第8章 旅の村で、小さな手を取る光
森を抜けて三日。
セレスティアたちは、小さな農村へと辿り着いた。
瓦屋根の家が並び、麦畑が風に揺れている。
家畜の匂いと、人々の笑い声が混ざり合う穏やかな場所。
けれどセレスティアは、足を止めたまま動けずにいた。
影狼との戦いからまだ数日——
身体の傷はすでに癒えているのに、
胸の奥の“ざわつき”だけはまだ消えてくれなかった。
目を閉じれば、あの牙。
仲間の血のにおい。
自分の弱さ。
そして、涙。
「セレスティア、無理に歩かなくていい」
ミロがそっと肩に手を置いた。
その優しさが少し苦しくて、セレスティアは俯いた。
「……わたし、また迷惑を……」
「迷惑なんかじゃない」とガイルは即答した。
相変わらず不器用な声だけれど、真っ直ぐで揺らがない。
フィンも、少し困ったように眼鏡を押し上げながら言った。
「休息は“弱さ”ではありません。
むしろあなたは、少し休んだ方がいい」
三人の声が優しすぎて、
セレスティアは余計に胸が痛くなってしまう。
——わたしだけが足手まとい。
——わたしだけが、みんなを危なくしてる。
そんな想いが胸の奥で渦巻いていた。
その時だった。
「おねーちゃん!!!」
甲高い声が、麦畑の方から飛んできた。
小さな影が、転びそうになりながら一直線に駆け寄ってくる。
髪に小麦くずをつけた、五歳くらいの女の子だ。
彼女はセレスティアを見ると、まるで太陽を見つけたみたいに顔を輝かせた。
「ひかりのおねーちゃんだ!! まってたの!!」
「……え?」
セレスティアは目を瞬いた。
女の子はそのままセレスティアに抱きついた。
小さな腕なのに、不思議なくらい強い抱擁。
「おねーちゃん……ひかり、ぽかぽかしてる……!」
子どもは泣きそうな声で囁いた。
セレスティアの胸に頬を押し当て、
離れたくないとでも言うように指をぎゅっと握る。
その温もりに、セレスティアの胸の奥がふわりと溶けていく。
「あの……わたし、あなたのこと——」
「ミリア!! 勝手に走ってっ——!」
慌てた母親が追いかけてくる。
息を切らしながら頭を下げた。
「す、すみませんっ!
この子……ずっと熱を出してて。
でも、あなたが来た瞬間……急に笑って……」
そう言って、母親は涙をこぼした。
セレスティアは言葉を失った。
自分には何もできない。
弱くて、仲間の足を引っ張るだけ……
そう思っていたのに。
抱きつく小さな手が、
“必要とされている” と言ってくれている。
——ああ。
こんな小さな子が、わたしを見て笑ってる。
胸が温かい。
涙がにじむ。
「……ありがとう」
セレスティアはそっとミリアの背を撫でた。
その手から、ごく微かに光が生まれる。
母親が目を見開いた。
「……さっきより……この子、呼吸が楽そうで……」
「セレスティアの光は、癒しに近い性質があるんだよ」
フィンが優しく説明する。
「本人はまだ自覚してないけどね」
ミロが微笑む。
「……だが、無理はさせるな」
ガイルは腕を組んだまま呟いた。
しかし、三人の表情はどこか複雑でもあった。
⸻
◆ 三人の、ほのかな嫉妬
ミリアは完全にセレスティアに夢中だった。
ご飯の時も、
遊ぶ時も、
寝る前も、ずっとセレスティアにくっついて離れない。
手を握り、
髪を触り、
「だいすき!」と笑う。
そのたびに——
ガイルは無表情のまま視線をそらし、
ミロは苦笑いの奥で微妙に落ち込み、
フィンは表情を変えずに眼鏡を直す。
三者三様の“静かな嫉妬”。
もちろん恋ではない。
ただ、セレスティアにしかできない“光の役割”に、
それぞれが言葉にできない焦りを感じていた。
ミロはぽつりと漏らした。
「……すごいよね、セレスティア。
村の子どもたち、みんな君のところに来ちゃう」
「お前が泣かすからだろ」
ガイルが真顔で返す。
「ちょっ……ひどくない!?
僕だって優しくしてるよ!?」
フィンはその横で冷静に呟いた。
「自覚のない聖女……とは、こういう存在なのでしょうか」
「せ、聖女……?」
セレスティアは慌てて首を振る。
「わたし……そんな立派じゃ……」
「立派じゃないよねぇ、うん」
ミロが笑う。
「じゃあミリアちゃんに取られる前に、もう少しこっち向いてよ?」
わざと軽い声で言うが、少し寂しそう。
ガイルもぽつり。
「……あまり離れるな」
フィンは静かに。
「あなたが泣く前に、私たちを頼ってください」
セレスティアは胸がぎゅっと熱くなった。
——わたし、
わたし……こんなに心配してもらってるのに。
「ありがとう……みんな……」
その声に、三人は同時に息を吸った。
そして、誰ともなく視線をそらす。
(……これ絶対、後で喧嘩になるやつだ)
村の母親たちも、後ろで小声で盛り上がっていた。
「あの三人……誰が一番なの?」
「いや、あれ恋じゃないよ。でも……」
「でも……ねぇ?」
セレスティアの知らぬところで、
村の噂が“勝手に”恋愛風味になり始める。
⸻
◆ 足手まといの復活
夜。
村の人々が集まる焚き火のそばで、
セレスティアはミリアに手を引かれながら歌を教えていた。
光の粒が、歌に合わせてふわりと舞う。
——きれい……
——これ、わたしが……?
ほんの少しだけ、
自分の存在を認めてもいいのかもしれない。
そう思いかけた、その瞬間。
「セレスティア!!!」
ガイルが走り寄ってきた。
村の若者が運んできた報告はひとつ。
「近くの森で、影獣の反応が出た」
ミロがすぐに剣帯を握り、
フィンは魔導書を開く。
ミリアは怯えた表情でセレスティアの服を掴んだ。
セレスティアは息を呑んだ。
また……
また、自分のせいで戦いが起きるの?
胸が一気に冷たくなる。
ガイルは強い声で言った。
「セレスティア、ここにいろ。絶対に来るな」
ミロも、優しい声で続けた。
「大丈夫だよ。僕らが戻るまでミリアちゃんを守ってあげて」
フィンは静かに言った。
「あなたが行く必要はありません。
……あなたは、守られる側なのですから」
——その言葉が
セレスティアの胸に深く刺さった。
“守られる側”。
その言葉は優しさであり、
同時に、どうしようもない無力感でもあった。
三人が背中を向けて走っていく。
セレスティアは、焚き火の前で立ち尽くしたまま
小さなミリアの手を握った。
心の中で、何かが軋むように痛んだ。
――まただ。
――わたしは……足手まといのまま。
でもミリアは小さく微笑んで言った。
「……おねーちゃん。
だいじょうぶだよ。ひかりは……まもってくれるもん」
その言葉に、セレスティアの胸が震えた。
守られるだけじゃない。
わたしも……誰かを守りたい。
小さな子どもの手を握り返しながら、
セレスティアは強く思った。
そして、胸の奥で芽生える小さな決意は、
次の章での衝突——
三人との大きな喧嘩へとつながっていく。




