6
その後、ようやく平常運転となった楓さんが残りの仕事を片付けに行ったので、僕と雫も準備のために一度雫の家へと向かった。
あとついでに、彼女の部屋で起こる異変とやらの調査をするために……。
「はぁー……。やっぱ何回見てもすごい家だよなぁ……」
「そう? 全然たいしたことないわよ? 両親がどっちも医師をしていて、それで少し余裕があるってだけで」
雫の家は白を基調としたヨーロッパのお城のような外観をしていて、敷地の入り口には重厚感のある鉄製の門扉まである。もうこれまで何度も彼女を家に送り届けてきたが、その見た目には未だに圧倒される。
「それに……」
顔を上げ、僕を見張るような視線の先を見る。
彼女の家の門扉と家の外周には存在感のあるゴツい防犯カメラが設置されていて、暗くなるとセンサーが感知して自動でライトが光る仕組みになっている。寄り道をして帰りが遅くなったことが何度かあったのだが、その度に豪邸とこのカメラの光によって威圧されているような気分になっていた。
「あぁこれ……。ただ付いているだけでなにもない限りはほとんど確認もしてないから。そんなに気にしなくても大丈夫よ」
「えっ? そうなの? てっきりずっと誰かに見られているんだとばかり……」
「あーでも、私の下着を盗みに来るときは気をつけた方がいいかもしれないわね。下手に侵入すると警報が鳴って、警備会社の人たちがすぐに駆けつけてきちゃうから」
「え……。ん!? 待って!? というか、そもそもそんなことしないから!」
「でも最近、なぜかお気に入りだったやつが見当たらないのよねー……」
ジトッと疑いの目でこちらを見つめる雫。
「――待って! ほんとに僕じゃ――」
「ぷっ、冗談よ……。まぁ見当たらないのは本当なんだけど、多分そのうち出てくるでしょ。ほら、早く行きましょ」
「んなっ――」
からかわれて立ち尽くす僕のことなど見向きもせず、門扉を開き先に行ってしまう雫。そんな彼女を慌てて追いかけ、恐る恐る門扉を通り抜けて初めて彼女の家の敷地内に入る。すると敷地に入ってすぐ、ふと何か思い出したような顔で彼女がこちらを振り向いた。
「あっ、ちなみに……」
「な、なに……?」
「もしあなたが変な気を起こして襲おうとしてきても……、これでいつでも警備会社の人たちが駆けつけるからね?」
「なっ――」
そう言って見せつけてきたスマホの画面には、〝通報〟という二文字が真っ赤な大きな文字で書かれていた。
「気をつけてね?」
「――そんな気なんて起きないから! それに、もしなにかしたら楓さんに殺される……」
同意の下で行われたのならむしろ嬉々としてからかってくるだろうが、無理矢理したなんて知られた日にはどうなるか分かったもんじゃない。というかそんなことで楓さんからの信用を失いたくはないし、そもそも僕が彼女に、女性に対してそういった気持ちを起こすことがまずありえない。
「……まぁそれもそうね。ふふっ、あなたにとってはカメラや警備なんかよりよっぽど防犯になるわね」
僕と楓さんとのやりとりでも思い出したのだろう、彼女が手で口を押さえて笑みこぼす。
「それじゃあ……」
「ん?」
そして彼女がまたもスマホを操作し、ニヤリとした表情で別の画面をこちらに向ける。
「なにかあったらこれ、ね?」
「……それだけはやめてください。というか! 絶対にないから!」
これ、と向けられた画面には〝日向先生〟という名前と連絡先が表示されていた……。
「ほ、ほら! そんなことより早く用事済ませちゃおうよ」
「襲われないうちにね」
「もうそれでいいから、行こう……」
僕をからかうことに満足したのか、雫はふふっと笑うとくるりと膝を返して楽しそうにまた進み始めた。
「うわぁ……」
おしゃれに装飾の施された玄関を開けると、そこには想像以上の光景が広がっていた。
エントランスホールとでも言うのだろうか、入ってすぐ目についたのは高い吹き抜けと黒い鉄の手すりがついた螺旋階段。そして、白い室内をさらに輝かせる存在感のあるシャンデリア。さらには室内の壁や床も白で統一されていて、床の大理石が照明の光を反射して室内の高級感をより一層演出している。
室内も外観にさることながら間違いなくおしゃれなんだろうと思っていたが、まさかこれほどまでとは……。
