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「またいるわね……」
「ん?」
横目で周囲を確認してつぶやく彼女。それを聞いて僕も振り向いて後ろを確認すると、そこには僕の視線に気がつき目線をそらして何事もなかったようにするもの、物陰からこちらを見るもの、立ち止まって会話をしながらチラチラとこちらを見てくるものたちなど、明らかにこちらへ視線を送る生徒が大勢ついてきていた。
「うっわー……、全然巻けてないじゃん……」
気が付いていないふりをしてゆっくりと前を向き直すも、一度見られていることを意識したせいか背中に刺さるような気配を感じてしまう。
……なんだかまた少し気持ちが悪くなってきた。
彼女はいつもこんな視線を浴びているのか……。今の数分だけでもこんなにきついのに、これが毎日となると僕には耐えられそうもない。そんな不安でいっぱいな僕とは対照的に、こんなことには慣れっこで平然としているであろう彼女を横目で見る。
「えっ?」
だがいつも視線に晒されているとはいえさすがに慣れることはないのか、下唇を少し噛む彼女のその表情はあまり気分が優れないように見える。さらに、よく見ると鞄を持つ手にもぐっと力が入っていて、そしてその足取りも次第に速くなっていた。
「……大丈夫?」
彼女からの返答はない。
「雨宮、さん……?」
「――えっ? あぁ、ごめんなさい……。少し、考え事をしてたわ……」
彼女はそう言って立ち止まると、その場でギュッと目を瞑った。
「すぅー……、はぁー…………」
そして一度大きく息を吸うと、ため息でもするようにゆっくりと吐き出した。
「はぁ……」
なんだか僕まで本格的に具合が悪くなってきた……。僕も一旦落ち着こうと、彼女に倣って目を瞑りすぅーと大きく息を吸ってそれを吐き出す――。
「――行きましょ」
「うきゅっ――!?」
だがその寸前で、突然彼女から勢いよく手を引かれてしまい身体から変な声が漏れ出る。
「ごほっ、けほっ、はっ……」
そうしてむせてうまく息もできない中、どうにか呼吸を整えながら勢いよく走る彼女に引かれて僕もただひたすらに走った。
「ここまでくれば大丈夫、よね……」
「はぁ、はぁ……。大丈夫そう、だね……」
生徒たちを巻くため何度も細い横道に入り、そうして辿り着いた人気のない公園のドーム型遊具の中に僕たちは身を潜めた。入り口の穴から恐る恐る顔を覗かせ周囲を確認するが、辺りにはもう誰の姿もない。
「「はぁー……」」
安心した途端に全身の力が抜けたのか、二人してぺたりと地面に腰を下ろす。
「……ん?」
ようやく緊張感から解放されほっと胸をなで下ろしたその時、ふと自分の両の手が塞がっていたことに気が付く。
「あっ、手が……」
「えっ……?」
僕の左手には鞄が、そして右手には彼女の手があった。
「――あっ! ご、ごめんなさい! あれ? ちょっ、ちょっと待って! あれっ……?」
慌てて手を離そうとする彼女だったが、緊張からかその手は小さく震え、僕の手に食い込む指先から力が抜けないようだった。
「――ごめんなさい! すぐ離すから」
「あ、いや……、全然、大丈夫……」
彼女と繋がっていることを意識しだした途端、その内側が自分のものか彼女のものか分からないほどに汗でぐっしょりになっていたことにも気が付いてしまう。
「……あー、ほんとに大丈夫だから。ゆっくりでいいよ」
だがこんな状況だからか、はたまた自分よりも焦る人を見ているからなのか。互いの汗で濡れた手も、自分に好意を寄せる彼女の手に触れていることも、少しの不快感だって感じてはいなかった。
「はぁ……。もう大丈夫……」
しばらくして落ち着きを取り戻した彼女が、握りしめていた手をゆっくりと開く。すると、解放された手に今までせき止められていた血がじわじわと巡っていった。
「うわ……」
逃げている時も彼女の手を意識した時も気がつかなかったが、相当キツく握られていたようで、掴まれていたところが赤くなっていて少し痺れも感じる。そんな右手の痺れを取ろうと手を握って開いてを繰り返していると、赤くなったその手を見つめながら彼女が口を開いた。
「……手、強く握ってしまって、触ってしまって、ごめんなさい……。女性に触られるの、嫌……だったでしょう……?」
「いや、それは別に……」
彼女に気を使った訳ではなく、本当に彼女から触れられても特になんとも……。
「――えっ? というか、なんでそれを……」
