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「ただいまー」

「……おじゃまします」

「おっ、やっと帰って来たかー」

 自宅に帰ると、既に仕事を終えて帰ってきていたエプロン姿の楓さんに出迎えられた。

「あー、それで? どう、だった……?」

「んー、まぁ特になにも……? あーでも――」

「――あーっ、あーあーあーっ! 大丈夫! 全っ然、大丈夫だから! なにもないなら良いから! なっ!?」

自分から尋ねてきたのにも関わらず、楓さんは僕の報告を大きな声で無理矢理かき消す。本当は怖くて聞きたくもないのだろうが、お願いした手前とりあえず聞かざるを得なかったのだろう。

「というかお前らなぁ……。雨宮の両親がいないからってこんな時間まで一体ナニを……」

「雫、上がって」

「え? えぇ……」

 そんないつもの調子でふざける楓さんを無視して、雫をリビングに案内する。

「うわ、すっご……」

 廊下の扉を開けて中に入るとそこには、これからパーティでも始まるのかと思うほどに多い、三人では食べ明らかに食べきれない量の料理がこれでもかと用意されたいた。

「あの……。いいのかしら、あれ……」

「ん? あぁ、いいのいいの。いつものことだから」

 あれ、とは確認するまでもなく楓さんのことだろう。楓さんがふざけているのはいつものことだし、それよりも今は目下の普段中々見ることのないこの豪勢な料理だ。さっきまで空腹なんてまったく感じてはいなかったが、この立ちこめてくる良い匂いを嗅いだだけでもお腹が空いてくる。

「楓さーん、早く食べよー」

「あの……、星野、くん……?」

「大丈夫だって、って、……ん?」

 対面に座った雫が、なにやらばつが悪そうな顔で僕の頭上へと視線を送る。

「なにかあっ、た……?」

 ゆっくりと後ろを向き彼女の視線の先にあるものを確認すると、そこには不敵な笑みを浮かべスマホを片手に僕の後ろに立つ楓さんの姿があった。

「あー……」

 とりあえずなにも見なかったことにして、すーっと顔を元に戻す。

「えーっと……? あー、もう時間も遅いし、僕はそろそろ帰らないといけないんだった」

「ここ香也の家だぞ? それに明日は休みだし、時間は大丈夫だよな……?」

 今すぐこの場から逃げ出さなければと立ち上がるも、両肩をグッと押されて席に戻されてしまう。

「えーっと……」

 優しそうにニコニコと微笑む楓さんだが、その目の奥はまったく笑っていない。

「なっ?」 

「いやー……?」

「あーそういえば雨宮。今日こんな動画をゲットしたんだけど見――」

「――ごめんなさい! なにも予定はないです! 何時まででもいけます!」

 楓さんの注意がスマホに向いた隙に、その重圧から抜けだし床に膝をついて頭を深く下げる。

「………………」

 許された、か……? 

 楓さんの様子を見ようと、恐る恐る顔をあげ始めたその時――。

『かわいい……』

「えっ……?」

 頭上ではなく少し離れた所から、聞き慣れた声のどこかで聞いたことのある台詞が聞こえた。すぐさま音のする方へ顔を向けると、雫がスマホの画面をじっと見つめたまま顔を赤らめていた。

「送っちゃっ、た♪」

「くっ……」

 正直、いたずらをして満面の笑みを浮かべる楓さんのこの表情は好きだ。それに普段ならその顔に安心感すら覚えるのだが、今日は、今この時だけは僕も気が気ではない……。

「えっ……? これって――」

「これはだなー、寝ている女子高生の布団の中に手を入れて、寝顔を覗き込みながら愛を囁く男子高校生の――」

「――すみませんでしたぁぁぁぁぁっ!!」

 今度は勢いよくドンッと床に額を叩きつけ、誠心誠意全力で謝罪をした。


「じんじんする……」

 さきほどまでなにも感じていなかった額が、雫に指摘され意識した途端ズキズキと痛みが走り赤く腫れ上がってきてしまった。

「あんなに勢いよくぶつけるからよ……。ほら、おでこ出して」

「……ごめん」

 雫が冷却シートを貼ってくれるというので、少し抵抗はあったが片手で長く伸びた前髪を持ち上げておでこを晒す。

「………………」

「えっ――」

 すると雫が冷却シートを手に持ったまま、僕の方へグッと顔を近づけてきた。普段あるはずの他人と距離を置くための壁がなくなり、彼女の顔がいつもよりずっと近く感じてしまう。

