エピローグ
雫が無事退院してからしばらく経ち、僕らは再び二人でハニーランドへとやって来た、のだが……。
「あのー、雫さん……?」
「ん? なに?」
「これ、やっぱ変じゃない……?」
「大丈夫よ。似合っているから」
「そう、かな……」
楓さんに教えてもらいながら、初めて自分でセットした髪を弄って顔を隠そうとするが、短くなった前髪ではもう周囲の視界を遮ることはできない。
あれから僕は、これまでずっと伸ばし続けてきた髪を切った。自分を守るための壁を失った僕の視界は開け、目に映る景色も人もそのすべてが鮮明に見えようになった。しかし、周囲がよく見えるようになった反面、いつも以上に視線には過敏になっていた……。
「……というか本当に僕もこの服で行くの……? こんなコスプレなんかで入っていいの?」
「だーかーら、コスプレじゃなくてバウンドコーデ。何回も説明したでしょ? コスプレは基本的に子ども以外は禁止なのよ?」
そう僕に説明する雫はというと、今日は前回と違い小さなバラの花が刺繍された黄色いワンピースを身に纏っていた。エルの黄色いドレス姿をイメージしたコーディネートなのだろう。主張しすぎない上品な黄色が、笑顔ではしゃぐ彼女ととても良く合っている。
「はぁ……」
そんな僕はというと、持っていた黒のパンツと無地の白いTシャツに、この前買い物に行ったときに雫が選んでくれたシンプルな青のジャケットを着てきた。これもバウンドコーデというものになるらしく、今日の雫と並んでいればエルと結ばれた王子様を連想することだろう。
雫曰く、衣装やウィックやメイクなどでキャラになりきるのがコスプレ。バウンドコーデは、キャラクターを連想せる、カラーの服やアイテムなどを使ってコーディネートするものらしい。コスプレだとばかり思っていた前回の雫の服装も、このバウンドコーデというものだったようだ。
「……あのさ、やっぱりいつも以上に見られている気がするんだけど……」
「そう? 気のせいでしょ? 大丈夫よ、あなたが思っているほど誰もあなたの事なんか気にしていないから」
「それはそうかもしれないけど、でも……」
「それに、みんな私に見蕩れているだけだから気にすることないわよ」
「うん……」
とりあえず相づちを返したものの、いつもとは違う周囲の視線がどうしても気になってしまう。雫を見る視線は確かにいつも通りなのだが、今日は僕を見る視線が明らかに違った。
普段人とすれ違う時、大抵の人は雫を見てから僕の方を見て、え? あれが彼氏? 釣り合ってなくない? とでも言いたげな視線を送ってくる。その度に肩身の狭い思いをしてきたし、今後もずっと彼女と一緒にいると決めた以上、これとも向き合っていかなければいけないと思ってはいたのだが……。
「どうも……」
周囲の視線を警戒してきょろきょろと辺りを見ていると、こちらを見ていた女性二人組と目が合ってしまい、気まずくなってとりあえずお辞儀をした。
「きゃぁーっ!」
「っ――、……え?」
するとなぜか今まで自分に向けられたこともない黄色い声が上がり、女性たちが何やら興奮した様子で騒ぎだした。
「……えーっと? これはー……、痛った――!」
慣れない光景に惑っていると突然、雫に背中をギュッと摘ままれてしまった。
「デート中に他の女にデレデレと鼻の下伸ばさない。まったく……」
「で、デレデレなんてしてないって! これは、そのー……」
「あなたは――。……私のことが好き、なんでしょ……?」
「っ――」
ほんのりと顔を赤らめながら恥ずかしそうにそう言う雫を見て、思わず僕の方まで熱くなってきてしまう。
「ごめん……」
雫が無言のまま僕の手を引いて歩き出す。だがその足取りはどこか重く、子どものようにはしゃいでいた朝の彼女とはまるで別人のようだった。
「……もしかしてさ。……嫉妬、とかいうやつだったりする……?」
「………………」
僕の指摘が図星だったのか、彼女は足を止めそのまま黙り込んでしまった。
「っ――。あ、あのさ……。朝は言いそびれちゃったんだけど、似合ってるよ、その服。すごく可愛い、と思う……」
「……ありがと。あなたも似合っているわよ。その服も、……髪も」
「あ、りがと……」
「……行きましょ」
「うん……」
そうして僕らはあの日乗ることのできなかったアトラクションやショーを見たり、夜にはお城の上に打ち上がる花火を見たりと、丸一日掛けて二人で二回目のハニーランドを満喫した。
「んー、はぁ……」
「なんだか嬉しそうね」
「ん? うん……、まぁね」
閉園後、僕らはエントランスのベンチに腰掛け、雫のスマホで撮った今日の写真を一緒に見ていた。前回とは違い今回は、お互いの服装のおかげもあって色々なところで二人で写真を撮ることができた。朝は恥ずかしくて仕方がなかったこの服装も、雫と一緒に園内をまわるうちに気が付くとこういうのも悪くないと思うようになり、むしろ好きになっていた。
