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「はぁぁぁぁぁ……」

 とある日の放課後、僕は学校近くの公園のベンチに座り一人頭を抱えていた。

 交際が始まったあの日から、行き帰りの送り迎えにお昼休みと、学校の日は授業以外はほとんど彼女と一緒に過ごしたのだが……。

「もう無理かも……」

 たった数日で僕の精神はすでに限界がきていた……。

 一緒にいるところをできるだけ見られるようにしているので当然と言えば当然なのだが、とにかく周りからの視線がきつい。彼女と一緒にいる時は覚悟してはいたが、休み時間の度に僕と彼女のことを話すクラスメイトたちや、彼女と付き合っている男がどんな奴なのかと見定めに来る人までいる始末……。

 学校ではもはや彼女と過ごす朝のあの空間だけが唯一、心安らぐ最後の楽園となっていた。

「もうずっとシュレッダーしていたい……。あっ、いっそのこともっと雨宮がモテればさらに手紙が増えてたくさんシュレッダーができるのでは――!?」

「なーに馬鹿なこと言ってるのよ」

 はい、と両手に持っていたクレープのうちの片方を差し出される。

「あ、あぁ、ありがとう……」

 今日は帰り道に、今学校の女子たちに人気のクレープを食べに来ていた。商品ができあがるのを待っている間に彼女から席を確保しておくように言われ、僕は彼女が指定したキッチンカーの前にあるおしゃれな屋台テーブル、ではなくそのずっと奥にあったベンチへと座った。

 僕がクレープを受け取ると、彼女は少し間隔を空けて僕の横に腰を下ろす。

「というか、なんでここなのよ……。少し探しちゃったじゃない」

「あー……、安寧の地を、求めて……?」

「なにそれ……。まぁいいわ。それにさっきのことだけど、私がこれ以上モテたら手紙も多分増えるかもだけど、それ以外にもっと人から見られることが増えるわよ?」

「あっ……」

 現実逃避をしすぎて、そもそもの目的が頭から抜け落ちていた……。

「それにしても、あの量を毎日って……。もらう方もすごいけど送る方もすごいよね」

「そう、ね……」

 内容は見ないようにしていたのでどういうことが書かれていたのかは分からないが、毎日山のように来ていた手紙のそのほとんどが、かなりの文字量と熱量で書かれていた。

「ほんと、よくあんなに書くことがあるよ……」

「……ほんとにね」

 あまり出してほしくない話題だったのか、彼女の表情が少し曇ってしまう。

「あーでもほんと、よくあれに耐えられるよね。僕なら3日と持たないと思うし……」

「……吐くものね」

「ごめんなさい……」

「ふふっ……。そんなこといいから、早く食べましょ」

 さっき見せた表情は僕の気のせいだったのか、クレープへと視線を落とした彼女の表情がパーッと明るくなる。

 彼女はたくさんのホイップクリームとイチゴ、そしてその上にチョコソースがかかった一番人気のクレープを、僕はハムとチーズと卵といういわゆるおかず系のクレープを注文した。

「んーっ!」

 クレープを一口食べ、とても幸せそうな表情を浮かべる彼女。どれにするか選んでいる時もそうだったのだが、嬉しそうに目を輝かせるその姿になんだか見ているこっちまでほっこりとした気持ちになる。

 そんな僕の視線を感じたのか、今度は彼女が顔を上げてこちらをじっと見てくる。

「えっ? なに……?」

「それ、美味しいの?」

「うんまぁ、普通に?」

「そう……」

「……食べてみる?」

「えっ、いいの? じゃあ……」

 彼女は僕のクレープを見て一瞬なにか考えていたようだったが、僕の食べかけのそれをパクッと一口食べた。

「んっ、これはこれでいいわね。それじゃあ、はい。私のもどうぞ」

「いやでも――。あー、じゃあちょっともらおうかな……」

 下から僕の顔をのぞき込むようにクレープを差し出す彼女のその仕草に、少しドキッとしながらも一口――。いこうとしたのだが、彼女持つ食べかけのクレープを見てあることに気がついてやめた。

