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「――それでさー……、って雫さーん? おーい」

「……えっ? あぁ、そうね……」

 いつものように雫と中庭のベンチでお昼ご飯を食べていると、彼女がまるで眠さに抗いながらご飯を食べる子どものように、時折首をこくりこくりとさせながら眠気と戦っていた。ここ最近の雫はぼーっとしていることが多く、今日も朝からずっとうつらうつらとしている。

「ふわぁ……」

かくいう僕もこの温かい春の陽気に加え、一足先にお昼を食べ終えたその満腹感から眠気に襲われていた。

「ん、んーっ……、ん?」

 眠気を覚まそうと頭の上でぐーっと腕を伸ばしていると、ついに睡魔に抗えなくなった彼女が僕の肩に身体を預けるようにもたれかかってきた。

「……大丈夫そう?」

「っ――」

 声をかけた瞬間、その声に驚いた雫が身体をビクッとさせ慌てて元の姿勢へと戻った。

「あー、なんかごめん……」

「……いえ、こちらこそ……」

 久しぶりのこの気まずい空気にあのまま寝かせてあげればよかったかな、と少し後悔する。

「あー……まだ時間あるし、少し寝とけば? この後体育だってあるんでしょ?」

「…………そう、ね。じゃあ、そうしようかしら……」

 雫の返事を聞くや否や、すぐにベンチから自分の荷物を片付け、端に移動して彼女が休めるようにスペースを空ける。

「よし……、ってあれ?」

「なにしてるの? 行きましょ?」

 てっきりここで休むとばかり思っていたのだが、雫はすでに自分の荷物を持って歩き出していた。

「どこに……」

 慌てて自分の荷物を持ち、雫を追って中庭を進む。すると彼女は一番端の部屋の前で止まると、その扉をノックしてからその中へと入っていってしまった。

「失礼します」

「失礼しまーす……」

 あぁ、なるほど保健室か……。最近ではすっかり朝に手紙を裁断するところとなっていたので、ここの本来の利用用途すっかり忘れていた。寝る所というのも違う気はするが、このままだと体育の授業中にふらっと倒れたりするかもだし、それに寝不足も体調不良と言えばそうであろう……。理由を聞いたら楓さんが怒るかもしれないがあの楓さんのことだ、なんだかんだで許してくれることだろう。

「あれ? 楓さんはいないのか……」

「そうみたいね」

 彼女に続いて中に入って辺りを見渡すが、保健室には楓さんはおろか他の生徒も誰もいなかった。これならなんの心配もせずに彼女を休ませることができそうだ……。

「誰もいないし、気兼ねなくベッドを借りて休めるわ」

 そう言うと雫は三台あるベッドのうち廊下側の端のベッドに向かい、周りのカーテンを閉めた。

「じゃあ僕はここでー……」

「なにやってるの? こっち」

 彼女が寝ている間、僕もソファーで少し休もうと思っていたのだが、閉ざされたカーテンの隙間からひょこっと顔を出した彼女になぜか手招きされてしまう。

「えー……」

 思いもよらぬ事態に少し動揺しながらも、恐る恐る彼女との間を隔てているカーテンに手を伸ばす。

「っ……」

 するとその時、その布の向こう側から雫が服を脱ぐ音が聞こえ思わず手が止まってしまう。

「…………」

 この後起こりうる最悪の展開を想像してゴクリと息を飲むと、カーテンに掛けた手にもつい力が入った。

「っ――」

そして覚悟を決め掴んでいたカーテンを勢いよく開けると、そこにはしっかりと掛け布団を掛けてベッドに入る彼女の姿があった。ベッドの上の棚には、さっきまで彼女が着ていたブレザーが綺麗に畳まれている。

「はぁー……。そうだよね……」

「……なにやってるの? ほら早くそこに座って」

「え? あ、あぁ……」

 彼女に指示されるがままベッドの横にあった椅子へと腰を下ろし、何も起こらなかったことにほっと胸をなで下ろす。彼女に限ってそんなことはないと頭では分かっているのだが、こういう状況になるとどうしても身構えてしまう……。

「はぁ……」

 彼女と過ごすうちにすっかり忘れていた、自分の異性への恐怖心を思い知らされ、ついため息が出る。

 もう手を繋ぐことに対する抵抗感はなくなってきたものの、まだ本物の恋人たちがするような行為への嫌悪感は拭い切れてはいなかった。確かめる方法こそないが、その嫌悪感の根本となる〝異性から好意を向けられる〟、ということもきっとまだ克服できてはないだろう……。