「どうしたの? 行くわよ?」
「あ、あぁ……」
現実離れした光景につい足を止めてきょろきょろしていると、先を行く彼女から呼ばれてしまう。それにしても、こんな広い家に両親と三人で住んで……あれ? そういえば確か今日って……。
「……そういえば今日って、確かご両親は……」
「いないわよ?」
「そっか…………」
ふとさきほど楓さんが言っていた言葉を思い出してしまい、またも足が止まってしまう。
両親がいないということは、今この家には僕と彼女の二人きりということで……。
「ゴクッ……」
どうしようどうしよう……。
目前に広がる大理石を見渡すも当然そんなところに答えなどなく、顔をぶんぶん動かしたせいか呼吸もさらに荒くなってきた。
「きもっ……」
動転した頭をゆっくりとあげると、そんな僕を見て言い寄ってくる他の男を見る時のように冷ややかな視線を送る雫の姿があった。
「いやっ、これは、ちがっ――」
「きもい」
「――だからそういうのじゃなくって!」
「気持ち悪い」
「っ…………」
そんな心を抉る〝気持ち悪い〟の三段活用に、僕はまたしてもなにも言い返すことができなくなってしまった……。
「ここよ」
そうして無言のまま、彼女の足元だけを見てとりあえず後ろに続き階段を上っていくと、階段を上ってすぐ左へ曲がり、三枚目くらいの扉の前で雫の足が止まった、のだが……。
「あれっ……?」
雫は扉を小さく開けて部屋に入ると、そのままパタンと扉を閉めてしまった。
てっきり一緒に彼女の部屋へ入るものだと思っていたのだが、しばらく経っても彼女からの反応は何もなく、僕はただただ扉の前で立ち尽くした。なにもしていないとどうしても、あれがいけなかったのかな、ああしていたらと、後悔がぐるぐると頭を巡っていく。
「…………ごめん、本当にそんなつもりはなくて――うわっ!?」
「……なにやってるのよ?」
扉に手を当て彼女に謝罪をしようとすると、突然扉が開いた。その勢いで後ろに飛ぶようにのけぞり、思いきり尻もちをついてしまう。
「痛ったぁ……」
「大丈夫?」
「え? あ、あぁ……」
倒れる僕に呆れながらも差し出してくれたその手に触れることを一瞬躊躇したが、そのまま掴んで起こしてもらう。
「というか、なんでそんな泣きそうな顔してるのよ……。……そんなに痛かった?」
「――いやっ? これは、その……」
「その……?」
キョロキョロと視線を泳がせる僕を、雫が訝しげに見つめる。
「あのっ、だから――」
「あっ、もしかして……」
「――えっ!? な、なに……?」
すると彼女はなにか分かったよう顔をしたかと思うと、僕の耳元まで口を近づけ囁くように続けた。
「……もしかして、嫌われたーとか思った?」
「っ――!? あ、いや、その……、はい……」
突然の囁き声と的確な推理に思わず身体がゾクッとなり、つい素直に答えてしまった……。
「はぁ……、ほんとばか……。ほら、早く」
「っ…………」
くいっと手を引かれ今度こそ部屋の中に入ると、光差す室内から漂うふわっと甘い花のような優しい香りが鼻をかすめた。
雫の部屋もやはり壁や床はもちろん、置いてあった家具も白を基調としたものが多かった。だが、少しベージュっぽい白のカーペットが敷かれているおかげか、さきほどまでの真っ白なエントランスとは違い全体的に暖かく落ち着いた印象が……。
「ん?」
部屋の中を軽く見渡していると、綺麗に整えられた上品なベッドの上にとある物が大量に置かれているのを発見する。
「これって……」
「………………」
ベッドを占領していた中でも特に目立つ、年季の入ったそれを持ち上げて雫に見せるも反応がない。
「おーい、しずくちゃーん」
両手で持ち上げたそれの両端を持ち、彼女の目の前で広げてぶんぶんと振りながら問いかけるがやはり反応はない。
「ん……?」
部屋の奥まで入ったからか、最初に感じた落ち着く甘い香りが強くなったように感じた。顔をいろいろな方向へと動かしスンスンと匂いのする場所を探す。
「………………」
そして、もしかしてと両手で持った〝それ〟にゆっくりと顔を近づけた――。
「んっ――!?」
「――ちょっ、ちょっと! なにしてるのよ!」
「いやっ、いい匂いがしたから、つい……?」
