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「ちょっと、そうじゃなくて……」

「――えっ? あっ、こ、こう、かな……」

 放課後の保健室。

「あっ、そんなに出したら――」

「――ご、ごめん!」

 そこに二人きりの男子と女子。

「あとそんなに強くしちゃダメよ。ほら、もっと優しく」

「ごめん……」

 互いにさきほどまで着ていた制服を脱ぎ捨て、身体を寄せ合い、そして……。

「ほら、こんな感じ、で――」

「……こう、かな……」

「あーもう、ほら貸して?」

 不器用な僕に見かねた彼女が僕の持っていた〝それ〟を奪う。

「でも……」

「大丈夫よ。慣れているから」

 そう言うと彼女は、僕のもので汚れてしまった〝それ〟を、嫌な顔一つせずゆっくりと中に入れた。

「……ごめん」

「あとは私がやるから、ほら」

「うん……」

 そして彼女は僕の汚れた〝それ〟を、水と洗剤が入ったシンクの中で優しく洗い始めた。

「はぁー……」

 慣れた手つきで手際よく洗濯をする彼女の姿に、思わず感嘆のため息が漏れる。

 あのあと僕らは、吐しゃ物にまみれた制服ままで下校するわけにもいかず、保健室でジャージを借りて制服の洗濯をすることになった。

 教室に戻れば自分のジャージもあったのだが、あの姿を他の生徒に見られるのも面倒なので二人とも保健室にあった貸し出し用のジャージを借りて着替えた。養護教諭が不在だったため勝手に借りたが、あとで事情を説明すればきっと分かってくれるだろう……。

「………………」

 それにしても、制服を汚されたあげく自分で洗濯までさせるこの始末……。いくら好きで告白をした相手だったとしても、さすがにこれには幻滅し怒りをあらわにしているだろうと、恐る恐る彼女の横顔を覗き込む。

「っ…………」

 だが視界に映ったその顔に怒りや嫌悪といった負の感情は一切なく、それどころか少し上がった口角にこの穏やかで優しい表情は……。

「うっ……」

 言葉だけではなく行動や表情からもひしひしと感じてしまう彼女からの好意に、再び自分の中から気持ち悪さがこみ上げてきてしまい、慌てて手で口を押さえる。

「よしっ……」

 するとそんな僕のことなどいざ知らず、彼女は二人分の制服を洗い終えると、それを丁寧に畳んでネットへ入れ洗濯機の中にそっと置いて蓋を閉めた。そしてこれまた慣れた手つきでボタンを操作し洗濯機を回すと、彼女は手をパンパンと叩いて満足そうにふぅーっと息を吐いた。

「あっ……」

 彼女と目が合ってしまい、口を押さえたままなんとなく小さく会釈をする。するとそこでようやく一部始終を見られていたことに気がついたのか、彼女は僕の顔を見て少し固まったのち、何事もなかったかのようにゆっくりと洗濯機の方へと視線を戻した。

「………………」

 そのなんとも言えない気まずさから目を逸らすように、僕もゆっくりと洗濯機に視線を移す……。

「……………………」

「……………………」

 静かな保健室に洗濯機の回る音だけが鳴り響く。

 このままさっきの嘔吐も告白も、そしてこの気まずい空気もすべてあの制服のように綺麗に水に流してくれないだろうか……。ガタガタと揺れる洗濯機を見つめながらそんなバカなことを考え現実逃避していと、彼女が口を開きその空気を打ち破った。

「……それで? なんで吐いたの?」

 だが残念ながらなにもかも水に流す、などという都合の良い展開にはもちろんならなかった。

「ごめん……」

 こちらをじっと見つめる彼女の視線から逃げるように、僕の視線は下がり身体もどんどん小さく丸くなっていく。

 そして再び重い空気が二人の間を流れる。

「……はぁ。こんなにかわいい子に告白されたら普通すぐにOKしない? それだけでもおかしいのに、吐くって……」

 彼女は両手で顔を塞ぐと、そのまま俯いてうぅっと声を漏らして泣いてしまった。

「それは……。本当に、ごめんなさい……」

「……とって」

「え?」

「責任、とって……。こんなことされて私、もう……」

 俯く彼女の肩が小さく震える。

「………………」

 自分が原因で彼女を泣かせてしまったことにいたたまれなくなり、胸がギュッと締め付けられる。

「……僕にできることなら、なんでもやるよ……」

「……本当? 本当になんでもしてくれる?」

「うん、やる、やるよ。そんなことでお詫びになるなら……」

 雑用でもパシリでも彼女の気が晴れるのであれば、泣き止んでくれるのならなんでもやろうと腹をくくる。

「……じゃあ、付き合って……」

「それは……」

 だが、彼女からの予想外のお願いについたじろいでしまう。なんでも、とは言ったがそれだけは絶対にできない。それにもし仮にこのまま付き合ったとしても、きっと彼女に迷惑を掛けてしまうことになる……。

