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 次に目を覚ますと、そこは見知らぬ真っ白な天井の病室だった。

 あの時、意識を失う直前、僕は男に背中をナイフで刺されていた。騒ぎを見ていた人がすぐに通報し駆けつけた救急隊によって病院へと運ばれたのだが、搬送された時点でナイフが腸まで至り出血も多くかなり危険な状態だったそうだ。だが幸いにも臓器に致命的な損傷は無かったため手術でなんとか一命を取り止めることができた。術後は当然入院することになったが、お腹と背中に手術痕が残ったものの二十日ほどで退院することができた。

 入院していた間、お見舞いに来てくれた両親と楓さんの他に警察官も何人か来て話を聞かれたが、男とは面識もなかったため見た目の特徴以外ほとんど何も答えることができなかった。

 お見舞いに来た楓さんの話では、雫も僕と一緒に病院へ連れてこられたが、最初は誰とも話すこともできない状態だったが、それ以外に特に目立った外傷もなく、今では学校にも来ているらしい。ただ犯人がまだ捕まっていないこともあり、念のため学校への送り迎えを楓さんが行い、帰宅後も極力外出は避けるようにしているとのことだった。

 あの日から彼女と話はもちろん、姿すら見ていない……。

 病院でもずっと雫のことだけが気がかりで、自分の目でも彼女の無事を確かめたいし、また話がしたいとも思った。しかし、彼女に拒まれた時の手の感覚と、最後に見た彼女のあの表情が頭から離れず、合わせる顔もなく何を話したら良いのかも分からなかった。


 こんな状況が僕が学校に復帰してからも続き、学内でも雫と顔を合わせることはなかった。 いや、違うな……。本当に彼女と会いたいと思えば、保健室や彼女のクラスに顔を出せばすぐに会えたはずだ。きっと雫が僕のことを避けていたように、僕自身も無意識に彼女を避けていたのだろう……。

 そんな僕らの様子は周りの生徒たちから見ても明らかだったようで、あの二人は別れたのかと、学内は僕らの噂話で持ちきりだった。

 彼女の送り迎えも保健室に足を運ぶこともなくなり、僕の学園生活は彼女と出会う前のように戻っていった。いつも通り起きて、準備をして、一人で学校へ行き、授業を受けてまた同じ通学路を通って帰る……。ただそれを繰り返すだけの日々……。

 だがそんないつもの通学路も近所の公園も、学校の下駄箱も教室前の廊下も、移動教室の時に見える中庭も……、どこにいてもなにをしていても雫の顔が頭を過った。雫がいなくなった僕の生活は無機質で、無気力で……。あの頃とは違い、僕の中からなにか大きなものがぽっかりと抜け落ちたかのような、まるで世界から色がなくなってしまったかのような消失感と寂しさだけがそこに残っていた。


「………………」

 そんな状態がしばらく続いたある日の朝、いつもよりも早く起きた僕の足は、気が付くとまだ誰もいない静かな学校へと向かっていた。

 いつもの通学路を早足で歩いて学校へと向かい、靴を履き替え、いつもとは違う方向へと向かう。そして一番奥の部屋へと辿り着き、一度深呼吸をしてから小さく扉をノックする。

「あれ……?」

 だが、反応はなかった。さらに勢いよく扉に手を掛けるがもちろん鍵は閉まっていて、中に人がいるような気配もない。

「まだ、早かったかな……」

 それからしばらく扉のすぐ前の壁に寄りかかって雫が来るのを待ったが、始業のチャイムが鳴っても楓さんすら姿を現すことはなかった。さすがに諦めて教室へと向かう道中で職員室を覗いたがそこにも楓さんの姿は無く、そして授業が始まった隣の教室にも雫の姿はなかった。


「はぁ…………」

 二人とも休みなんてなにかあったのだろうか……。雫にまたなにかあったのだろうか……。もしかしたらあの男がまた……。教室に入ってからも雫になにがあったのかもしれないとそんな嫌な想像ばかりが頭を支配し、その後の授業の内容も一つも頭に入ってこなかった。