「あー……、やっぱ大丈夫」

 危なかった、あと少しで……。

「そう? あなただったら別に気にしないのに……」

「――それって、どういう……」

「あら? てっきり間接キスでも気にしているのかと思ったのだけれど、違った?」

「きっ――、ち、違う違う! そんなの考えてもなかったって」

 間接キスのことが少しも頭をよぎらなかった訳ではないが、それよりもっと別のものを見て断った。

「あらそう……。ならどうして? 甘い物が苦手とか?」

「いや、甘い物は全然好きなんだけど、その……、チョコが苦手でさ……」

「あ、もしかして、バレンタインのチョコに血液を入れられたり、髪の毛とか唾液でも入れられたりした?」

「なっ――!? んで、それを……!?」

「あー……、やっぱり……」

 彼女はそう言うと、クレープにたっぷりとかかったチョコを見て気まずそうにそれを膝の辺りまで下ろす。

「もしかして楓さんが――」

「違うの。私も手作りのものとかもらうこともあるから、どうしても、ね……」

「あー、そういうこと……」

 あの朝の光景を思い返し納得する。彼女はもらった小物やぬいぐるみ、コスメなどは『物に罪はないから』といつも持って帰っていたのだが、食べ物だけはたとえそれが手作りであろうとなかろうと口にすること一切なかった。

「食べ物を捨てるのは本当に心苦しいんだけど、さすがにね……。それに普段は間食とかしないようにしているから」

「ふーん、そっか……」

「あ、でも、今日は特別よ? 朝晩で調整するし、たまにはこういうご褒美くらいないとね」

「っ……」

 彼女のその〝特別〟という言葉と笑顔に、自分へ向けられたものではないと分かっていながらも少しドキッとしてしまう。

「そ、そっか……。美人は美人で色々と苦労しているんだね……」

「そうよ? だからあなたも私と釣り合う彼氏になるためにもっと頑張ってもらわないと」

「あー……、ですよねー……」

 〝釣り合わない〟という最近他人から言われすぎたその言葉を横に立つ当人からも告げられ、改めて彼女の横に並ぶ自分を想像して肩を落とす……。

「――あっ、違うの。今のは全然冗談のつもりで……。それに、あなたにこれ以上なにかしてもらおうなんて思っていないから安心して」

「なんだー……。あーまぁでも、僕も気にはなっていたから、できるだけ善処はするよ……」

「そう……。ふふっ、あなたって意外とけなげなのね」

「なっ――」

「あれかしら、こういう時はえらーいって頭でも撫でた方が良いのかしら? それともハグとか? いい子でちゅねーって」

 慣れない褒め言葉に動揺する僕をからかうように、彼女がそこにいるであろう空想の僕の頭を撫でまわして抱きしめる。

「…………いや、それだともう僕、彼氏……じゃなくて子どもとかペットになっちゃってるから……。それに、僕の方こそそこまでは求めてないよ」

「あらそう、それは残念……」

 彼女はまったく気持ちのこもっていない声でそう言うと、さっきのチョコの件など全く気にしていない様子で食べかけだったクレープを再び夢中で頬張った。

「――っていうかさぁ……」

 周りをちらっと見てから彼女の耳元に近づき、ボリュームを落として続ける。

「こんな端まで来ても見られるんだね……」

 今まで気にしないようにしていたが、僕らから少し距離を開けたところでクレープを持ってこちらを見ながら話す女子生徒たちやカップルなど、意外と多くの人の視線がこちらへと向けられていた。

