
「ん? なにか気になる物でもあった?」
さっきの店でも気になった耳付きの帽子を見つけて試着する。キャラクターものの中でもシンプルなデザインということもあって僕が被ってもそんなに変ではない……、はずだ。
「変じゃない、かな……」
「かわいい! え、なにそれ、私も買おうかしら……。あーでも、やっぱり今日は止めておくわ……。だっ今日の私はお姫様、だからねーっ」
そう言ってスカートの裾を軽く持ち上げ、片足を後ろに下げて膝を曲げるその姿はまさに本物のお姫様のようだった。
「かわいい……」
「え? なに? 今なんて言ったの? かわいい? え? ねぇ、私かわいいかしら?」
つい口から漏れ出ていた言葉に自分でも後悔するが撤回などはもちろんできず、またしても雫にぐいぐいと身体で何度も押されて問い詰められてしまう。
「ほらほらー、もう一回言ってみなさいよー」
「――こっ、これ! 買ってくるから」
「あっ、ちょっと」
被っていた帽子を取り、彼女から逃げるように慌ててレジへと向かった。冷房の効いた店内だというのに、さきほど引いたばかりの汗がまた頬を伝ってしまうほどに顔が熱かった。