今日知り合ったばかりの彼女がなぜそのことを知っているのだろうか。そちらの方が気になってしまい、いつの間にか赤く痺れた右手のことなんて僕の意識から消え去っていた。
「……その、あなたのこと、実は楓さんから少し聞いていたのよ……」
「あー……」
楓さん、〝日向楓〟は僕らが通う高校の養護教諭で、僕が昔から実の姉のように慕っている大切な存在だ。
「……私も、その……、最近よくお世話になっていて、その時にあなたの話を聞いていたから、それで……」
「紹介された、とか……?」
こくんと小さく頷く彼女。
「あー、だから楓さんから呼び出されて行った屋上に君がいたのか……。えっ? それじゃああの告白も、僕のことが好きだっていうのも、もしかして……」
再び申し訳なさそうに彼女が頷く。
「はぁー……。なんだぁ、僕はてっきり本当にそうなのかと……」
「ごめんなさい……」
これで彼女の突然の告白にも納得がいった。学校では目立たないようにしていた僕に、全く接点がなかった人気者の彼女からの呼び出し。ましてや告白なんてなにか裏があるとは思っていたが、まさか楓さんが噛んでいるとは……。まぁやりそうではある、か……。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。そんなあきれた様子の僕を見て彼女がゆっくりと口を開く。
「……私、その……、かわいい、じゃない……?」
「ん?」
「モテるのよ」
「まぁそれは、うん……」
知っている。なんなら身をもって経験までした。僕が疑問に思ったのはさも当たり前のことのように自分で自分のことをかわいい、と言ったことなのだが……。まぁ彼女ほど整った容姿をしていて、日頃あれだけ注目を浴びていれば嫌でも自覚するか……。彼女の顔をまじまじと観察しながら一人うんうんと自己解決していると、彼女が膝を抱えどこか遠くを見るように話を続ける。
「だから、昔から人から見られることが多くて……。その中でも男の人からの視線が気持ち悪くて……、苦手、というか嫌いなのよ……。最近は特にひどくて、気分が悪くなって保健室で休むことも多くなって……。そしたら楓さんから星野君も同じような状況だし、あいつなら信頼できるからって、その……、彼氏のフリでもしてもらうといいって紹介されて……」
「同じような状況……」
僕は昨年、前の学校であった恋愛関係のトラブルが原因で心を病み、それから女性に好意を向けられることが苦手となってしまった。彼女が楓さんからどこまで僕の話を聞いているのかは分からないが、楓さんのことだからきっとそこら辺はうまく話してくれていることだろう。
「……あなたが、異性から好意を向けられることが苦手なことは知ってる……。無理を言っているのだって分かってる……。でももし、もし本当に嫌じゃなかったら、その……、お付き合いの件、少し考えてくれないかしら……?」
「それは……」
無理だ、すぐにそう言おうと思った。だがその時、ギュッと自分の身体を抱く彼女のその震える手が視界に入ってしまい、それ以上口にすることができなくなってしまう。
「……確認、だけどさ……。僕のことはほんと、全然好き、とかじゃないんだよね……?」
「……ごめんなさい」
視線を落とした彼女の今にも泣き出してしまいそうなこの表情……。そして今にも壊れてしまいそうな、そんななにかに耐えているような彼女の姿があの頃の自分と重なってしまう。
「っ…………」
まだじんじんと熱の残る右手を自分の目の前まであげる。そして震える彼女と、彼女の手の跡がくっきりと残った右手を見つめながらギュッと握りしめる。
「はぁ……。…………いいよ」
彼女の顔を直視することができず、ドーム上部の光が差し込む穴を見つめながら答える。
「……………………」
だが、彼女からの反応はない……。
さすがに不安になって恐る恐る彼女の方へと視線を移すと、彼女は目を見開いてこちらを見ていた。
「……本当に、いいの……?」
「うん……」
なんとも言えないむずがゆさに耐えきれなくなり、再び顔を逸らしながら答える。
「……ありがとう」
その言葉に思わず彼女の方を振り向くと、目をうるうるとさせながらも嬉しそうに微笑む彼女の姿がそこにはあった。
「っ――」
その心からの笑顔に不覚にも少しドキッとしてしまい、誤魔化すように慌てて顔を上げる。
「はぁー、よかったぁ……。さすがに断られると思っていたから……」
「ま、まぁ、僕の方も女子と距離をとるための言い訳にできるし……。……あーでも、あれはきついかなー……」