 もしその相手が雫だとしたら、僕は……。

「その、……いと、寝られなくて……」

「あっごめん、なに?」

「だから! ぬいぐるみがないと、寝られない……、のよ……」

 途中で恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、最後まで言い切らないうちに布団で顔をすっぽりと覆い隠してしまう雫。

「えー……。なにかあるかなー……」

 さすがにぬいぐるみはないとは思うが、代わりになりそうなものが部屋にないか探してみようと腰を上げる。

「――まって!」

 するとその時、勢いよく飛び出してきた彼女の手に左袖を掴まれ、くいっと椅子まで戻されてしまう。

「えーっと……?」

「………………」

 僕が座ってもなお、袖を掴んだまま黙り込んでいる雫。そんな彼女の手を布団の中に戻してあげようと、そっとその手を掴んだ――。

「っ――!」

「ご、ごめん!」

 だが僕の手が触れた瞬間、雫はビクッと身体を震わせ顔を引きつらせてしまった。そこで今日初めてしっかりと見た彼女の顔は、普段より心なしか青白く、どこかやつれているようにも見えた……。

 そんな彼女の姿がまたしても昨年の自分と重なる……。

「…………なにか、あった……?」

「……別に、なにも……」

「そっか……」

 なにも、とは言いつつも明らかにいつもとは違う様子の雫。それにさっき一瞬だけ触れたその手は冷たく冷えきっていて、そしてよく見ると今僕の袖を掴んでいるその手も小さく震えていた。

「…………」

 ……雫も僕と同じなんだ。

 きっと彼女の中に未だ残る男性への不快感が、僕を拒んでしまうのだろう。それなのに、僕は……。自分のことばかりで、彼女のことをちゃんと見ていなかった自分に嫌気が差す。

「はぁ……」

 このまま雫が落ち着くまでしばらく動かずにいようとも思ったが、だけどそれでは彼女がちゃんと休むことができない。

「……ごめん、もう一回だけ触ってもいい? 嫌だったらすぐやめるから」

 僕からの問いかけに、雫は俯いたまま一度だけ小さく首を縦に振って応える。

「じゃあ、触るね……?」

 雫を怖がらせないようになるべく落ち着いたトーンで喋りかけ、そしてゆっくりとその手に触れる。だが僕の手が触れるや否や、雫はまたしてもピクリと身体が反応し硬直してしまう。