だが、もう少しで嗅げそうというところで、可愛らしい1mはありそうなほど大きな〝熊のぬいぐるみ〟は取り上げられてしまった。
雫は僕からぬいぐるみを奪い返すと、大きなベッドの一番端まで逃げ、それをぎゅっと抱きしめ顔を埋めてそのままうずくまってしまった。
「あのー、雫さん……?」
「……へんたい」
「くっ……」
ただ匂いの確認したかっただけなのだが、それを変態だなんて……。……うん、まぁ変態、か……。学校で今と同じことを他の女子生徒の私物にした日には、間違いなくクラスの、いや下手したら学校中の生徒や教師からも変態認定されかねない……。
「……ごめんなさい」
俯いたまま顔をあげてくれないので彼女が今どんな表情をしているか確認できないが、その肩がわずかに震えているように見える……。
「ほんとごめん……」
「……………………」
そしてしばらくの沈黙の後、雫は突然無言で立ち上がると、抱きかかえていた熊のぬいぐるみと一緒に入り口とは別の部屋の隅にあった扉を開けて中へと入っていってしまった。
「えぇー……」
雫を追って彼女が入っていった扉の前に立つも、中からは物音一つ聞こえてこない。
「……あのー、雨宮さーん?」
コンコンと扉をノックして問いかけるも、やはり返事は返ってこない……。
「開けるよー……?」
この先は恐らくクローゼットかなにかなのだろう。恐る恐る扉に手をかけゆっくりとノブを回して引くと、さっきとは少し違う甘い香りがふわっと鼻をくすぐった。そんな甘い香りに心地よさを感じながら扉を開けると、中にいた女性とすぐに目が合ってしまいとりあえず互いに軽く会釈をする……。
「…………は?」
目の前に現れたのは熊を抱えた雫、ではなくエプロン姿の六十代くらいの知らない女性がだった……。
「えーっと……?」
え、誰!? というか雫はどこに……? そんな二人の間にとても気まずい空気が流れる。
その空気に耐えきれなかったのか、目の前に立つ女性は僕から視線を逸らすと後ろにいた人物へと助けを求めた。
「雫ちゃーん……、もういいかしらー……?」
「えーっ、もう終わりー? もうちょっと見たかったんだけどなー」
その視線の先で熊を抱えたまま椅子に腰掛け、ニヤニヤとこちらを見つめる雫。
中はやはりクローゼットになっていたのだが、そこは思っていた以上に広く恐らく僕の部屋と同じかそれ以上の広さだった。そんなクローゼットの両サイドには棚や服を掛けるスペースがあり、まるで店かと思うほどに衣服やバッグが綺麗に陳列されている。さらに奥には大きい姿見が掛けられていて、その近くの椅子に彼女はいた。
「残念だったわねー。二人きりじゃなくてー」
「くっ……」
今にも吹き出しそうな顔で、というか完全に笑いながら煽ってくる雫。
またやらてしまった……のだが、不思議と悔しさも恥ずかしさもそこまで感じず、それ以上に彼女から拒まれていなかったという事実に心からほっとした。
そうしてようやくクローゼットから出てきた雫に、互いの紹介をされた。僕をからかうためにクローゼットに隠れさせていた女性は、千代子さんという彼女の両親が雇ったお手伝いさんだった。仕事で家を空けることが多い両親の代わりに、家事や雫の面倒を彼女が小さい頃から見てくれているらしい。
それから少し世間話をした後、雫の代わって千代子さんに改めてお詫びを言い、自分の仕事へと戻ってもらった。
「ふぅ……」
思いがけないサプライズに見舞われながらも本来の? 目的である部屋の調査をしたのだが、彼女の部屋は大きなウォークインクローゼットを含めて特に変に感じる所はなかった。強いて言うなら、彼女のイメージとは少し違った可愛いものが多い部屋の方に違和感、というか驚きを感じた。ベッドを囲うように置かれた彼ら以外にも、かわいらしい装飾の施された棚や机の上にいたるまで、部屋のいたる所にたくさんのぬいぐるみが置かれていた……。
「それにしても、ほんとすごい数だね……」
「えぇ。自分で選んで買った子もいるのだけれど、もらった子も結構いるのよねー……。ほらっ、この子とか!」
そう棚から取り上げたのは、さきほどの大きな熊のぬいぐるみとは別の服を着た、大きさも一回りも二回りも小さい三十センチくらいの同じ熊のぬいぐるみだった。
「そ、そう……」