〝あれ〟とは当然彼女を見る刺すようなあの視線のことだ。彼女がいるとなれば僕も異性からの好意を気にしなくて良くはなりそうだが、その代償として今度は敵意や好奇の視線に晒されるようになると考えると……。
「はぁ……」
これから起こりうるであろうことを想像しただけでも気が重くなり、ついため息が漏れる。
「あー……、あれ、ね……。さすがに今日みたいなのは私も初めてだったけど……。それにしても、誰が誰を好きとか付き合っているとか、ほんとなんで赤の他人の人間関係がそこまで気になるのかしらね。それに……」
そこでスイッチが入ってしまったのか、彼女の表情が豹変する。
「それに、顔とか身体とか容姿を見て、一目惚れとか好きだとか言ってくる下心しかない男も本っ当に気持ち悪い。もしかしたら付き合えるかも? やれるかも? はっ、あなたたちのそれは愛でも恋でもなくてただの性欲で脳の錯覚じゃない。それか可愛い私を隣に置いて支配欲とか優越感に浸りたいだけ。私は物じゃないし、ましてやあなたたちの欲望を処理する道具でもないから!」
「あのー……、雨宮さーん?」
「憧れーとか理想ですって言ってくる奴らも、勝手に外見からイメージした妄想の中の私が好きなだけで、現実の私のことなんか一つも見てないし。だから勝手に思い込んで一人で一喜一憂して……、あなたたちが思っている以上に、というか私はあなたたちのことなんかまったく、これっぽっちも考えてもいないしどうでもいいのよ」
「おーい……」
「あなたしか見えないとか、ずっとあなただけを見ているとか言ってくる奴らはもっと最悪。こっちの気持ちなんかこれっぽっちも考えていないし、独りよがりで、ただ一方的に自分の感情を押しつけてるだけ。あいつらに見ているのなんて、恋愛っていう行為に酔ってる自分だけ……。いや、あれはそれすら、自分のことすらまともに見えていないわね……。まぁ、だからこそあそこまでのことができるんでしょうけど……」
「………………」
「――それで! いっちばん頭にくるのが、なんでもかんでも恋愛に結びつけてくる恋愛脳ども。それに便乗して言いたいこと言うだけの奴らもほんっとに腹が立つ! あいつらはなんなの? なんであんなに他人の恋愛話に首を突っ込みたがるの? 常に恋愛をしていないと死ぬの? 誰かに依存していないと生きていられないの? ばかじゃないの? もうほんといっそのこと死んでくれればいいのに……。私が少し男と話しただけで変に勘ぐって、噂して……。
本当の私のことなんて見ようともしない、あんな打算と欲望まみれの告白なんて私は嬉しくもなんともないし、不快なだけなのに。自分の好きな男が私に告白したからって嫉妬して、妬んで、嫌がらせまでしてきて……、ほんっとうに気持ち悪い!
私をあなたたちの恋愛ごっこに巻き込まないでよ! あぁもうっ! 頭にくる――!」
ぐーっと拳に怒りを込める彼女の貯めに貯め込んだストレスは留まることを知らず、ただひたすらに呆然とする僕に向かって吐き出された。
「……えーっと。すっきり、した……?」
「全っ然!」
彼女の意見には概ね同意できるが、さすがにこの感じでずっと愚痴を聞かされるのは僕の精神が持たない……。
「あー……っと、とりあえず! 今は今後のことを話そうか、ねっ?」
「えっ? あぁ、まぁそれもそうね……」
あれだけ吐き出してもまだ足りないのだろう。そんな言葉とは裏腹に、かなり不服そうに彼女が答える。彼女があれで日頃のストレスを少しでも発散できるなら、また今度……、あーうん、そのうち、いつかきっと、気が向いた時にでも聞いてあげよう……。
それから僕たちは二人で話し合い、というか彼女にほとんど押し切られるような形で二人が付き合う上でのルールを決めた。意外と僕のことも考えて決めてくれたそれは、内容自体は僕自身にとっても良いと思えるものだった。お世辞にも性格が良いとは言いがたい彼女だが、きっと本質的には優しい人なのだろう……。
ルールは下記の通りだ。
①学校がある日の登下校は必ず一緒にする
(一緒にいる姿を少しでも多くの人に見せるように少し遠回りをする)
②その際、どちらかに予定がある時も合わせられるようなら合わせる
③過度なボディタッチはしない
④お互い過度な干渉はしない。プライベートも詮索しない
⑤連絡は最小限に
「それじゃあとりあえず、連絡先を交換しましょうか」
「あー……それなんだけど、僕スマホ持ってなくて……」
「あぁ、今ないなら全然また今度でもいいわよ?」
「いや、そうじゃなくて……、スマホ自体持ってなくて……」