「……続けて大丈夫?」

「…………」

 雫からの返事はない。だが、ギュッと目をつぶり僕を受け入れようと必死に耐えているようなそんな彼女の姿を見て、僕は冷えきったその手を上からそっと包み込んだ。

「……ほら、力抜いて……?」

 未だ震えたままの彼女の手を指先でとん、とん、と優しく二回叩く。すると次第に彼女の手の力が弱まっていき、そしてやがて袖から手が離れた。

「っ…………」

 そうしてようやく彼女の手を布団の中へと戻し、そのままの自分の手を引き抜こうとすると、今度は袖ではなくその手を彼女がギュッと掴んだ。

「……大丈夫、いるよ……」

 布団の中で手を返して彼女の手をきゅっと優しく握る。

「…………」

 すると彼女もそれに応えるようにゆっくりと指を折り、そしてさきほど袖を掴んでいた時とは違い優しく僕の手を握った。

「……あたたかい」

「僕は少し冷たい」

「ふふっ……。このまま少しの間握っていて……」

「うん……」

 それからしばらく凍ったように冷たくか細い彼女の手を握り続けていると、落ち着いてきたのか身体からも完全に力が抜け、小さく吐息が聞こえ始める。

「………………」

「寝た、のかな……。はぁー……」

 彼女の顔が反対を向いているので確認することはできないが、ここで動いて起こしても悪いと、今度はその手を動かさずにそのままにした。

「確かに、あたたかいな……」

 さっきまで冷たかった彼女の手からも、わずかに温もりを感じる。その温かさに不思議と僕の心も落ち着ついてくる。

 そして、触れた手から伝わる彼女の体温を確かめるかのように目を閉じると、僕の意識もそのまま静かに落ちていった。


「――ん、おーい、香也くーん」

「んーっ……?」

 突如、覚えのある優しい手つきで肩を揺すられたかと思うと、これまた聞き覚えのある声によって呼びかけられる。頭がぼーっとする。僕はいったいなにを……。

「……んーっ、あーごめん雫。僕も寝てた……」

 まだぼんやりとする視界をこすりながら返答する。

「おはよっ」

「ふわぁ……。おはよ……」

 伸びをしようと手を伸ばそうとすると、右手が何かを握っていたことに気がつく。

「ん……?」

 あぁそうか、雫の手を握ったままだったのか……。

 雫はまだ気持ちよさそうに寝息を立てている。仰向けになってさきほどまでは見えなかった彼女の寝顔が視界に入り、つい見入ってしまう。

「かわいい……」

 無防備に、そして気持ちよさそうに眠る彼女の寝顔を見て自然と心の声が漏れる。

 それに……。掛け布団の下で彼女と繋がっている右手があるであろう場所を眺め、その感覚を確かめるようにまたきゅっと握る。

「……嫌、じゃないな……」

 そして眠る彼女の頭へ手を伸ばそうとした、その時だった――。

「えっ……?」

 突然、右耳でピコンという電子音が鳴り、咄嗟に振り向く。

「うわっ――! あぁなんだ、楓さんか……」

 そこに現れた見知った顔に安堵し、もう一度眠る彼女の方を向き直す。

「……ん?」

右手には確かに彼女の温もりを感じる。そして左には雫の寝顔が、右には笑顔の楓さんがいる……。右手、雫、楓さん、雫…………。そう順番に何度もその三点を見つめ、起きたばかりで働いていない頭で考える……。

「――てぇぇぇ!! 楓さん!?」

「おーうるさっ。うんそう、楓さん」

 ようやく意識がはっきりとしてきた。

 もう一度右を見ると、そこには嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべる楓さんの姿があった。

「え……? 待って待って待って? どこから……?」

「んーとね……、こっから」

 楓さんが手に持っていたスマホを操作し、その画面をこちらに向ける。するとそこに映っていたのは、寝ている女子高生の布団に手を入れその寝顔を眺める男の姿だった……。

『かわいい……』

「かわいいなぁぁぁっ!!!」

「なぁっ――!?」

 急いで布団から手を引き抜いて逃げるようにソファーへと向かう。

 やばいやばいやばいやばいやばい!

 終わった。絶対に終わった。なんて言えば……。

 必死に言い訳を考えようとするが、楓さんに対抗できるような言い訳が何一つとして浮かんでこない。

「雫、ねぇ……。随分と仲良くなったもんだなぁー?」

楓さんは僕を追ってその隣に座ると、ニヤついた顔のまま何回もぐいぐいと身体を押しつけてくる。

 ……これは無理だ。

「な、なんでもするので……、し、雨宮、さんにだけはどうか……」

「ほー? なんでも、ねぇ……」

 僕のその言葉を聞き、楓さんがふふーんといたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 楓さんがこういう表情をする時は、間違いなく面倒事や無理難題を押しつけてくる。だが今は何を言われても従うしかないと、諦め半分で楓さんからの要求を待った。

「んーまぁでも、今回は大目に見てやろう。最近は色々と? 頑張ってるみたいだし……」

「…………へ?」

 予想外だった。かなりの面倒を押しつけられるとばかりに思っていたので、その言葉に拍子抜けしてしまう。

「え? ん? んーっ? あ、もしかしてー、なんでもって言えばエッチなお願いでもされると思ったか? ん? んー?」

「――なっ! そ、そんなわけっ!」

 ない、断じてない。そんなこと微塵も……、これっぽっちだって、ない……。

「まぁ〝香也くん〟は? 黒髪で、色白で、病弱で、今にも倒れそうなくらい細くて、と言うか倒れてる子が手を出しちゃうくらいタイプだもんなぁっ……」

「ちがっ――」

「あーやだやだ、これだから男は……。病弱で、か弱い女が好きとか……、うーっ、無理無理気持ち悪っ……」

「くっ……」

 何も言い返す言葉がない……。

 それにこうなった楓さんに口で勝つことはほぼ不可能に近い。最近では雫にも似たものを感じたことがあったが、本家は全然レベルが違った。

「まぁ? 香也が特殊性癖に目覚めた話はひとまず置いておいて、……あーでも、一つだけお願いしたいことがあるんだが、いいか?」

「性癖って……。あーでもそろそろ授業が――」

 逃げるように立ち上がり、そう言いかけたところでタイミング良くチャイムが鳴る。

「――ほ、ほら! 聞いてあげたかったけどもう5限目始まるからさ! あー行かなきゃなー。だって授業だし仕方ないなー」

「今ので今日の授業が全部終わったな」

「は……?」

 時計を確認すると時刻は15時10分。六限目の授業が終わり、あとは清掃と終礼をしてその後は部活や帰宅などをする時間となっていた。

「……ほんとだ」

「ほらー、だから座れってー」

 ぐいっと腕を下に引かれ再びソファーへと戻されてしまう。

「まぁまぁそんなに気張らなくても、ちょっとしたおつかいみたいなもんだってー。それにほら、ちゃーんとお礼もするからさ。だから、なっ?」

「はぁ……」

 楓さんが自分のスマホを掲げてニヤリと笑う。あぁ、そういうことか……。きっと、さっきの動画を消す代わりに言うことを聞けということなのだろう。お願いとは言っていたが、僕に選択肢などない。というか普通にこれ、脅迫なのではないだろうか……。