「やっぱり、僕もまたスマホ持とうかな……。そうしたらいつでも写真が見れるし……。あーいや、でもなー……」
「……じゃあ、はい。これ」
「え……?」
どうしようかと一人唸っていると、雫からあの日にもらったものよりも大きい四角い何かが入った袋を手渡された。
「あ、ありがとう」
袋の中を覗くと、そこにはハニーランドのキャラクターが描かれた本のようなものが入っていた。驚く僕を見て彼女が微笑みながら小さく頷く。
「これって……」
袋からそれを取り出して慎重に背表紙をめくると、そこには前回来たときに二人で撮ったあの写真が入っていた。
「アルバム……。これがあればあなたもいつでも写真、見られるでしょ? あなたこの前のときもずっと写真欲しがっていたし、それで……」
「雫……」
つい泣いてしまいそうになるのを堪えながらページをめくっていく。するとそこには前回撮った写真だけではなく、今日撮った二人の写真までしっかりと納められていた。
「ありがとう……」
嬉しさのあまり、ページをめくる度にアルバムの中で笑う二人の姿がぼやけていく。
「ちょっと、そんなに泣くことないじゃない」
「いや、ごめん。だって、嬉しくて……。本当にありがとう……」
「まったくもう……。どういたしまして」
呆れながらも嬉しそうに微笑む雫。
「……じゃあ僕からも、これ」
僕も持っていた袋を雫に手渡す。
「この子……」
「ごめん……。もしかしたら見るのも嫌かも、とも思ったんだけどさ……。やっぱりさこの前の子と一緒にさせてあげたいなーって思って、それで……。あっ、いらなかったら全然僕が持って帰るから――」
「――そんなことない。嬉しい……。ありがとう、絶対この子も大切にする……」
僕から受け取ったブラウンの熊のぬいぐるみを抱きしめ、涙を流す雫。
「雫……」
彼女にプレゼントしたのは、あの日送った子と対になる彼氏の熊のぬいぐるみだった。
雫の部屋にあったあの熊のぬいぐるみは、ストーカーの男が送ったものだったようで、中には電池式の監視カメラが仕掛けられていた。
男は誰もいない時間帯を狙って侵入を繰り返し、カメラの電池交換や角度の調整を行い、時には私物を漁って持ち去ることもあったようだ。部屋の物がなくなったのも、見られていると感じたのも、無言電話も、すべてはあの男がやっていたことだった。
楓さんから聞いた話によると、男は雫を襲い逃げ出したあとすぐ警察に捕まったらしい。雫の家の周辺で、ぶつぶつと独り言を言いながらうろついたところを近所の住人が通報。職務質問をした警察官を突き飛ばして逃走しようとしたところ身柄を拘束された。
男は事情聴取に対して、自分は彼女を守っていただけで悪いのは全部あいつだ、彼女に助けを求められたからやったのだと主張し罪を認めようとはしなかった。
だがその後に行われた家宅捜索で、男の部屋から隠すどころかむしろ誇らしげに飾られていた彼女の私物と僕を刺したナイフが見つかった。そしてそのナイフから血液反応が検出され、それが僕のDNA型と一致したことで男の身柄はそのまま少年院へと送致された。その際、今後一切雫に近づかないことを約束させられたとのことだったが、数年後に退院した時、男がまた雫に近づかないという保証はない……。
楓さんとも相談して、雫には男が逮捕されたことだけを伝えて詳しい話はしなかった。もうこれ以上雫を怖がらせたくなかったし、あの日の出来事を二度と思い出させたくはなかったから。そしてなにより、彼女にはこれから先はずっと笑顔でいてほしかったから……。
「はぁ……」
愛情が歪んで、ねじ曲がって、人をこんな風にしまうなんてやっぱり恋なんて……。
少し前の僕なら、きっとこんな風に思ってしまっただろう。
……だけど今の僕は違う。
「……大丈夫。これからは絶対に僕が雫のことを守るから」
「……うん。――くしゅん」
「これ使って」
寒そうにしていた雫の肩に着ていたジャケット脱いで掛ける。
「……ありがとう。あ、でもそれじゃああなたが……」
「大丈夫大丈夫。なんなら熱いくらいだし全然――へっくしゅ!」
「ほら……。もっとこっちに来て?」
彼女に言われるがまま、その横に座り直してピタッと身体を寄せる。すると雫はこちらへ寄りかかるように身体を預けると、そのまま僕の胸に顔をうずめた。
「これなら少しは温かい、かしら……?」
「……ちょっと熱すぎるかも?」
「ばかっ……」
そんな雫の肩に僕も腕を回して、彼女を引き寄せ抱きしめる。
「っ……」
「こうした方がもっとあたたかいよ」
「うん……。ありがと……」
周囲の視線だけではない、これから先もきっと様々な苦難が二人を襲うだろう。
もちろん不安だってある。
でも二人なら、雫と一緒なら、今後なにが起こったとしても共に乗り越えていけるだろう。
「これからもしっかり私を守ってね? 私の王子様」
「……あぁ、もちろん」
そして、誰もいなくなった心地よい音楽が流れる静かなエントランスで、僕らは身を寄せ合い、二人だけの幸せな時間をいつまでも過ごした。