「そんなナンパを断る時の言い訳みたいなのはいいから、ほら」
早くしてと言わんばかりに、自分のスマホを突き出して連絡先の交換を求める彼女。だが言い訳ではなく、本当に僕はスマホはおろか家に固定電話すら置いていない。
これも昨年のことが原因なのだが、あれ以来僕は電話の着信音や通知音を聞くと、酷い時には吐いてしまうほどに動機と吐き気に襲われるようになってしまっていた。
「……え? 本当に? 家に電話とかパソコンは?」
「ない、ね……」
「今時、スマホもネットもなくてどうやって生きてるの?」
「あーでも、両親から連絡来るときは基本楓さんに引き継いでもらっているし、それに楓さんとは別に家でも学校でもすぐに会えるから、全然不便なことは……」
そこまで言って自分が余計なことを喋ってしまったことに気が付き口を閉ざしたが、時は既に遅く……。
「家でもすぐに……? えっ、待って? あなた楓さんと一緒に暮らしているの? もしかして、二人って本当に……」
「――ちっ、違う違う! 同じマンションの隣同士ってだけで! 別に付き合っているとかそんなんじゃなくて、昔から仲が良いってだけで、それで……」
「でも、お互いの部屋に行き来してはいるのよね? 二人きりで……」
「――それは、そう、だけど……。あっ、あとそれに楓さんは僕の、その……兄さんの婚約者、だし……」
これは嘘ではない。僕の兄〝星野雅也〟と楓さんは高校の頃から付き合っていて、二人が大学4年の時に婚約をした。その頃からの付き合いだから楓さんとは知り合ってもう7年くらいになる。
「婚約者……」
まだ疑いの目は晴れない……。
「い、いや、でも確かに? 昔は多少好き……、だったかもしれないけど、今はほんとに全然で……。普通に仲のいい姉弟って感じで、だから――」
彼女の圧に呑まれて、ついつい余計なことばかりを口走ってしまう。
「……ぷっ、あはははっ。あなたって本当にからかい甲斐があるのね。つい弄りたくなる気持ちも分かるわ……」
「なっ……!?」
からかわれていたということが分かり、その恥ずかしさから自分でも分かるくらい一気に顔が熱くなってしまう。彼女と話していると、まるで楓さんを相手にしているかのようにどうも調子が狂う……。
「はぁー。まぁ、楓さんから大体の事情は聞いているから知っていたんだけどね」
「えっ……?」
「それじゃあ改めて……、これからよろしくね」
唖然とする僕に向かって彼女が引き気味に手を差し出す。
「あ、あぁ……」
それ見て思わずその手を取りかけたが途中で止め、そしてゆっくりと腕を下ろした。
「えっ――!」
そして腰の辺りまで下ろした手をグッと握ろうとしたその時、突然その中に彼女の手が入り込みそのまま掴んでしまう。
「――ごっ、ごめん」
慌ててすぐに手を離そうとするが、その手を彼女に思いきり握り返されてしまう。
「………………」
緊張のあまりピンと指を張って硬直してしまう僕の手。その手をじっと見つめたまま彼女は、なにかを確認するかのように何度ももう一方の手で触れたり握り直したりしている。
「ふん……」
「あのー……?」
「見て」
絡むように繋がったその手を僕の顔の前まで持ち上げ、見せつけてくる彼女。
「えーっと……?」
なんだこの状況……。
「やっぱり……。私もあなたなら全然大丈夫、みたい……。なんでかしらね」
「ちょっ――」
動揺する僕をよそに、彼女は繋がった手を楽しそうにぶんぶんと振りまわしている。その姿になんだかこっちの方が気恥ずかしくなってしまい、僕は俯いて視線を逸らした。
「っ…………」
彼女はそれをしばらく続けた後、再び顔の前でピタッと動きを止めたかと思うと、僕の手をもう一度ぎゅっと優しく握り直した。そして視線をゆっくりと手元から彼女へと移すと、こちらをじっと見つめていた彼女と目が合う。
「今度こそ改めて……。よろしくね〝彼氏の〟香也くん」
「っ――」
彼女のその破壊力抜群な笑顔に、さきほどとは違う理由で顔を上げていることができなくなり、僕はまた咄嗟に視線を地面へと移した。
「よろ、しく……」
動揺が声に出ないよう必死に平然を装う。大丈夫、きっとバレては――。
「声、震えているわよ?」
……全然バレていた。
こうして僕は高校二年の春、放課後の屋上で告白してきた女の子に吐しゃ物をぶちまけたことで彼女ができた。……いや、できてしまったのだった。
この時僕は、これから先、人に向かって嘔吐する時はその相手と場所をきちんと見定めてからしようと、強く心に誓ったのだった……。