「……そうね」

「………………」

 彼女も周囲を軽く見渡すと、肩を落としながら手元のクレープへと視線を戻した。視線を落としたその顔にはもう、さきほどまでの無邪気な笑顔はなくなっていた。

「あまっ――!?」

「――――――」

 気落ちさせてしまった彼女へなにか言わねばと口を開いたその時、突然背後から覚えのある声が聞こえ、咄嗟にベンチの背もたれへと顔を隠した。そして背もたれの隙間からそれを覗くとそこには、クレープを買った子どもとおばあちゃんに席を譲っている椛蓮の姿があった。

「えっ、なに……?」

「あーいや……。ちょっと知り合いがいて、それで……」

「知り合いって……」

 再び彼女が振り向き、僕の視線の先にいた人物を見る。

「あれ? あの子……」

「知り合い?」

「いや、知り合いと言うほどでもないのだけれど、前に廊下で囲まれたときに、あなたの鞄を取ってくれたのが彼女なのよ」

「椛蓮が……」

 あの時、彼女が席も知らないはずの僕の鞄をどうやって取ってきたのか疑問だったのだが、まさか椛蓮が協力してくれていたとは……。

「かれんさん、っていうのね……。いいの? 声かけなくて」

「だっ、大丈夫大丈夫! 今はちょっと、その……、訳あり、というかなんというか……」

「あぁ、そういうこと……」

「うん……」

 なんとなく勘違いされていそうな気もするが、とりあえず納得してくれたことに安心する。

「……でもあとでお礼くらい言っておいた方が良いわよ? だってあの子、あなたや私を見ようと廊下に集まる生徒をいつも注意してくれているわよ? それに、多分あの子……」

 そこまで言いかけたところで、彼女は再び椛蓮へと視線を送るとそのまま口を噤んでしまった。

「それに……?」

「いえ……、やっぱりなんでもないわ……」

「そう……」

 そんな彼女を横目に、僕もなんとなく椛蓮へと視線を戻す。

 すると椛蓮は、さっき席を譲ったお礼になにか渡そうとするおばあちゃんに断りを入れているような様子だった。

「っ…………」

 椛蓮はあれからもずっと、人助けを続けていたんだな……。

 それに比べて、僕は……。

 あの頃からまったく成長できていない自分と彼女との差を痛感させられ、見ていられなくなって思わず視線を落としてしまう。


 昨年僕が心を病んでしまった時、最初にその異変に気が付いたのは他でもない椛蓮だった。

 高校生となり別の学校に通うようになっても、僕たちは頻繁に連絡を取り合っていた。だが、当時付き合っていた彼女に家族以外の連絡先を全て消されてしまい、それからは椛蓮に連絡をすることはおろか、他の誰も頼ることができない状況に追い込まれ、一人でどんどんとおかしくなっていった。

 そんな中、突然返事が返ってこなくなったことを不審に思った椛蓮が、僕を心配して家まで駆けつけてくれたのだ。

 ――だけど、そんな彼女を僕は拒絶してしまった……。

 あの時……、震える僕を安心させようと、椛蓮が優しく声を掛け抱きしめてくれたあの時、僕は椛蓮から〝友情以外の感情〟を感じ取ってしまった。その瞬間、動悸と吐き気が僕を襲い、そのまま彼女の腕の中で嘔吐してしまった。