「――ちょっと、顔死んでない? 大丈夫……?」

「えっ……?」

 お昼休みになっても、立ち上がる気力すらおきず抜け殻のように自分の席に座っていると、突然目の前に現れた女子生徒に声を掛けられゆっくりと顔を上げた。

「……あぁなんだ、椛蓮か……。うん、大丈夫大丈夫……」

「椛蓮って……」

 彼女は少し驚いたような呆れたようなそんな顔をすると、僕の耳元へと顔を近づけ周りに聞こえないよう小声で続けた。

「……あなたやっぱりちょっと変よ? 少し保健室で休んだら?」

「そうしたいんだけど今日かえ……、日向先生がいなくて開いてないんだよね……」

「あーそういえば日向先生、今日はお休みって言ってたわね」

「――それってなんで! もしかして雫と!?」

「雫……って二組の雨宮さん? いや、私もそこまでは知らないけど……、ていうか肩! 肩!」

 雫という名前に反応して、つい椛蓮の両肩を掴んで声を荒らげてしまった。クラスメイトたちの視線がこちらに集まってしまい、先ほどよりもボリュームを下げて話を続ける。

「ごめん……」

「いや、私は全然いいけど……。というか二人って、本当に付き合ってたんだ……」

「うん、まあ……」

 本当は彼氏〝役〟であって今ではもう話すらしていないのだが、別に椛蓮に話すことでもないだろう。

「そっか……。あーほら、そんなことより保健室。私が先生に言って鍵を借りてあげるから、行こ」

「っ……」

 僕相手にさも当然のように手を差し出す椛蓮。

 だがその手を見た瞬間、僕の身体は硬直して動かなくなってしまう。

「あっ、ごめんなさい。つい……」

「……あぁいやこちらこそ、ごめん……」

「……行きましょ」

 あからさまに拒んだように思われてしまっただろうか。そんな寂しそうな表情を浮かべる椛蓮の気持ちが今は痛いほどに分かってしまい、申し訳なさで胸がいっぱいになる……。


 教室を出て椛蓮の後ろを歩いて保健室へと向かう。そして椛蓮が途中、職員室に寄って借りてきてくれた鍵によってずっと閉ざされていた保健室の扉が開いた。

「ごめん……」

「なにが? そんなに何回も謝らなくていいからほら、入って」

 久しぶりの保健室……。カーテンが閉まった少し薄暗い室内に、薬品か消毒の匂いか分からないこの独特な匂い。ベッドもこのソファーも、テーブルの横に置かれたシュレッダーも、なにもかもが懐かしく思える……。

「っ…………」

「ちょっと待ってねー……」

 立ち尽くす僕を置いて、椛蓮が手際よくベッドの準備をしてくれる。

「ほら、来て」

「ここって……」

 準備してくれたのは、あの時彼女が寝ていたベッドだった。そして僕が座った椅子もそのままベッドの側に置かれている。

「どうしたの?」

「あぁいや、なんでも……」

 彼女に誘導されるままに布団に足を入れて座り、目を瞑る。

 二人で何度も来た保健室。ここには彼女との思い出がありすぎる。

 目を閉じて瞼の裏に写るのは彼女の、雫のことばかりだった……。

「――ちょっと、なんで泣いてるのよ」

「えっ? あれ、ほんとだ……。なんでだろ、おかしいな……」

 拭っても拭ってもなぜか涙はあふて止まらない。

「ごめっ、ちょっと待って、今すぐっ――!」

 涙を止めようと必死に目をこすっていると、突然椛蓮にその手ごと優しく抱きしめられた。

「ちょっ――」

「私はあの頃から……、今でもずっと、香也の味方よ?」

「うっ――」

 その椛蓮の行動と言葉によって激しい動悸と吐き気に襲われ、すぐに振り払おうと押し返すが、僕を抱く椛蓮の手ががっちりと固定されて離れることができない。

「はなっ――」

「――今だけ! 今だけだから、お願い……。今だけは、私を頼ってよ……。ここから出たらもう二度とあなたに近づかないから……」

「っ…………」

 そんな椛蓮の必死の説得に、抵抗していた手から少しずつ力が抜けていき、気が付くと吐き気と動悸も次第に治まっていった。そうして椛蓮との間に遮る物がなくなると、彼女に引き寄せられそのままそっと優しく包み込まれた。

「……ありがとう」

 僕を優しく包む椛蓮から伝わる体温が、張り詰めていた僕の身体を溶かしていくように全身へと広がっていった。彼女を本気で振りほどこう思えばきっとできたのだろうが、僕はそうしなかった。

 椛蓮の胸に埋めた顔に、彼女のバクバクと異常な早さで脈打つ心臓の鼓動が響く。

「………………」

 幾度も自分を拒絶した相手に対してここまでできるなんて、いったいどれくらいの勇気と覚悟が必要だったのだろうか……。あの時の僕は、雫にまた拒まれたら、これ以上に否定されたらと想像しただけで不安でいっぱいになってこんなことできなかった……。

「ごめんっ……」

 そんな椛蓮の優しさにずっと我慢していたものがあふれ頬を伝った。椛蓮はそんな僕になにも言うことなく、ただ静かに受け入れてくれた。


 そうして椛蓮の制服が涙でぐしゃぐしゃになるまで泣いた後、僕は彼女に雫とのこと、あの日のこと、話せる限りのこれまであった出来事を話した。その中にはきっと彼女に話すべきではない話もあっただろう。だけど椛蓮は僕を優しく包みながら、うん、うんと否定も肯定もすることなくその全てを受け止めてくれた。