「――なっ、なに……!?」

「……あなたって、意外とかわいい顔しているのね」

「かわっ――」

 慣れない褒め言葉に恥ずかしくなって顔を逸らそうとするも、両手で顔を挟まれ元の位置へと戻されてしまう。

「……うん、やっぱりこっちの方がいいわよ……。切らないの?」

「あー……、そのうち、ね……」

 雫と一緒に過ごすうちに、段々周りから見られることにも少しずつ慣れてきた。だが僕はまだこの目を覆うほど無造作に伸びた、自分を守る壁を取り除くことはできなかった……。

「そう……。それは残念だわ。あ、でも、こうやって少し整えればー……」

 ああでもないこうでもないと楽しそうに僕の髪を弄っていた雫だったが、突然はっとなって手を止めた。

「えーっと……?」

「な、なんでもない……」

「いや、でも……」

 そんなに変な髪型にしてしまったのだろうか。雫が明らかに動揺した様子で僕から顔を逸らす。

「ほんとになんでもないから! ほ、ほらっ!」

「――いっ! あ、りがとう……」

「……どういたしましてっ!」

 冷却シートを勢いよく貼られ、というか叩き付けられ、痛みで叫びそうになるの歯を食いしばって耐えた。

「……それにしても、本当にすごい豪華ね……。いつもこんな感じなの?」

 僕の処置を終え、目の前の豪華な料理を見て感嘆する雫。

「あーこれ? いや、ここまでのは僕も初めてだよ。それに多分これは……」

 雫が食べに来るからというのも少しはあると思うが、恐らくこれは一人で待っている間、なにかしていないと怖くてつい作り過ぎてしまったのだろう。

「多分……?」

「あーいや、そのー……」

「ほら、できたぞー」

 雫からの問いかけに答えるべきか言い淀んでいると、楓さんが残りの料理を持って来た。晩ご飯の準備は僕と雫が帰ってくる前にほとんど終えていたようで、あっという間に準備を終えた楓さんが雫の隣の席に着いた。

「よし、じゃあ食べよ。いただきます」

「いっただっきまーす!」

「………………」

「――うまっ!」

 楓さんはこう見えて意外にも料理がうまく、いつもより張り切って作られたであろう料理のどれもが店でも出せるんじゃないかと思うほどに美味しかった。

 最近はほとんどやらなくなったらしいが、昔はよくお菓子作りもしていて、あの頃は楓さんが家に遊びに来る時に持ってきてくれる手作りのお菓子がいつも楽しみだった……。

「どうした雨宮? お腹空いてなかったか?」

「あ、いえ、いただきます……」

 そんな料理に夢中で全く気がつかなかったが、雫は遠慮していたのかまだ料理に一つも手をつけていなかった。そうして楓さんが取り分けてくれた料理を受け取ると、ようやくひとくち口に入れた。