「っ……」

すると、そんな僕の返答を聞いてまたも彼女が泣き出してしまう。

「いや、だって……」

「うぅ……」

 昔から目の前で人が泣いている姿を見ると、たとえ相手に非があることでもつい自分の方から折れてしまうことが多かった。こんな自分は良くないと分かっているし、変わりたいとも思っている。

「ぐすっ……、ううっ……」

 でも、今回の件はどう考えても僕に非がある……。

「…………あーもう! わかった! 付き合う、付き合うよ!」

 そしてついにこの状況に耐えきれなくなり、そう言い切ってしまった……。

「……本当? 本当にいいの……?」

「あぁいいよ、付き合おう」

 そんな僕からの同意の言葉を聞き、彼女が勢いよく涙に濡れたその顔を上げる――。

「えっ……?」

 だがそこに現れた彼女の顔には涙はおろかその痕跡すらなく、それどころか彼女はニヤッと悪い笑みを浮かべていた。

 その時、洗濯機からピーッピーッと脱水の終了を知らせる音が鳴った。

「泣いてなっ――、待って! さっきのなし! なしなしなし! なしで!」

「………………」

 さっきの発言をどうにか取り消そうとする僕を見て、彼女が無言で手に持っていたスマホを差し出す。

「なにを……」 

『あぁいいよ。付き合おう』

 そして、静かな保健室で僕の人生初となる撮り下ろし告白ボイスが鳴り響いた。

「んなっ……」

「よろしくね、〝香也君〟」

「――いやまって! だって――!」

『付き合おう』

「いや、だから――」

『付き合おう』

「くっ……、……よろしく、おねがいします……」

「はいっ」

「っ…………」

 僕の返事を聞いて満足そうに微笑む彼女のその表情に、不覚にも一瞬ドキッとしてしまう。

「はぁ……。それで? 僕のことなんてどこで知ったの?」

 普段学校では目立たないようひっそりと影を潜めているし、彼女とは接点なんか一つもなかったはずだ。ましてや彼女のように整った容姿をしている訳でもない、そんな僕のことなんかどうして……。

「あー……」

 なにか考えるように宙を見上げる彼女。するとしばらくしてなにかを思い浮かんだような表情を浮かべると、彼女は姿勢を正してからこちらに向きなおしニコッと微笑んだ。

「…………?」

「二年二組の雨宮雫です。よろしくお願いします」

 そして彼女はさっきまでの声よりもワントーン高い、可愛いらしい声で自己紹介をした。

「――いやいやいや、そうじゃなくって!」

 それが明らかに作られたものだと分かっていてもこの破壊力……。まるで物語のヒロインのようなその可愛さに、ついつい反応が遅れてしまう。

 そもそも自己紹介なんてしなくても、僕は彼女のことを以前から知っている。もちろん直接話したことはない。だが、彼女はその整った容姿に加えて成績も常に学年トップ。さらには生徒たち、特に男子たちの注目の的で、そのためクラスは違えど噂話を聞かない日はなかった。

 そんな彼女がどうして僕に好意を持ったのか、考えれば考えるほど分からない……。

「…………あー、星野、香也……です」

 一旦考えることを放棄し、とりあえず僕も彼女に倣って自己紹介をした。

「はいっ、じゃあ自己紹介も済んだことだし、制服だけ干して帰りましょうか」

「え? あ、あぁ……」

彼女はパンと手を叩くと、洗濯機から制服を取り出し、あっという間に窓際の物干しスタンドへと干してしまった。そしてそのまま保健室の出入り口へ向かうのを見て、思うことはあったがひとまず僕もそれに続いて保健室を後にした。


 そうして僕らは、自分たちの荷物を取りにそれぞれの教室へと向かった、のだが……。

「えっ……?」

 教室前の廊下には、授業が終わってからしばらく時間が経っていたにもかかわらず、数多くの生徒が集まっていた。普段とは違う教室周辺の様子に、これから起こるであろうことを想像して身構える。

「おい、来たぞ……」

 すると僕たちの姿が見えるや否や、生徒の大多数が明らかにこちらを見ながらこそこそと話しだす。普段は感じないこの刺すような視線……。原因はやはり……。

「……なんか、人多くない?」

「そう……? いつもこんな感じじゃないかしら」

 なにか? とでも言いたそうな顔をする彼女だったが、直後、そんな僕の嫌な予感が的中してしまう――。

「雨宮さん!」

「雨宮さん大丈夫!?」

「なにもされてない?」

「心配してたんだよ!」

 彼女が戻ってくるのを待っていたであろう生徒たちが一斉にこちらへと押し寄せ、気が付けば僕たちはあっという間に囲まれてしまった。

「ちょっと……」

 ただ放課後に男女が二人で一緒にいた、というだけでこの騒ぎよう。彼女の人気も相まってなのだろうが、そもそもこういう連中は相手が誰であろうが興味本位で他人の人間関係を邪推し、騒ぎ、かき乱す。