「……ずっと一人で辛かったね……。頑張ったね……」

 ひとしきり話し終えた後、言葉にならない声で泣いている僕を椛蓮はまるで泣いている子どもをあやすかのように優しく抱きしめ、その頭を撫でてくれた。

「ごめん……、ごめんね? 私がもっと早く気が付いていればよかったのに……」

そんなことはないと顔をぶんぶんと振ると、なにか温かい感触が背中を伝う。

「ごめんね……」

「ごめん……」

 僕の話を聞いて、なぜか自分のせいだと責任を感じて泣き出してしまう彼女。そんな彼女にそんなことはない、すべて僕のせいだと伝えようとするも言葉にならず、ただただ二人で泣きじゃくりながら謝り合うことしかできなかった。


「んっ……」

 最近あまり寝られていなかったせいか、泣き疲れたからか、気がつくと僕は眠ってしまっていた。どれくらい時間が経ったのだろうかと辺りを見渡すと、閉ざされたカーテンの隙間から暖かな茜色の光が保健室に差し込んでいた。目線を右下に移すと、側にあった椅子に腰掛けベッドに伏せるようにして椛蓮も眠っていた。

 起き上がってベッドから出ようとすると、右手に懐かしい温もりを感じる。

「あたたかい……」

 僕が寝ている間もずっと手を握ってくれていたのだろう。その温もりを確かめるようにぎゅっ握り返す。そして再び目を閉じてその懐かしさをしばらく噛みしめた後、眠る椛蓮を起こさないよう、繋がった手はそのままにゆっくりと起き上がる。

「……ありがとう」

 起きてからもちゃんとお礼を言わなきゃなと思いながら、涙を枯らした顔で気持ちよさそうに眠る椛蓮の頭をそっと撫でた、その時だった――。

「っ――!」

 突然勢いよく保健室のドアが開いた。その音に驚いて反射的に顔を上げると、ベッドの周りのカーテンを閉めていなかったため、中に入ってきた人物とすぐに目が合ってしまった。

「……なんで」

 そこにいたのは僕がずっと会いたかった、ずっと話をしたいと思っていた人……。

「――雫!」

「――えっ……? なに?」

 僕の大きな呼びかけに、雫ではなく椛蓮が反応し目を覚ます。

 雫は目線だけ動かして僕と椛蓮を何度か交互に見ると、そのまま無言で踵を返し保健室から飛び出していってしまった。

「まっ――」

「どうしたの!?」

 突然のことに動揺する椛蓮の手を振り払い、急いでベッドから出て雫を追う。

「しずく……、雫!」

 先を行く彼女に呼びかけるが、反応はない。

「っ……、雫っ!」

 腕を掴みそうになるが直前で思いとどまり、走って雫を追い越してその目の前に立った。だが彼女は僕の顔も見ずにペコッと軽く会釈をすると、そのまま歩いて行ってしまった。

「――待って!」

 ここで雫を行かせてしまったら、もう二度と話すことができないかもしれないという焦燥感に駆られ、気がついた頃には僕の手は彼女の右腕を掴んでいた。

「っ――! 触らないで!!」

 僕の手はまた彼女によって拒まれてしまう。

「――ご、ごめん! でも、ただずっと話したくて、それに……」

 ずっと会いたかった、心配だった、謝りたかった、伝えたいことはたくさんあったが、後に続く言葉は彼女に遮られてしまう。

「それに、なに……? 会いたかった、とか? だとしたらそれってただの依存よ? 気がついてる?」

「――違う! 僕はただっ――」

「はっ、もしかしてあれ? 彼氏のフリして本気になっちゃったとか? それとも、私をあなたの物にでもしたくなった? あ、それかこいつなら簡単にやれるかもとか思った? それならさっきの彼女に相手してもらいなさいよ。……あの子もあなたに気があるみたいだし」

「あれは――、違くて……」

「……でも無理よね? だってあなた、女性に好意を向けられるのが怖いんだものね!」

「それは……」

 言い切ってからはっとした顔をすると、雫はさきほど僕が掴んでしまった右腕を押さえて俯いた。

「……ごめんなさい。でも、あなたなら……、あなただったら私にそんな感情は抱かないと思っていたのに、信じていたのに……。あなたとだったらきっとわかり合えるって、本当に思っていたのよ……?」

「まっ――」

 もう一度彼女へ手を伸ばそうとする僕に背を向けたまま、彼女が背をぼそっと呟く。

「……あなたも他の男と、あいつと同じじゃない……。気持ち悪い……」

「っ…………」

 雫を不純な目で見る男たち、ましてや彼女を襲ったあの男と同じと言われ、言い返す言葉も見つからず、先を行く寂しげな彼女の後ろ姿を僕はただ見ていることしかできなかった。

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