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 外に出ると相変わらずまだ暑くはあったが、日も暮れ始め、強かった日差しは少しだけ弱くなっていた。

「行こっか……」

「……うん」

 涙は止まったものの、俯く雫の表情は未だ曇ったままだった。

「……あ、地図見たいからまたスマホ借りても良い?」

「えぇ……」

 雫からスマホを借りて時間を確認する。これなら間に合いそうだ……。

 そのままスマホで地図を開き、それを頼りに彼女の手を引いて目的の場所を目指す。朝とは逆に手を引かれる彼女の足取りは重く、このまま手を離したらどこかに消えて行ってしまいそうなほど落ち込んでいる様子だった。

 そして互いに無言のまましばらく歩くと、目的の場所が見えてきたので雫の手を離す。急に手を離された彼女は、突然のことに俯いたままだった顔を上げると、目の前の思いもよらぬ光景に目を見開かせた。

「えっ、ここって……」

 雫の目の前には、エルの物語の世界を再現した、中世ヨーロッパのような街並みとお城が広がっていた。彼女の服装と街の外観、そして灯り始めた街灯も相まって、立っているだけでもまるで物語のワンシーンを切り出したかのように幻想的な光景だった。

「んんっ――! 僕とお城まで来ていただけますか? お姫様?」

「……はいっ! あ、でも……」

 差し出された手を取って一瞬目を輝かせた雫だったが、この先のアトラクションを待機する人たちが長蛇の列を作っているのを見て肩を落とす。待ち時間を表示する掲示板にも200分と表示されていて、今の彼女にそんな長時間並ぶ体力も気力もないだろうし、もちろんそんなことはさせられない。

「大丈夫だから、こっち」

「えっ……?」

 心配する彼女の手を引き、並んでいる人たちを追い抜いてお城へと続く橋まで辿り着く。そしてそこで係の人にスマホの画面を見せ、列が続く方とは別のもう一方の入り口に入った。

「ここって……」

「お姫様専用の特別な入り口……ってとこかな」

 実際は事前に時間予約した人限定の入り口で、普段は朝一ですべての時間の予約が埋まってしまうほどに人気だった。だが救護室で雫にスマホを返す直前、どうにかして彼女を元気づけられないかとアプリで確認したところ、この時間にたまたま空きが出ていたのを見かけ予約をしていた。

「行こっか」

「うん!」

 雫の手を引いたままお城の中に入る。彼女の足取りはさきほどとは違って軽く、城の内部の細かい作りに目を輝かせていた。元気になった彼女の微笑ましいその様子に、ついつい僕の表情も緩んでしまう。

 そしてそのまま物語の世界に入り込んでいくように続く通路を抜けると、さきほどの長い列の先頭へと合流し、ほとんど待ち時間なくアトラクションに案内された。


 雫の好きなエルが登場するのは、魔女によって恐ろしい野獣の姿に変えられてしまった王子様と村一番の美人だが変わりものと言われるエルが恋に落ち、幸せになるまでの物語。

 初めは互いに心を閉ざしぶつかり合ことも多かった二人が、一緒にさまざまな困難を乗り越えながら城で生活をしていくうちに、エルは野獣の不器用な優しさに、野獣はエルの自分を見た目で判断せずに接してくれことに心惹かれて互いに少しずつ打ち解け合っていく。人を見た目で判断せず、その人の内面を見ることの大切さを教えてくれる〝真実の愛〟について描かれた作品だ。

 このアトラクションでは、移動するカップに乗ってその物語を追体験できるようになっていた。最初から繰り広げられるアニメさながらの演出に、僕らは瞬く間に物語の世界へ入り込んでいった。そしてさまざまな困難を乗り越え二人が結ばれた末、最後に人の姿に戻った王子と、黄色い美しいドレスに身を包んだエルとのダンスシーンがあるのだが、二人の幸せそうな姿に思わず涙がこぼれていた。

 隣を見ると雫も感動し目をうるうるとさせていて、そんな彼女を見ていたら気が付くと彼女の手を覆うように上から握りしめていた。

「………………」

「っ――、………………」

 一瞬こちらを見て驚いた様子の雫だったが、すぐに視線を戻し微笑むと、重なる手をくるっと回して優しく絡ませるようにその手を握り返した。そうして僕たちはようやく繋がり合うことのできたお互いの温もりを確認し合うかのように優しく、そして決して離れないように強くその手を取り合った。