「それで? そのおつかいって?」

「あーその、雨宮のことなんだがな? 最近家で、そのー……変なこと? が起きてるみたいでさ……。ちょーっと行って確認してきてくれないか?」

「変なこと?」

 この感じはからかっているという訳でもなさそうだが、如何せん話の内容がふわっとしすぎている。まるで、というか明らかに詳しく話をしたくなさそうな感じ……。これってもしかして……。

「変なことってもしかして、しー―」

「――あーっ! あれだよ、そのー、あれ! そう、詳しくはほら、やっぱり本人から聞くのがいいだろうし、雨宮が起きてからにしよう」

「まぁ、楓さんがそう言うなら……」

「私がどうかしたの?」

「――しっ!? あっ、ま、みやさん……」

「えっ……、ほんとになに……?」

 突然背後でした声に驚いて振り向くと、そこにはさきほどまでベッドで寝ていたはずの雫の姿があった。慌てる僕を怪訝そうに見る彼女だったが、その顔色は先ほどよりも良さそうで、青白かった顔にも少し色が戻っている。

「あーいや、これはー、その……」

「ちょうど良かった。今、香也にあの話をしようと思っていたところだったんだよ」

「それは聞いていたので分かってます」

「ありゃ、すまん起こしちゃったか?」

「さすがに目の前であれだけ騒がれたら誰だって起きますよ……」

「あ、あぁ、そうだな。すまんすまん……」

 呆れた顔をする雫を見て、楓さんがははっと笑う。

 寝ている真横であんなに大きな声を出して、しかも同じ室内であんな茶番までしていたらさすがに起きるか……。

「ん……? 聞いていた……?」

 いったいどこから……。

「――それに、あのまま寝ていたら特殊性癖の〝変態〟に襲われかねなかったので」

「変態って……、っ――!?」

 そう言うと雫は両腕を交差して自身の身体を守るように、力強くその腕を抱いた。

「えっち……」

「なっ――!?」

 どこから、ではなくバッチリ初めから全て聞かれていたようだった……。

「あー……、どんまい……」

 楓さんがなんとも言えない表情で僕の肩を叩く。

「そもそも楓さんが――!」

 そこまで言いかけ、楓さんだけでも諦めていたのに二人が揃ってはもはや僕に勝ち目などないと諦め口を噤んだ……。


 そして雫は僕と楓さんが座っていたソファーの端に腰を下ろすと、さきほど楓さんが濁した話の続きを話し始めた。

「はぁ……。実は最近、ずっとなにかに見られる気がして……」

「まっ――」

「それっていつものじゃなくて?」

彼女が話し始めてしまい焦る楓さんを遮るように、彼女に質問をする。

 〝いつもの〟とは、言わずもがな周囲が彼女を見るあの刺すような視線のことだ。

「とは多分違くて……。最近、いつも誰かに見られている気がして……。でも周りを見ても誰もいなくて、最初は勘違いかもって思ったんだけど、部屋に一人でいる時も感じるから、もしかしたらーって……」

「――えっなにそれ、怖っ……。あーでもそれだけなら、気のせいとか勘違いってことはないの?」

「それだけ、ならね……。他にもあるのよ。一人の時に家の電話がずっと鳴り続けて、いざ出てもずっと無音、とか……。あとは、部屋の物が時々動いているような気もするのよね」

「怖っ! ガチのやつじゃん……」

 楓さんの様子からなんとなく察しは付いていたが、もしかして最近雫が寝不足気味だったのもそれが原因なのだろうか……。

「って、楓さん?」

 さっきまで雫と二人で楽しそうに僕を弄っていた楓さんが、気が付くと僕の腕にぎゅっと抱きつき目を閉じたまま震えていた。

「ちょっとやりすぎたかな……」

 昔から楓さんはこの手の怖い話が大の苦手で、子ども向けのお化け屋敷にすら入ることができない。前に一度だけ一緒にお化け屋敷に入ったことがあるのだが、僕の後ろに隠れながら歩く楓さんに、着ていたシャツを引きちぎられそうなくらい引っ張られた……。