「……美味しい」

「それならよかった。じゃあほら、これも食べてみて」

「はい、ありがとうございます」

 本当に美味しそうに、幸せそうに食べる雫の様子を、楓さんが嬉しそうに微笑みながら眺める。その二人の幸せそうな表情になんだかこっちまで嬉しくなってくる。

「ん……?」

 雫の様子をぼーっと眺めていると、カシャッという聞き覚えのある音と光に意識が引き戻された。

「あー……、この顔はアウトだなー。ギルティ、逮捕」

「なっ――!? それなら楓さんだって見てたじゃんか」

「私はいいんだよ、これ作ったし。あとキモくないし」

「きもっ――」

「ほら、見てみ?」

 楓さんが持っていたスマホの画面をこちらに向けてくる。

「あー……」

 これは……、うん。アウトかも……。

 そこに映った男の表情は完全に溶けきり、人様には見せられない顔をしていた……。

「……えーでは、犯罪者の方はお引き取りいただけますでしょうか?」

「くっそ……」

「くそ? ひどい! 大好きなお姉ちゃんにそんな口を……。昔は私のこと好きすぎて、実の兄にまで嫉妬していたのに……。それにこの前だって――」

「――ちょっ、まっ!」

 慌てて楓さんの口を押さえ言葉を遮る。このまま話させていたらどんな爆弾発言をするか分かったもんじゃない。確かに当時は楓さんのことが気にはなっていたが、兄さんにそんな嫉妬なんてしていない……。

 二人の時ならまだしも、よりにもよって雫がいる時に変なことを……。

「あっ――」

 雫の存在を完全に忘れていた……。聞かれてしまったよなーと恐る恐る雫の方を見ると、笑うでも怒るでもなく彼女の目からはなぜか涙が流れていた。

「雫……?」

「かわいそうに……。香也の変態さに呆れてついに涙まで……」

「――楓さん!」

「あ、いえ、ごめんなさい……。あれっ……」

 顔に触れてようやく自分が涙を流していたことに気が付いたのか、雫は慌てて指でこするように涙を拭う。だが、拭っても拭っても涙は止まらず彼女の頬を伝っていく。

「っ…………」

 目の前で突然泣き出してしまった彼女になんと声を掛けたら良いのか分からず、動くことができない。

「雨宮……」

「違くて……、こうして誰かと楽しく食事をするなんて久しぶりで……、なんだか楽しくて、それで……」

 涙を流し心の内を打ち明かすそんな雫の姿に耐えきれなくなったのか、楓さんは雫を上から包み込むように優しくギュッと抱きしめた。

「大丈夫だよ。雨宮さえよければまたいつでも、なんなら毎日でもおいで」

 肩をふるわせる雫の背中をとん、とん、とまるで子どもをあやすように優しく触れて落ち着かせる。いつもはふざけてばかりの楓さんだが、こういう時は本当に頼りになる……。

「………………」

 だけど、そんな楓さんに抱きついて涙する雫の姿を見てほっとすると同時に、ただ見ているだけでなにもできない自分に歯がゆさを感じてしまう……。

「えっ……?」

 そんな僕の気持ちを察したのか、はたまた顔に出てしまっていたのか、楓さんからちょいちょいっと手招きをされる。それを見て吸い寄せられるように近づくと、楓さんは雫のことを片腕に抱いたまま僕のこともギュッと優しく抱きしめた。

「なっ――!?」

「香也もして欲しくなったんだろー?」

「ちがっ――!? そんなこと――、って!」

 右手で雫を抱きかかえたまま左手で僕のことを抱きしめたせいで、僕と雫の距離も近くなってしまう。というか、雫を二人で前後から包んで抱きしめるような形になっていた……。

 すぐにその手を振りほどいて一歩後ろに引いたのだが、さきほどまで触れていた彼女の背中が震えていたように感じ、ついその背中に視線が向いてしまう。

「ほら、おいで」

 そんな僕の視線が自分の抱擁を名残惜しむように見えたのか、左手を広げて待つ楓さんに再び呼ばれる。

「………………」

 恥ずかしさを感じながらももう一度二人に近づき、そして今度は自分から楓さんの背中に手を回して二人で雫を包み込むように優しく抱きしめた。僕に気が付いていないのか、雫は僕が触れても拒絶するような気配はなかった。