 アトラクションを終えた僕らは、その余韻に浸ったまま繋いだ手をそのままにどちらも口を開くことなくエントランスへと戻った。そうしてゲート、ではなくどちらからともなく向かっていたベンチに腰を下ろした。

 それからもお互い相変わらず無言のままだったが、この時間が永遠に続けば良いとそう思えてしまうほどに本当に幸せな時間だった。

 だが、そういう訳にもいかない。幸せな時間はあっという間には過ぎていく……。

「……そろそろ行こっか」

「……うん」

 先に立ち上がって雫の手を引き起こそうとすると、俯く彼女の表情が名残惜しさからか後悔からかまだ少し寂しそうに見えてしまった。そんな彼女をもう一度どうにか笑顔にできないかと考えたその時、とあることを思い出し、立ち上がる寸前だった彼女の手を押してそのままベンチへと戻した。

「えっ……?」

「あ―ごめん! その前にちょっと……、トイレ!」

「それなら私も……」

 そして僕は彼女の返事も待たないうちに走り出し、朝二人で歩いた道を急いで戻った。


「はぁ、はぁ、あれ? どこに……」

 用事を済ませ急いで雫の元に戻ると、さきほどまで二人で座っていたベンチに雫の姿はなかった。周りを見渡しても彼女の姿はなく、探しに行こうかと思ったが行き違いになってはいけないととりあえずベンチに腰を下ろした。

 だが、しばらく待っても彼女は戻ってこなかった。時間が経てば経つほどどこかで倒れているのでは、また人に囲まれて困っているのではないかと、彼女に何かあったのかもしれなという不安が頭を埋め尽した。だが連絡をとろうにも彼女の連絡先も分からないし、連絡をする手段もない……。自分にはどうすることもできず、座ったまま俯いて拳を握ってギュッと目を閉じた。

「どうしたの……? やっぱりお腹痛い?」

 その時、背後で聞き覚えのある声がして勢いよく振り向くと、すぐ目の前に雫の顔が現れた。

「――雫!?」

「――わっ、え、なに? どうしたの……?」

「よかった、なにもなかった……」

「全然よくないわよ。私もお手洗いに行きたかったから一緒に行こうと思ったのに、走って先に行っちゃうんだもの。……そんなに我慢してたの?」

「あーうん、そうかも……。ごめん……。はぁー……」

 雫が無事なことが分かり張り詰めていた緊張が解け、全身の力も抜けてベンチの背もたれにぐったりと寄りかかる。そうしてそのまま上を向いて薄暗くなってきた空を見上げていると、突然目の前が真っ暗になった。

「――んっ!」

「はい、これ……」

 目の前に差し出された、というか顔の上に載せられた物を受け取り姿勢を戻す。

「えっ、なにこれ?」

 ハニーランドのキャラクターたちが描かれた可愛らしい袋の中には、四角く軽い箱のようなものが入っている。

「開けてみて」

 袋から中に入っていた箱を取り出し膝の上に置いて雫の顔を見ると、手のひらを上に向けてどうぞというポーズをされる。それに従いゆっくりと箱を開けると、花壇をバックに微笑む雫とその横でぎこちない笑顔を浮かべる僕が手を繋いでいる写真が入っていた。写真は可愛いフォトフレームに入れられていて、雫の好きな熊のキャラクターとその仲間たちが僕ら祝福するように囲んでいる。

「えっ、これって……」

「あー……、こっちは綺麗に撮れてたのよ。ほら、あなた写真欲しそうにしてたから。お手洗いに行った時に、ちょっとね……」

 あの後結局、バタバタしてしまいこの時以外に二人で写真を撮ることはできなかった。しかもその写真もうまく撮れていないと聞いていたので、もう無理だと諦めていたのに……。

「ありがとう……。本当に嬉しい……」

「そう……。ならよかった……」

 もっとよく見ようと写真立てを箱から取り出すと、その下にまだ何枚か写真が入っているのを見つける。

「あれ? これって……?」

「あぁそれ。ゆいちゃんとの写真も良く撮れていたから、私もついでに印刷してみたのよ。あ、それはあげないわよ?」

「分かってるって。見てもいい?」

「ええ、どうぞ」

 被写体が良かったおかげか、僕が撮ったにしてはかなり綺麗に二人の写真が撮れていた。写真をめくっていくと僕が撮った以外にもゆいちゃんが撮ったであろう写真も入っていた。