「……手紙とか食べ物だったらすぐに処分できるのだけれど、こういうのはなかなか捨てられないのよね……。だってほら見て? この顔。こーんなに可愛い子を捨てられる人の気が知れないわ」
「うっ……、分かった、分かったから!」
ほらほらとぬいぐるみの顔をぐいぐい近づけてくる雫。ぬいぐるみをあまり見慣れないせいか、その真っ黒い瞳と目が合った気がしてなんとなく気まずくなって押し返してしまう。
「……あ。……ねぇ?」
「なによ……。あ、もしかしてまた匂いを嗅ごうとしているんでしょ!? そんなこと――」
「――いや、そうじゃなくて……。あのさ、もしかしてだけどさ……、見られてるかもーって思うの、これが原因なんじゃないの……?」
「っ……」
確かに一つ一つは可愛いが、これほどまでの数が部屋を囲うように並んでいては僕自身も常に誰か、というか彼らに見られているような気がしてならない。
「あのー……。これ、一旦全部しまってみない?」
「……やだ」
「少し試してみるだけだからさ。あーじゃあ、お気に入りの子を一つだけ残すってのはどう?」
「――でも! っ…………、分かった……」
彼女は不服そうにしながらも、一理あると思ったのか僕の言うことを思いのほかすんなりと聞き入れてくれた。
「ふぅ……」
そしてそのあとすぐに、二人で何十体もあるぬいぐるみをベッドの上に全て集めた。
雫はその山から一体ずつ丁寧に引き上げると、その顔をじっと見てから頭を撫でてギュッと抱きしめるという流れを繰り返し、まるで彼らとの永遠の別れを惜しむかのように吟味した。
「……この子にする」
そうして三十分以上も迷った果てにようやく選ばれたのは、僕も特に印象的だった一番大きな熊のぬいぐるみだった。
「よし。じゃあ残りの子はーっと……」
残す子を決めたところで、雫が悩んでいる間に千代子さんに用意してもらった箱へ残りの子を全てしまったのだが、数が数だけに箱も時間もかなり使ってしまった。
ぬいぐるみを抱きかかえたまま悲しそうに箱を見つめるだけの戦力外の雫に変わり、千代子さんにも手伝ってもらい物置にしていた部屋へと全て片付けた。だが時間を掛けた甲斐もあって、ぬいぐるみのなくなった彼女の部屋は一気にシンプルながらも可愛らしさと高級感のある、それこそお姫様の住むような部屋へと様変わりした。
「ふぅー……」
「………………」
一仕事終えて満足している僕に対して、さらに落ち込んだ様子の雫。
「……後で戻すのも手伝うからさ」
「……………………」
「……よし、分かった。じゃあ今度、僕が新しい子をプレゼントするよ」
「…………本当?」
「ほんとほんと。なんならその子と同じくらいのだっていいよ」
雫が反応してくれたことに嬉しくなり、つい調子に乗って彼女が抱く大きな熊を勢いよく指さす。多少値は張るだろうが所詮はぬいぐるみ。そんなに高くはないだろうし、あれくらいなら少し節約生活をすれば僕にだってきっと買えるだろう……。
「でもこれ、確か六万円くらいするわよ?」
「――ろくっ!? これが!?」
せいぜい一万くらいだろうと高をくくっていたのだが、まさかの金額に動揺が隠せない。
「ごめんなさい……。大変申し訳ないのですが、もしよろしければ別の子にしていただいても――」
「良かったわねー。お友達ができるって!」
「………………」
両親との約束で成績の維持を条件に家を出たので、今より少しでも成績を落とすわけにはいかないし、バイトをしようにもそんな許可は間違いなく下りないので厳しい。
ならいっそ食費を削ればどうにかなるだろうか……。
「――ぷっ、そんな深刻そうな顔しないでよ。冗談よ」
「えっ……? じゃあ、もやし生活は?」
「もやし……? なんで今もやしが出てくるのよ」
「あ、いや、なんでもないです……」
「ふふっ、変なの……。まぁでも? 一応期待はしないで待ってるわね」
「あ、あぁ……」
またしても同じようなことに引っかかってしまったが、学校では見ることのできない雫のこの嬉しそうな顔に僕の表情も自然と緩む。
「……へんたい」
「なんで――!?」
それから僕たちは千代子さんに事情を話し、着替えなどの荷物を持って雫の家を後にした。 外に出るとあたりはすっかり薄暗くなっていて、日の落ちた西の空には星が輝いていた。