 ……そして僕は椛蓮から逃げた。

 あの時の僕を見る彼女の表情は今でも忘れられない……。

 僕が〝女性からの好意〟を怖いと感じるようになったのは、この時からだった……。


「っ…………」

「……帰りましょうか」

 椛蓮を見てついそんなことを考えていると、彼女が僕の返事を待つことなく立ち上がり先に行ってしまった。

「あっ、ちょっと――」

 すぐに立ち上がらない僕に気がつくことなく、そのまま一人で歩いて行こうとする彼女。その後ろ姿を見て、僕も慌てて彼女を追いかける。

「………………」

 先を行く彼女のどこか元気のないその背中……。さっきの椛蓮の姿に感化されたか、それを見てふと、僕にも彼女を元気づけることはできないかという想いが頭を過った。

「――待って!」

 先を行く彼女に急いで追いつき、そっとその肩を掴む。すると彼女は足を止めてはくれたものの、こちらを振り向こうとはしない。

「……もう少し、もう少しくらい肩の力抜いてもいいんじゃないかな。そのために僕が一緒にいるんだし……」

「……………………」

 彼女からの返事はない。

「――そ、それにほら、これじゃあカップルにも見られないでしょ」

「……………………」

 そして一瞬の静寂の後、彼女は僕の手からするりと抜け出すと、再び一人で歩き出してしまった。

「っ……」

 やっぱり、僕なんかが誰かの助けになるなんてできないのだろうか……。

 このまま彼女を行かせてしまったらどこかへ消えてしまうのではないかという、そんな不安が僕を襲い胸がギュッと締め付けられる。だけどそんな不安とは裏腹に、気が付けば僕の足はその場から動くことができなくなっていた。

「……これでどう、かしら?」

「っ――!?」

 するとその時、突然彼女の声が僕のすぐ側で聞こえたかと思うと、気がつかないうちに強く握っていた僕の右手を今度は彼女の左手がそっと優しく包み込んだ。

「っ……」

 氷のように堅くなっていた全身の力が、彼女の温もりによってゆっくりと溶かされていく。

 そして力が抜けて開いた僕の指の隙間に、彼女がするりと自身の指を絡ませる。

「……これで少しはカップルらしくなったかしら」

「えっ……?」

「自分で言い出したんじゃない。あれじゃあカップルに見られないーって」

「あぁ、そういうことか。そう、だね……」

 そしてほとんど反射的にその手を握り返すと、彼女が僕をからかうように繋がった手をニヤニヤとしながら何度もにぎにぎとさせた。

「っ……」

 彼女を元気づけようとした僕の方が、逆に元気づけられてしまった……。

 そのことにもどかしさを感じながらも、楽しそうな彼女のその笑顔を見た途端に、気が付けば僕の口角は緩み、そしてさっきまで感じていた不安も消えどこか安心したような気持ちになっていた。

「あとは、あれね……」

 あれ、とはなんだろうか。カップルらしいこと……、全く思い浮かばない。

「香也くん?」

「ん?」

 他になにがあるだろうと考え込んでいると、繋いでいた手とは反対の手の平を開いて向けられ、名前を呼ばれた。

「香也くん」

 そして彼女は僕へと向けていた手をそのまま曲げて自分を指した。

「……あーまみや、さん?」

 恥ずかしさに駆られながらも答えるが、彼女に小さく顔を左右に振られてしまう。

「香也くん」

 そしてさきの流れを繰り返した彼女に、もう一度手を向けられる。

「あまっ――、し、ずく……さん?」

「さん?」

 彼女が首をかしげる。それを見てさすがの僕でも彼女がなんと言わせたいのか察しがつく。

「いやでも、それは……」

 彼女が僕の目をじっと見つめたまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。

「――ちょっ、ちょっと待って! 近い、近いから!」

 そんな僕の制止にも耳を貸さず、彼女の唇が僕の顔に触れてしまいそうなほどに近づく。

「――わ、分かった! 分かったから! しずく、しずく! もうこれでいいでしょ」

「はい、よくできました」

 そんな彼女の接近に耐えきれなくなりやけになって名前を呼ぶと、思い通りの返答がお気に召したのか雫様がニコッと微笑んでくださった。

「……ん? というか待って? 僕は?」

「香也くん」

 なにか? とでも言いそうな顔をする雫様。

「あー……」

 さっきの雫を真似て僕のことも呼び捨てにさせようかと一瞬考えたが、もしそれで呼ばれたとしてもこっちが恥ずかしくなるだけだと思ってやめた。

「じゃあ行きましょ、〝香也〟」

「っ……!」

 僕が分かりやすいのか彼女が鋭いのか、僕の考えることは見事にお見通しのようだった。

 そうして僕はこの後、彼女……、〝雫〟の家に着くまでずっといつものようにからかわれ続けたのだった。

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