「――えっ、これ……」

 最後の写真を見て思わず手が止まってしまう。それもそのはずで、そこにあったのは雫から撮れていないと伝えられていた、僕がお姫様を抱きかかえ恥ずかしさのあまり顔を赤くしている写真だった。その腕に抱きかかえられた彼女も、手で口元を隠し恥ずかしそうに顔を赤らめながらこちらを、見ていて……。

「んー? あっ――!」

 僕の見ていた写真を見るや否や、瞬時に奪い取る雫。

「……見た?」

「見た、かも……?」

「ち、違うの! これはその、違くて……、そう! 暑かったからよ。ほら、朝から日差しも強くて、だから――」

「――ふっ、ははっ、あははははっ」

「ちょっと――、もう……。ふふっ」

 僕につられて一緒に笑う雫。変わっていないと思っていた、僕のことなんか少しも意識していないと思っていた彼女の表情が、僕と同じように赤く染まっているのがなんだか嬉しくて、それを必死に隠そうとするのもおかしくて、愛おしくて……。

「ふぅ……。じゃあ僕からも、はいこれ」

「えっ?」

 身体の陰に隠していた、さっき僕が受け取ったものよりも一回りほど大きい袋を雫に渡す。彼女は戸惑いながらも袋を受け取り中を確認すると、その表情が一気にぱぁっと明るくなる。

「――えっ! これって!」

「ふふっ、どうぞ」

 ばっと嬉しそうに顔を上げてこちらを見る雫に中を見るように促すと、彼女は再び袋に視線を戻して中に入っていた物を一気に取り出した。

「――あっ! この子!」

 袋の中身はさっきトイレに行くと言って急いで買ってきた、雫が朝に迎えに行くと約束していたあのピンクの熊のぬいぐるみだ。ぬいぐるみの顔の違いなど分からないとばかりに思っていたが、雫が喜んでくれる顔を、雫のことを考えながら探したおかげか、たくさん同じ種類のぬいぐるみが並ぶ中からすぐにこの子だと分かった。

「ありがとう……」

「またさ、何回でも来ようよ……。次はもう少し涼しい時にでも、また二人でさ……。その時はショーも、行ってないアトラクションも行ってさ。あとは……」

「……花火、花火も見たい」

「あぁ、それも見よう。あと食べ歩きもしてさ、それとー写真もいっぱい撮って。全部一日で済ませるのも良いけどさ、こうやって次の楽しみを残しておくのもこれはこれで良くない?」

「ふふっ、なにそれ。でも、そうね……。そうかもしれないわね……」

 ぬいぐるみをギュッと大切そうに抱きしめ、今後のことを楽しそうに話す雫を見て、なんだかあげたこっちまで嬉しくなってくる。

「こうやって楽しみがあると色々と頑張れるよね。学校も人間関係も……、あーでもどこに行っても見られるのは頑張れない、かも……」

「そこは頑張ってもらわないと。水族館も海も、あとカラオケとかも行ってみたいし、あとは旅行なんてのも良いわね。それにまたここにも来たいし……。頑張らないとね、彼氏君」

「っ――」

 初めて見る彼女のこの笑顔と、彼氏という言葉に思わずドキッとしてしまう。

「ほ、ほら、行くよ」

 恥ずかしさを隠すように慌てて立ち上がり、顔を逸らしながら彼女に手を差し出す。

「……ありがとう」

「ん?」

「いいえっ、なんでもっ――」

 僕の手をぐっと引いて飛び上がるように立ち上がった雫の勢いに、ついふらっと体勢を崩してベンチに両手をついてしまう。

「ほら、早く行きましょっ」

 その声に再び振り向くと、ぬいぐるみを抱き満面の笑みを浮かべて楽しそうにこちらを見つめる雫の姿が目に映った。あぁ、きっと僕はもうとっくに彼女のことが……。

「ちょっと待って――」

 慌ててベンチに置いていた荷物を持って彼女に追いつく。

 そして互いに不自然に空けていた片側の手をいつの間にか自然に重ね合わせ、ゲートを出て駅へと向かった。最後に乗ったアトラクションの話や、次回乗りたいアトラクションやショーの話、食べ損ねたご飯の話など、いつも通りに戻った雫が楽しそうに話すのを、僕も隣で胸を躍らせながら聞いた。