「……あたたかい」

「そうだな……」

 雫の背中から伝わる温もりを胸に感じながら、僕もこのおかしな状況を受け入れ、ゆっくりと目を閉じる。全身で感じた彼女の温もりはとても心地よく、手を繋いだ時にも思ったが本当に不快感はなく、むしろずっとこうしていたい、この時間が永遠に続けば良いと思えるくらい安心できるものだった……。


「………………」

 しばらくして泣き止んで落ち着きを取り戻した雫は、僕らの腕の中からスッと抜け出すと、恥ずかしさからか無言のまま部屋の隅で顔を背けて座り込んでしまった。

「えーと……?」

「可愛いねぇ……。ちょっと弄っても――」

「だーめだって!」

 でもどうしたものか……。このままという訳にもいかないだろう。

「――あっ、そうだ」

 そんなことを考えていると、突然楓さんが何かを思い出したように声を上げどこかに行ってしまった。

「あー…………」

 雫と二人きりになってしまい、気まずい空気が部屋に漂い出す。さすがにこの空気には耐えられないと彼女から背を向け部屋の扉の方へと向かうとすると、その扉が開き楓さんが戻ってきた。

「じゃーん。ハニーランドのチケット! 実は今日これをもらってさー」

「っ…………」

 楓さんの言葉に雫の身体がピクッと反応する。この反応……好き、なんだろうか。そういえば、雫の部屋にあった熊のぬいぐるみも確かここのキャラクターだったな。

 チケットをパタパタとさせながら楓さんが話を続ける。

「これな? 期限が今週末までらしくってさー。知り合いが行けなくなったからくれたんだけど、今週末は私ももう予定があってさー。だ・か・らーっ、これがご褒美ってことで香也にやるよ」

「えー……」

 楓さんから二枚の期限切れ間近のチケットを渋々受け取る。興味がないわけではないが、楓さんが行けないとなると僕には一緒に行く人がいない。それにテーマパークに男一人でってのも気が引けるし、今回は止めておこう……。

「これ売っても――」

「――だめっ!」

 するとその時、部屋の隅でずっと聞き耳を立てていた雫が突然、チケットを持つ僕の手を両手でぎゅっと掴んだ。

「――えっ!?」

「あ、いや……、その……」

「あー……。これ、欲しいの……?」

 少しなにか考えるような間があった後、こくんと小さく頷く雫。

「それなら――」

 あげるよ、そう言ってチケットを渡そうとすると、その僕の言葉を楓さんが遮った。

「――それなら、二人で行けば良いだろ? だってほら、仮とはいえ付き合っているんだし? ハニーランド、恋人の国だぞー?」

「なっ……」

 ニタニタとなにか企んでいそうな悪い顔をする楓さん。もしかして二人で行かせるためにわざわざ買ってきたのではないだろうか……。というか、楓さんならネタのためにやりかねない……。そんな疑心の目を向ける僕とは対照的にチケットを見てぱぁっと顔を輝かせている雫。

「……もしかして、行きたい……?」

 雫がさきほどよりもさらに大きく顔をぶんぶんと上下に振る。

「……あーっと、じゃあ、行く? 一緒に……」

「――行く!」

 そう言って僕から差し出されたチケットを奪い取るように受け取ると、雫は目を輝かせ顔を綻ばせながら嬉しそうにそれを頭上へと掲げた。

「………………」

 彼女のこの自分の好きなものや可愛い物を目の前にすると、精神年齢がガクッと下がる現象はいったいなんなのだろうか……。普段とは違う天真爛漫な姿に、見ているこっちまでつい口角が下がってしまう。

「…………はっ!」

「………………」

 ふと視線を感じて慌てて顔を左に向けると、ニタニタと僕らのことを見つめる楓さんが視界に入った。雫に見蕩れていて存在をすっかり忘れていた……。 


 その後も楓さんにからかわれたり、酔ってだる絡みされたり、初めて見る雫の風呂上がりのパジャマ姿にドキッとさせられたりと色々なことがあった。そして気がついた頃にはとっくに日付も変わり明け方近くになっていたくらい、本当に楽しく濃厚な時間を三人で過ごした。

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