 ――本当に気持ちが悪い……。

「大丈夫!? 保健室に連れ込まれたって聞いて、それで……って、えぇっ!?」

 僕らを取り囲んでいたうちの一人が彼女と僕の違和感に気がつき、目を見開いたまま右左と交互に何度も視線を動かす。

「あの……、そのジャージ、は……」

……終わった。

「こ、これはー……」

僕が――、と言いかけたが、どういう風に答えても間違いなく僕が悪者になってしまう。いや実際、悪いのは僕で彼女にも申し訳ないことをしたと思っているのだが、この状況で自白するのはさすがに無理だ。

 すると、彼の一言で騒いでいた周囲の生徒の注目が彼女から僕へと移ってしまう。

 疑うような、刺すようなそんな人の視線。

「いやだから、その……」

 どうにか言い返そうとするも、なにも思い浮かばずつい言葉を詰まらせてしまう。

「おいお前っ――! 雨宮さんになにしたんだよ!」

 そんな僕を見てチャンスと思ったのか、一人の男子生徒が口ごもる僕へと迫り、その胸ぐらに思い切り掴みかかった。

「僕はっ……」

 だがそんな彼の行動に正義感なんてものは一切なく、僕に対しても特別なにか思っているということもないだろう。あるとすれば、彼女と一緒にいたことへの嫉妬だろうか……。その証拠に、さっきからチラチラと僕ではなく彼女の反応ばかりを気にしている。

 ――気持ち悪い……。

「お前がなにかしたんだろ!」

「早く謝れよーっ!」

「そうだそうだー」

 その茶番に便乗して、周りの生徒たちも僕に追い打ちをかける。

 ――気持ち悪い気持ち悪い……。

 押し寄せる人の中、助けを求めようとどうにか顔を動かして周囲を見渡す。

「か、かれ――」

 すると、こちらを心配そうに見ていた自分のクラスの委員長と目が合い彼女に助けを求めようとしたが、気まずそうに視線を逸らされてしまう。

「っ……」

 クラスの委員長〝卯月 椛蓮〟と僕は、中学時代ずっと同じクラスで、そして友人だった……。そのためか当時はかなり仲も良く、高校に入学してからもよく連絡を取り合っていたのだが、僕が恋愛関係で色々とあってからは彼女のことを一方的に避けるようになってしまった。

 そんなこともあり、こうして僕が転校してきて同じクラスになった今でも、僕はもちろん彼女の方からも積極的に話しかけてくることはなかった。

 僕から関係を切っておいて、こんな時だけ助けを求めるだなんて都合が良すぎるか……。

「ほら、なんか言えよ!」

「うぐっ……」

 僕の胸ぐらを掴む手にもさらに力が込められ、ぐっと締め上げられる。

 首が絞まって息がうまくできない。

 ――気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……。

「……まっ、僕は……、ほんとに、なにも……」

 なにもしていない。そう言いたくて声を絞りだそうとするが、うまく言葉にならない。

 そしてもう自分にはどうすることもできないと諦め掛けた、そんな時だった――。

「――ひどいっ!」

 今までずっと黙っていた彼女がついにフォロー、ではなくまさかの火に油を注いだのだった。いや、もはや爆弾そのものと言ってもいいだろう……。

「なっ……」

「ほら! やっぱりお前がなんかしたんじゃ――」

 僕をつるし上げることに成功し、さらに勢いを増す男子生徒。

 だが、そんな男子生徒の言葉を遮るように彼女が続けた。

「――ひどいわ! あんなに熱烈な告白をしてくれたのに……。それに、制服まであんなに汚しておいて……。私、私……、初めてだったのに!」

 うぅっ、とさっき見たばかりのへたくそな鳴きマネとポーズをする彼女。

「えっ……?」

 だが僕以外を騙すには充分すぎるくらいだったようで、胸ぐらを掴んでいた男子生徒が驚きのあまり僕から手を離してゆっくりと彼女の方を向いた。

「ゴホッ、ケホッ――」

 男子生徒から解放され、床に崩れ落ち、むせながらも彼女を見上げる。

「「「 …………………………」」」

 その場にいた全員の視線が再び彼女へ集まる。

 そして、彼女の一言に僕を含め全員の時間が一瞬の間止まり――。

「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」」」

 ――一気に爆発した……。

「――ってことは二人は!」

「俺も狙っていたのに!」

「なんであんなやつと……」

「あの雨宮さんが!?」

 僕への批判や悲鳴、悲嘆な声が飛び交う。

 ……やられた。

 これまで頑張って空気を演じ続け作り上げた僕の平穏な高校衣生活は、こうして一瞬にして崩壊したのだった……。

「えっ――!?」

 彼女の爆弾発言で周囲と同じく混乱していたその時、突然誰かにジャージの袖を引っ張られ人の壁から救い出された。

「はい、これ」

「あっ、あぁ……。ありがとう……」

 目の前に現れた彼女から差し出されたカバンを受け取る。

「えっ? っていうかいつの間に!? それにどうやって――」

「いいから、行きましょ?」

「――えっ!? あっ、まって!」

 そうして僕は訳も分からぬまま先に駆け出した彼女を追い、阿鼻叫喚とする学校からどうにか脱出したのだった。

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