「じゃあさ、これからもっと暑くなるし、夏休みの終わりの方にでも――」

 また来よう、そう言いかけた時だった――。

 バサッとなにかが落ちる音と共に、今まで右手に感じていた雫の温もりが突然消えた。

「えっ……?」

 ぐいっと腕が引っ張られた方を見ると、全身黒ずくめで真黒いパーカーのフードを深くかぶり、マスクで顔を隠した男に腕を掴まれ硬直する雫の姿があった。

「雫……、雫! た、助けに来たよ!」

「なっ――」

「僕が、僕が君を守るから……、もう大丈夫だからね!」

 そう言って男は腕を掴んだまま雫を抱きしめると、まるで愛しい人にするように彼女の頭を撫でた。男の胸に顔を埋めさせられた雫は、その恐怖のあまり振り解くことはおろか、声を上げることすらできず固まってしまっている。

 突然の出来事に僕の思考も一瞬止まりかけたが、そんな雫の姿を見て我に返り慌てて男の腕を掴む。

「……おい! なにしてんだよ――!」

 男を雫から引き剥がそうとするが、力強く握りしめられた手をなかなか振り払うことができない。

「――離せよっ!」

 男に手を払われ、地面に突き飛ばされる。

「――っ、しずく……」

「……邪魔するなよ。なんだよ……、なんなんだよお前はぁぁっ!」

「僕は! 僕は、雫の……」

 彼氏、そう答えようとしたが言葉に詰まってしまう……。

 するとそんな僕の上に男が馬乗りになり、胸ぐらを掴んで叫んだ。

「――お前がぁっ! お前さえいなければ! 雫はずっと僕だけのモノだったんだ! 僕が、僕だけが雫を守ってあげられるんだ! お前じゃない、僕だけが雫を幸せにできるんだ……。僕が……、僕だけなんだ……」

「っ――」

一瞬、男の力が緩んだのを見て思いっきり突き飛ばす。

「――雫っ!」

 男が怯んでいる隙にすぐさま起き上がり、雫の元へと掛け寄る。

 男から解放された雫は、赤く跡の付いてしまった腕を胸の前で押さえ、息を荒らげたまま肩を震わせ立ち尽くしていた。

「おまえっ――」

「雫! 今のうちに!」

 そして雫の手を引いて走り出そうと咄嗟に彼女の腕を掴んだ、その時だった――。

「――いやっ! 触らないで!」

「なっ――」

 雫へと伸ばしたその手は拒まれ、振り払われてしまう。

 そして雫は震える自身の身体を抱いたまま、その場で崩れるようにうずくまってしまった。

「なん、で……」

 自分すらも拒む彼女を前にどうしたら良いのか分からず、頭の中が真っ白になってそこから動くことができなくなり立ち尽くしてしまう。

「あはっ、嫌がってるじゃないか……。ほらぁ……、ぜーんぶ、お前が悪いんだよ。全部……、全部全部全部っ! あははははははっ! ざまぁみろクソが! 僕がそいつから絶対に救い出してあげるからね、雫……」

「ちがっ、僕はっ――」

 目の前でうずくまる雫にもう一度手を差し出すべきか迷っていると、ドンと強く男に背中を押され大きく転んでしまう。

「こ、これで、これで雫は僕だけのモノ……もう誰にも渡さない……」

「そんなこと……、いっ――!?」

 突然腹部に激痛が走る。痛みを押さえつけるようにギュッと強く握り絞め視線を下に向けるも、腹部には特に変わったところはない。

「なに、を……」

「キャーッ!!」

 背後から女性が叫び声が響く。

「あははははははっ! ざまぁみろ!」

 男は僕に向かって吐き捨てるように叫ぶと、座り込んだままの雫に近づきなにやら耳打ちをしてからその場から走り去ってしまった。

「待て……、――あれ……」

 男を追いかけようとするが、急に足に力が入らなくなりガクッと膝から崩れ落ちてしまう。咄嗟に両手を突き出して身体を支えようとしたが、その手からも力が抜け、顔から地面とぶつかる。

 頬が冷たい……。

 走って逃げる男の姿がどんどんと小さく、ぼやけていく。

 遠のく意識の中どうにか雫の方へと顔を動かすと、俯いて呼吸を荒らげる雫の顔に涙が流れているのが見えた。

「しず、く……」

 そんな彼女の涙を拭おうと手を伸ばすが、その手が彼女に届くことはなく僕の意識はそこで途絶えた。

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