「楓さん、昔っからこの手の話が苦手なんだよ……」

「かわいい……。え、もっと話してみてもいいかしら」

「うん、やめて? もう腕がもたないから」

 楓さんに強く絞められ、僕の腕もそろそろ限界を迎えようとしていた。

 だがそんな僕のことなどつゆ知らず、雫がいつもと違う楓さんへ興奮気味に身を乗り出し、というか僕の足を思いっきり掴み、楓さんの顔をのぞき込みながら弄りだす。

「楓さーん。他にも、他にも、家に誰もいないのに人の気配がしたり、二階なのに窓の外から視線を感じたりもするんですよねー」

「っ……」

「――痛い痛い痛い痛い!」

 雫が話をすればするほど僕の腕は締められ、悲鳴を上げる。

「あとは、あとは――」

「っ――」

「――痛っっった!」

 そしていよいよ抱きつくだけでは怖さを紛らわすことができなくなったのか、楓さんが手を出せない雫の代わりに僕のことを無言で殴り始めた。

「――ちょっ、ちょっと待って!? もう僕の腕とか色々限界だからほんとに待って!」

「あっ、あとこんなことも……」

「――し、雫さん!?」

 だが僕の必死の説得も虚しく、それからしばらく全てのしわ寄せが僕へと襲いかかるこの負のループは続いた……。


 それから数十分後……。

 僕と雫による必死の慰めと謝罪、そして僕の右肩と右腕を犠牲になんとか楓さんの機嫌を直すことができた。

「ん、んんっ! という訳でお前ら今夜ウチに泊まりな?」

「え? なんで?」

 咳払いで仕切り直しを行ったかと思うと、楓さんはなんの脈絡もなく突拍子もないことを言い出した。

「それはーあれだよ……。ほらやっぱ雨宮が心配だし? それに確か雨宮、今夜は家に誰もいないんだったよな?」

「えぇ、まぁ……」

「じゃあ私はまだ仕事があるからさ、一旦帰ってから家に集合ってことで! あ、そうだ。ついでに香也も一緒に行って、雨宮の部屋の様子を見てくればいいよ」

「ちょ、ちょっと待って!」

「なにか予定でもあるのか?」

「いやないけど……」

 楓さんが一緒とはいえ、さすがに家族や本当の彼氏彼女でもないのに男女で一緒に泊まるのはまずいのではないだろうか。それに二人っきりで雫の部屋って……。

「だってほら、一応僕も、その……男、だし? ……色々とまずいでしょ!」

「きも」

「気持ちわる」

「……………………」

 二人からの容赦のない一言がグサグサと胸に刺さり、僕はなにも言い返すことができなかった……。

「雨宮はどうだ?」

「私は全然……。それに……」

「っ……」

 突然雫に顔を見られ、また悪口を言われるのかと少し身構える。

「それに星野君なら大丈夫、みたいなので……」

「それって、どういう……」

「……だって私が迫っても吐くし、それにそんなことをする度胸もなさそうだし……。そういう面では信頼していますので大丈夫です」

「あー……」

 二人から送られる哀れみの視線に耐えきれず、僕は少しずつ俯き小さくなっていった。

「じゃあ香也もそれでいいよな?」

「……というか、楓さんが一人だと怖いだけなのに、なんで僕まで……」

「いい、よなっ……?」

「いっ――」

 にっこりと笑みを浮かべ、さきほど痛めた腕を雫に見えない位置でぎゅっと摘まみながら再度尋ねる、というか脅してくる楓さん。

「だって――」

「…………」

 ふふっと内心は全く笑っていない表面上だけの笑顔を浮かべ、僕の腕を摘まむ指にさらに力を込めぎゅーっと捻る。

「っ――、……はい、行かせていただきます……」

 それなら雫だけ泊まればいいじゃん、とも言いたかったが今ここで言ったところでまた難癖をつけられそうだったので、タイミングを見計らって帰ろうと心に誓った……。

「じゃあ一旦荷物をー――」

「――待てばか! もう少し…………、いろ……」

 抵抗を諦めとりあえず自分の荷物を取りに一度教室へ戻ろうと思ったのだが、楓さんに腕を引かれ制止させられてしまう。

「えー……、なぁ雫からもなんか言って――」

「っ…………」

 隣にいる雫へ助けを求めようとしたが、彼女は彼女で声にならない声を漏らしてなぜかまた悶えていた。

「えーっと……?」

 どうすんのこれ……。

 それからしばらくの間、僕の腕に捕まったままの楓さんをなだめながら、そしてその楓さんを弄ろうとする雫を牽制しながらも、楓さんが落ち着くまでどうにかやり過ごした……。

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